BUZ LIFE

毎度ご乗車ありがとうございます。

ミャンマーゲーム②

2017年11月23日 | Weblog

【買う】

ミャンマー・ヤンゴン2日目。ホテルでの朝食は6:30~。開始時刻とともに行くと、まだ準備中でトーストくらいしか置かれていない。徐々に係員が並べ始め、その都度食事をとりに行く。日本であればクレーム状態だろうが、ここで文句を言う人は誰もいない。
7:30すぎにホテルを出発し、ぶらりと歩いてヤンゴン中央駅近くにある外国人専用の電車チケットカウンターへ。屋根で覆われた薄暗い中、カウンターがずらーっと20列くらい並んでいる。外国人用の割に、ビルマ語のミミズのような字しか書かれておらず、どこに並べばいいか全くわからない。悩んでいても仕方ないので、適当に尋ねてみると、隣のカウンターで発券してくれると言う。パゴーというヤンゴンから北東方面へ2時間ほどの小さな町まで、示された料金は600チャット。日本円に換算すると約51円。アッパークラスにしても100円という格安。さすがに驚いた。乗車するのは明日なので、駅の場所を確認してから、カウンターを立ち去る。「よい旅を」とカウンターのおじさんは見送ってくれた。

【制す】

続いて、スーレー・パヤーという、街の中心部にある仏塔近くから、バスに乗る。今回の旅では、この「スーレー」という単語を何度も発し、また耳にすることになる。向かう先は「ダゴン・ハイウェイ・バスステーション」。ガイドブックによれば61系統に乗れば着くという。バス停に着くと、ちょうど61系統がやってきた。ドライバーに「ダゴン!」と叫ぶ。最初は通じなかったが、何度か「ダゴン!」というと、車内に招き入れてくれた。200チャット、約18円を前払いにて支払う。車両は韓国の中古車。この中古車をドライバーは巧みに操り、ものすごい勢いでヤンゴン市内を進んでいく。バス停に止まって出発する際には、まずはバスを発進させておき、ふとした瞬間にドアを閉める。完全に順序が逆。前を走る61系統を途中で追い抜いてしまった。かと思えば、途中バス停でしばし停車し、その61系統を先に行かせたりする。まさか、ダイヤ運行しているわけでもあるまいし、どのような基準での走行かは全く分からなかった。
あいにく、ダゴンの場所はガイドブックから切れてしまっており、場所が分からない。大きな川を渡った先、というくらいしかヒントはない。当然車内放送もなければ、車内表示、バス停の表示はない。きっと、ダゴンに近づけば高速バスっぽい車両がいっぱいいるだろう、と思い辺りを注意深く観ておく。正直とても不安で、そろそろかな、と思いそわそわしだすと、通路を挟んだ隣のおじさんが、「まあ待て」と言わんばかりに手で制してくる。乗車時、何度も叫んでおいたおかげで、私がダゴンの人と認識されているようだ。きちんとダゴンに着くとこのおじさんが親切に教えてくれた。ドライバー氏も、あそこがバスステーションだよ、と。ガイドブックに書いてある通り、ミャンマーでは皆優しく行き先を教えてくれる。ありがとう、と言いながら、無事にバスを降りることができた。それにしても、スーレーから1:40、大分遠いところまで来てしまった。

【曲る】
期待通りであった。多くのバスが集まり、多くの物が売られ、多くの人でにぎわう。まさにアジアのバスターミナルという感じ。さらには、日本の中古車。今回の旅のハイライトである。いるわいるわで、韓国の中古車に混ざり、日本の中古車も多数。それも相当な経年車。30年以上前と思しき車両が、ものすごいエンジン音で駆け抜けていく。カラーがそのままの状態の車両も多く、静鉄や東急の車両とわかる。しかし、なぜか相鉄の最近の空港リムジンカラーに塗り替えられた車両がおり、いったいどこで情報を得たんだろう、と不思議でたまらない。バスターミナルの中、バスだらけで、発着も多く本当に目まぐるしい。そしてついに、一番見たかった神奈中に出会うことに。ちょうどどこからか、到着してきた。多くの乗客を降ろすその雄姿に感動。神奈中の特徴である長く伸びた前バンパー、はどこかでぶつけたのか、大きくひん曲がってしまっていた。これも長く元気に走ってきた勲章だろう。いや、ここまで来た甲斐があったと心底思った。
出会うものに出会えたので、スーレーに戻ることに。もう2時間以上経ってしまっていた。帰りも61系統に乗れば戻れるはず・・・とバス停で待つもいつまで経ってもやってこない。逆側のスーレーからの61系統もパタリと見かけなくなった。ひょっとして朝だけの運行なのだろうか。近くの男性に、「スーレーに行きたいのだが」と訴えると、やはりバスはないという。ガビーン。そうすると、さっきのバスターミナルに戻り、やたらと客引きしていたタクシーの乗客にならなきゃいけないのか、とがっかりしながらふらふらと歩き始めると、その男性が流しのタクシーを止めてくれ、これに乗れという。やはりミャンマーの人は本当に親切だ。ヤンゴンのタクシーはメーターが一切ないから事前交渉がマストだが、その交渉までやってくれていた。しかもガイドブックに記載のあった最安値。ありがたい限り。いつかお礼をしないと、と思いながら、無事にスーレーへ向かうことに。1時間で着いた。

【祈る】
スーレー近くで昼食をとり、ヤンゴン市内最大の見どころであるシュエダゴンパヤーを観にいく。スーレーから歩いて約40分。遠目からでもはっきりと、その黄金に輝くパヤーを観ることができた。中に入ると、小さなパヤーもいくつかあり、地元の人が熱心にお祈りしている。近くにいた人からどこから来たのか、と聞かれたので「Japan」と答えると、「Oh,Okinawa」との返答。まあ、それもそうだけど、very far だしanother islandだね、と。私は横浜からなのだ。
観光後、近くにいた流しのタクシーを捕まえ、いったんホテルへ。

【疑う】
一休みし、19時頃に再びホテルを出る。中心部のスーレーまでは歩くと20分くらいかかるので、自転車の横にイスを付けた「サイカー」に乗ることに。車に交じり、車道を悠々と走り抜ける。風が気持ちよく、隣でこぐおじさんの動作や道から伝わる振動がとても新鮮で楽しかった。
スーレーから歩いてナイトマーケットをのぞいたり、BBQストリートと呼ばれる飲食店が立ち並ぶ通りで夕食をとったり。ナイトマーケットでは、アジアらしくイナゴかなんかの虫が売られていた。そしてたこ焼きも。店のおばちゃんが慣れた手つきでひっくり返すのを思わずじっと見ていると、にっこり微笑みかけてくれた。私も高校の文化祭模擬店でたこ焼きを焼いていたことがあり、国を超えて相互理解が成立したことに少なからず私は喜びを感じた。
スーレー近くに戻り、SakuraTowerの屋上のルーフトップバーへ。ここでミャンマービールをのみながら、ヤンゴンの景色を屋上からゆっくりと眺める。昼間訪れたシュエダゴンパヤーがライトアップされ黄金に輝いている。まさにヤンゴンならではの景色である。夜風に吹かれながら、ぼやーっと過ごす時間はとても価値あるもののように感じる。
しかしだ。ここに着くまでに、道端で小さな子供を抱きながら、寄付を求める女性が一人ではなかった。確かに、渡せる金はあるが、私はそうはしなかった。当然、この親子の行く末がとても心配である。だからといって、私が紙幣を何枚か渡したからと言って、未来が切り開けるのか。いや、その紙幣の枚数を増やせば、あるいはそうなるのかもしれない。でも、今日歩いた道はほんの一部で、このような親子はほかにもたくさんいる・・・。私には、こういった状況を解決する術はなく、とても「無力である」と感じた。そして、その親子を心配した私は自分を「偽善者ではないか」と懐疑した。どうせ何もできないのであれば、いっそ何も感じなければいいのではないか。解決はしないし、できない、だけど心配はした、だから許されるだろう・・・いや、本当に一体、このような現実をどう受け止めればいいのだろうか。
ホテルに戻ると23時頃であった。今夜は停電はせず、静かに眠りについた。




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1 コメント

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Unknown (ソチンコファイトクラブ)
2017-11-24 00:10:22
ムフフはなしですか??
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