BUZ LIFE

毎度ご乗車ありがとうございます。

「お会いできて光栄です。」

2007年10月29日 | Weblog
「お会いできて光栄です」と、今日バイト先で接客した外国人のお客様から、このようなお言葉をいただいた。

日本語は通じず、英語でやりとりをしていたが、最後にこちらが「THANK YOU」というとあちらが「おあうでき・・・」と何か言ったのを聞き取ることができず「ん?」と聞き返すと、その外国人はおもむろにかばんから紙の切れ端を取り出し、それをみて「お会いできて光栄です」とはっきりした日本語で言ってくれたのだ。

うまい日本語ですね、私もお会いできて光栄です、と、伝えたかったが、思わず日本語が出てしまったので伝わったかどうか。しかし満面の笑みを浮かべて去っていった。おそらくこのように日本人に声をかけて旅行を楽しんでいるのだろう。

だから外国人相手の接客はやめられないんだ。このようにフレンドリーなお客様に出くわす可能性が高い。シンガポール人やタイ人、アメリカ人、イギリス人などが特に当てはまる。「Have a nice day!」と気軽に声をかけてくれる彼らだが、普段マニュアルどおりの接客に慣れ、プラスアルファの言葉のやり取りがほとんどない買い物をしているので、急にこのようなことを言われても「you, too」と返すのが精一杯。

とある外国人からはおつりの小銭をもう使わないから、と自分にくれた。とある外国人は日本語でTHANK YOUはどういうのか、と人懐っこく聞いてくる。とある外国人はこちらが「The gate is NO.1」と案内すると「Oh, you are the No.1!」とオーバーリアクションをしてくれる。

彼らの国では当たり前の取引なのかもしれない。マニュアルどおりの接客、なんて日本の一つの文化のようなものだろう。均質なサービスを受け取れる、と安心感を持って買い物できることは確かにメリットだが、こういうやりとりをすると、どうも物足りなさを感じてくるのだ。

まずい

2007年10月27日 | Weblog
酒も食事も。

以前ゼミで使った店で、そのような記憶はなかったが、酒も食事もとてもおいしくない居酒屋に行ってしまった。そういえばゼミで行ったときは飲みすぎてあまり正常な意識ではなかったような気もするな・・・。暴れてた記憶しかない。

チヂミはへなっとしているし、焼きうどんの麺もへなっとしているし、カルピスサワーはほとんど味がしないし、カシスオレンジは色がおかしいし・・・正直「水が一番おいしい」というかの王様おっしゃったことばが最も当てはまる店であった。

あまりにもおいしくなかったので記録としてここに残させてください。

高尾山へ

2007年10月25日 | Weblog
高尾山登山。高校のときの課外授業で行くはずだったのが、雨で中止になってしまった記憶がある。しかし、今日は晴れの予報。雨の心配はなく、高尾山口の駅に降り立つ。しかし、遠いな・・・。横浜駅から1時間40分かかってしまった。

日曜日ということもあり、駅には多くの登山客がいた。ケーブルカーは使わず山頂を目指す。川が横を流れている道を歩いていくが、そう急な坂や階段はなく、余裕で登っていける。

5月か6月に塔の岳(1491メートル)を経験済み。そのときの登山に比べれば、599メートルの高尾山頂はかわいいものだ。

難なく山頂へ・・・って車が入ってきてびっくり。なんだ、道路があるのか。

その後は影信山、明王峠、とぬけ陣馬山(857メートル)まで歩く。途中一部で急な坂や階段があったが、やはり陣馬山までも余裕をもって歩くことができた。ここも駐車場からそう遠くないこともあってか、子どもも多く家族連れでにぎわっていた。塔の岳のときは人里はなれ、本当に山の上まで来てしまったな、といった実感があったが、今回はその感も薄い。しかし、眺めはよく、最高の景色を楽しむことができた。看板には晴れ渡っていれば横浜市内も見えると書いてあったが、ついぞ眺めることはできなかった。

ここから下山。途中の道にはきのこがはえている。日没が迫っていたので、すこし急ぎ目に。無事明るいうちに下山することができた。藤野駅まで歩いて中央線に乗って帰宅した。

普段はアーバンライフを楽しんでいるわけだが、たまにはこういう自然に触れ合うこともいいと思う。きれいな空気を吸い、川の音を聞き、緑色の木々を眺め、頂上から遠くの街並みを見下ろす。頂上まで上り詰めたときの達成感。都会にいては得がたい経験の数々を手に入れることができるのだ。

ALL NIGHT

2007年10月25日 | Weblog
久々にやってしまったALL NIGHT。その日の飲み会が異様に盛り上がり、居る事4時間弱。赤い看板の店で4500円という最高新記録を樹立した後、終電がなくもなかったが、通勤電車に30分も揺られて帰る自信がなかったし、こういう機会も少ないかなとも思ったし、そもそもすでに手をひかれ歩き出し始めていて抵抗の余地もなかったし、ということで、カラオケへ。

500円。

しかかからなかったのは安い。

最初の数時間はがんばって起きていたが(そして歌いもしたが)、最後の2時間は限界を感じ、歌うのをやめ、他の人とコミュニケーションをとるのをやめ、寝ることに。そう広いスペースがあるわけではなかったので、いすの上に上半身を横たえるだけ、とか机の上にふして寝る、とかしてしのいだが、変な体勢で寝てしまったのとまだ酒が残っているのとで死ぬほど頭が痛くなってしまった。他の面々は元気に歌っているが、そんなの気にせず、頭痛をこらえ、うまく寝れる体勢を何度もためし、と自分なりに格闘していた。

ようやく朝5時を迎え、外へ。寒い。電車はすでに動き始めており、すいてる電車で快適に帰宅。家に帰ったらそう眠くもなかったが、寝ることにした。

・・・って何の脈略もない記事だな。。。

何か言いたいことは・・・そう、こうやって次の日のことを気にせず、思うままに夜を楽しめる機会って本当に貴重だな、と。そして、幸せだな、と。これまでの記憶の中でも、昼より夜、あるいは夜明けの記憶のほうが印象が強い。

こういう機会が与えられるのも、そうもうないんだろうな、と思うと悲しくもなる。

アッサラームアレイコム~エジプト旅行5日目~最終日

2007年10月17日 | Weblog
エジプト旅行5日目=最終日

【朝のナイル川】

起床は5:30。ジャッキーさんはまだ寝ているし、ホテルの出発はまだまだ先。ではなぜこんなに朝早く起きたかというと、ジャッキーの一言に以来している。昨日、ナイル川に沈む太陽をあともう少しというところで見れなかったので「残念だったね」とジャッキーに話しかけると「じゃあ朝陽を見に行けばいいじゃん」

それも、そうか。朝陽みきっときれいなんだろうな。そう思って、朝早くに起きて見に行くことにした。ジャッキーさんには拒否られたので一人で。日の出の時間がわからなかったので、適当な時間に起きてみたが、外はもう明るくなりだしている。太陽が出てくるところをとらえないと意味がない、とジャッキーさんを起こさないように急いで支度。デジカメと財布だけをポケットに入れて部屋を出る。

ホテルの中はまだ誰もおらず、いたって静か。しかしナイル川を見ることのできる外のテラスに行くと、従業員がもう掃除を始めていた。そして、肝心の日の出だが・・・ない。もうすこしなのかな、と待つことにする。それにしても、綺麗だな~、朝のナイル川。薄明かりの中、ちょうどよい気温で、物音がほとんど聞こえない空間で目の前に悠々と流れるナイル川。ナイル川の先には広大な大地。こんな贅沢な時間を過ごしていいのかと思うぐらい、それは他のどこでも得がたい空間にいるようだった。反対側の岸辺からは気球がいくつか飛んでいる。それもまた幻想的で、目に焼きつく景色である。

さて、太陽。しかし、ここで気付いた。ひょっとして、太陽はナイル川に沈み、ナイル川とは逆側の、後ろのホテルのほうから昇ってくるのではないか、と。西に沈み、東から昇る・・・そんな単純なことはナイル川から赤々とその力を目の当たりにさせてくれるかのような太陽を見たいという気持ちによって押し殺されていた。

というわけでナイル川からの太陽を見ることはできなかったがそれでも、とても貴重な時間を過ごすことができた。近くにあるいすに座り、そのままぼんやりとナイル川を見る。考えてみると、普段こうやって自然を目の前にしてぼんやりと頭を休めることなんてないな。だから余計、このような時間がすごき価値あるもののように思えてくるのだ。

30分はいただろうか、さて、頭もそろそろ部屋へ戻ろうと思ったのだが、せっかくだから玄関に出て、朝の街並みも見ておこうと。ちょうど6:30くらい。歩いている人はほとんどいなかったが、観光バスがもう動き出していて、自分のホテルからも観光客が続々と出かけ始めている。暑くなる前の涼しい朝のうちに観光をしておこうというのだろう。それをまたぼんやり見ていると、ホテルのボーイさんから、「コリアン?」と声をかけれる。エジプトではこれまで「ニーハオ」とか「チャイニーズ?」とか言われたことはあったが、韓国人に間違えられたのはおそらくこれがはじめて。いや、日本人です、と。すると、おもむろに歌を歌い始め、体もリズミカルに動かしだした。そして、自分にも歌え、という。正直困って、何もできずにいると、今度は普通に話しかけてきた。「家族と来たの?」とか「名前は?」とか。そういえば、エジプト人と話をしていると、2~3言目には名前を聞かれる気がする。彼らの慣わしだろうか。「いや、友達とだよ」と答えようにも「friend」の単語がどうしても通じず、男、と来たことが伝わっただけになってしまったので、ひょっとしたら、ちょっと怪しげに勘違いされたかもしれない。そろそろ”彼”も起きるから、と別れを告げた。

【ホテルを後に。ルクソール空港へ】

快適に過ごせたシュタインベルガーホテルともお別れ。迎えの車に乗り込み空港へと向かう。途中道端に咲いていた赤い花がとても綺麗で、眺めていて楽しかった。

ルクソール空港はすいており、難なくチェックイン。着いたときはドメスのターミナルだったが、今日は国際線ターミナルを使っている。それにしても、エジプトの金属探知機はものすごくよく反応する。日本では反応しないベルトにもビンビン反応。

フライトまで時間があるが、ターミナルの中で特に大した土産物屋もないので、仕方なしに旅行会社のアンケートに答えたりしているうちに搭乗開始となった。

【ルクソール~カイロ空港へ】

定刻どおりに離陸し、カイロ空港へ。機内は満席のようだ。軽い軽食が出された。1時間もかからずあっという間にカイロ空港へ戻ってきた。

ターンテーブルでスーツケースを取る。そしてなっちゃんとはここでお別れ。やはりお別れはさびしいな・・・。

【スーパーはどこだ!?】

さて困ったことにまだ12時にもなっていないが、成田行きのフライトは18時近く。市内にも出れず、空港で待ちぼうけ。じっと座っているのもつまらないので、さっきなっちゃんがこの近くにスーパーマーケットがあるから行ってみるといいよ、とのことだったので、スーパーを探しに行くことに。ジャッキーさんは、見つかったら教えてね、とそのままロビーで待っていた。

しかし、困ったことにそのスーパーが見つからない。建物の端っこに行ってみるとちょうど昼の礼拝をささげている大きな部屋に出てしまい、入り口で入る?みたいなことを聞かれたので、慌ててスーパーはどこ?と聞く。指差されて方に歩くが、どうやら今いるターミナルビルではなさそうだ。駐車場を横切って、建物があるほうへ向かって歩くが、途中座って警備している警察官と目が合ってしまった。いつものように魔法の言葉、エジプト語でこんにちはのアッサラームアレイコム、というと、この警察官も喜んでくれ、どこへ行くんだ?と聞いてくる。スーパーと答えると、両手を縦にして、ちょうど千田みつおの”ナハナハ”みたいな仕草をし始める。なんだかよく分からないので、とりあえず行っていいか?と聞くと、いいよ、といわれたので、そのスーパーへ行ってみると、”クローズ”といわれてしまった。なるほど、しまっているよって意味だったのか。またターミナルへ帰るときにその警官と目が合ってしまい、”しまっていたよ”というと、だろ?、と。しかし、さっきエジプト語で挨拶したから、自分が全てのエジプト語を理解したと思っているのだろうか。なにやら普通に話し始めて、指で丸を作り、それをおでこのところに持っていき、なにかの話題にしようとしている。イマジネーションが足りず何を言っているのか分からなかったが、笑顔でさよならをいい別れた。この国でのこういうやりとりが楽しくてたまらない。帰国するのがますます嫌になる。

【いよいよ成田へ】

ジャッキーにスーパーは閉まっていたと報告。そして昼食を取ることに。ピザとかパンがおいてある店があったので、ここで食べることにした。普通に美味しかったし、ここでもまた店員がエジプト語でピザの注文の方法を教えてくれるなど、楽しいやり取りをすることができた。みんななんでこんなにフレンドリーなんだ。そしてすごく笑顔が素敵。

搭乗手続きをしてくれるガイドさんと合流。しかし一度チェックインした券を見て、「私はこの席、気に入らない」と吐き捨て、またチェックインしに戻ってしまった。しかし、無事に航空券を渡してくれた。出国手続きをして、搭乗ゲート付近へ。まだ時間があったので、土産物屋を物色。なにかバイト先にもって行くものは、とみるが、驚いたことにエジプト製のものがほとんどない。菓子類は豊富に揃っているがヨーロッパ製が多く、エジプトの土産物にはならない。仕方ないのでありきたりなチョコと、ちょっと挑戦してハイビスカスティーを買っただけにとどまった。店ではエジプトポンドのみならず米ドル、ユーロそして日本円までもが使えた。まだ時間があったので、フードコートでケーキを食べてみる。あまり美味しくなかったけど。

そして、いよいよ搭乗。またバスでの移動となったが、このカイロ空港、ターミナルと飛行機を直接つなぐボーディングブリッジは一つもないようで、全てこのようにバス+タラップで乗り降りするようだ。屋根なしのタラップで飛行機に乗り込むのは要人になった気分で気持ちがよい。

MS964便成田行きはほぼ定刻どおりに出発した。そして、果たしてガイドの人が苦労してとってくれた席は、2-4-2の中央の席の、大きなスクリーンがある真後ろの席で足元が非常に広い席であった。行きの非常口後ろの席と同じく、足元だけはまたビジネスクラスとなったのだ。

さて、機内食をとったり、寝ていたりしたら、あっという間に成田に到着。定時と10分と違わず13:02に無事着陸。綺麗ではあるがどこか無機質なターミナルを歩くと、ああ日本に帰ってきたなという実感がわく。税関を抜けて、バスに乗る。クラクションが鳴り響く、あのエジプトの道路ではない。また、いつかエジプトを訪れてみたい、と思いながら帰宅した。

アッサラームアレイコム~エジプト旅行4日目~2

2007年10月15日 | Weblog
エジプト旅行4日目の午後。

【ホテル周辺散策】

昼食も終わり、ホテルへ一旦帰る。ジャッキーはルクソールの暑さでやられ、もう動けないという。涼しい部屋でごろんと横になってしまった。確かに暑くはあるが、日本のように湿気の多い暑さではないため、自分はそれほど苦にならない。太陽の直射日光を避ければ動けまわれる暑さのように感じる。

ずっと部屋にいるのもつまらないので、一人で外を歩いてみることにする。万が一のことを考え、最小限の現金とデジカメだけをポケットに入れ、手ぶらで出発。ホテルを出るときドアマンに”アッサラームアレイコム”と挨拶すると、「エジプト語を知っているんだね?」と喜んでくれた。ガイドブックに書いてあった通り、エジプトのは数多くの外国人旅行者がいるが、エジプト語の一言も分からない、というか使わない人ばかりで、このようにエジプト語でこんにちはというと一気に好感を持ってくれ、距離が縮まるようになる。自分はこれが面白くて、機会あるごとにエジプト人に声をかけてみるが、効果覿面。みんな笑顔で挨拶を返してくれる。

このドアマンと、これからどこへ行くの?とか日本は寒いでしょ?とか話をして、通りに出る。いきなり”taxi?”と客引きの洗礼を受けるが、軽く無視。彼らに挨拶する必要はない。ハーリドブンワリードという、高級ホテルが立ち並ぶとおりで、ホテルのほか、土産物屋が並んでいる。通りを歩いていると「ニーハオ」とか「TAXI?」とか相変わらずよく声をかけられる。全て完全無視。通りの端っこまで行くと、ナイル川にぶち当たる。少し見てから、また引き返す。それにしても、通りにあまり人はいない。そして、太陽が一段ときつくなってきた気がする。ラマダーン中のうえ、この暑さだからあまり人は外に出ないのかもしれない。

こうして1時間くらいホテルの周辺をブラッとして部屋にまた無事、帰ることができた。

【ルクソールの街へ繰り出す】

部屋では相変わらずジャッキーがベッドの上でごろんとしていた。自分もさすがにすこし疲れたので横になり、ジャッキーとおしゃべりしながら30分くらい仮眠。17時に起きて、ジャッキーも起こす。夕方になれば涼しくなるとふんだので、この時刻を見計らって、外に出ることにしていたのだ。ぐずるジャッキーを追い立てて、ホテル出発。数時間前の暑さが嘘のように、もう歩きやすくなっている。

行く当ては特にないが、とりあえずルクソール神殿方面に向かうことにする。途中から、ナイル川が見える歩道に出る。太陽が沈んだばかりで、川が赤く染まってて美しい。沈む瞬間を見れればもっと美しかったんだろうな。この歩道に横付けされる形で大型の船が係留されている。さらに南のアスワンなどへ行く客船だという。2~3日かけて優雅な旅が楽しめるそうで。

ルクソールの街には馬車が無数に走っている。観光客向けの馬車で値段は完全交渉制。ガイドブックには5LE~無限大とかかれており、ガイドのなっちゃんにも馬車には乗らないほうがよい、といわれている。だから「キャレッジ?(馬車?)」と何度も声をかけられるも、こちらも完全無視。彼らもだめもとで声をかけているんだろうから、反応する必要もないだろう。そして、このお馬さんのせいで、少しくさいんだな、、街が。ジャッキーさんの鼻にはおきついようで、馬さえいなければ、と文句たらたら。

ルクソール神殿の右側に行くと広場になっている。さらに北側に進み、スーク通りというみやげ物やが立ち並ぶ通りへ。車一台分くらいの幅の歩道の両脇に、店がびっしり詰まっている。変な置物や薬を売っている店もあり、歩いていて楽しい。そして、ちょうど日没、ラマダンが終了し飲食が解禁されたところで、人々が食事を始めたところだった。歩道の通りに絨毯をしき、そこに直接座り、食べていた。家族や親類が集まっているのだろうか、10人前後がまとまっていて、そのグループがいくつか通りに存在していた。家の中に食卓はないのだろうか。

ラッキーなことに彼らは食事に夢中、面倒な勧誘がやわらぎ、快適に通りを歩くことができた。再び南下し、さきほどの広場へ。

ジャッキーさんと相談して、がんばってルクソール駅まで行き、さらに市内を歩くことに。実はもう今日がエジプト最後の夜、好きなように歩き回ってよいとジャッキーさんからお許しが出たのだ。

ムハッタという通りを抜けてルクソール駅へ出た。しかし人気はあまりなく、あまり大きくない建物が一つあるだけで明かりもあまりついてなかったので、中まで行くことはしなかった。列車の本数はそれほど多くないのかもしれない。駅を背に、マンシェーヤ通りを歩く。狭い通りだが、街灯がぽつぽつとあるので暗くはない。人も多く、通りに出てうろうろしている。何をしているのか聞いてみたくなる。日本ではこういう感じの通り、みたことないな。別に店というわけではないが、人が表に出て、何をするわけでもなく、そこにいる。このあたりは観光地というわけではなく、現地人ばかり。しかし危険は一切感じず、そのまま通り抜けることができた。

地図と格闘しながら、ホテルまで無事にたどり着くことができた。観光地を訪れるのももちろんいいが、こういう現地の人の生活臭漂う通りを歩くのもまた楽しい。ただ見ただけでは、彼らの生活を理解することはできないが。

【カルナック神殿へ、タクシーで】

夕食は昨日と同じく、ホテルの中のイタリアン料理へ。もうひとつ、レバノン料理の店もあったが、ジャッキーと相談してここは安全策をとることに。最高級ホテルのレストランで食事をしても、一人1000円くらいで収まるのだから、物価は安い。

そして、さらに最後の夜だから、とカルナック神殿の光と音のショーを観に行くことに。ホテルからはだいぶ離れているので、タクシーを拾うことに。流しを待てど、運悪くなかなか来ない。と、ジャッキーしびれをきらし、カルナックとは逆方向の反対側の道に渡り、外で客引きをしているタクシードライバーと交渉開始。いくらかと聞くと20LE。明らかに高い。ジャッキーさん15と粘るが、あちらもなかなか折れず20を固持。ここからがジャッキーの本領発揮、なんと近くにいたもう一人のタクシードライバーにも声をかけ、いくらでカルナックへ行ってくれるか、と交渉を開始してしまった。そのドライバー、やりとりを見ていたのだろう、最初は20といったが、すぐに15でOKし、交渉成立となった。二股をかけて交渉するとは、さすがですね、ジャッキーさん。タクシーに乗ったはいいが、最初交渉したドライバーと今のドライバーとが外で少しもめているようだった。「俺の客だったんだぞ」「今は俺のだ」と言っていたに違いない。

そのドライバーは、無事にカルナック神殿へ届けてくれた。15LEと、少しばかりのチップを渡し、下車。中の駐車場までは警察にとめられタクシーで入れなかったので、少し入り口まで歩く。ちょうど20:30からのショーに参加できた。昼にも訪れたが、夜は夜でライトアップされた列柱は幻想的で美しかった。真っ暗な空と、オレンジ色にライトアップされた柱のコントラストが印象的。フランス語の解説を聞きながら、歩いて回り、最後は池の近くの席に座り、さらにフランス語の解説。何を言っているのか分かるわけもなかったので、空をぼんやり見たり、神殿を見たりしてゆったり時間を過ごした。流れ星を一筋、見ることができたのはラッキー。

さて、ショーが終わると、やはり大概の人はツアーバスで来ているのでそちらに流れていく。自分たちは自力で帰らなければならない。タクシーがちょうど止まっていたので、聞いてみると客待ち中でだめだという。同じことをあと2台言われ、いよいよカルナック神殿をあとにして大通りに出ようとしていたところに、わき道からのそっと一台のタクシーが現れた。これを逃す手はない、とすかさず近寄り交渉開始。ホテルの人に書いてもらったアラビア語のホテルの名前を見せ、値段を聞くとやはり20LEだという。この1台しかないから20で折れてもよかったのだが、ぼったくられるのはあまり気分がよくないので15LEでいいか、と満面の笑みで一押ししたら、人がいいドライバーなのかあっさりOKしてもらえた。

やたらガソリンの匂いが車内に充満したタクシーに揺られてホテルに無事に着いた。やはり少しチップを含めて会計を済ませる。交渉どおりの値段しか請求されなかったのはおそらく運がよかったのだと思う。

【エジプト最後の夜】

さ、楽しかったエジプト旅行も今日が最後の夜。明日は飛行機に乗って帰国しなければならない。こういうとき、飛行機で寝れるようにするため、自分は最終日の夜はわざとあまり寝ないことにしている。寝不足にしておいたほうが、飛行機でよく眠れるからだ。よってジャッキーさんが寝てしまったあともぼんやりいすに座って、エジプトを回想しながら時間をやりすごし、2時頃に寝た。

【映画】キングダム

2007年10月14日 | Weblog
公開初日に観に行ってしまった。

サウジアラビアで起きた米国人を狙った自爆テロの捜査をするために4人のFBI捜査官が現地に乗り込む。与えられた期間はたったの5日間。解決に向け奔走する。

果たしてテロの問題の本質は何なんだろうか。宗教の違い?経済格差?

世の中が平和になるためにはどうすればいいのか?

”宗教の相互理解””貧富の格差の解消”は理想郷のごとく難しい話であり、たとえこれが実現できたとしても、また新しい問題が発生するのかもしれない。

イスラーム教徒の信仰の深さは、今年の夏にエジプトを旅行したときにまざまざと見せ付けられた。暑い中ラマダーンのもと飲食を断つ人々、モスクで真昼から礼拝を捧げる人々。日本人の感覚ではなかなか理解し得ない、一つの神を信じる行動。

しかし、ガイドブックのコラムに少し載っていただけだが、現在のイスラム原理主義は、現地でも受け入れられているものではなく、宗教の名を借りた一部の暴力集団に過ぎないのだと。

この映画のテロ組織の詳細は不明だが、やはりイスラム教の名の下、テロ行為を正当化し実行する。彼らが求めることはいったい何なのだろうか。イスラム教を全世界に広めることか。ただの金欲しさか。そもそも、無神教であり、経済的にも恵まれ平和ぼけした自分や多くの日本人がこの問題を考えるのは困難なように思える。しかし、それは自衛隊の派遣なども含め他人事ではなく、足りない頭でも必死に考え、平和を目指す精鋭部隊にならなければいけないんだな、とも痛切に感じる。

そして、映画のラストのキーワード。自分には衝撃的であったとともに、見事に現代のテロや戦争の本質を突いたものだと感じた。”負の連鎖”を断ち切るにはどうすれば。悲しみが悲しみを呼び、憎しみが憎しみを生む。それに気付くことなく繰り返されていく現実。第三者の冷静な視点が必要か。それならますます、部外者でいるわけにはいかず、積極的な関与が求められるのだろう・・・・

と、よく分からない感想になってしまったな・・・。

アッサラームアレイコム~エジプト旅行4日目~1

2007年10月13日 | Weblog
さあ、エジプト旅行も4日目。

【王家の谷へ】

ホテルのある東岸ではなく王家の谷は西岸にある。ナイル川をはさんでの東西だから、いったんナイル川を渡る。アフリカ大陸にあるのだから、と茶色でにごった川を想像していたが、実際は青々としていて川幅も広く日本の川みたいに悠々と流れていたのだった。この水を利用しているのだろう、農作物が作られており、緑の草も多い。砂漠で茶色の景色を想像していたが、これもまた外れてしまった。

王家の谷は新王国時代に作られた王の墓で、すべて地下に作られている。深いものだと200メートルを越すのだとか。

実際に最初にツタンカーメンの墓に入ってみる。入り口から階段を下りていくと、部屋があり、そこにたしかに棺おけが置かれていた。しかしそれ以外には何もなく、すぐに外にでる。この外は非常に暑く、まだ9時だというのに太陽ががんがんと大地を照りつける。帽子をかぶりサングラスを装着。こうでもしないと体を悪くしてしまいそうなので。

その他いくつか王様の墓に入ってみる。どの墓にも王の絵などのレリーフが施されており、きれいで見ていて楽しい。またヒエログリフの文字も書かれている。教科書で見たことあるが、色までついていたのは実際に見て初めて知った。こんなややこしい文字がずっと羅列されているが、どんな意味があるのかちょっと気になるところだ。

【ハトシェプスト女王葬祭殿】

次に訪れたのはハトシェプスト女王の葬祭殿。エジプト初の女王の葬祭殿だ。車を降りた駐車場から、それが数百メートル離れているのをみてジャッキーはすかさず「人間が歩く距離じゃない」と文句を言い始めた。「これくらいの距離、がんばって歩いてよ」と元気付けようとしたら、トロリーのような小さな乗り物が待っていた。これに乗ってらくらく移動。よかったね、ジャッキー。

この葬祭殿、3階建てで横に長い。背後には高い岩山が控えている。内部は損壊が激しく特に何も見るものはなかったが、後ろを振り返るとルクソールの平坦な大地が広がっており、いい景色が眺めれた。ジャッキーにこういうところに住んでみるのもいいかもね、とたずねると「そうか?」とあっさり否定・・・。

屋根のある休憩所で待っているガイドのなっちゃんと合流。「なにか飲んでいきますか」と聞かれたが、暑い中ラマダーンで何も飲めないなっちゃんを前に、冷たいものを飲むのは憚れたので遠慮しておいた。


【メムノンの巨像】

次に訪れたのはメムノンの巨像。アメンホテプ3世の座像で、青空の下、何もない所に突如、ぴょこっと建っている。10メートルないくらいの像だが、所々かけていて痛々しい。モアイ像もこんなもんなのかな、と考えながら後にした。

このあたりはあまり家もなく、人が少ない感じ。なんでもホテルのあった東岸は現実の世界で、西岸は現実ではなくあちらの世界、として昔はとらえられていたのだという。だから墓などはすべて西岸にある。

【カルナック神殿】

再び東岸にもどり、最後の観光地、カルナック神殿へ。昨夜のルクソール神殿と同じように列柱がある。こちらのほうが高く、23メートルはあるという。下から眺めると高さを実感でき、圧巻。さらに奥のほうへと行くと、王の部屋があった。暗い部屋になっているが、外とはドア一つなくつながっている。「ジャッキー王になるから写真撮って」と頼まれ、新たな王様誕生の瞬間をしっかり写真に収めてしまた。

【昼食】

ルクソールの中心部と思しきところを通って昼食のレストランへ。この中心部、ものすごく人が多く、活気があるが、やはりカイロと比べ物にならないくらい規模は小さい。そもそも高層のビルなどは一切なく、2~3階建ての建物がほとんど。そして、大きなバスが走っていない。走っているのは小さな バンのタイプのバスだけで、バス停は一つも設置されていないが、地元の人は慣れているのだろう、みんなうまく乗り込んでいる。

さて、昼食だが、冷房のない2階のオープンテラスみたいなところ。飲みもので水を頼んだら1.5リットルのペットボトルが出てきてびっくり。そして食事が出てくるが、最初はぱさぱさしたパンとよくわからない野菜がたくさん入ったスープが出される。ジャッキーさんの口にはあまりあわなかったようで、爆弾発言がとび出す。「みずが一番おいしい」と。食事を前に失礼でしょ、ジャッキー!とはいえなかったのはやはり、日本人の口にはあまり合わなかったから。

メインは魚料理だった。白身魚で味付けは日本では食べたことのないような感じだったが、まあまあ美味しかった。



アッサラームアレイコム~エジプト旅行3日目

2007年10月11日 | Weblog
さて、エジプト三日目。

【ホテル出発~リムジンハイヤーを交渉】

朝は7時に起床。またバイキング形式の簡単な朝食をとる。今日はルクソールへ移動する日だが、飛行機が夕方のため、14時ホテル出発ということになっている。それまで自由行動。そう、エジプトで自由行動。言葉も文化もよく分からない、エジプトで・・・と不安にかられながら、第一の関門、タクシーの手配にとりかかる。ロビーを歩いているとスタッフが気軽に声をかけてきて、何か用はないかと尋ねる。エジプトの観光地での物売りには昨日でうんざりしたので、思わず無視してしまうところだったが、ここは外国人相手の高級ホテル、まさかぼられることもないだろう、とこれからオールドカイロ地区へ観光しに行く旨を伝え、ここから車を手配してくれないか、と依頼。このホテルにはレンタカー会社でもあるハーツのリムジンハイヤーのカウンターがあるので、行きは安全策をとり、それに乗ろうとジャッキーと決めておいたのだ。

快く引き受けてくれ、さっそく外に連れて行かれ、リムジンハイヤーのドライバーらしき人に取り次いでくれた。オールドカイロまで行きたい、と告げると、「そこなら知っているよ」と、一安心な回答。しかし、「その後はどこへ行く?」と聞かれ、「地下鉄でタフリール広場へ行こうと思っている」と言うと、じゃあそこまでタクシーで行けばよい、といってくる。せっかくだからエジプトの地下鉄にも乗ってみたかったので断ると、その後も何回か「今日はラマダーン期間中で、移動手段が限られるからそのままリムジンをチャーターして観光すべきだ」みたいなことを言われそのたびに「just one-way, please」と断る。まさか、ここでも勧誘を受けるとは思わなかった。結局、片道のみで押し切り、値段を聞いてみると80LEだという。リムジンハイヤーでは相場らしいが、ちょっと高いな、と思ったので下げてくれない?と頼んでみるとあっさり70LEに下がった。

と、ちょうどその横に同じツアーの参加者の2人組みがいて、同じくリムジンを手配しているところだった。行く先を聞くとカイロ動物園だという。場所が同じなら便乗してやろうとおもったが、残念。しかもあちらは往復頼んだようだ。

ようやくこちらも交渉がまとまり、担当のドライバーも現れたので、出発できることに。なんかいきなり時間をくってしまった。車はトヨタ製だった。ドライバーは車を出すなり、英語で話しかけてきて、双方つたない英語で会話していると、どこからどうそういう話になったのか「日本では同性愛者が多いか?」とドライバーに聞かれ、「いや、それほど多くないと思う」などと答え・・・。初対面10分後の会話にしてはちょっと苦しい内容になってしまった。

その後も目的地のオールドカイロに着くまで、ちょいちょい話をしながらの車内。20分後くらいにオールドカイロに到着した。交渉した70LEをジャストで払うと、ごく自然にチップを要求され、適当に5LEを追加で渡しておいた。んー、やはりこのあたりは難しいな。しかもガイドブックによると、こちらは欧米でいう”チップ”ではなく、”バクシーシ”といわれるイスラーム独特のものらしい。

【バクシーシ】

もともとイスラームには”喜捨”、つまり金持ちが金のない人にお金や物を与えるという考えがあり、これがねじれたものがバクシーシ。喜捨は持つものが持たぬものに与える行為であるのに対し、バクシーシは持たぬものが持つものに積極的に要求するのだという。このバクシーシにより人間関係はよくなるようで、お金によって人間関係を保つ考えはイスラームでは決して不純なことではないらしい。

今回ドライバーから要求された真の意図はよく分からないが、やはりこのバクシーシに相当するものだろう。まあ安全運転してくれたし、車内では一生懸命会話をしてくれたし、受けたサービスに対してこちらからのちょっとした謝礼という意味ではひっかかることなく払うことができた。


【オールドカイロ】

タクシーを降りた場所がよく分からず現在地を把握するのに少し手間取ったが、地図と照らし合わせて確かにそこが目的地であるオールドカイロであることを確認。ここはカイロ発祥のちだけあって、エジプトの歴史を肌で感じるような雰囲気の街並み、とガイドブックに紹介されている。

特徴的なのはイスラム教の国、エジプトなのにギリシア正教会の修道院があること。聖ジョージ修道院という名前だが、中に入ってみると確かにステンドグラスあり、十字架あり、とヨーロッパで見るそれとなんら変わりはない。果たして、いまどの国へ来ているのか、と戸惑ってしまう感覚が不思議で面白い。

次に少し歩いてエジプト最古のイスラーム寺院を訪れる。真っ白い外壁の建物の周りを一周し、中に入ろうか迷っているところへちょうど外国人旅行者の団体が入っていったので、これはラッキーとばかりに混じって中に入ってみた。靴をカウンターで預け、絨毯が敷かれた床を歩く。中に何があるといったわけではないが、広い空間が広がっており、回廊の柱が美しい。白で統一されている感じで、静かな中にいると、気分が落ち着いてくる。教会のように、あからさまな宗教施設といった風ではなく、日本人でも抵抗なく足を踏み入れることができた。

靴を返してもらうときに寄付を求められたものの小さな紙幣がなく10LE紙幣を缶の中に入れる。マアッサラーマ、とエジプト語でさよならを告げてみるとそれにひとりが反応し、立ち上がって出口まで来た。アラビア語で何かをいい、なぜか手には紙幣が握られており、それを自分に差し出そうとしている。10LE紙幣の寄付のおつり・・・なわけもないだろうなあ、と思いわけが分からないので、断ってそのまま出てきた。受け取ったらどうなってたんだろう、そのまま寺院の人になるところだったのかな・・・。

【エジプトの地下鉄】

さて、オールドカイロ地区の観光を終え、次に目指すは昨日訪れた考古学博物館もあるカイロの中心部、タフリール広場。ここから地下鉄で4駅でいける。切符を有人の改札で購入。均一1LE、20円くらいだから非常に安い。自動改札に切符を通し、ホームへ。ちょうど行ってしまったばかりだったが、5分と待たずに次の地下鉄が来た。10両編成くらいはありそうで割りと長い。車内は込み合っており、座ることはできなかった。車内放送などあるはずもなく、必死に駅の数を数えて、4番目の駅を逃さないように注意する。

車内は込み合っているが、いすがあくと老人や女性に自然と席を譲るエジプト人が多いことに気付かされる。ガイドブックに載っていた通りでエジプトではごく当たり前の行動らしい。よって自分たちも2駅目で座ったが、3駅目で席を譲ることを忘れなかった。

4駅目でしっかり降りる。中心部とだけあって乗り降りが多いが・・・それを待つことなく扉を閉めて地下鉄出発。一部の扉では人が挟まれたままで、周りの人が必死にこじ開けていた。日本では一発でクレームものな光景が、日常となっているのだろう。

【命がけの横断】

さて、適当な階段を上がり、地上で現在位置を確認。大きな円形の広場になっており、そこから放射状に大きな道路がいくつか延びている。どこにいくという当てもないが、とりあえず大きな通りを歩いて街を散策しようと。しかし、その大きな通りは生憎、ちょうど正反対のところにある。いくつか道をわたってその通りを目指すが、歩行者優先という考えは毛頭ないようで、かまわず車が突っ込んでくる。信号もない上、3~4車線と広い道路なので、わたるのに一苦労。全車線すべてがあくまで待っていられないので手前の1~2車線あいた時点で少し進み、残りの車線もうまくタイミングを見計らってわたらなくてはならない。もたもたしているとクラクションを鳴らされるのですばやくわたる必要がある。最初は現地人の横をちょこちょこ着いていったが、そのうちなれて自分たちのタイミングでわたれるようになっていった。

【2人のエジプト人に】

タラアト・ハルブ通りという目抜き通りを歩く。外資系エアラインのマークが貼ってある旅行代理店のような店や、電化製品を置いてある店、ブティック店などが並んでいる。タラアト・ハルブ広場で地図を広げてどっちに行こうか考えていると、一人のエジプト人が地図を覗き込んできて「いまここだよ」と教えてくれた。カイロアメリカン大学で英語を専攻しているという若い男性は、この通りがこれ、ここを行くとここに出て・・・と親切に解説してくれる。さらに、ピラピッドは訪れた?などといくつか会話をして去っていった。物売りかと思ったら、普通に親切な
フレンドリーな学生であった。

そして、それから数分とたたないうちに今度は中年の男性に、あの銅像はなんだか知ってるか?とたずねられ、いや知らない、と答えると、また解説してくれた。そしていくつか会話をした後、この近くに自分のパピルスの土産物屋があるから見ていきなさい、という展開になったので、いや、いくところがあります、と断って別れた。おじさんは物売りだったか。

ってか、エジプト人はどんだけフレンドリーなんだ!短時間に2人に話しかけられる。ごく自然に。こんな国は初めてだが、とても楽しいじゃないか。

その後しばらく道をぶらっとあるいて、タフリール広場に戻りマクドナルドで昼食。外資系でごめんなさい。お腹は弱いので、なかなか食事をチャレンジすることができない。

【ホテルへタクシーで】

さて、自由行動最後の関門はホテルまでのタクシーをどうするか。通りには白と黒のパンダタクシーが無数に走っているが、どれもメーターはあってないようなもので交渉が必要。ぼったくりは必須。で、ガイドブックに載っている、メーター式の黄色いタクシーに乗ることにした。広場の脇にタクシースタンドがあり、簡単に捕まえることができた。車列の一番前の車にドライバーがいなかったので2台後ろのタクシードライバーに、ホテルの名刺を差し出して、ここへ行ってほしいと聞いてみる。助手席に座っている同僚と思しきタクシードライバーと少し相談したが、いいよ、とのこと。メーター式らしいが、相場より高い30LEをこちらから提示してOKしてもらった。出発するが、なぜか助手席の同僚のドライバーもそのまま乗っている。暇なのかな・・・とおもっていたら、途中の道路でおもむろに降りていってしまった。だからか、このドライバーがすぐに高速道路にのらなかったのは。昨日はすぐに高速乗ったのに、ずっと一般道を走っていったので、どうしてかな、と疑問に思っていたが。しかも途中で走りながら、同じく走っている隣の車に「メリディアンホテルはどこ?」と道を聞いている。道、知らないのかよ・・・。でも方向はあっていて、無事に着くことができた。メーターは18LEを表示していて、それで大丈夫そうだったが、最初こちらから30を提示してしまったのでそれを素直に支払う。いいの?みたいな顔をされたが、そのまま渡しておいた。

無事にホテルに戻れて一安心!でもジャッキーも大満足な楽しい自由行動であった。

【ルクソールへ】

カイロ空港からエジプト航空でルクソールへ飛ぶ。たった1時間のフライトであった。ルクソールに着いたのは夕方だったが、明らかにカイロより暑い。1時間といえども、まっすぐに南下したので、気温はだいぶ違うのかもしれない。


ホテルまで車で行くが、カイロと違い、大都会といった感じはしない。

【ルクソール神殿】

ガイドのなっちゃんのすすめで、明日暑い中観光するよりも、ということで、夜にルクソール神殿に行くことに。ライトアップされていて、きれいだった。なかでも20メートルはありそうな高く太い列柱は圧巻で、どうやってこれをつくったか不思議でならなかった。

【シュタインベルガーホテル】

ルクソールのホテルはシュタインベルガーというドイツ系(ジャッキー談)のホテル。最高級クラスのとても良いホテルで、すごく快適に過ごすことができた。ナイル川のほとりに建てられているが残念ながらナイルビューの部屋ではなかった。代わりに中庭が見える部屋でベランダから下の中庭を眺めることができる。噴水もあり、その噴水の音を聞きながらベランダのいすに座ってぼーっと過ごす時間もまた、非常に印象深いものとして心に残っている。



風邪

2007年10月09日 | Weblog
かなり久々に風邪をひいた。おそらく今年初めて。

この時期、夏の暑さから解放されて、秋の涼しい空気に触れると、どうも毎年暑かった夏の疲れが出て体調を悪くしてしまう。今年はその程度がひどかったようで、風邪に発展してしまった。

熱はさほどでもなかったが、とにかく体がだるかった。よって、これでもかというくらい寝てみた。一日20時間くらい。自分でもびっくりするくらい寝た。三日くらいしてやっと快復傾向。

昔はよく風邪をひいていた。2ヶ月に一回くらい。様々な免疫ができたのか、今はおかげで回数はめっきり減った。それでも警戒する癖は抜けず、今でも毎帰宅後はしっかり手洗いうがいをしないと落ち着けない・・・。