BUZ LIFE

毎度ご乗車ありがとうございます。

Bus Drivers

2006年07月31日 | Weblog
5~6月にかけて、業界最大手のバス会社でアルバイトをしていた。仕事の内容は、バスに乗って停留所ごとの通過時間と、乗降があった場合にはそれぞれの人数を調査用紙に記入していくというもの。至極簡単。バスに座って、景色を眺めつつ少し数字を記入すればいいだけ。これほど楽なバイトはないんじゃないかというくらい。その分時給は800円に届かないのだけれど。

そして何より、すごく楽しかったのだ。

出勤すると担当するダイヤを与えられ、そのダイヤを運転するドライバーと1日行動を共にすることになる。事務の人が今日はこのドライバーさんだよ、と紹介してくれる。どんなドライバーと一緒になるか毎回どきどきであった。普段バスに乗っていると、無口で不機嫌そうな顔をしている人が結構いらっしゃるイメージがあるから、そんな人と一日中一緒じゃ精神的に厳しいだろうな、と。しかし、その不安は毎回きれいに解消されたのだ。7~8人のドライバーさんに出会って、毎回。

意外とおしゃべり。事務所を出て、バスに向かうまでのわずかな時間から、どこから来たのか、今日何回目なのか、などなどいろいろ質問が飛んでくる。車庫からバスを出して運転を始めてもまだしゃべる。駅や終点の折り返し地点でもしゃべる。21歳の自分と40~60代の自分の父親世代のドライバーが、仕事の話から世間一般のことまでとりあえずしゃべる。そこで毎回、よくなされた会話の質問事項を以下に。
①ドライバーから自分
Q.何歳なの?学生?
Q.どこから来たの?
Q.今日ここ何回目?
Q.なんでまたこんなバイトしているの?もっといいバイトあるんじゃない?
Q.お父さん何歳?
Q.将来何になるの?
Q.趣味は?
Q.彼女はいるの?
Q.次はいつここに来るの?

②自分→ドライバー
Q.運転楽しいですか?
Q.なぜこのお仕事を?
Q.今日は~の道混むでしょうか?
Q.このバスは新しいのですか?
Q.みんな仲よさそうですね?
Q.明日もお仕事ですか?

以上のような質問をベースに、会話をしていく。ドライバーによって話し出すタイミングはまちまちであった。上述のように事務所出たすぐ後からの場合もあれば、2回目の休憩が終わってからという場合もあれば、こちらから話しかけてやっと、といった場合もあった。

このバイトの醍醐味はドライバーの方々とお話できることだ。だから時給がいくら安くても良い。話をして仲良くなれば、飲み物を買ってくれたり、社員食堂で定食を自分の食券で出してくれたり、帰りは近くの駅まで送ってくれたり、と本当に涙が出るほどよく面倒を見てくれた。そしてどのドライバーも自分を気遣ってくれる。車内は寒くはないか?とかトイレは大丈夫か?とかちゃんと休憩できたか?とか。人間的に温かい人が多かった。普段のバスの運転士とはちょっと違った顔をお持ちでいらっしゃった。バイトとして会社に雇われたのだが、それをドライバーは”仲間”とみなしてくれたのかもしれない。会社の中の人と、その外の人とではやはり対応も変わってくるだろう。特にこの会社、中にいる人間の仲間意識が高いように思われた。

そして、ドライバーさん同士、非常に仲が良い感じだった。事務所ではドライバーさん同士の談笑が絶えない。年齢や年功がどれだけ違っていても関係ないようだった。仕事の話、慰安旅行の話、家族の話、テレビの話・・・みんなが分け隔てなく楽しそうに会話をしている。碁を打つ人もいる。上下関係もなにもない、誰かが誰かにこびへつらうこともない。だから自分は質問してみる。「すごくみなさん仲よさそうですね?」「そう?その中にもいろいろあるんだよ」と答えが返ってくるが、まんざらでもなさそう。あるドライバーは「会社に来るのが楽しいと初めて思ったね。とりあえず会社に来たくなる」

ドライバーと、勤務や点呼を管理する事務員の方もまたしかりである。彼らも彼ら同士、またドライバーとも仲よさそうにしている。ある航空会社では現場と労務の関係が非常に悪い、という話を聞いたことがあるが、ここではまったくそういうことはなさそうだった。あだ名で呼び合い、「明日このダイヤできる?」など軽く会話が飛ぶ。

ごくわずかな期間しかいなかったし裏にはさまざまな事情が隠れているかもしれないが、思った。「この会社で仕事できれば面白そう」

しかしドライバーさんたちは口をそろえて言う。仕事はつまらない、と。やりがいはない、と。夢も希望もない、と。

激務なようだ。月に休みは6日。連休は2回しかない。それで不規則な生活。朝早いときは5時台の出勤、あるときは午後に出勤して日付がかわるまで乗務、そしてあるときは間に4時間の休憩があるダイヤ、などこれらが組み合わさって勤務しなくてはならない。通しのダイヤだと12時間は軽く越しての拘束時間。やはり身体はつらいという。この状況下、安全運転を至上の使命として乗務する。狭い路地や渋滞、混雑する車内など精神的な苦痛は容赦なく襲い掛かる。定時運行というプレッシャーも大きいらしい。また、昇進もあってないようなもので(ほとんどのドライバーに肩書きは付かない)、目指すべき目標はかすむ。賃金面では長年昇給はない。残業して何ぼの世界だという。会社は黒字だしているのに・・・、と嘆く。

このあたりに、普段不機嫌そうなドライバーが多い原因があるかもしれない。自分の仕事を肉体労働だというドライバーもいた。乗客から求められるのは時代の流れからして、丁寧な接客や安全運転などサービス業としての仕事だ。ただ漫然と運転するだけ、というのでは済まされない。時代錯誤。ドライバーは40代以上の人が多く、昔はバスは遅れて当然のものだったし、そもそも乗客からの目がそんなに厳しくなかったために、多少の好き勝手も許されたのかもしれない。トラックからの転職も多く、お客様ありきの商売という感覚が薄く、サービス業という自覚がどうも欠けてしまっているように思われた。会社の教育の徹底がなされてこなかったのだろうし、また彼らを取り巻く厳しい労働環境が、やはりサービス業としての仕事と受け入れられないのかもしれない。

衝撃的なのは、ドライバーの余命が短いということ。どうも仕事をやめた定年後、急逝されてしまったり、若いときに命を落とす人もいるらしい。そして焼かれた後、骨がほとんど残らないというのだ。あるドライバーが言っていた。「やはり相当に精神的にも肉体的にもきつい仕事なのではないだろうか」

本当にいい人たちばかりであった。なのに上記のようなことがあっては納得できない。生きるべく人が生かされない。労働環境の改善が急務だ。

そして、自分はまた会社の”外”の人間になった。一乗客に成り下がり、もう彼らの仲間ではない。しかし、本当に楽しい時間がすごせた。あの方たちがいなかったらこうはならなかっただろう。感謝してもしつくせない。





報告書

2006年07月29日 | Weblog
先日自分の勤めるバイト先で研修が行われ、その報告書を書けとの命令が下された。てっきり報告書を書くのは社員さんだけかと思っていて非常に軽々と研修に参加したのだが、まさかバイトまで書かされるとは。残念。しかし、微妙に感づいていたので、しっかりメモだけは取っておいた。

試験中で他の人より提出が遅れた。提出済みの報告書が回覧で回されている・・・と回覧の判子をみると、取締役などかなり上の人まで見ていることが判明。小さな会社なので、すぐに上までまわってしまうのだ。

これは、下手なこと書けないな・・・。記憶とメモをたよりに、研修で知ることのできた内容は難なく書くことが出来た。問題なのがその後の考察。せっかくの機会だから会社側に何か提案できれば、と思いいろいろ考えてみるのだが、なかなか妙案が思い浮かばない。誰もが書いてそうな、あるいはいまさら何を、といった感じの内容になってしまいそうだし、そもそもあからさまな批判に基づく提案は印象悪く映りそうで、どこまで書いてよいのか線引きが難しい。

とまあ、あれやこれやと結局かなりの長文になってしまった。果たして内容が伴っているのか不安だが、今ある能力ではこれが限界でありそうだ。と思うと少し自分の無能が悲しくなった。出来る人はここでびしっといいこと書いて、上の人の目にも留まり、提案が実現され・・・まあ今はただのバイトだからそもそも大きなことは出来るはずはないのだが、将来会社勤めしたときには、こういう機会を最大限生かせる有能な人間になりたいと思った。

ジブリバトン

2006年07月28日 | Weblog
*ジブリバトン*


Q1 ジブリのキャラで友達にしたいキャラは?

シータ。
人生相談してもらいたい。バルスなシータは嫌いだけど


Q2 ジブリのキャラで恋人にしたいキャラは?

キキ。
いろいろ楽しそう。空飛びたいし。

Q3 ジブリのキャラで一番あいたくないキャラは?

基本的に嫌いなキャラはいないけど、あえてあげるとしたら、耳をすませばの男の子。なんとなく性に合わなさそう。


Q4 ジブリのキャラで一番ペットにしたいキャラは?

悩むけど、小トトロと中トトロ。
大きなトトロも飼いたいけど、物理的に厳しいかと。小さいのと中くらいのなら飼えそう。でもすぐ逃げちゃうかな・・・。
 
Q5 ジブリのキャラに1日だけなれるとしたら?
 
サン。モロ一族の一員に。

Q6 あなたは天空の城のラピュタのムスカです。ラピュタを手に入れました。どうしますか??


どうしようかな~、人目のつかないところに持っていく。天のいと高きところまで。


Q7 あなたはマルコです。レストランに入ったら、注文した料理ではなく豚肉を出されました。どうしますか?

「俺は飛べる豚だぜ?」何事もなかったように食べる。


Q8 カオナシに好かれてしまいました。どうしますか?

うん、楽しそう。人目をはばかりながらお付き合いを。


Q9 ジブリ作品でどれが一番好きですか?

となりのトトロ。ネコバスに乗るのが子供のときからの夢。夢の中でいいから実現したい。

Q10ジブリ好きそうな5人にまわしましょう

ジブリ好きな方はどうぞ。

インターン

2006年07月27日 | Weblog
昨日までテストだったため、相当な睡魔を引きずりながらの朝の東海道線。そう、今日は損保業界最大手の会社のインターン。東京駅終点まで乗りとおし、丸の内中央口から改札を抜ける。8:20。もっと通勤する人が多いと思っていたら、時間が微妙にずれているのか、さほどこんでいない。自分もスーツを着ているので、さながらサラリーマンのように、丸の内オフィス街を闊歩する・・・。

集合には15分以上早くついたが、先に一人もう来ていた。しばらく待つと係員が現れ、会場に案内される。名前を告げ、ネームプレートを受け取り、3グループの席につく。6グループまであり、各テーブル5~6人、35席くらい。これが1日2回で70人、三日あるから200人以上がこのインターンに参加できる計算になるが、先日行われた面接も200人ちょいくらいしかいなかったはずだから、相当な確立でこのインターンに参加できたわけだ。

さて、午前9時、定刻どおりに始まる。会社の方からリスクのことに関するお話があり、それをもとにグループワーク。与えられた課題は、「ある会社は有機畜産農家と契約して、インターネットを通じて顧客にその有機畜産物を販売し、輸送はトラック会社に委託している。このようなビジネスに潜むリスクを見つけ出しなさい。」いろいろ細かい条件や場面設定が書かれた紙が配られ、各グループ30分でまとめろとのこと。我がグループは院生の人が指揮をとってくれたので、自分はもっぱら意見を出すことに注力。他メンバーからもいろいろ意見が出され、最終的に、20個ほどのリスクが洗い出された。疫病が発生し家畜が死んでしまう、運送会社が途中で事故を起こしてしまう、などなど。

以上が第一問で、続いて第2問は「いま出されたリスクに対して、保険会社が提案できる保険とはどのようなものか。具体的に考えなさい。」これまた30分の制限時間。最初10分はあれやこれやと、なかなか方針も決まらず、果たして本当に終わるのか、と不安に駆られたが、だんだん意見がまとまってきた。結局、天候に関するリスクに対する保険が考え出された。異常天候によって家畜の飼育がうまくいかず、消費者に畜産物をうまく提供できなくなってしまうリスクに対しての保険だ。この保険を提案するのは損害保険会社、しかし実際に販売するのは、この保険会社ではない。代理店を通じて販売するのだが(たとえば旅行保険は旅行会社が、車に関する保険はカーディーラーが販売)、この代理店のニーズと、保険を実際にかける消費者のニーズも同時に考えなければならなかった。この場合の代理店は畜産農家と契約している会社であり、消費者は畜産農家ということになる。このニーズを考察し、販売経路の図式まで書いて終了。時間内ぎりぎりだった。

最後に、各グループで話し合ったことのプレゼン。5分づつで班員全員が話さなければならない。自分たちのグループも適当に役割分担をして発表。自分は相当テンパッてうまくしゃべれなかった。

この発表の歳には審査員がいて、なるほど、と思ったときに「へぇ~」とボタンを押す。なんとまあ、少し前にはやったトリビアの泉ではやったへ~ボタンを持っているのだ。「2班○○です」と名乗ると、一斉にへ~へ~の音が。そこで鳴らすんかい!

一応最優秀賞などの設定もあった。会社の方から最後に総括をいただき、3:30分の短いインターン(ほとんどセミナー状態)は幕を閉じた。

インターン後は、先ほどの審査員は来年度の内定者ということで、少しお話をうかがう。

グループワーク、本格的なものは今回がはじめてであったが、なかなか楽しかった。グループ内も特に突飛な人が居るわけでもなく、円滑に話し合いが進み、自分も思う存分意見を言うことが出来た。ただ、問題はプレゼンだ。どうも人前に出ると緊張してしまい、うまく口が回らず、言いたいことがすっと出てこない。改善しないとな・・・・。

ちなみに同じグループ内は、Y大学、T大学、K大学など相当たる顔ぶれ。大学名は関係なくとっていると思うのだが、それでもやはり、すごいところが集まっていた。

会場を後にし、昼食は900円で豚の角煮定食。やたらおいしかった。そして丸の内を少し見て回り、足を我が家へ向けた。

飛行機が飛んできた。

2006年07月24日 | Weblog
風速100メートル。高層ビルを建てるあの赤と白のクレーンの機械が飛ばされて自分のマンションに落ちてくるのも無理はない。

我が家は12階だが、天井の上にそのクレーンがのっかており、今にも落ちてきそうだ・・・大変なことになった。しかし誰もけが人はいない。さて、避難せねば。と、ベランダに出て外を見てみると、ここに引っ越してくる前の家のはす向かいの同級生がこっちに向かって手を振っている。昔はあんなに愛想、よくなかったのに。

ついにクレーンは天井をつきやぶり落ちてきた。と、、、おお、空が家から真上に見えるではないか。青く澄んだきれいな空。天井がなくなると、空を眺めることが出来るのか、と新たな発見。飛行機も飛んでいる。やたら低空飛行。尾翼のマークもしっかり見ることができ、アメリカン航空とカンタス航空が混じったような飛行機だ。空を旋回しているが・・・いや、低すぎだろ。強風のああおりを受けてコントロールを失ったのだろうか。そして

わがマンションめがけて高度をみるみるうちに下げてくる・・・!!。え、ぶつかるじゃん。ジャンボ機だよ?・・・自分の真上を飛行機が通過した。その瞬間、悟った。「死ぬ」。身体が動かなかった。死ぬ覚悟なんてついているわけない。しかし、飛行機は確実に今すぐに1秒満たないうちに、墜落する。なすすべがなく、ただ瞬間的な思考で無抵抗に「死ぬ」とわかった。受け入れざるを得ない状況。身体は何をしていいのかわからずやはり微動だにしない。死ぬんだ。初めての事実・その感覚に新鮮味を感じながら、恐怖はまったく感じなかった。ふーん、死ぬ前ってこんな感じか、映画でよくみる爆発のシーンにこれから巻き込まれる。どうなるんだろう、と。そして墜落。その瞬間の少し前、自分の身体がやっと動き、家族のほうへと飛び込もうとしていた。しかし爆発。自分の身体は膨張し始めたような感覚に襲われた。しかし、痛みは感じない。意識も失わず、ただ身体が膨れ上がる感じかする・・・死に向かっているのは確実で、身体が裂けそうになり・・

目が覚めた。なんだ、普段寝ているベッドの上じゃないか。意外に軽症で寝かされたのか、いや、やはりここはもう来世で新たな生活の第一歩目なのだろう。どんな生活が始まるのかな・・・と、ぼんやりしているとここにきて初めて「夢」という選択肢に気づいた。ひょっとしてこれは夢か。時計を見てみると5:28をさしている。来世か現世で夢をみたあとか。始めは相当悩んだ。実際それはど死がリアルに体験され、事実として受け入れるには十分だったのだ。しかし、よく考えてみると、やはり、自分は死んではいなかったのだ。そうわかって、初めて気づいたが身体がすごく緊張しており、小刻みにふるえていた。現実の世界で自分は、この夢が恐ろしかったと認識していた。

初めての体験。不思議な経験ができた。自分はいまここ現世にいきている。何回目の現世だ。輪廻転生を信じているわけではないがたまにそう思うことはある。そしてこの数字には分母が存在し、いつか1を迎える世が来るかもしれない。そしたらどうなるか・・・。

とりあえず、自分がこのブログを書いている世の中を1回目の人生と認識している。

↓面接

2006年07月20日 | Weblog
合格!!

と、おそらく倍率は2もきるほどの低さかと思われる。それでも、知らせはまだかまだかと、朝から何度もパソコンのメールを開いてみた。

あー緊張した。面接ではまわりがみんな「じゃあその時に自分で工夫したことは?」「「はい、わたしは新たな試みとして~」などと質疑応答しているのに、自分のときは「何でバスがすきなの?」「はい、大きいからです」などと今考えれば、相当間抜けなことをかましていただけに、自分がうかっていることは奇跡に近く、自分が通っているのであればほとんどの人が合格しているはずである。

まあいい練習になった。でもこんな通知一つでビビッてたら、やはり就活は乗り切れなさそうだ。

面接

2006年07月19日 | Weblog
インターンシップの面接を受けるために飯田橋へ・・・と思ったらいきなり間違え水道橋で下車。飯田橋についても目標のビルを通り過ぎ、まだかまだかと一駅歩く。時間は余裕だったのが不幸中の幸い。またいったん駅前に戻り、ドトールコーヒーで一息つく。初めての本格的な面接を前に非常に落ち着かない。たかがインターンの面接・・・と昨夜は余裕綽綽だったがいざ目の前にすると、肝の小ささが露呈し始めた。

で、12:30、定刻の15分前にきっちり入室。最終的に21名が一堂に集められた。女性係員が15分後に開始します、それまで周りに人と情報交換などをしておくつろぎください、との案内。それまで静かだった室内が、一組、また一組と話し始める人たちが出てきてにぎやかになってきた。しゃべるのめんどいな、と思い一人ぼけっとしてたら、隣の人から話しかけられた。仕方なく談話。でも少し気分が楽になった。

また係員がやってきて、面接の会場に案内される。集団面接なので、7名が1室に集められる。面接官は2名。若い男性と中年のおじさん。

「お集まりいただきまして、ありがとうございます・・・云々・・・では肩慣らしに一人1分くらいで自己紹介をしてください」

きたー!

一番右からあてられる。「~と申します。大学では~をしてきて、~を学び、さらに今年の文化祭では・・・・・・・」

軽く3分はいっていただろう。1分って言われたでしょ!いま1分分の原稿を頭の中で考えたのに!隣のやつも軽く2分は越し、1分で終わらせるのが物足りない雰囲気。

ついに順番が回ってきた。緊張はしていたが、ええいままだ、と適当にしゃべり、頭で考えてないことが勝手に口から出てき、まあもう疲れた、と2分くらいでしゃべり終えた。

次に「では、大学のときに最も力をいれ、自分の力で達成できたことはなーに?」との質問。2分の時間が与えられたが、これまたトップバッターが軽くオーバー。自分は趣味とバイトについて語ってみたが、「一番大変なお客様は?」「仕事をする上でもっとも大切にしていることはなに」など矢継ぎ早に質問が飛んでくる。一瞬考え、即座に解答。だから質問にきちんと答えられてなかったかもしれない。

なんとかかんとか答え、一応周りの人の解答も聞いてあげる。待ち時間の態度もチェックされてるかも、と恐れてのこと。そして気づいた。自分の右に座ってるやつ、なんか小学校のときに通っていた塾の知人に似ている・・・話を聞けば聞くほど、なんか雰囲気が似ている。このしゃべり方、この笑い方、このしぐさ。

気になって仕方なかったので、面接後に聞いてみた。「間違っていたら大変失礼なのですが・・・」

正解。やはり彼本人だった。塾のときも2、3回しゃべっただけだったが、そのときに「駅からバスで通ってるよ」と話していた内容が異様に頭に残っていた。そして少し特徴的な雰囲気も決定的だった。サークルの人の顔すらよく見分けられないのに、10年も前の知人を覚えていた奇跡、そして何よりも同じインターンに応募し、同じ日同じ時間に面接を受け、しかも隣という奇跡。面接の合否はともかく、この出会いが何よりの収穫だった。ちなみに向こうもそれとなく気づいていたようで、同じ大学に通っていることも判明した。

じゃあね、またね。受かっているといいね。そう告げて電車のなかで別れた。

現時点遺言バトン

2006年07月16日 | Weblog
mixiからのバトン。暗すぎて公開しづらいので、1時間だけmixiで公開してブログに移動。

【現時点遺言バトン】


今生きている我々は明日にも1秒後にも


暴走車に撥ねられてくも膜下出血で死ぬかもしれない
転んで口にくわえていた割り箸に喉を突き刺されて死ぬかもしれない
テロリストに捕まって見せしめとして首を切断されてビデオカメラの前で死ぬかもしれない
乗っていた航空機が異常をきたして墜落して死ぬかもしれない
滑って薄く凍った真冬の湖に落ちて死ぬかもしれない
誤って線路に落ちた人を助けようとして自分も線路に飛び降りた時折悪しく電車に引かれて四肢が弾け飛ぶかもしれない
雷が近くに落ちて感電死するかもしれない
エレベーターが誤作動して体を挟まれて死ぬかもしれない
劇薬を注射されて死に至るかもしれない
回転ドアに頭を挟まれて死ぬかもしれない
鼻から入ったネグレリア・フォーレリに脳を溶かされて原因もわからぬまま死ぬかもしれない
心室細動が起きて応急処置が間に合わず死ぬかもしれない
居合わせた強盗に心臓を包丁で刺されて即死するかもしれない
河豚の毒にあたるかもしれない
スカイダイビングでパラシュートが予備共に開かずに地面に叩きつけられて死ぬかもしれない
火事で発生した一酸化炭素を吸って意識不明になって死ぬかもしれない
地震で倒壊した家屋の下敷きになって圧死するかもしれない
重石をつけられて海に投げ込まれて死ぬかもしれない
サルモネラ菌に感染して死ぬかもしれない
医療ミスで死ぬかもしれない
突然落ちてきたミサイルの爆発に巻き込まれて死ぬかもしれない


思わぬ所で急死する可能性は誰にもある
だから現時点での遺言を残しておこう



 【自分が死んだ場合、2006/7/15/17:33の時点では】
自分がこれまで生きてきた内容は特別裏の世界があったわけではないから、ほとんどが家族が把握しているはずだし、各年代の友人から聞き出せば、大部分が明らかになると思われる。最近の行動・思考は手帳に記されており、ブログからも推察されよう。これらにアクセスすることは容易である。
しかし、自分がまわりに残せたものは何だろう。これは自分の知る由ではない。たいしたものはないはずだ。そもそも普段から死を意識して生きているわけではない。メッセージに富む行動・言葉・考えを回りに披露してきたつもりはない。
遺言といえば遺産がつきもの。しかし、ほとんどない。家族に所有権を譲るとして、その後の使い道については特に希望を出さない。できれば貧しい国の子どもたちの役に立ててもらいたい。いずれにせよ家族に任せれば無駄には使われないだろう。
果たして何人が泣いてくれるか。これがこれまで自分が生きてきた価値に相当するものと考える。が、これもまた現世を離れる自分には知る術がない。




最後に、突然の死を迎える人は確かに存在します。不慮の事故により、それを経験してしまった人を身近に知っている。彼らに哀悼の意を表したいと思います。


YCAT(横浜駅東口)~成田空港線

2006年07月13日 | Weblog
表記路線については、明日7月14日から大幅増便&時刻改正されることになっている。

大増便ということで、YCAT発成田空港行きはそれまでの48便から55便、成田空港発YCAT行きは51便から63便運行されることになった。

これによりYCAT発では5:30~7:30まで、成田空港発では16:40~18:30まで10分ヘッドとピーク時間帯の需要に多くの便数で応えている。そのほかの時間帯もおおむね15~20分間隔と頻発しており、これまで最大30分あいていたのに比べると利便性は大幅に向上したことになる。

この路線は2本の運行ルートを持っており、首都高湾岸線が渋滞したときにはアクアラインを経由して、標準所要時間90分の定時性の確保に努めている。

横浜から成田空港へはバスのほかにJRによる運行の成田エクスプレスがあるが、こちらは1時間に1本と本数が少なく、値段もバスの片道3500円(往復利用時片道3150円)に比べ4180円と少々高い。優位に立つのは定時性だが、在来線の横須賀線の線路を利用するため、一たび人身事故でも発生すれば遅延は免れないし、最悪の場合運休となる。バスを選択する人が多いのもうなずける。

今回これだけの大幅な増便が決行されたのはやはりそれだけこの路線に需要があるということだろう。そしてこの需要は安定しており、また増加も見込まれたのだ。最近では成田空港~本厚木駅・田村車庫線が一気に2倍の7.5往復に増便されたのが記憶に新しいが、それでもなかなかこれほどまでの増便も珍しいのではないだろうか。それだけバス会社がこの路線にこめる思いも熱いものがあろう。

横浜在住の自分ももちろん成田空港への道はリムジンバスしかないと思っている。しかし、まだJRを利用する人、マイカーを利用する人など、バスへシフトしそうな潜在需要はまだまだ大きいものと思われる。今後はこの豊富な便数と割安な運賃を積極的にアピールし、さらに多くの人にとってバス利用時の最大の懸念材料である定時性をどう確保し、利用客に信頼してもらえるか、を考えていかなくてはならないだろう。そうすればTCAT(箱崎)~成田空港線のように5分間隔で運行される日もそう遠いことではない。

成田空港発ホテルニューグランド行き

2006年07月12日 | Weblog
成田空港から、横浜の山下公園近くにあるホテルニューグランド行きバスに乗車した。

乗車券を購入したのは第一ターミナル南ウィングリムジンバスカウンターにて。3人ほど列を作っているが、並んでいる間に係員が行き先を尋ねて回る。自分も尋ねられ、ホテルニューグランドと告げるが、相手は少し悩み、次の出発は17:05と案内した。まさか、時刻表には16:40の便が確かにある。と、このようなやりとりが生じるのも無理はない、成田空港からホテルニューグランド行きのバスは一日3便しかないからだ。成田からは都内各ホテルへ多数の路線が出ており、そのどれかと勘違いしたのだろう。グランドパレスなど、似たような名前がたくさんある。しかし、乗車券は無事に購入できた。「16:40発ホテルニューグランド行き」3500円を現金で支払う。横浜駅東口のYCATやみなとみらい地区のホテルと同じ料金。

家はYCATからのほうが近いが、一日3便という希少な路線にちょうどぴったりな時間であり、果たしてこの路線、いかほどの需要があるのかという好奇心からニューグランド線を選択した。ホテルニューグランドはそう大規模なホテルではないし、大きな駅も近くにはない。さらにはこの路線、つい先月まで磯子の横浜プリンスホテルまで運行されていたが、当のプリンスホテルが西武グループの事業再編により閉館されてしまったために、現在はニューグランド止まりの運行になっている。たった一つのホテルのためだけに運行される路線に果たして何人の人が乗るのだろう・・・。乗る前から非常に楽しみであった。

まだ時間があったので少しターミナルの中をうろつき、時間をつぶす。発車10分ほど前の16:30頃、外の乗り場へ行ってみる。乗り場はYCAT,羽田空港線と共用になっている12番線。ちょうど羽田空港行きの改札中であったが、後で調べてみると時刻表上ではこの時間帯の運行はない。臨時便だったのかもしれない。乗り場はこの羽田空港行きと、16:35発のYCAT行きバスの客で混雑している。そしてYCAT行きも入線。このバスに大半の客が乗り込むと思いきや、予想に反して10人程度が吸い込まれたのみ。乗り場にはまだ列が残っている。出発案内板を見てみると、16:40発の羽田空港行きが表示されている。ホテルニューグランドの表示はまだでないが、同じ乗り場から同発なのだろうか。どうせほとんど羽田空港行きの客だろうと、のんびりとベンチに座ってバスを待っていた。

・・・と、事件発生。案内板の表示をみてみると「16:40羽田空港・横浜地区」

えっ、横浜地区ってまさかホテルニューグランドのこと!?ホテルニューグランドの表示はないが、次の案内板にはYCATの表示。ってことはやはり横浜地区はホテルニューグランドのことであろう。

果たして真相はホテルニューグランド直行のバスではなく「”羽田空港経由”ホテルニューグランド行き」であったのだ。驚愕の事実。まさか羽田空港を経由して横浜に向かうとは。思いもしなかった。時刻表にはホテルニューグランドが独立して書かれてあるのでまったく予想していなかった。慌てて列の最後尾に並ぶ・・・。

東京空港交通のリムジンバスが3台連なってこっちに向かってくる。TCAT、新宿方面行きのバスに続いて3台目のバスがホテルニューグランドの表示を出してやってきた。日産ユーロツアー。フィリピンで生産され、車両単価が安いバスでリムジンバスに一気に大量導入された車両だ。乗り場係員が手早く大きな荷物をトランクに積み込みながら、乗車改札も始まった。第一ターミナルの前に第二ターミナルを先に出てきているため、先客があり、また列の最後尾だったため、通路側の席となった。がらがらの車内を期待していたが、ほとんど満席状態。よく考えてみると、確かに1つのホテルのためだけにバス1台を出すのはおかしい。明らかに採算が取れないであろう。

南ウィングを出たバスは北ウィングにも寄る。乗り場係員が車内に乗り込み、「羽田空港、ホテルニューグランド行きです。ご乗車ありがとうございます」と一礼をしてまたバスを降りていった。続いて車内テープによる案内も始まるが、その頃にはバスはすでに高速道路に上がっていた。

東関東自動車道はわりと順調に進む。3車線のうち、中央の車線を安定した走りで羽田空港に向かっている。と、あら、追い越し車線をYCATの表示を出した京浜急行バスの車両が追い抜いていった。成田を出て30分後くらいのこと、5分後に成田を出たバスにいとも簡単に抜かされてしまった。

当バスはそれでもマイペースに走り、湾岸線に入っていた。お台場あたりで少々込み合ったが、羽田空港には16:50頃に到着した。まずは第二ターミナル、ANA側に停車。ここで半数近くが下車。続いて第一ターミナルJAL側。案の定、羽田空港で大半の客が下車し、残されたのは自分たちと、外国人の客2名だけ。正直、安心した。自分のためだけにホテルニューグランドまで行ってもらうのは気が引ける。ニューグランドから折り返し便の設定がないため、羽田空港で全員が降りれば、あくまで予想だが、このバスは車庫に戻っていただろう。まあ外国人の客もいることだし、行ってもらわないわけにはいかない。

羽田空港から再び湾岸線にのり、横浜を目指す。東京空港交通のユーロツアーの車両が横浜を走るのは珍しい。YCAT線にはユーロツアーは使用されないからだ。あとは羽田~日吉線に入る位だろうか。だからすこし誇らしげにベイブリッジを渡る。ここまで来るとなんとなく落ち着く。みなとみらいの景色も一望でき、横浜に帰ってきたことを実感できるのだ。さて、ホテルニューグランドにはどう行くのかな・・・、と考えているうちに新山下で高速を降りた。そう、YCAT線が使うみなとみらいまで行かなくても、ここが一番近い降り口だったのだ。一般道を少し走り、17:25、無事ホテルニューグランドに到着。といっても、フロント前に横付けするのではなく、道路上に停車。運転士がスーツケースを外国人客に渡すが、外国人、どこがフロントなのか少々迷っていた様子。成田からバスが到着したなら、フロントから誰か出てきてもよさそうなものだが、少し離れているために気づかなかったのだろうか。それにしても、宿泊客に対してお粗末な対応といわざるを得ない。またドライバーもわれわれ乗客に対して「ありがとうございました」の一言も告げることはなかった。いかがなものだろうか・・・。

とかなり長文になってしまったが、以上がニューグランド線の模様である。