BUZ LIFE

毎度ご乗車ありがとうございます。

今日の一台

2008年01月31日 | Weblog
アメリカのバス。グランドキャニオン空港にて。素人目にも古い、とわかるような、なんか古風な車体が印象的。

今日は書く気がしないな・・・。あとは写真をご覧いただいて、想像にお任せ、ってことで。

トゥイズラー

2008年01月30日 | Weblog
今日友人と話していたときに久々に聞いたぞ、この名前!

日本とアメリカの味覚の違いをまざまざと見せ付けてくれた、トゥイズラー。

アメリカのお菓子なのだが、正直言って美味しくない。

ものすごく、美味しくない・・・

アメリカに行った際には是非ご賞味あれ。スーパーなどで普通に売られているはず。

今日の一台

2008年01月29日 | Weblog
青系で統一された、宮崎交通の車両。もう全国でも在籍しているのはわずかではないかと思われる日野レインボー(?)の中型車。

と、車両についてはどうでもよい。問題は車内放送。宮崎交通のバスに、始発から乗り、バスが発車したあとに、こんな車内放送を聞くことが出来る。

「お待たせしました。○○行きです。お忘れ物はございませんか?それでは発車いたしま~す」

もうすでにバスはバス停から発車しているのだ。運転士はドアを閉めてバスを発車させた後にこの放送を流すので、最後のフレーズにどうしてもタイムラグが出来てしまう。

そして、お忘れ物はございませんか?の問いに、反応する乗客はいるのだろうか。そしたらバスは戻ってくれるのだろうか・・・。やたらテンションの高い、明るい女性の声で、思わず自分は身の回りを確認してしまった。こんな放送も流せるようになってたりして。
「お忘れ物がありました。それでは引き返しま~す」


それはさておき、バスのカラーのお話。宮崎交通はごらんの通り青系だが、日本全国、全体的な傾向として南のほうは青系、北のほうは赤系、であることが多いといわれている。南の暑い地方では涼しい青の色、北の寒い地方では暖色の赤系、というような配慮かもしれない。

サードプレイス

2008年01月28日 | Weblog
3番目の場所。

家でもなく、学校・職場でもなく、3番目の場所。

具体的には、スターバックスコーヒーなどの喫茶店。サードプレイス。

本を読み、日記を書き、新聞を読み、周りの人をちょっと観察し、明日について考え、過去に思いを巡らせ、将来を見据え、あるいは思考をやめ・・・

数枚のコインで、コーヒーと共にこういった貴重な時間を購入する。

家族や友人・同僚といった人的なもの、テレビや仕事、勉強道具といった物的なもの、そういったものをきれいに排除でき、本当に自分のためだけに時間を贅沢に使える場所。

幸いに、自分はこういったサードプレイスと呼べる喫茶店へのアクセスに困難を伴わない。数ある喫茶店でも、サードプレイスとなりえるお気に入りは2店舗くらい。どの喫茶店でもいいわけではない。そのうちの1つは深夜2時まで営業しており、遅い時間でも問題ない。普通の木製のイスに加え、やわらかいソファー席もあり、そこは特等席であるが、座ると目の前の大きなガラス窓からは綺麗な夜景が臨めるのだ。

今日の一台

2008年01月27日 | Weblog
全長25メートル、180人乗り。

時代は進んだんだな、の一言。このスケールの大きさ、感動的。

ドイツのハンブルク(写真)やブラジルのクリチバで見ることが出来る。

どちらも行政が主体となって、公共交通機関を重視した街づくりを行っている。

クリチバでは専用の道路をこの3車体連接バスが疾走するらしいが、ハンブルクはごく普通の道を行くという。ハンブルクでは2車体連接バスが4分間隔で走っていたが、それでも需要に追いつけず、この3車体連接バスの導入に踏み切ったそうだ。今では2車体連接バスは早朝、深夜など比較的需要が少ない時間帯に引っ込んでいるという。3車体連接バス導入後の市民の反応は上々だそうだ。

くらくらするほど、レベルが違う・・・。

今日の一台

2008年01月26日 | Weblog
イタリアはローマで走っているバス。ベンツ製のノンステップバス。扉が開いているから、その低い床がすぐにお分かりいただけよう。

イタリアをはじめ、ヨーロッパ各都市ではこのようなノンステップバスの数が非常に多い。というより新車はほぼ100パーセントノンステップで入っているようで、入り始めた時期も早かったので、ヨーロッパで逆にステップのあるバスに乗るほうが難しいとさえ言える。

一方の日本。ノンステップバスが最初に導入されてから10年程が経つが、その普及はまだまだといったところ。都道府県別に見て一番導入が進んでいるのは東京都。それでもまだ50パーセントに行くか行かないか。逆に秋田県など、一台もノンステップバスが導入されていない県もいくつか見受けられる。高齢者比率の高い地方部にこそ、ノンステップバスの普及が望まれるが、現実はそうなっていない。利用者減が著しく経営の思わしくない事業者が多い地方部では、一般車両より高価なノンステップバスの購入に大きな抵抗があるのだろう。



さて、ローマのバスだが、乗車券は地下鉄と共通で一日乗車券を買ってしまえば市内を何の不自由もなく公共交通機関で移動することが出来る。一回乗りたいときは乗車券をキオスクなどの駅売店などで購入して、車内にある刻印機に通し、時間と日付を入れる。ちょうど写真でも写っているが、前扉からみえるオレンジ色の機械がそれ。ドライバーは券に関しては何の関与もせず、バス車内に検察官が乗ってきたときに乗車券を見せればよいだけ。だから券がなく、検察官が乗ってこなければただで乗れてしまう。はたしてどれくらいの頻度で検察官が乗り込み、どれくらいの人が無賃乗車をしているのかは分からないが、運賃の支払いは利用客の信頼に任せられている。

一回分の乗車券は、確か刻印機に通してから1時間だか90分だかは有効で別のバスにも乗り継ぎ可能なのだが、実際自分が乗ったとき、2つめのバスに乗っている間にその有効時間が切れてしまった。しかし幸いにも検察官はおらず、そのまま涼しい顔してバスを下車。別のときにも2回目のバス乗車時に時間が切れてしまい、そのときは正直に運転士に申告したが、そのままでいいと言われ別に追加料金は取られなかった。

ヨーロッパではバスは公営のことが多い。「走る公共施設」ととらえられ、運営に関しては税金が投入される。市民の足を確保するのは行政の責任だと考えられているのだろう。バスがなくてはならない公共機関として市民にも認識されていて、税金の投入にもコンセンサスが得られる。日本ではなかなかない意識である。

今日の一台

2008年01月24日 | Weblog
見てすぐわかるとおり神奈川中央交通のツインライナー。
湘南台駅~慶應大学エリアで運行されている。
後ろから撮ったものだが大きさがわかるだろうか。ふつうのバスの約1.5倍の18メートルの連接バス。ネオプラン製のボディに鮮やかな桃色の塗装は遠目でもすぐにわかる。
実際乗ってみると、車内は後部まできれいにノンステップフロアが続く。日本の車両と違ってそのスマートさが印象的。洗練されている、と言えようか。さすがは公共交通が発達している欧州からの車だ。
一番前に座るとエンジン音はほとんど聞こえずいたって静か。地を這うように走っていく。
一番後ろに座ると、独特な重低音のエンジン音が心地よい。前ははるか遠く、といった感じ。別の車両に乗っているみたいでおもしろい
日本で連接バスが走っているのは2箇所しかない。あとは幕張地区のみ。
欧米では至る所で目にすることができるのだが。
日本でも2月からは3例目、厚木地区で同じく神奈川中央交通によって同じくツインライナーという名前で運行が開始される。やっと3例目か…
(※旭川の例を入れば、もう1例増えることになるが、本格的な営業運行をしていたのか、現在運行されているのか怪しいので省いた。)

お別れ~した。

2008年01月23日 | Weblog
ついに先日、あるバイト先の人と最後の日を迎えた。

自分が退勤するとき、ちょうどその人が近くにいて・・・。

ものすごく緊張した。何を言えばいいんだ?と。

一瞬、この場はさらっと流して後でメールで別れを告げようとも考えたが、それではあまりにも歯切れが悪いと思い、意を決して別れの言葉を。

あちらは、自分と今日が最後だということに気付いていないようで、あ、そうなんですか、と。


「言葉には限界がある」

ある小説の主人公の思いだが、まさにそれをその場で感じた。

その場を立ち去った後で、果たして別れてしまうことの寂しさ、まだ一緒に仕事したかったこと、まだまだ会って話をしたかったことが、どれほど伝わったのか。自分が発した言葉を思い返して、否、まったく感情のかけらも出ていなかったのではないかと猛烈に悔いた。思いとは裏腹にいつもの軽い感じで、うわべだけとも捉えられかねない調子で、終始した。

どうすれば相手に感情が伝わったのか。どんなとき、相手は自分の感情をわかってくれるんだろう。

言葉?
表情?
雰囲気?
身振り?
文字?
以心伝心・・・?

「本気で伝えよう」その思いが足りなかったのかもしれない。思いがあって、後は言葉になり表情になり、雰囲気を醸し出し、・・・・。

もう、その人とは会うことも話すこともない。

お別れ

2008年01月23日 | Weblog
明日でお別れ。

バイト先の人と。一気に二人。これ以降、自分が辞めるまで勤務がかぶらない。

出会って、別れ。

この間にいろいろな接点があり、いろいろな話をし、いろいろなことを感じる。どう接し、どんな話をし、どんなことを感じたか、によって最後の別れのつらい、つらくないが決まってくる。


自分は明日の別れを、受け入れることが出来るだろうか。今まで共に仕事をし、言葉を交わし、素敵な方だと感じ、まだ、もう少し時間を共にしたいと思った。もう、一生、会わなくなってしまう(偶然を除き、その可能性が非常に高い)人を目の前に、自分はどのような表情でどのような言葉を発せばいいのだろうか。明日、別れた瞬間の先に広がる、”会えない”という無の空間。自分はなす術がなく、その空間を受け入れざるを得ない。なんと恐ろしい。

あるいは”ワカレ”という文字をデリートできる、そんな奇跡が起こることを心の片隅で期待しようか。