BUZ LIFE

毎度ご乗車ありがとうございます。

ちゅごくちゅーごく!~中国江南地方旅行3日目

2007年11月28日 | Weblog
【蘇州へ】

中国旅行3日目は上海に別れを告げ、蘇州へと移動する。

獅子林、寒山寺、虎丘斜塔などの観光スポットへ。

うち虎丘斜塔は、ピサの斜塔のごとく、確かに傾いた塔。ピサの斜塔より一回り小さい。しかし、なんかピサのそれより重厚な感じがして、見た目その傾きに拍車がかかっているような気がする。

ほかシルク工場や刺繍工場にも立ち寄る。まあ団体ツアーではお決まりの、土産めぐり。まあ買うまい、と思っていたが、刺繍工場は、刺繍できれいな花や動物が編みこまれて非常に美しく、見ているだけで楽しむことができた。

蘇州での観光の後は初日に降り立った杭州に入る。ホテルは杭州駅から歩いて10分ほどのところ。

チェックインしてから夜の杭州駅に行ってみる。世界の車窓から、的な長距離列車を見たかっのだがヨーロッパとは違いホームのエリアの前に改札があり、中に入ることは出来なかった。それでも電車を待つ人々があふれる駅の雰囲気を十分に味わうことが出来た。穀物が入っていそうな大きな荷物を持っている人がいたりと、アジアンな駅であった。


ちゅごくちゅーごく!~中国江南地方旅行2日目

2007年11月23日 | Weblog
【烏鎮へ】

朝は6:20に起床して、ホテル7:45発。

2時間ほどバスに揺られて烏鎮に到着した。ゲートをくぐるが、われわれ日本人観光客の団体より圧倒的に中国人団体が多く、非常に混雑している。なんでも中国ではいま国内旅行ブームだそうで、ここも多くの人に訪れられているのだろう。

運河が通っており、そのすぐ近くには古い家屋が建ち並ぶ。横幅3~4メートルほどのとおりの両脇にそれはあったのだが、今でも人々が生の生活をいている。ここが観光地化されたとき、住んでいた人の一部は外へ移ったというが、まだ一部の人はそのまま残ったのだという。扉が開いているうちは家の中が見えてしまい、プライバシーのかけらもないが、それでも何食わぬ顔。みていると老人が多い気がする。あくせくすることなく、ゆっくりとした時間が流れている。家の床はタイル張りで、照明が少ないのか家の中が非常に暗い。それでもテレビはあったりとそれなりの文明とは接しているようだ。

こういったとおりを興味深く見ながら、最後は運河を船に乗って最初のゲートまで戻る。モーターも何もついていない、じいさんの手漕ぎのボート。人々の生活のリズムに合わせるかのようにゆっくりと進む。家の裏口とすぐつながっており、人々はこの運河で洗濯物をしたり皿洗いをしたりしている、それほど清潔な水とはいえなさそうだが・・・。

近くのレストランで昼食。中華料理らしく、円卓のテーブルに同じツアー客と同席する。田舎料理、と書かれてあったが、食べれないものはほとんどなくおいしかった。ラム肉(?)の濃い味付けが印象的。

【上海へ】

バスで3時間ほどかかって、上海へ。道中、寝たりしていてそれほどの長さは感じない行程だった。外はあいにくの雨。なんでも上海では珍しい台風が接近しているようで、雨脚が強い。そんな生憎な天気に自分のテンションもついつられてしまい、過去の嫌な出来事が頭をよぎり、それについて考えさせるという苦悩を強いられた。

上海に近づくと高層マンションが増え、交通量も俄然多くなった。まず初めに上海友好商店というみやげ物やに寄る。市内中心部とはまだ離れているようでまわりは住宅街のようだが、なぜこんなところに土産物屋が・・・と少し違和感。明らかに外国人向けだが、観光バスの駐車場スペースも少なく、われわれの団体以外に客はいないようだった。日本語をしゃべる店員が多い。外国人向けに設定された価格の商品は手に取る気さえも起きず、遠目から冷やかすのみ。30分ほど滞在して、出発。

次の豫園まではそれほど距離はなかったが市内の交通渋滞によって50分ほどかかってしまった。道路上でバスを降り、豫園へ向かう。幸いにも先程まで強かった雨が影を潜め、傘なしでもなんとか歩ける程度になっていた。豫園とは日本で言う庭園みたいなところで、明の時代のものらしい。やはり池が配してあり、ごつごつした岩がある点が日本の庭園とすこし違うか。建物は濃い暗めの赤色で統一してあり、中国の伝統を感じさせる。

この豫園を抜けるとアーケードもある商店街に出る。所狭しと並べられてみやげ物だが、値札はついておらず、交渉の上での買い物となりようだ。みやげ物はいらないし、そもそも時間がないので、見向きもせずに再びバスにもどる。戻りかけたところで再び雨が降り出した。

夕食はまた円卓で上海料理。まあどこが上海っぽいのかはよく分からないが、毎度の炒飯やら野菜の炒め物など、おいしくいただくことができた。隣のテーブルはオランダから来たという外国人グループ。2週間ほどかけてめぐっているのだという。

ツアーでめぐる最後の観光地は外灘。川をはさんで、上海の高層ビル群の夜景を見ることが出来る。しかし高層過ぎて建物の上のほうが雲にかぶってしまっているものが多く、100パーセントの夜景は見ることができなかった。それでも日本より彩り豊かな夜景を堪能することができた。

一通りみた上海だが、さすがは中国最大の都市とだけあって車も人も多い。道路も車線の多い広いものがしっかり整備されており、そこを走る車も古さは一切感じさせない。バスに至っては数多くのノンステップバスが運行されており、日本の例えば東京などの都市と比べても比率は劣らないのではないか、と思えるくらいである。上海を見る限り、中国を発展途上国と呼ぶのはまったくの不適当で、もはや先進国のそれと同じレベルを感じさせる。もっともたった半日のツアー客としての見地なのでその判断は浅はか過ぎるものがあるのだが。

それにしても、運転のマナーだけはひどいものがある。歩行者優先の感覚に慣らされた日本人にとっては危険極まりない。青信号でも平気で通り抜けようとする車ばかり、歩行者が車がいないのを見計らって道路を渡る、といった感じ。

外灘の観光を終えたわれわれは中心部からは少し離れた所にある江蘇飯店という名のホテルへ。一旦部屋に入り荷物を置いた後、昨日同様外出を試みるが、そもそもホテルの位置が地図上で確認できない。ガイドさんに、ガイドブックをみせながらどこか、と聞けど、この地図は正確ではない、といわれてしまい分からずじまい。近くの駅の地下鉄も運行されているか怪しいという。まだ21時なのだが・・・。

迷ったが、せっかく来たからには、とタクシーで繁華街に出ることに。ボーイの人にタクシーを呼んでもらおうとしても、外で拾え、と。

表のとおりは片側4車線ほどの広いとおりで、車が途切れることなく往来している。この道路で手を挙げて流しのタクシーを・・・なかなかタイミングがつかめそうにないので、交差点に行き赤信号待ちのタクシーを狙うことに。幸運にも先頭で待っていたタクシーを発見。日本と同じように空車、と表示されており分かりやすい。ドライバーに乗りたいそぶりをみせるとOKのようだ。と、一瞬ここで戸惑ったが、そう、ドアは自動ではあいてくれない。乗せてくれないのかと思ったが、自分であけて乗車に成功した。

地図で、さきほど訪れた外灘の近くの繁華街の人民広場を指し、そこに行くよう指示する。分かってくれたようで、車を発進させたが。すぐにメータを指差し、「メーター」と言う。ポコッとたって外側に空車という表示を出しているメーターを内側に倒してもらいたかったのだ。以前中国を訪れたとき、これを倒さないとメーターのカウントが始まらず後々の支払いのときにトラブルになる、と知っていた。ドライバーはすぐに倒してくれ、無事赤いデジタル表示の数字がカウントを始めた。

ちなみに中国のタクシー、よく見てみると一人で乗るときは日本と違い、助手席に乗っている。ガイドに尋ねたら、景色がいいからじゃない?とそうなのかなあ、というような答えが返ってきたが、自分でメーターを倒すために前に乗っているんじゃないのかな、というのが自分の推測。

日本で言う首都高速のようなものにあがって、繁華街を目指す。30分程度でちゃんと人民広場に着いた。料金は30元。1元16円ほどだから、夜中に30分も走らせて日本の初乗り運賃にも満たない額しか取られなかった。驚きの安さである。

地図上の現在位置確認は諦め、とりあえず人が多そうな方へ歩いてみる。21:30になっていても人通りは多く、建物のネオンも明るい。店もまだだいたい開いているようだ。ラッキーにもガイドブックにも紹介されている南京路というメインストリートに出ることができ、ここを歩く。ローソンがあり入ってみると、日本と同じような雰囲気で、午後の紅茶も売られていた。

獅子舞の前で写真撮影していると、親娘が自分たちに英語で話しかけてきた。なにやら北京から来たとか、うんたらかんたら言っていたが、最後のほうにはハンバーガーがうんたらかんたらと面倒くさいことになりそうだったので、強引に別れた。

外灘まで歩き、そこでタクシーを拾う。ホテルの名刺を見せると分かったようで、ちゃんと届けてくれた。帰りはなぜか39元と行きより高かったが、それでもなんて安い移動手段なんだ、と。ホテルの近くのコンビニでアイスを買ったが甘くて美味しかった。

そうして2日目の夜は終了となった。

ちゅごくちゅーごく!~中国江南地方旅行1日目

2007年11月22日 | Weblog
9月に行ってきた中国への旅行。タイトルは前友人が言っていたシャレで不覚にもつぼってしまったのでここでも使用。

【いざ、出国】

成田空港へ向かうため、まだおききらない街を歩き横浜駅へ。横浜シティエアターミナル5:15発の成田空港行きバスに乗車。京浜急行バス担当の三菱。朝早いにも関わらず30名ほどの乗客が乗り込んだ。ベイブリッジに差し掛かったところでちょうど太陽が昇りはじめ、きれいな景色を眺めながら横浜としばし別れを告げる。

成田空港には驚いたことに6:30分過ぎには到着していた。あっという間だ。全日空なので第一ターミナル南ウィングで下車。まだカウンターは開いておらず、がらんとしている。

同行する友人と無事合流し、旅行会社のカウンターで航空券を受け取り、全日空のカウンターへ。ちょうど出発のラッシュとなっているようで、列が伸びていたが、それほど待つことなく順番が来る。自動チェックイン機でチェックイン。その後、有人カウンターで荷物を預けるが、この作業が二度手間に感じてしまう。どうにかしてうまく荷物を流せないものか。

朝食をとってから、出国審査を無事通過し、34ゲートへ。10:20発杭州行きに乗り込む。青系で統一された清潔感のある機内。周りを見渡すと空席は残っていないようで多少窮屈ではあるが、あっという間、3時間ほどのフライトで杭州に到着した。隣にはJALも駐機されており、9:55成田空港発の便だろう。

【紹興へ】

どきどきした入国審査では特に何も聞かれることなく、中国入国。赤いスタンプがパスポートの押された。ちょっと照明が薄暗い空港の建物。なんとなく資本主義とは離れた国であることが感じられる。ここでツアーの参加者と合流したわけだが、驚いたことに70名を越す参加者。某大手旅行会社の格安ツアーなのだが、これほどまで人を集めていたとは。こんな大人数とともに観光するのか、と少々げんなりしたが、参加者はバス2台にわけられ、自分たちは1号車となった。

5日間の全工程を一緒するガイドさん、そのガイドさんのアシスタント兼カメラマン、そして紹興を案内してくれるガイドさん、と3人の中国人と、最初の観光地八字橋へ向かう。大通りからひょいと左に曲がったかと思うと、すぐにバスを下車。街を流れる運河にかかる橋だった。相当古いのだそうだが、石で出来た橋は今もしっかり対岸とを結んでいる。その運河沿いには家が並んでおり、そこで生活する人の洗濯物が干されていたりと、現地住民の生活を垣間見れる。静かな空間で、運河の水と、緑の木と、でうらやましい住環境に思えてくる。

続いて魯迅記念館へ。阿Q正伝の書物を書き著した、ということ以外何の知識もない魯迅さんについて、その記念館はいろいろ説明していたようだが、あまり興味がないので列にぼんやりくっついていっただけであった。

ここからバスで30分ほど走り、今度は蘭亭という名の庭園に行く。ガチョウなのかよく分からない鳥の鳴き声がけたたましい。「蘭亭」とかかれた石碑があるのだが、このうち”蘭”の一文字はかの有名な王義之(注:義の字は正確ではない)が書いたものだという。まあそういわれてみれば達筆な字に見えてくるが・・・。静かな庭園で、わりと広い。大きな池もあり、その池からは河童がなんとなく出てきそうな。なんかそんな雰囲気。

日本の庭園と格別に違うというわけではなく、日本人でも心落ち着いてみることができる。さすが隣国中国。

最後に紹興酒工場へ。紹興といえば言わずもがな紹興酒。”しょうこう”と打っただけでは”紹興”の漢字が出ず、いちいち”しょうこうしゅ=紹興酒”と入力し
、酒を消さなければならない我がパソコンも物語っている。杭州の空港から紹興市内へ入るときにも、道路真ん中に置かれた大きな盃の置物に迎え入れられた。

紹興酒の試飲が出来たが、わりと匂いが強く、正直自分の口に合うものではなかった。飲めないこともないけれど。熟成させる時間が長いほど値段も上がるという。何十年単位で寝かせるのだそう。

そしてホテルへ。繁華街近くにある、近代的なホテルで、その綺麗さと日本のホテルと比べても遜色のない設備に満足。

しかし、ここでこの旅は終わらない。このツアーを申し込むことに懸念したのは、全日程観光がついており、自由行動がほとんどないこと。だから街中を自由に動くのは、ホテルにチェックインした後にしよう、と決めていたのだ。

荷物を置いて、すぐに街中へ。特に当てもなく明るそうなほうへ向かって歩き始める。21時を回っていても車や人通りは多く、ネオンも明るく危険な感じは一切しない。店もまだやっているところが多い。上海のような大都市でなくても、このように夜が栄えていることにちょっと驚いた。とあるとおりを曲がると、露店が道の両側に並んでいる夜市みたいなところへ出た。いかにもアジア、といった感じのする雰囲気。ここを冷やかしながら、再び大通りへ。

見えた緑色の看板は日本でもおなじみのスターバックスコーヒー。せっかくだから入ってみることに。自分はコーヒーではなく、日本ではあるはずのホットティーを頼みたくて、ティーといってみたが通じず、中国でも茶は”ちゃー”と発音すると耳に挟んでいたのでそのように言ってみると、店員が指差した写真は抹茶ラテのようなもの。もうなんでもいいや、とそれを注文。甘くておいしかったから結果オーライか。それにしても値段は400円近く、と日本と変わらない高さ。水1本20円くらいで買えるはずの中国の物価からすればスタバは嗜好品なのかもしれない。

まだ眠りにつきそうにない街を通り抜けホテルへ戻ったのは22時。1日目は無事終了となった。


北陸縦断!~福井・新潟一人旅三日目

2007年11月21日 | Weblog
旅行も最終日、三日目。

【村松駅前行き高速バス】

午前中は村松駅というところに行くことにした。ガイドブックに載っていなければ、どこにあるのかも分からない。ただ、新潟駅から1時間610円と手ごろな価格の高速バスで行けることに魅力を感じ、とりあえず載乗ってみることにしたのだ。

路線図で確認してやっと分かったが、磐越自動車道で会津方面に行くようだ。

8:55発の新潟交通観光バス担当の村松駅前行きバスに乗る。市内でも停留所数箇所に止まり、合計13名が揃った。磐越自動車道に乗り、いすゞの重低音なエンジンと、外の田園風景と山々の美しい景色とで、たった1時間のバスの乗車を十分に満喫できた。

村松駅には定刻よりやや遅れて10:03に到着した。駅と言っても、鉄道が走っているわけではなく、バスの停留所と車庫があるだけ。蒲原鉄道のバスだ。そして、その車庫に釘付けになった。

神奈川中央交通の中古バスがいるのだ。やはり。実はネットで、蒲原鉄道に神奈川中央交通の中古バスがいることは情報を取得済み。ひょっとして見れるかな、という思惑もあってこの高速バスに乗ったのだ。いすゞと日産ディーゼルの5E。しかもうち1台は内装がそのまま使われているようだ。

いや、テンションあがるね!ってことで、足取り軽くこのバス停を起点に街を歩くことにした。それほど大きくはない街で1時間30分でざっと見ることができた。武家の街のようで武家屋敷も現存されているとのことだったが、残念ながら発見できなかった。

途中寄った、郷土資料館、自分が一番目の客だったようで館内の電気をつけてくれて中へ通してくれた。ここで昔この街には蒲原鉄道の電車が通っていたことがわかった。村松駅前というバス停もその名残だろう。

あとは商店街を練り歩く。土曜日の昼でもそれほど人は多くないが、まあ一通りのものは揃うのかな、っといった感じ。それに反して車のとおりはやたら多い。まあドライバーの高齢者である率は明らかに横浜より高いのだが。

【新潟市内観光】

12時ちょうど発の新潟行きバスに乗る。村松・五泉地区でそれなりの乗車があり、49席の車内が半分程度埋まった。

市役所前のバス停で下車し、日本海タワーという施設に行く。25分で一周する展望台があり、それに上る。円形の建物で、床が確かにゆっくり回っている。外の景色は晴れ晴れとしていて、日本海の青い海や遠くは鳥海山も見渡せる。係りの人も「奇跡のような晴れ渡り」というくらい、ラッキーにも最高の景色を眺めることが出来た。

次に砂丘館という、日本銀行の偉い人が住んでいた家を訪ねる。なぜかタンゴの披露会が催されており、地元の住民が参加していた。特に変哲のない家を一通り見て、ドッペリ坂を下り、新潟市内の繁華街へ出る。

古町というアーケード街やNEXT21という高層ビルを歩く、なんか盛り上がりに欠ける気が・・・。そして万代橋をわたる。信濃川にかかる、片側2車線の道路と両側に歩道がある広い橋だ。これをわたると万代シティと駅に出ることが出来る。驚いたことに、この橋の人通りは多く、往来が絶えない。新潟市のシンボル的な存在になっているに違いない。

【帰路、東京へ】

万代シティもざっと見て、一旦駅に戻りホテルに預けておいた荷物を拾う。もう夕方17時近くになっており、太陽は沈み真っ暗。再び万代橋へ。夜景を見ておきたかったのだ。期待通り、橋の街灯は綺麗に輝き、信濃川には沿岸のビルの照明が反射してその光がゆらゆら揺れているように見える。最後に印象的なシーンを心に刻み込み、新潟を後にする。

万代シティバスセンター18:00発、越後交通担当池袋行き高速バス。最終的に20名近くの客を乗せることになるのだが、新潟市内、関越高速道路上などきめ細かくバス停で乗車扱いをする。4列シートだがその分縦は9列に抑えられており前後のシートの間隔は広く快適な居住空間。隣が空席なら、という条件だが、幸い自分の隣は空席だった。

途中2回の休憩を挟み、池袋駅には20分早着の23時ちょうどに到着。日産ディーゼルの最新鋭のオートマ車は終始快適なたびを提供してくれた。

池袋の雑踏を抜け、家路についたが、池袋駅で夜間高速バスを見て早くも次の旅行へと心が動き始めていた。

北陸縦断!~福井・新潟一人旅二日目(佐渡島)

2007年11月20日 | Weblog
北陸旅行二日目・・・記事が途中ですべて吹っ飛んだ。だから、特に書きたい点を抜き出して。

要は、佐渡島に行った。カーフェリーで。往復4640円。

観光名所は一切見ず、バスで佐渡島の上半分を一周した。

両津~佐和田バスステーション~相川~岩谷口~両津。


岩谷口~両津は一日2本のローカル路線で、しかも12月からは路線が短縮され、岩谷口までは来ないとのこと。だからこの1周旅行は12月からはできない。また復活するのかもしれないけど。

岩谷口からの客は自分ひとり。運転士と2人。なんか無口でいるのもな、と思い知ってはいたが両津の到着時間を聞いてみる。会話の糸口として。

これ以降、そこからフェリーに乗り継ぐの?とか、横浜から来たんだ、と、予想通り会話が弾み始めた。

結局、海外はどこ行ったことある?とか横浜ではまだ~じゃん、って方言使うの?とか、弾みすぎた。街灯も無くバス一台やっと通れる様な狭い道、すぐ左は崖、という難所続きで、しゃべりながらで大丈夫かとこちらが心配するほど。

でもめちゃくちゃ楽しかった。すごく人がよさそうなドライバー。こういう出会いがあるから旅行ってやめられない。

途中で一人、また一人と客が乗ってきたが、このドライバー「今日は3人も(!)客が乗ってる。珍しいな~」と。普段どんだけなんだよ・・・。

「珍しいじゃん。どこ行くの?」

「からすの勝手でしょ~」

「飲み行くんでしょ~」

「都合悪いことはきこえませ~ん」

客とこんな会話をドライバーはしていた。まあ都会ではありえないな。

「珍しいじゃん。どこ行くの?」

「プライバシーの侵害で訴えますよ?」とね。

両津には18:30に到着。「元気でね」「お気をつけて」と交わし、ドライバーと別れた。

最終の19:30発のフェリーに揺られて2時間30分。あっという間に新潟市内に戻り、ホテルには22時30分ころ戻った。

北陸縦断!~福井・新潟一人旅

2007年11月19日 | Weblog
北海道、四国に行こうと思っていたのをやめ、本格的な冬が訪れる前の北陸地方をめぐることにした。47都道府県、すべてを制覇するために・・・。

【いざ、福井へ】

旅の始まりは新宿。ここから22:50発ドリーム福井1号福井行きに乗る。京福バスの三菱SHD。20人程度の客を乗せ、一路福井へ。三菱の心地よいエンジンのサウンドと、ほどよい疲れとが睡魔を誘い出し、目覚めるとすでに福井県内。6:30定刻どおりの到着となったが、道中9割以上寝ていたことになる。いや、非常に快適だったのだ。

【福井市内観光】

さて、ここからはノープラン。ガイドブックも買わなかった。駅でラッキーにも市内地図をゲット。えちぜん鉄道の駅の窓口のおばさんがくれたのだ。駅前のドトールコーヒーでとりあえず作戦会議。

結局歩いて福井市内を周ることにした。足羽神社、愛宕坂を一人さびしくぶらっと歩き、ちょうど開館時間を迎えた日本庭園がある養浩館へ。あー、池のある庭園を眺めれる畳の部屋もまた風流だな、と勝手に満足し、福井城址のある県庁を通り抜け、再びバスが到着した京福バスターミナルへ。

【永平寺】

10時発の永平寺行き特急バスに乗車。来たバスはこれまた三菱、エアロバスの20年近くは経とうかという車両。京福バスではなく、京福リムジンバスと書かれている。まあグループ会社だろう。

駅前でも客を拾うものの10名に満たない客で永平寺へ。わずか30分の行程だった。

道元が開いたという座禅の曹洞宗の大本山、永平寺。最初に修行僧から参拝の注意事項の説明を受ける。初めと終わりに、座禅を組ませるのはさすが。紅葉がかった木々にとともに静かにたたずむ寺を、年配の方に混じって若者一人で見学。山にあるので、傾斜がある寺をそれでも落ち着いた気持ちでざっと周って、再びバス乗り場へ。永平寺口というえちぜん鉄道の駅までバスに乗り、そこで20分待って福井行きの電車に乗る。1両編成のローカル路線。車内には20人くらいしか客がいない。

これに揺られて20分少々で福井駅に到着。駅前の小川家というヒレカツ丼を食べられるところで昼食をとる。

その後はまた福井駅前をぶらっとする。銀行や保険など各種金融機関は揃っており、本屋や英会話スクール、そして西武の百貨店があったりと決して小さくはない街だがやはり人通りが少ないかな・・・。ちょっと寂しさを感じてしまうが、こういった街を歩くのは楽しい。そして、美人が多い気がするのは気のせいか・・・。人もみんな温かく、親切な気がする。こういう街だと、普段バイトしているときに聞かれる様々な客からの様々な文句もないのかもしれないな・・・、と少しうらやましくもなる。

【小松空港へ】

別に飛行機に乗るわけではない。乗り継ぐのだ、小松空港で。福井から新潟まで直通のバスはない。金沢からは出ているのだが、福井から金沢へ行くバスも朝1便のみ。金沢へは小松空港経由でいけることは予習済み。14:40発の京福リムジンバスの小松空港行きバスはわずか6名の客を乗せたのみで出発。前の福井鉄道担当13:30発はもう少し埋まっていたようだが。

一般道をわりと長く走り、途中から高速にのり小松空港へ。左側に日本海が見える。小松空港から金沢駅行きのバスは、東京からの飛行機が着いた5~10分ご出発という福井から乗り継ぐ人には不親切なダイヤ。まあ、そんな人ほかにいないだろうから仕方ない。小松空港の福井からの自分のバスの到着予定時間15:50。飛行機の到着予定時刻15:50。つまり、わずかな時間で乗り継げるはずなのだ・・・と自分の完璧な行程に感心していると、まだ小松空港手前の高速道路で、上をJALが飛んで行き、小松空港に着陸するのを目撃。。あらら、明らかに15:50着予定のJALだ。ひょっとして、到着が早まったのか?ということはバスの出発も早まり・・・乗り継ぎ失敗=新潟行きバスに乗車不可=新潟入れず=宿キャンセル=金沢でマンキツ暮らし。

止まる信号一つ一つにいらいらして、小松空港に着くと同時に走って金沢市内行きバス乗り場に行くと、ちょうど搭乗客が出てきてバスに乗っているところだった。セーフ。自分の計画は誰にも邪魔されないんだ、ガハハ、とまでは思わなかったが、満席の超特急便で金沢駅東口16:35着。

【新潟へ】

金沢から新潟行きは17:10発。案内所に行き、予約なしでも無事チケット購入。

香林坊の市内からやってきた北陸鉄道のまたまた三菱SHD。あてがわれた席は1番前。直前にキャンセルが出たようで、あいた一番前の席が、その直後に買った自分にまわってきたようだ。

10名ほどの客を乗せ一路新潟へ。途中、休憩を2回挟んで、あっというまに新潟に21:35に到着。いや、乗り足りないわ・・・。最後、駅前から終点の万代シティバスセンターまでは自分ひとりになってしまい、運転士とお話をする。あまりにもすいていた車内が心配になり、たずねてみると、今日(木曜日)の便はすいているほうで、金曜日と日曜日が一番混むそう。満席になることもあるようで一安心。ホテルの場所はどこか、と聞かれたが、気付いてみるとまだ調べてなかった。駅前だと思うと告げると、ならあっちのほうだと思うよ、と親切に教えてくれた。

地図で確認し、難なく発見。駅から徒歩1分で歩ける場所にあった。無事チェックインを済ませ1日目終了となった。

クリスマスパーティー

2007年11月18日 | Weblog
去年、ゼミの企画で、一つ上の先輩の家でクリスマスパーティーをやった。

今でもゼミの中では伝説の企画として、話題があがるのだが・・・。

すさまじかったのだ。とても。とても。

まあどうせ今日は帰れないんだし、と開き直った参加者、アルコールを大量に取り込み・・・


新築の家の階段がはげた(その後この家では予定されていたクリスマスパーティーが禁止されたとか)

車のバンパーが破壊された(愉快犯。車のドアのとっても、投げ飛ばされていたんだとか)

車の中の光るクリスマスツリーが盗み出された(確信犯。その後犯人の家できれいに光っていたんだとか)

ゼミの代表が隅っこでブレイクダンスを始めた(単独犯。強烈な残像として、ゼミ員の心の中にしっかり刻み込まれている)

テニサーより飲みが激しい(とテニサーの人が言っていた)、そんなゼミのことですから・・・。

んー・・・・

2007年11月17日 | Weblog
朝から元気よくアルバイトへ。朝の冷え込みがだんだん厳しくなり、出勤がつらくなってきた。

今日は新人さんの研修担当なので、実際にお客様とはお話しない。新人といっても、もうすでに一通りの研修を受けており、ほとんど問題なく仕事を一人ですることが出来る。が、まあ一応、ってことで自分が見ることになっているのだ。

自分は勤務開始から4時間で退社しなければならない。それ以上働いてはいけないのだ。この間知らせを受けて驚いたが、年間の収入が103万をこしそうで、この額を越すと親の税金が一気に20万円跳ね上がるので、103万円以内の時間で働かなくてはいけなくなった。

1~3月は就職活動のためほとんど勤務していなかったので、まさか103万を越すとは夢にも思わなかったが、5月以降の追い込みがすごかったようだ。まあ月20日は勤務し、夏休みは旅行を行く日に朝バイトをしたりしていたから、いつの間にか稼いでしまっていたのだ。

だから今日はどうしても4時間後で帰らなければいけない。しかし、新人さんが今日は5時間の勤務だという。そうすると1時間一人になってしまう・・・。別にその1時間を他の人に頼んでもよかったのだが、最後にやるレジの点検までみないとなんか無責任な気がして、苦肉の策としてタイムカードを4時間後に一旦押し、その後はサービス残業をすることにした。税金が20万増えるよりましだし、何より自分が4時間で帰ってしまったらその4時間分も含めた点検が合うか心配で気になって恐らく夜も眠れなくなってしまうだろうから。

点検が終わったらすぐにかえろ、と思っていたらその点検が・・・合わなかったのだ。お金が多すぎる。よくあることで、つり銭用の小銭が入れてある金庫や売上金を入れるレジなどをひっくり返せば大概は解決される。今日も無論そのプロセスを経たのだが・・・どうしても金が浮くんだな。あと考えられるのは・・・つり銭の渡し忘れ。

やってしまったか。今日はお客様いつもより混んでたからな・・・。って、そんなの言い訳になるわけになく、そう、自分がしっかり見ていれば防げた事故なのだ。

いや、しっかり見ていたつもりなんだが。いったいどこで。考えても思い出せないし、新人本人も分からないらしい。つり銭のやり取りの記録は全て残っているが、該当する額は10件ほど。特定は難しい。

あー、自分がしっかり見ていればな、と悔やまれる。そして、新人さんがこれで自信を無くしてしまったら、申し訳ないことをしてしまったことになる・・・。

思い返してみると、自分もよくつり銭のミスをしたものだ。全部記憶があるが数えてみると7件・・・。他の人より断トツに多いと、改めて気付かされた。

どこが違うんだ、と探している間に時間はあっという間に過ぎて行き、他の仕事も手を出してしまったので、気付くとすでに6時間近くが経過していた。

結局つり銭渡し忘れで処理し、帰ろうと。さすがに疲れた。

そしてこの人もまだ新人なのだが、退社予定時間をとっくに過ぎた自分に「まだいたんですか」・・・と!

「はい、まだいらっしゃったんですが、何か」と心の中で言い返し、退社した。