BUZ LIFE

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愛は愛を愛する

2018年11月25日 | Weblog

私はそもそも、人を愛せるのか。
その前に、人を好きになれるのか。

ふと、とっても疑問に思えてきた。
今回も、私の不義理により、終了案件。

久々に鬱々とした気分であったが、バスは裏切らないだろう、ちょうど優待券の有効期限が切れるタイミングでもあったので乗ってきた。
いつもと変わらぬ安全運転だ。接客もそこそこのレベルを維持している。

ニュースで話題になった事故現場も通りすがる。夕方にも関わらず、事故と同じ路線は、折り返し駅で十分に休憩が設定されているようで、終点駅に着くと、乗り場を離れて行った。
家宅捜索が行われた後、特段の報道がなされていないことをみると、はやり管理体制に問題はなかったものと思われる。私が一時的とはいえ、勤めていた先だ、安心である。
問題があれば報道する、なければ報道しない、当然世間の興味は前者であろうが、無実であることが、もっと明らかにされてもいいように思えてならない。

人生の大先輩方とご一緒させていただく

2018年11月18日 | Weblog

私が社会人1年目の頃、支店での業務はとてもとても憂鬱で、何度もやめたいと思っていた(そして実際今は退職した)。

それでも唯一、グループ会社の人と一緒に働くときは、少しは気が楽になったものだ。支店の人とは違い、人間であり、人情味があり、優しく私に接してくれた。歳は60歳前後の人が多く、父親世代って感じ。
その支店から転勤した後も、定期的にお会いする機会があり、先週の金曜日にも当時のグループ会社の人たち8人で飲み会があった。

当時から10年近くが経過しており、なかには定年退職した人も。
しかし、飲む勢いは、当時に劣らずか、それ以上。ビールで始まったかと思えば、次には焼酎の一升瓶を頼み、それをひたすら飲む。
こんな量飲めるわけない、と思ったが、どんどん減っていく。
第二の人生も様々のようで、異業種に飛び出し、植木職人になった人や、ボランティアに精を出し、行政から賞をもらう人も。
ふむふむ、自分も30年後はどうなっているのか、と考えさせられる。

集まったメンバーの平均年齢は60歳を越しており、飲む勢いは不変であるも、耐性はさすがに衰えるようで、開始2時間後にはうつらうつら意識が飛び始める人も。
あっけなく解散となったが、スパッとしていてやりやすい。

なかなか結婚しない自分を、我が子のことのように心配してくださるのが嬉しくもあり、申し訳なくもあった(なんか40歳くらいの人を紹介しよう、とかって話が出てたけど、これはやんわりかわしてしまおう・・・)。

有意義な老後が過ごせるよう、今からいろいろ考え始めておいても損はないのかもしれない。

というわけで、私は少し静かにすることにする。

2018年11月07日 | Weblog

生徒の前で毎晩点呼を取るとき、ちょっとした小噺をはさむようにしていた。
それは、就寝前の自由時間を削ることに等しい。
だから、ある生徒は「早く終わらせてほしい」と直訴してきた。

しかし、生徒に言われたから、分かったじゃあもうしゃべるのは止めにするよ、と簡単には引き下がらなかった。
私は限られた任期の中で、少しでも多くのことを伝えたいと思った。些細なことでも何か彼らの今後の人生で役に立つことを伝えたいと切に思っていたのだ。

そのことを素直に生徒に伝えてみた。自分がなぜ、みんなの貴重な時間を使ってまで話をするのか、と。
するとびっくりすることに、彼らも素直にそれを受け入れ、以後決して文句を言わなくなった。喜んでくれる生徒までいた。

そうか、一方的に押し付けようとしても、自分だけが突っ走ったとしても、うまく伝わらないんだな、ということを痛感。自分が思っている以上に自分の思いは伝わっておらず、言葉に出して直接的に訴えることも大切なんだと気づかされた。

翻って日々の会社はどうか。「ガキじゃあるまいし」ということで、私の最低限の朝礼での話を長いと文句を言ってきた人がいたので、黙ってそれを受け入れることにした。ここで自分がなぜそうしていたかをいちいち説明する必要はないと踏んだのだ。本当は、今朝の新聞の注目記事を持ち回りで紹介してもいいくらいに思っていたのだが。しかし、自分の思いを伝えることは、相手が何歳であろうとどんな立場であろうと、関係なく大切であったかもしれない、と今更少し後悔。何をやっているんだか。

まあ、もう私は黙る、と宣言してしまった以上、そうせざるを得ないのだが。

後悔か。私はそして、誰かを後悔させてしまったらしい。私に対してなんか、何も思ってくれなくてよかったのに。
予想だにしていなかった反応に、どうしたらいいのか分からなくなった。コンサルだ。コンサルが必要だ、と思ったが、あいにく先約ありで、私は自分で考える必要に迫られている。

嫌になる。

2018年11月06日 | Weblog

良かれと思ってやっていることが、実はそうは思われていなかったりする。
気を使っているはずなんだけど。

だから、放置してみたりする。そしたらやっぱり炎上。最初から、自分がいなければよかった、と思う。そんな時は。じゃあ自分の存在価値、存在意義は。

たとえば小さいことだけど、朝礼の場で、いろいろ期限が近付いているものを発信する。
期限の少し前と、その当日。でも、多いらしい。そんなに言わなくてもいいらしい。そうなんだ。とっとと終わらせて、仕事を始めた方がいいのか。そんな淡白な組織は嫌だな、と思ってたけど。

うまくいかないな、と痛感する日々。

そして、そんな陰鬱な日々を払拭するに値する何か楽しい予定があるかと言われると、皆無。
久々に、この先全く旅行の予定もなし。毎月3連休以上あるというのにね。いいや、しばらく大人しくしていよう。