BUZ LIFE

毎度ご乗車ありがとうございます。

ミャンマーゲーム④

2017年11月27日 | Weblog

【帰る】

ついに帰国の日。5:00に起きて、5:30にロビーへ。フロントには誰もおらず、チェックアウトが出来ない。辺りを見渡すと、ロビーのソファーにスタッフが寝ていた。申し訳ないな、と思いつつも起こしてチェックアウトの手続きをしてもらう。驚いたことに、ソファーの後ろ側の床にもう一人スタッフが寝ており、その人も起きて私が泊まっていた部屋をチェックしに行き、問題ないか確認する。
無事チェックアウトが終了し、スタッフに空港までのタクシーを拾ってもらう。
入国した日は渋滞で1時間以上かかったが、早朝はさすがにすいており、30分かからず到着。
エアアジアのカウンターでチェックイン。預ける荷物はない旨申告すると、重さを測られる。明らかに規定の7キロをオーバーしていそうであったが、たまたまリュックの上が荷台からうまいことはみ出してくれ、ちょうど7キロの表示。カウンターの人に「オッケー」と言われ、そのままセキュリティ、出国審査。スムーズに進み、まだ食べていない朝食をとることに。
喫茶店は米ドル表示になっていたが、ミャンマーチャットも使えるとのこと。1種類ずつは記念に紙幣を持って帰りたかったから、それ以外の余ったチャットを差出し、トーストセットを注文。店員さんが優しく一緒に数えてくれた。のんびり朝陽を浴びつつ、優雅に出発を待ち、8:30定刻通りクアラルンプールに向けて出発。

クアラルンプールには12:50到着。14:40発羽田空港行きまで昼食をとり、時間をつぶす。30分前にゲートに着くと、既に搭乗が始まっていた。定刻通り出発するかな、と思ったが窓の外を見ると、なぜか機体からスーツケースを降ろしている。これから離陸のはずなのになぜ・・と思っていると、機内アナウンスで突如搭乗をキャンセルした人がいたために、その人の荷物を降ろしているという。迷惑な話だ。結局10分程度遅れて出発。
羽田空港まで約6時間30分、寝たり本を読んだり機内食を食べたり、あっという間。
着陸は22:37、定刻より7分遅れだった。

【走る】

明日から仕事であり、一刻も早く帰りたかったので、飛行機を降りてから頑張って走る。LCCだからか、やはりターミナルの端っこに駐機されてしまい、大分長い距離を走ったが、入国審査・税関共に空いており、すんなり通過。YCAT行き乗り場に走りこんで出発したのは23時ちょうど。着陸してから23分でバスに乗れたのは最速記録であった。
国内線ターミナルを経由し、湾岸線にて一路横浜へ。と思ったら、鶴見つばさ橋が車線規制で渋滞気味だというので、1号横羽線へ迂回するとの車内放送。珍しいことがあるもんだ。それでも23:50にはYCAT到着、無事に家へ帰ることができた。

4日間での弾丸ミャンマー旅行。バスを観る、バスに乗る、という主目的はおおむね果たせた。また、道中たくさんのミャンマー人に助けられ、当初印象通りとても優しくおおらかな国だと実感。物価も安く、そこまで暑くもなかったため、快適に過ごせた。同時に、これまで以上に、なんだかいろいろ考えさせられた旅行でもあった。本当はもっと長くいたかったけど、また今度訪れることにしよう。

ミャンマーゲーム③

2017年11月26日 | Weblog

【騙す】

ヤンゴン3日目。今朝もホテルで朝食、6:30開始時刻ジャストに行くと、昨日よりも準備の状況が芳しくなく、麺類が1種類あるのみ。今日は出発時間が迫っており、出てくる料理を待てないため、仕方なくこれだけで朝食を済ませる。のんびりした国なんだな、と改めて実感。
ヤンゴン中央駅まで歩いて約30分弱、7:30すぎに着いた。8:00発のバゴー方面行き電車に乗る。10分ほど前に入線してきて、電車に乗り込む。出発時間は一応正確、とガイドブックに書かれていたが、結局10分遅れで出発した。普通車両なので、木製の椅子のボックスシート。進行方向窓側だったからまだマシか。冷房はなく、窓(ついでにドアも)を開け放し進んでいく。てほぼ満席の車内で、ぼやっと外の景色をみて過ごす。そこまでスピードは出ていないが、路面が悪いためかガタンゴトンと頑張って走っていることはよく伝わる。ところどころ、パヤー(仏塔)が見えるのが何ともミャンマーらしい。途中駅に止まると、物売りの人がダダダ、っと乗り込んできていろいろ叫んでは降りていく。

到着予定時刻は10時だが、9:50頃に電車は減速し、駅に着く雰囲気。困ったことに、車内放送や車内表示はなく、さらには駅に表示もない。仕方なく窓から顔をだし、何か表示がないか探す。と、線路脇の小屋にスプレーで「Bago」と落書きのような表示。本当に単なる落書きだったら困るので、目の前のお兄さんに「Bago?」と聞くと、そうだと言う。一日の本数が数本しかなく、ミスは許されないので、念のためにホームにいた人にも「Bago?」と聞くとやはり正解。電車を降りるのも一苦労である。

駅舎を出ると、ガイドブックの情報通り雑多な雰囲気。早速バイクタクシーのおじさんに絡まれる。いつものように目を合わさず無視をし続けても、なおもずっと一緒についてくる。この電車から降りてきた外国人は自分ともう一組くらいで、商売相手が限られているからだろう。ヤンゴンまでのバスチケットを先に手配するため、それを扱っているという喫茶店に入ると、そこら辺からピックアップトラックがたくさん出ているから、それに乗れという。「いや、大きなバスに乗りたいのだ」と主張すると、2キロほど離れたバスステーションに直接行けという。んー、ここはガイドブックとは少し内容が違うが、仕方ない。後で行ってみるか。さて、これからどうしよう、と思う私の隣には、まだバイクタクシーのおじさん。喫茶店でのやりとりも全部聞いていたのだ。
実際、Bagoの観光地は少し離れていて、足が必要であるため、とりあえず値段を聞いてみると「up to you」との返答。これが一番怖い、と思い、とりあえず観光地を1か所だけ回りたい、あとはバスステーションへ、それで4,000チャット(350円くらい)でどうだ、というと交渉成立。気づいてみると、私はバイクに人生で初めて乗ったかもしれない。しかもノーヘルで。10分ほどでシュエモードーパヤーへ行く。昨日訪れたヤンゴンのシュエダゴンパヤーよりも高いというが、確かに立派なパヤーであった。

バイクタクシーのおじさんは入口で待っていてくれたが、せっかくだからほかの観光地も見て行けという。ここで買ったチケットは共通券になっており、13時にバスステーションに行くにはまだ早いから、と。じゃあ、プラス2,000チャットだすから、そうしてくれ、というと「任せておけ」。
予定外であったが、チャカッワイン僧院、シュエダーノヤワン寝仏、マハーゼディパヤー、チャイプーンパヤーを見て回る。一応各地でさっとした案内をしてくれるし、写真も撮ってくれるし、頼れるバイクタクシーであった。

そして、道端に神奈中バスが止まっていたので、「これこれ、自分の街を走っていたから、止めてくれ」とお願いし、写真を撮る。その後、江ノ電バスもいたので、「これもか?」ときちんと停車してくれる。ほかのバスはスルーしていたので、おそらく神奈中と江ノ電を混同したのだろう。たしかにオレンジ系で似ているので、ミャンマー人に見分けろ、と言うのは酷かもしれない。まあ同じ小田急グループだし、あながち間違いではない。それに江ノ電の5Eの車両も、私にはやはり魅力的であった。

さて、観光も終わり、バスステーションに向かうはずだったが、なんだか様子がおかしい。逆側を走るマイクロバスを止めようとする。止めることはできなかったが、途中の路上で降ろされてしまう。「バスステーションへ」と言っても、ここから乗れという。隣にはマイクロバスが止まっていて、ヤンゴン行きらしい。「(さっきの喫茶店で何を聞いていた)私は大きなバスに乗りたいんだ」と言っても聞かない。まあ、仕方ないか、と思い、精算しようとすると、「20,000チャット(約1,900円)」だという。ん?ここまでの話だと、up to you⇒4,000⇒+2,000して6,000のはずだが、と抗議すると、4,000×5か所の観光地で20,000だという。いや、聞いておらんがな。勝手に観光しようといったのはお前だろう、と払うのをためらったが、あちらも譲らない。これだから絡んでくる奴は嫌なんだよな・・・と思いながらも、まあ親切にいろんなところへ連れて行ってくれたし、そこまで損しているわけではないし、と思い渋々払うことに。後程ガイドブックで相場を再度調べると、バイクタクシー10,000チャット~となっていたから、法外な値段でもなかったのかもしれない。

ミニバスに乗り込み、集金されたのは1,000チャット。85円でヤンゴンへ戻ることに。ヤンゴンといっても、本当の行き先は本来バスステーションから”大きなバス”で着く予定であったアウンミンガラーバスステーション。このミニバスはそこには行かず、乗換が必要だと最初に案内されていた。1時間ほど走ったところで車掌に前の席に移動させられる。そして大きな交差点で信号待ちしている際に、ここで降りろ、と。え、ここが乗換ポイント?と思っていると、その車掌がきちんとバイクタクシーを呼び寄せていてくれていた。そこから約5分でアウンミンガラーに着くことができた。

【愛す】

昨日のダゴンに続いてのバスステーション。ここにもたくさんのバスが集まっていた。ヨーロッパのSCANIAや韓国、中国の車両に交じって、日本の中古車。やはり塗装はそのままで、JRバス東北や三重交通、川崎鶴見臨港バス、東京空港交通など。ずらーっと100台以上が一堂に会しており、ついに私は楽園に来たのだな、と。1台1台ゆっくりと眺めていく。羽後交通の車両もいて、まじまじと見つめていると、トランクルームで休んでいたおじさんが、これは日本のバスであっちが中国、韓国、と教えてくれる。やはり日本のバスはよく走るのか?と聞いてみると、ドライバーはどこかで寝ている、と。お前は一体何者だったんだ・・・。このバスのほかにもトランクルームを開けて何人かが休んでいたりする。車掌とかバス事務所の人とかなのだろう。
一通り見終えて、ヤンゴン中心地・スーレーに戻ることに。本当はバスで戻りたかったが、なかなかやってこないので、スーレーと叫ぶ女性のいるミニバンに乗ることに。この女性は車掌で、出発すると停留所ごとに「スーレー」と叫び、乗客を呼び込んでいく。一生懸命叫ぶその姿が、なぜかとても魅力的に私には映った。少し停留所の間隔があくと、おもむろにハリボーみたいなものを食べたりする。停留所に近づくと、また「スーレー」。誰も乗らなかったときはなんとなくさびしそうに「スーレー」と声が小さくなるのがまた愛おしい。もう少しで好きになってしまうところであったな。
1時間ほどでスーレーに到着し、いったんホテルへ。

【泣く】

ホテルを再度出て、スーレー近くで夕食。大通りに面しており、道を行き交うバスを眺めることができた。食後、ふーっと一息ついていると、私の目に飛び込んできたのは神奈中の空港リムジンバス。バスステーションではずっと20~30年ほど前の車両を観てきたが、この空港リムジンは中古としてはまだ新しい方。そして、私も直近同じような車両に乗っており、それがここミャンマーで目の当たりにしたことに、とても感動し、心から涙した。ここまでもとても印象深い旅だったが、まさかハイライトがここで来るとは。あわてて会計し、通りに飛び出してみたが、もうどこかへ走り去り、その姿をもう一度見ることはなかった。

夕食後、いろんなミャンマーを観ておきたいと思い、エンペラーという怪しげな店へ。入場料8,000チャットを払い、キャバクラみたいな空間へ足を踏み入れる。中にはミャンマーの若い女性がたくさんいて、男性客をめがけて営業をしかけて来る。私のところにも当然やってくるが、「No」の一点張り。ネット情報では、1万円前後で外へ一緒に出てあれやこれや、という話らしいが、今回の旅の目的はあくまでバスであり、余計な思い出は持って帰りたくないと思い、1時間ほどで店を後にした。確かにかわいい人が多く、楽しい時間が過ごせたんだろうな、とも思ったが、ミャンマー最後の夜は、昨夜も訪れたSakuraTowerのルーフトップバーで終わらせることに。今夜はモヒートを飲みながら、パヤーを眺められるミャンマーならではの景色をじっくり味わい、ホテルへ戻った。

そうだったか、やはり。

2017年11月24日 | Weblog

児童虐待が、しばし話題として取り上げられる昨今。
当然、育児放棄や暴力はその範疇であることは誰もが知っている。

しかし、夫婦喧嘩、もその一つであるという。

だとしたら、だ。私は生まれて物心ついた時から虐待を受けていたことになる。しかも、相当ひどく、長い間。

たまに、とても両親が仲良くないことをさらっと話してしまうことがあるが、その度に「よく性格が曲がらなかったね」と真顔で言われてきた。
いや、曲っているのだけど、必死で隠しているんだ。なるべく、そう、本当の自分を出さないように。
なかなか本性を出さないね、と言われるが、やはりそれは簡単なことではない。

自分を出していいはずの家庭が、私には安穏の場所ではなく、とても居心地の悪い空間であった。
自然とそんな状況に蓋をしようとして、自分を出さないように癖がついてきたのかもしれない。

だから、本当の自分さえ、よく理解できていない。

だから、アイデンティティをテーマに扱う現代文の授業は本当に興味深かった。自己と他者、他人がいるから自分を認識する。その自分を特徴づけるものは何か。他人からどう見られているか。

別に不幸だとは思っていないんだ。でも、自分が見つかって、その自分をありのままに出せる空間が、欲しいなって思う、時がなくはない。。

ミャンマーゲーム②

2017年11月23日 | Weblog

【買う】

ミャンマー・ヤンゴン2日目。ホテルでの朝食は6:30~。開始時刻とともに行くと、まだ準備中でトーストくらいしか置かれていない。徐々に係員が並べ始め、その都度食事をとりに行く。日本であればクレーム状態だろうが、ここで文句を言う人は誰もいない。
7:30すぎにホテルを出発し、ぶらりと歩いてヤンゴン中央駅近くにある外国人専用の電車チケットカウンターへ。屋根で覆われた薄暗い中、カウンターがずらーっと20列くらい並んでいる。外国人用の割に、ビルマ語のミミズのような字しか書かれておらず、どこに並べばいいか全くわからない。悩んでいても仕方ないので、適当に尋ねてみると、隣のカウンターで発券してくれると言う。パゴーというヤンゴンから北東方面へ2時間ほどの小さな町まで、示された料金は600チャット。日本円に換算すると約51円。アッパークラスにしても100円という格安。さすがに驚いた。乗車するのは明日なので、駅の場所を確認してから、カウンターを立ち去る。「よい旅を」とカウンターのおじさんは見送ってくれた。

【制す】

続いて、スーレー・パヤーという、街の中心部にある仏塔近くから、バスに乗る。今回の旅では、この「スーレー」という単語を何度も発し、また耳にすることになる。向かう先は「ダゴン・ハイウェイ・バスステーション」。ガイドブックによれば61系統に乗れば着くという。バス停に着くと、ちょうど61系統がやってきた。ドライバーに「ダゴン!」と叫ぶ。最初は通じなかったが、何度か「ダゴン!」というと、車内に招き入れてくれた。200チャット、約18円を前払いにて支払う。車両は韓国の中古車。この中古車をドライバーは巧みに操り、ものすごい勢いでヤンゴン市内を進んでいく。バス停に止まって出発する際には、まずはバスを発進させておき、ふとした瞬間にドアを閉める。完全に順序が逆。前を走る61系統を途中で追い抜いてしまった。かと思えば、途中バス停でしばし停車し、その61系統を先に行かせたりする。まさか、ダイヤ運行しているわけでもあるまいし、どのような基準での走行かは全く分からなかった。
あいにく、ダゴンの場所はガイドブックから切れてしまっており、場所が分からない。大きな川を渡った先、というくらいしかヒントはない。当然車内放送もなければ、車内表示、バス停の表示はない。きっと、ダゴンに近づけば高速バスっぽい車両がいっぱいいるだろう、と思い辺りを注意深く観ておく。正直とても不安で、そろそろかな、と思いそわそわしだすと、通路を挟んだ隣のおじさんが、「まあ待て」と言わんばかりに手で制してくる。乗車時、何度も叫んでおいたおかげで、私がダゴンの人と認識されているようだ。きちんとダゴンに着くとこのおじさんが親切に教えてくれた。ドライバー氏も、あそこがバスステーションだよ、と。ガイドブックに書いてある通り、ミャンマーでは皆優しく行き先を教えてくれる。ありがとう、と言いながら、無事にバスを降りることができた。それにしても、スーレーから1:40、大分遠いところまで来てしまった。

【曲る】
期待通りであった。多くのバスが集まり、多くの物が売られ、多くの人でにぎわう。まさにアジアのバスターミナルという感じ。さらには、日本の中古車。今回の旅のハイライトである。いるわいるわで、韓国の中古車に混ざり、日本の中古車も多数。それも相当な経年車。30年以上前と思しき車両が、ものすごいエンジン音で駆け抜けていく。カラーがそのままの状態の車両も多く、静鉄や東急の車両とわかる。しかし、なぜか相鉄の最近の空港リムジンカラーに塗り替えられた車両がおり、いったいどこで情報を得たんだろう、と不思議でたまらない。バスターミナルの中、バスだらけで、発着も多く本当に目まぐるしい。そしてついに、一番見たかった神奈中に出会うことに。ちょうどどこからか、到着してきた。多くの乗客を降ろすその雄姿に感動。神奈中の特徴である長く伸びた前バンパー、はどこかでぶつけたのか、大きくひん曲がってしまっていた。これも長く元気に走ってきた勲章だろう。いや、ここまで来た甲斐があったと心底思った。
出会うものに出会えたので、スーレーに戻ることに。もう2時間以上経ってしまっていた。帰りも61系統に乗れば戻れるはず・・・とバス停で待つもいつまで経ってもやってこない。逆側のスーレーからの61系統もパタリと見かけなくなった。ひょっとして朝だけの運行なのだろうか。近くの男性に、「スーレーに行きたいのだが」と訴えると、やはりバスはないという。ガビーン。そうすると、さっきのバスターミナルに戻り、やたらと客引きしていたタクシーの乗客にならなきゃいけないのか、とがっかりしながらふらふらと歩き始めると、その男性が流しのタクシーを止めてくれ、これに乗れという。やはりミャンマーの人は本当に親切だ。ヤンゴンのタクシーはメーターが一切ないから事前交渉がマストだが、その交渉までやってくれていた。しかもガイドブックに記載のあった最安値。ありがたい限り。いつかお礼をしないと、と思いながら、無事にスーレーへ向かうことに。1時間で着いた。

【祈る】
スーレー近くで昼食をとり、ヤンゴン市内最大の見どころであるシュエダゴンパヤーを観にいく。スーレーから歩いて約40分。遠目からでもはっきりと、その黄金に輝くパヤーを観ることができた。中に入ると、小さなパヤーもいくつかあり、地元の人が熱心にお祈りしている。近くにいた人からどこから来たのか、と聞かれたので「Japan」と答えると、「Oh,Okinawa」との返答。まあ、それもそうだけど、very far だしanother islandだね、と。私は横浜からなのだ。
観光後、近くにいた流しのタクシーを捕まえ、いったんホテルへ。

【疑う】
一休みし、19時頃に再びホテルを出る。中心部のスーレーまでは歩くと20分くらいかかるので、自転車の横にイスを付けた「サイカー」に乗ることに。車に交じり、車道を悠々と走り抜ける。風が気持ちよく、隣でこぐおじさんの動作や道から伝わる振動がとても新鮮で楽しかった。
スーレーから歩いてナイトマーケットをのぞいたり、BBQストリートと呼ばれる飲食店が立ち並ぶ通りで夕食をとったり。ナイトマーケットでは、アジアらしくイナゴかなんかの虫が売られていた。そしてたこ焼きも。店のおばちゃんが慣れた手つきでひっくり返すのを思わずじっと見ていると、にっこり微笑みかけてくれた。私も高校の文化祭模擬店でたこ焼きを焼いていたことがあり、国を超えて相互理解が成立したことに少なからず私は喜びを感じた。
スーレー近くに戻り、SakuraTowerの屋上のルーフトップバーへ。ここでミャンマービールをのみながら、ヤンゴンの景色を屋上からゆっくりと眺める。昼間訪れたシュエダゴンパヤーがライトアップされ黄金に輝いている。まさにヤンゴンならではの景色である。夜風に吹かれながら、ぼやーっと過ごす時間はとても価値あるもののように感じる。
しかしだ。ここに着くまでに、道端で小さな子供を抱きながら、寄付を求める女性が一人ではなかった。確かに、渡せる金はあるが、私はそうはしなかった。当然、この親子の行く末がとても心配である。だからといって、私が紙幣を何枚か渡したからと言って、未来が切り開けるのか。いや、その紙幣の枚数を増やせば、あるいはそうなるのかもしれない。でも、今日歩いた道はほんの一部で、このような親子はほかにもたくさんいる・・・。私には、こういった状況を解決する術はなく、とても「無力である」と感じた。そして、その親子を心配した私は自分を「偽善者ではないか」と懐疑した。どうせ何もできないのであれば、いっそ何も感じなければいいのではないか。解決はしないし、できない、だけど心配はした、だから許されるだろう・・・いや、本当に一体、このような現実をどう受け止めればいいのだろうか。
ホテルに戻ると23時頃であった。今夜は停電はせず、静かに眠りについた。




ミャンマーゲーム①

2017年11月21日 | Weblog

【焼く】
よりによって、なぜ会社の飲み会が水道橋なのだろうか。明日から休みだから、積極的に肉を焼く。隙間から牛タンを落としてしまったとしても、今日はご容赦。
一足先に21:30過ぎたあたりで店を出て、秋葉原、浜松町経由で羽田空港へ。普段はYCATからバス1本で羽田空港だから、余計に面倒であった。

【寝る】

さっと、トイレでスーツから普段着に着替える。女子高生顔負けの早さ。羽田空港23:45発エアアジアD7-523便は定刻通り出発。日常から非日常までのこの急展開が毎回たまらない。翌朝クアラルンプール現地時間6:00到着までの7時間、さすがにLCCで快適なシートではないので何度ももぞもぞしながら、それでもほとんど寝てやり過ごす。

【出る】

次の出発は17:20と、10時間以上の乗り継ぎ。さすがに空港内にいたのでは飽きそうだったので、一度出国。KLEXPRESSで、プトラジャヤ駅まで約20分。目指すは、世界でも稀なピンク色のモスク。ガイドブックを持ち合わせておらず、どのバスに乗ればいいのか分からなかったが、L15系統だと、適当に尋ねたバスドライバーは教えてくれた。乗車時ドライバーにも確認し、乗るバスは間違っていないことは確信。しかし、いったいどこで降りていいか分からず、隣にいたおじさんにピンクモスクの写真をみせて、降りる場所を教えてくれ、と。あまり英語が通じず、結局違うところで降りてしまったが、30分くらい歩いてなんとか到着。
本当は休館日のようだったが、あっさり中に入れてくれた。ピンクモスクは壮大で、青空の下でより一層存在感を発揮していた。
戻りの駅行きバスがなかなか来なさそうだったので、タクシーを拾う。なぜか助手席に女性の先客がいたが、この人も含めしばし会話。どうやらドライバーとともにみんな同じ32歳らしい。結婚しているか?と聞かれ、探しているんだけどね、と。いや、結婚してたら一人でこんなところ来ていないでしょう。親切に駅まで送り届けてくれ、二人は仲良くどこかへ去って行った。っていうか二人はカップルだったのかも。
プトラジャヤから、クアラルンプール中心部までバスで移動。1時間約120円。ここで、Metrobusという、車掌が乗り込んでいる古い車両に乗りたかったが、なぜか1台も見当たらない。以前訪れた時には、何台も見かけたのに。会社ごと、つぶれてしまったのだろうか。当時、「CentralMarket!」と叫ぶ私を優しくバスの車内へと導いてくれたあの車掌は、どこへ行ってしまったのだろうか。仕方なく、そこら辺をぶらぶらして、空港へ戻る。

【入る】

17:20発エアアジアは定刻通り出発し、ミャンマーはヤンゴン国際空港に18:30ころ到着。入国審査、税関を難なく通過。30分かからなかった。ここからホテルまで、ピックアップトラックにて大通りへ出て路線バスに乗り換えようと思ったが、ピックアップは来ない、と近くの警備員に教えられる。夜遅いからだろうか。仕方なく、空港内のタクシースタンドでホテルまでのタクシーを調達。ものすごい飛ばしながら、ホテルへ無事到着。
夕食のため、ホテルを出てガイドブックに載っていた麺屋に行こうと思ったらなぜかつぶれており、雨も降っていて遠出は出来なさそうだったので、仕方なくホテル近くのタイ料理屋に入り、夕食。あたりは暗いし、テンションダダ下がり。
既に22時を過ぎていたため、大人しくホテルへ戻る。テレビをボケッと観ていると、何度か停電に見舞われ、さっさと就寝することにした。

調子がよい。

2017年11月12日 | Weblog

調子がよい後の落ち込みは、一層きつい。

名古屋へは先月から1か月もしないうちに訪問。
東京駅11:30発の新東名スーパーライナーは途中横浜町田付近の渋滞等により名古屋駅には30分ほど遅延し17:00頃到着。

帰りは0:05発の新高速・青木バスによるあおぞらライナー。週末にのみ運行されている実質23:55発の続行便みたいなもの。
三重県内発便であり、23:55発は10分前に入線も、0:05発は0時過ぎてもやってこない。先に0:15発の杉崎高速バスが入線した後にぎりぎりやってきた。
しかし、乗務員は1人。おや、2人乗務のはずだがおかしいな、と思ったが、その答えは乗客が全員乗り込んだ後に明かされた。

乗務員によれば、名古屋駅手前で乗用車にぶつけられたが、警察到着まで時間があるため、1人乗務員を残し先に名古屋駅で乗車扱いをし、これから事故現場に向かうとのこと。なるほど、だから乗務員1人だし、ぎりぎりでの入線となったのか。
目立った外傷はないため、おそらく軽い接触だったのだろう。
実際、すぐに高速には乗らず、事故現場へ向かう。警察は到着しており、15分ほど止まったのち運行再開となった。
これでバスの事故は人生で3回目。やはり乗る回数が多い分、他の人より遭遇する回数も多い気がする。
定刻より40分前後遅れての出発となったはずだが、横浜YCAT到着は5:15と15分の早着。途中それほど飛ばした風ではなかったが、見事な回復である。
それにしても、せっかく伊勢からの出発も乗客の9割以上が名古屋駅から、というのも何となく悲しい。会社ホームページを見てみると名古屋・伊勢間の区間乗車も扱っているようで、普段からこのような状態なのだろう。一方で、先に入線した杉崎高速にも20名超の乗客が集まっており、名古屋・首都圏の需要は旺盛のよう。

ああ、名古屋滞在7時間の価値とはいったい。
手土産を調達した価値とはいったい。
なめられたもんだな。いろいろ。いっそ夜通し踊り明かし度。
終了案件。

福山~大三島~松山~宇和島~宿毛~高知~徳島バス乗り継ぎ

2017年11月05日 | Weblog

広島方面の夜行バスは、軒並み東京エリアの出発時間が20時~21時台と、月初の繁忙期では間に合わないリスクが高かったため、岡山行きを選択。
京浜吉備ドリーム号はYCAT22:40発だから、仕事終わりでも余裕。新高速とは違い、直接乗り場に行ける分、事前の集合時間が省け、利便性は高い。22:30すぎに乗り場に行くとすでに入線済み、改札中であった。
10数年前と変わらぬ乗り場スタッフに見送られながら、定刻通り出発。
翌朝7:20には岡山駅、到着も定刻通りであった。ちょうど首都圏を出てきた小田急や東北急行バス等も到着しており、関西方面の昼行出発便と併せ、乗り場には数多くのバスでにぎわっていた。

ここから福山までは普通電車で約1時間。バス車内で熟睡しており、まったく眠くない。早く着かないかなーっとLINEをしながらやり過ごす。

福山駅には9時頃到着。10時発の今治行きまでゆっくり朝食でも、と思いながらふとバスロータリーに目をやると、我が目を疑った。富士重工日産ディーゼルの5E車両が止まっているではないか。まさかのまさか。鞆鉄道、古い車両をたくさん走らせているのは周知の事実であるも、こんな車両を走らせているなんて。地元を走っていたのは20年以上も前だろうか。
予定では10時発今治行き。しかし、目の前の5E、ここで乗らないとおそらく一生乗れない。しかししかし、くるくる回って出てきた方向幕の行き先は「常石」。これが「鞆の浦」、とかであれば観光地路線で20分間隔、飛び乗っても折り返し福山駅まで戻ることは難しくない。一方の常石は1日数本のローカル路線であり、一体どこへ行くか皆目見当つかず。しかししかししかし、一生の後悔はできない。文明の利器、Googleを駆使したところ、途中バス停「瀬戸川住宅」までであれば、別系統の折り返しで駅まで戻ってこれそう。
予定変更。9:25発の常石行き乗客の仲間入り。うわ、床が木だし、走り始めたこの力強い高音のエンジン・・・自分が小学生の時に乗っていたあの頃と何にも変わっていない!感動。非常に感動。ああ、感動。泣けるくらい。坂道もなんのその、経年車であることはまったく感じさせない。すごい。瀬戸川住宅までの20分間、夢でも見ているかのような素晴らしい時間であった。途中下車しないといけないのが心苦しい。走り去る後ろ姿をみて、今この世の終わりが来ても、私は素直に受け入れられる、と真に思えてしまった。本来であれば予備車的な扱いだろう。本数の少ない祝日ダイヤで運行されていたのは、奇跡に近い。出会えたこの奇跡に心の底から感謝した。

折り返し福山まで戻り、1本遅らせ11:05発の今治行きに乗車。30名以上の乗客を吸い込んだせとうちバスは定刻通りに出発、しまなみ海道を順調に走っていく。快晴で景色が素晴らしく、穏やかな瀬戸内海を堪能。瀬戸の花嫁、が自然と頭の中を流れる。今治までは乗らず、12時過ぎに途中大三島バスストップで途中下車。

10分経たず、次の12:12発松山市行きせとうちバスがやってきた。各島に寄りながら、今治を経由して松山市内へ。今治からは山道を丁寧に走っていく。これまた終点までは乗らず、14:10、途中の道後温泉で下車。
道後温泉には目もくれず、少し歩いて宇和島自動車の待合所へ。

トイレに寄って、14:30に宇和島経由城辺行きバスに乗車。予め運転手に城辺まで乗り通すことを伝え、3:30も乗車する変な客がいることを知っておいてもらう。「30分遅れることはないから、宿毛行きには乗り継げるはず」と運転士。実際、宇和島は5分遅れでの到着。松山市内は交通量が多く、途中10分遅れとの案内があったが巻き返した。今どきでは珍しく、道をふさぐ一般車にクラクションでどかし、高速道路上では追い越し車線を快走、接客はこれが神奈中であれば即本社へメールで苦情行きのレベル、すさまじかった。私には優しく「5分遅れですみました」と言い残しどこかへ去って行った。

交替した運転士とともに16:45定刻に宇和島を出発、途中学生を乗せながら城辺へ。終点の城辺はまだ18時だというのに人がほとんど歩いておらず、こんなところで生活するってどういうことになるんだろう、と普段のアーバンライフからはかけ離れた生活は想像を絶っした世界であった。一か所だけ明るい場所が。煌々と光る灯篭が、階段を照らしている。おや、何だろうと思って登って行ったら神社であった。

18:36、城辺から宿毛行き最終便が宇和島からやってきた。宿毛は高知県であるが、愛媛県宇和島から県をまたがる一般路線は珍しい。今回の旅行のハイライトの一つである。と言っても、毎日運行されている路線、いつ県を超えたか全くわからないまま、19:07無事に宿毛駅に到着した。

宿毛駅周辺はコンビニやドラッグストア、飲食店が少しあり、先ほどの城辺とは違い少しは開けた街。しかし夜に主だった見どころはなく、20:30発大阪行き近鉄バスを見送った後はすぐにホテルに入り23時には就寝。

翌朝は5:10に起きて5:40にはチェックアウト。本日の第一走者は宿毛駅6:10発高知駅行き。この路線を知ったことが、今回の旅行のきっかけであった。県内を4時間以上、しかもそのほとんどを一般道で駆け抜ける路線。さらには夜行便でも対応可能な3列シート車で。うーん、乗ってみるしかないかな、と。宿毛と言えば、そういえば宇和島から路線が伸びていた。宇和島と言えば松山から宇和島自動車。松山と言えば大三島行きせとうちバス三菱SHD…という具合に私の頭の中ですべてが一本につながり、福山からのバス旅が始まったわけなのだ。
乗車券を渡すと、しゃがみこんでバスのヘッドライトで内容を確認する運転士。まだ日の出前であたりは暗い。「中村までは一人ですよ」と教えてくれた。2時間、3列シートのバスを独り占め。中村エリアで4名の追加客があったが、わずか5名で高知駅へ向かうことに。トイレがあるバス停に着くごとに「大丈夫?」と声をかけてくれた運転士は途中で交替し、別の運転士が高知駅まで案内してくれた。

高知駅には定刻通り10:35着。16時発の徳島行きバスまではまだ時間があるが、全く予定はなし。さてどうしようか、と考えるまでもなく、私の目はすでにロータリーに停車中の高知駅前観光バスの車両を追っていた。これまたまさか、まだこんな車両を使っていたのか。数年前高知を訪れた際に空港で観たものの、もう帰りの時間で乗れなかった車両。あまりにも恨めしそうに見ていたのがばれたか、近くにいた運転士が「ディーゼルエンジンだから、まだまだ走るよ」と教えてくれたのが現実となって今日という日を迎えたのだ。まだ空港線リムジンとして使われていたので、飛行機には乗らないが、空港に行くことに。高速道路も元気にしっかり走り、確かに「まだまだ」走りそうである。
ちょうど出発も到着もない空港は閑散としており、すぐに市内へ引き返す。はりまや橋で下車し、近くのこココイチでカレーを食べ、ぎりぎり桂浜行きバスに飛び乗る。
一応観光をしておこうと思って。という気持ちもあったが、狙いは観光周遊バス「MY遊バス」やはりいた、桂浜に。14:30発の日野レインボー、これまた床が木の古い車両。この旅、ラッキーすぎる。地元神奈中ではこの車種は走っていなかったので懐かしさは感じさせないものの、擦り切れた固い椅子に揺られながら高知駅までの1時間はあっという間であった。

16時発の徳島行きはすでにロータリーに待機しており、定刻通り出発。はりまや橋、一宮バスターミナルで乗車扱いをして20名弱で徳島へ。途中の高速道路上の停留所でもちらほら下車していく。徳島駅には17:50着。もはや3時間弱の乗車だと短すぎて乗った気がしない。

繁華街をうろつき、駅前の日帰り温泉に浸かっていたら、もう帰る時間。ラストランナーは22時発品川行きエディ号。21:30発は京急担当だが、こちらは徳島バス担当。20名弱の乗車は海部観光等の新高速の影響だろうか。途中淡路PAで休憩。神戸市街の夜景を観れたが、久々の都市部の明るさに、不思議と胸が躍った。さて帰ろう。そう決め込み、目を閉じると、途中ほぼ熟睡。品川には6:35、30分弱の早着であった。

正直、期待以上であった。どの路線もはずれがなく、バスの時間を楽しめた。しかし、これらの車両・路線も未来永劫ずっと続くわけではない。常にリスクと隣り合わせ、バスを楽しむのも楽ではないのだな。