BUZ LIFE

毎度ご乗車ありがとうございます。

気が付けば2019年最終日。

2019年12月31日 | Weblog

2019年最終日は午前中にさっと部屋の掃除をして横浜駅へ。高校時代の友人と合流し、ここ数年の恒例行事である年越しそばを食べる。
ラウンドワンでマリオカートに興じた後、たい焼き。そしてなぜか友人は2杯目のそば。さらに喫茶店。
なんだかんだ実家に帰省したのは17時頃であった。

直行で歩けば30分かからない程度の場所で一人暮らしを始めたのはちょうど半年ほど前。1月頃の高校時代の忘年会で「一人暮らししないなら破門」という言葉を真に受けて、かねてからの懸案事項であった一人暮らしを開始した。

その後は、なぜか時を重ねるようにして公私ともに自分自身や、自分に近い周りでも大きな変化があり、気づけば大晦日。
不思議なほど年末感は無いままであったのは、酒に酔って混雑する電車に乗ることがほとんどなかったからだろうか。少しは大人になったのだと胸を張りたい。

多くの人に今まで以上に大変お世話になりっぱなしであった2019年。感謝せずにはいられない機会が本当に多かった。鬱になる機会も相応にあったが、それも忙しさに紛れがちであったのは救いであった。

とはいえ、すぐに鬱になってしまうので、来年はそういう機会を1回でも少なくしたい。

式根島・新島GW旅行

2019年05月05日 | Weblog

今年のGWは10連休、最初の3日間を使い、伊豆大島の先にある式根島・新島へ旅行。

浜松町駅6:30に設定した友人との待ち合わせは、前夜からの酒が抜けきらずトイレに3回くらいこもったため、無連絡で6:37着。何も文句を言わず、ただ待っていてくれた友人に感謝。
竹芝桟橋7:20発の東海汽船ジェット船に乗り、いざ出発。高速船のためほとんど揺れず、二日酔いに船酔いが加わることはなく、ずっと寝て大人しく過ごす。
途中、大島に寄港しながらも、10時ちょうどには式根島に到着。新幹線で言えば、ちょうど新大阪くらいで、離島へ来ることができるのだ。

予約していた宿「吉野家」の人が港で出迎えてくれるのが、なんとも島の旅の始まりらしい。車で5分ほどで宿到着、島にいながらにして品川ナンバーというのが違和感だが、ここは確かに東京都。
宿ではとても明るい人が出迎えてくれた。すぐに部屋に案内してくれ、とりあえずどこに行くか作戦会議。と、トランプが全枚数そろっているか確認すべく、七並べ。まるで修学旅行。

式根島は人口500人程度の小さな島。自転車を借りれば、ぐるっと一周できたが、島内に信号は一つしかなく、メイン通りと思しき通りも車はほとんど通らない。
が、海に面した露天風呂があったり、海を眺めることのできる展望台があったり、と自然を満喫できるスポットが数多くあり、見どころは多かった。そして島ののんびりとした雰囲気には癒し効果抜群。
夜は満点の星空。まあ、アメリカのグランドキャニオンで観た星空ほどは感動しなかったものの、誰もいない海岸で観る星空はそれはそれで一興。
2日目にはシーカヤックも体験。正直、泳げないし、海は眺めるもの、と決めている中、動力も何もない小さな船で海に出ることには相当な抵抗感があった。でもいざ漕ぎ出せば、意外と進むし思う方向に行くし、で予想よりは楽しめたが、それでも時折高い波が来て転覆しそうになると、さすがに怖かった。やはりたまに転覆することがあるらしいが、「ライフジャケット着用しているから、落ちてもみな冷静だよ」とのこと。

2日目午後には高速ジェット船に10分だけ乗船し、新島へ移動。ここでも宿の迎えが来ていたが、「あれ2名のイトウさんではなかったっけ?」と。それでも「とりあえず行こう」と言われ、宿へ。無事到着も、やはり自分の名前の4名での予約は表になく、宿主が困り果てる。食堂に通され、「ちょっと待って」と。旅にトラブルはつきものだが、宿の予約が間違っていたことはこれまでに経験がない。30分以上待つ間、念のためネットで空室を検索するもヒットはなし。そもそも3か月ほど前に予約した際も、ネットでは一切検索が引っかからず、ここも観光協会のHPを通じて電話で予約していた。「最悪、船の待合所で夜を明かすか」とまで考えていたが、「部屋が用意できた」とのこと。
しかしそこは客室ではなく、従業員か誰かの部屋。「今日は東京に出ていないから」と急きょ私物を押し入れに押し込み、我々用にしつらえてくれたようだ。まるで誰かの友人宅に来たような感覚。これもまた貴重な経験か。

新島は3日目にレンタカーで周遊。式根島から比べれば相当に大きな島、という感覚。3階建の警察署を観て、一同感動するくらい。そしてなぜか同行者は、式根島への哀愁が強まって行ったようだ。人や車が多い新島が、なぜか居心地の悪さを感じさせるようだが、私は大都会・横浜への気持ちが高まっていた。たまに来るからいいのであって、コンビニや喫茶店などがない生活は、もはや成り立たない。

幸い、16時には新島を離れる高速ジェット船に乗ることができた。昨日の宿の出迎えの人が来ていたが、今日は誰とも出会えず一人で帰って行っていた。ここの宿の予約管理がとても心配だ。
竹芝桟橋には18:30到着。本当にあっという間。みな「やはりここが我々の暮らす街だよね。もう違和感ない」と歩いてすぐの浜松町駅までの道中でそんな会話が出ていた。

GWのハイシーズンでも往復15,000円程度と割安なうえ、離島という非日常を味わえる式根島・新島は旅の選択肢として十分にあり、であろう。なんといっても、島の人情味あふれる雰囲気が、心にやさしい。本当のシーズンは夏でのマリンスポーツらしい。島の人は「また夏においで」と決まって口にしていた。また機会があれば、訪れよう。



「平成」から「令和」へ

2019年05月02日 | Weblog

新元号の幕開けだ。もっとも、その瞬間は10連休とはいえ生活リズムを崩すまいと、さっさと寝てしまっていた。
5月1日は6時に起きて、ニュースを見入る。こんな日は今後数十年間はないだろうから。
それにしても、やはり「戦争」のなかった平成日本を過ごすことができたのは、大変に喜ばしいことである。

平成は、まさに自分の人生と重なる期間である。幼少期から、小中高大学生、そして社会人(2社)。
幼稚園は、妹の影響を受けて、男の子と遊ぶより女の子と遊ぶ機会の方が多かったと記憶している。好きな色もピンク。
小学校1年の時にお引越し。近所の友人と遊ぶ機会に恵まれながらも、4年生のころから少数派の受験組となり、塾通いのため地元の友人とは限られた交際に。
結果合格した中高一貫校は男子校。中学時代は所属するグループを間違え、友だち作りに苦労したが、高校からはようやく適温なメンバーに恵まれた。特に、生徒会を通じて他校の生徒との交流を経験したことから、人と時間を過ごすことに面白みを覚えた気がする。
大学時代は、バイト・サークル・旅行と月並みな内容も、どれも卒業後にも色濃く影響を残すほどに。
社会人になって、人生で初めての挫折というか苦痛を味わう。何とか耐え忍んだものの、転職を決意した。

それにしても、本来ベースとなる家庭の崩壊具合たるや。物心ついたころから崩壊していたため、それが普通であると思っていて、あっさりそのことを周りに話すと周りに驚かれることに驚いた。そんなに異常なことなのか。確かに家族全員で笑ったことなど一度もない。私の人格形成に少なからず影響を与えたであろう。すなわち、平穏を願うあまりに、自分を抑え、周囲に極力合わせようと過度に努力してきた。自分を見失い、いつか本当にいなくなってしまうのではないか、と心配になる。そして、私は人を愛したり、愛されたりということ経験が出来ずに平成を過ごしてしまった。ふつうは家庭の中で感じられるものだったのだろうか。

それでも、唯一自分を特徴付けたのは、バスであろう。あまりほめられた趣味ではないため、ある程度親しくなった限られた人にしか話さないようにしているが、バスに乗ったり見たりすることはとても楽しく、喜びを感じる瞬間であった。しかし、最近はそのバスもコモディティ化が進み、果たして生涯の趣味として成立するか、大変に不安である。

そうすると、生きていくこと自体が不安になる。ある時まで、2009年初までは、そう、死んでしまいたい、などと軽く思ったりもしたが、今はそうは思わないようにしている。平成で、もっとも悲しい出来事であった。死んでしまうことほど、悲しいことはなく、取り返しのつかないことはない。しかし、自分も最期を迎えるときには、ついにまた再会できるのかもしれない、と思うと、いつか来るその日もまた悪くはないとも感じられるのは何とも不思議な体験である。

さて、令和、まずは愛せる人を見つけられるか。誰かに愛される人になれるか。そして、今の仕事を全うできるか。善良な市民でいられるか。簡単なようで難しい。新元号となった今だからこそ、気持ちを新たにしておきたい。

平成最終営業日

2019年05月01日 | Weblog
10連休前だというのに、全く浮かれ気分ではない。
公私ともに、さまざまな問題点を抱えているのがその要因だろう。

とはいえ、終わってしまえばしばらく少なくとも会社のことは忘れられる・・・と飲み会に行くと、出てくる日本酒を隣のお姉さまに言われるがまま飲み続けていたら、久々に記憶喪失。
店の途中から、ほとんど記憶なし。ただ一か所、後輩を地元駅で見かけたのを断片的に覚えているのだが、だとすると送ってくれたんだろう。大変申し訳ないことをしてしまった。

翌朝から旅行で、朝5時起床、だけは家に帰ってからも騒いでいたようで、5時に起こされ、酔いがさめきらないまま途中だった荷造りを何とか終わらせて出発。

平成最終営業日に、かつてないほど酔ってしまったが、新時代はもっと大人しく過ごそうと思う。

平成という時代を生きて

2019年04月21日 | Weblog

そんな話は伊豆大島の先、式根島でしようと思う。
しかし、明るい話にはならないだろうな。明るい話にできるかも、と今日の15時30分くらいまでは思っていたけど。

一人で暮らしてみないとな。6月の上旬くらいを目指して。

お花見inヨヨコー

2019年03月24日 | Weblog

昨日は会社の花見イベントで代々木公園へ。
連日の春の陽気がうそのような極寒。空も今にも泣きだしそうな曇り空。

とりあえず、8:30に原宿駅へ。会社の後輩2人と合流して場所取り。この年次になっても、場所取り要員として駆り出されてしまう。
後進が育たないが、場所取りの命令もパワハラと言われかねない世知辛い世の中のため、自分にとっては毎年のことになっている。

公園の中は、びっくりするくらい閑散としている。しかし、奥の方まで歩を進めると、桜が少し咲いていた。そのエリアにはブルーシートで場所取りが早々と。
なかにはシートもピンク色で机やいすまで備えられている準備万端のエリアもあった。

我々は少し離れた毎年のエリアへ。ここからでも十分に桜を見ることができる。
20畳ほどのブルーシートを広げ、場所取り完了。例年であればこの時点でも10人程度は来ており、酒盛りが開始されるのだが、一向に人が来る気配はなし。
しかもついに雨が降り出し、気温もさらに下がった感じがする。シートを打ち付ける雨音に我々は一瞬茫然としたが、ただ眺めてるだけでは気分が沈むだけなので、外国の外国がいいとか、日本の外国がいいとか、やはり日本の日本が一番だとか、下らない話をして場をつなげる。

雨はしばらく降ったが小雨で、急きょ調達した雑巾で拭けば何とか原状回復に成功。
場所取り以外のメンバーの集合時間12時になったときには三々五々人が集まり始め、最終的には30人くらいの大所帯に。毎年のことだが、社外の人も交じっており、コミュニケーションスキルが試される。私はさっさと幹事団の特権を利用しその場を離れ追加の買い出しへ。一向に上がらぬコミュ力である。

雨はやめど気温は上がらず、酒のペースが遅い。しかし、4つくらいに分裂した輪はそれなりにそれぞれ盛り上がっていたようである。

16時前には解散し、行く人は渋谷で2次会へ。自分は朝からの場所取りで疲れを感じ、これ以上人を誘導する元気が出なかったので、離脱。

悩ましいのはやはり、若い人々があまり積極的に動かないこと。後片付けや移動の誘導等、自ら仕事を見つけて動くことはいくらでもできるだろうに。指示すべきか、まずは自分がやって見せるべきか、で後者を取ったが、来年は戦略を変えねばなるまい。


ご機嫌ナナメ

2019年03月19日 | Weblog

なぜ、やろうと思えばできそうであることを、やろうとしないのか。
そして、それをなぜ私に言うのか。
じゃあその通りにしてやる、と言えば、「いやちょっと待って」
物事もっと考えてから言ってくれよ。
完全に自分、馬鹿にされているわ。
さすがに不機嫌になる。ほぼ一日中。

どうにかしてくれ。

ストーカー

2019年03月19日 | Weblog

去年入社したスタッフさん。

何とか定着して欲しくて、他の職員と2人で定期的に面談。
相手が女性だから、決して1対1では行わない。私はリスクが嫌いなので。

どうやら、地元でストーカー被害にあっているらしい。
顔見知りの男性らしいが、家に居座り朝まで帰らない。居留守を使おうにも、「電気がついている、嘘だろ」と言われる、などなどリアルな話が出てきてしまう。

挙句の果てに、会社に仮病を使って休ませる。自分と一緒にいさせるため。
体調不良だから休みたい、との電話を取ったのは自分。その時はそんな事情を知らなかったので何も疑いはしなかったが、隣にその男性がいたとのことで、
気持ち悪さとともに、本気でその人の安否が心配。
(なお、必要ならば乗り込むから、との小職申し出に対しては「2倍以上の体格があるので・・・」と早速の敗北宣言を頂いた)

今日も会おうと言われているのを断りたいから、と無理に会社で残業をしていた。

純朴なひとだから、これ以上被害が拡大しないよう、遠巻きに注視していく所存である。

困り果てたぞ。

2019年03月18日 | Weblog

気づけば、3月じゃないか。

去年末から続いた鬱状態は、1月中旬頃にやや解消し、ジムに行き始めるなど、少し上向いた。
かと思われたが、2月中旬頃から体調を大きく崩す。
毎年の仙台訪問もそれにより、近々再訪が必要なくらい、私にとっては心の入らないものとなってしまう。帰りのバスをキャンセルして新幹線に乗るなんて、やはり正気ではなかった。
この仙台訪問により再び精神的に不安定になり、それが今の今まで継続。
仕事も大変に忙しく、でも残業時間はうるさいから相当な時間を誤魔化しながら、20時前後まで会社にいる。

どう生きて行けばいいのか。そう聞いても、誰も答えてくれない。
友人の幸せそうな休日が、私には眩しすぎて、まともに見ることができない。
道行くバスは、私の知らない時代を走って行く。

疎外感、劣等感、無力感。

明日をどう生きて行けばいいのだろう。

軽々と軽井沢へ。草津温泉経由で渋谷直行。

2019年01月06日 | Weblog

1日2往復設定されている横浜発着の軽井沢行き。
2019年1月をもって運行終了とのことで、その前に乗車しておくことにした。横浜駅7:25発の便には自分のほか若者男性2名が乗車。途中品川プリンスホテルにて10名近い乗車があるが、正月連休のさなかであり、特需的な感じもあろう。やはり普段は採算ラインに未達の乗客数であったと思われる。
関越道、上信越道を経由して、軽井沢駅には定刻よりやや早く11:15頃到着。渋谷発便も同時に到着していたが、降車客はわずか2名。その先終着の草津温泉まで乗り通す乗客が車内に半数以上残っており、行き先として軽井沢単体では需要が限られていたのかもしれない。
地元・横浜から直通で行ける手軽さは重宝されただけに、今回の廃止は残念である。

軽井沢駅から11:50発草軽交通草津温泉行きに乗車。20名以上の乗客が乗り込み、こちらは盛況である。東京駅から軽井沢まで新幹線で入り、そこから草津温泉へ抜けるルートとして一定の需要があると思われる。ちょうど草津温泉発の軽井沢到着便が来たが、続行便を出すほどであった。外国人客も多数見られる。

山道を慣れた感じで危なげなく走り抜け、草津温泉まで90分弱、あっという間である。
草津温泉では、次のバスまで時間が出来たので、日帰り温泉に行くことに。ネットでぱっと調べて、草津ホテルへ行くことに。バスターミナルから徒歩10分弱。フロントで800円を払うと、スタッフが風呂場近くまで案内してくれるが、宿泊客でもないのになかなか丁寧な接客である。日帰り温泉客はほかにおらず、宿泊客も15時という時間帯はちょうどチェックアウトとチェックインの狭間なのか、わずか数人。ほぼ貸切の温泉を楽しむことができた。
帰り際も、丁寧にみおっくてくれ、1,000円に満たない客への対応として、非常に好感が持てるホテルであった。

最後は16:45発渋谷行き。草津温泉発高速バスはJRバス関東の東京・新宿行きが独壇場であったが、2年ほど前に京王バス・東急バス・上田バスの私鉄系が参入。JRより安く予約できたので、初めて利用してみることにした。16:45発は東急トランセの担当便。昼光便4列シートながら、フットレストやレッグレストを備えており、まさに渋谷が似合いそうな今どき風の若者グループからも「豪華なバスだね」との歓声。乗務員が2名体制なのは、昼光便としての1名乗務上限に抵触するのだろうか。
草津温泉発時点では10名強の入りであったが、軽井沢でほぼ満席。渋谷という目的地がそうさせるのか、客層が驚くほど若い。運転士も2名とも30前後の若い人たちで、そつなく接客をこなしていた。
心配されたUターン渋滞もなく、渋谷駅にはほぼ定刻通り21:18に到着。

1万円を切る日帰り旅行であったが、バスに乗り通せ、温泉にも入ることができる割と満足度の高いルートである、今度は逆回りで再訪してもよいかもしれない。