BUZ LIFE

毎度ご乗車ありがとうございます。

金沢・富山・立山黒部アルペンルート旅行

2007年04月28日 | Weblog
ゴールデンウィーク前のすいている平日を狙って、金沢・富山・黒部アルペンルートを旅行してきた。

以下行程。文章化すると果てしない量になりそうなので、今回は数字と場所の羅列でご勘弁を。

【4月25日】

21:00 友人の盛大な!!?誕生日会終了

21:55 横浜駅西口発(KR601便キラキラ号富山・金沢行き夜行バス)

22:40 東京駅八重洲口着

22:50 東京駅八重洲口発

23:12 新宿駅西口着

23:30 新宿駅西口発

【4月26日】

0:12  関越道三芳PA着

0:30  関越道三芳PA発

2:55  上信越自動車道小布施PA着

3:15  上信越自動車道小布施PA発

5:30  高岡駅着

5:40  高岡駅発

6:40  金沢駅着

7:05  金沢駅発(ほくてつバス)

7:20  兼六園観光

8:00  金沢城公園観光

8:20  長町武家屋敷跡地区観光

8:45  長町武家屋敷地区野村家観光

9:00  尾山神社観光

9:15  ドトールコーヒー

9:45  近江町市場~旧高峰家~主計町茶屋街~ひがし茶屋街観光

10:58 橋場町バス停発(西日本JRバス)

11:10 金沢駅東口着

12:20 金沢駅発(富山地鉄観光バス)

13:22 富山駅着

13:30 富山駅発(富山地鉄観光バス)

13:52 富山空港着

14:25 富山空港発(加越能バス)

15:02 高岡駅着

15:10 高岡大仏観光

15:39 高岡駅発(JR西日本電車)

15:58 富山駅着

16:30 コンフォートホテル富山着(チェックイン)

16:45 コンフォートホテル富山発

16:55 富山市庁舎展望台~富山城~総曲輪通り~中央通観光

17:40 中教院前発(富山地鉄バス)

17:50 富山駅着

18:30 富山駅発(富山ライトレール・ポートラム)

18:52 岩瀬浜着

19:01 岩瀬浜発(富山ライトレール・ポートラム)

19:26 富山駅着

20:20 ホテル着

23:10 就寝

【4月27日】

5:00  起床

5:50  ホテル発

6:00  富山駅着

6:28  富山駅発(富山地鉄普通電車)

7:32  立山駅着

8:00  立山駅発(立山ケーブルカー)

8:07  美女平着

8:25  美女平発(高原バス)

9:20  室堂着

9:25  ミクリガ池観光

10:30 雪の大谷散策観光

11:45 室堂発(立山トンネルトロリーバス)

11:55 大観峰着

12:20 大観峰発(立山ロープウェイ)

12:27 黒部平着

12:40 黒部平発(黒部ケーブルカー)

12;45 黒部湖着

12:50 黒部ダム観光

14:25 黒部ダム発(関電トロリーバス)

14:51 扇沢着

15:25 扇沢発(北アルプス交通)

16:00 信濃大町駅着

16:05 信濃大町市内散策

17:10 信濃大町駅発(京王バス東)

17:50 梓川SA着

18:00 梓川SA発

19:05 双葉SA着

19:15 双葉SA発

20:55 新宿駅西口着

22:30 帰宅。

※特記以外徒歩にて移動。

旅行代金計約35000円。



以上。感想聞きたいところがあれば、コメント欄にてお知らせください。

寝ぼけてまして

2007年04月23日 | Weblog
忘れた。電車の中の網棚の上に。旅行用の。ボストンバックを。

某私鉄の終着駅。自宅の最寄り駅から深い眠りにつき、気づいてみるとほとんどの乗客が降り終わっていた。自分も慌てて下車。携帯を見てみると、友人から電話が来ていた。かけなおしながら改札を抜ける。「予定通り間に合いそうだよ。」

改札を出てしばらく歩いて気づいた。何の拍子も無くふと気づき、思わず口から「ありえない」と声が出ていた。今日から1泊2日の旅行に行くのに、洋服を入れた大きなかばんを電車の車内の網棚の上に置き忘れてしまったのだ。いつも持ち歩いている、小さなかばんだけはしっかり持って下車していたが。何のために今日出かけてきたか、完全に忘れ去っていたようだ。寝起きで、頭がボーっとしていたから無理はな・・・くはないだろ!

青ざめた。これじゃ旅行にいけないジャン、と。気づいてすぐに猛ダッシュして駅まで戻る。改札を通り抜けようとパスネットを通すがこういうときに限って残額不足で扉が閉まる。そのまま乗り越えたいという衝動をなんとか抑え、係員に説明して通してもらう。

ホームを見渡すが・・・さっき乗ってきた電車はすでにいなかった。まだ5分と経っていないのに。すぐに忘れ物預かり所に駆け込む。ここにも届いていないという。乗ってきた電車の時間を告げると、到着後3分で折り返してしまったという。しかし、途中の駅で探してくれるとのこと。乗ってきた車両と、場所と、かばんの特徴を説明すると途中駅の係員に連絡してくれた。

5分後、途中の駅でそれらしき荷物が見つかったと係員から説明される・・・すぐにその駅に向かうと、確かに届けられていた。自分の大きなボストンバックが!丁寧にお礼を言って、引き取った。もう、勝手に網棚の上に残ってちゃだめじゃないの!

普段は忘れ物しないように、乗り物を降りるときは必ず振り返って自分の席を確認するのだが、この日はまだ頭が起き切っておらず、その確認を怠ってしまった。いや、しかし、いくらなんでも気づかないものだろうか。自分の大きなかばんくらい。重い思いして自分で持ち込んだのに・・・。駅係員もびっくりだろう。まさかこんな大きな荷物を、車内に忘れるとは。

でもまぁ、その次の日、妹も定期券を落としたといっているから、この一件は許容範囲内となるだろうね。

安曇野へ

2007年04月22日 | Weblog
長野県安曇野へ旅行。

就活で心身ともに疲れたので、その疲れを癒しに。

中央道を飛ばすこと約4時間、ホテルに到着。山の上にあり、周りは何もない。それでも建物は大きく、ディズニーランドのシェラトンホテルみたいに波打った形をしている。

その日は何もしなかった。何もしないをしにいったのか。温泉に入り、テレビを見て、少し酒を飲んだらそれが致死量だったらしく、意味不明な言葉を羅列してそのまま寝てしまった。

次の日、午前中はやはり何もしなかった。部屋の窓を開け放つと、聞こえてくるのは鳥のさえずり。そのさえずりを聞きながらソファーの上でうとうとしていた。幸せ。都内では絶対に体験できなかっただろう。まさに自然に癒されている、といった感じで、何もしないことが逆に印象的に心に刻まれていった。

12時。渋々チェックアウト。帰りは松本城に寄った。赤い欄干の橋がきれい。そして城内の階段は異様に急。若い自分でも、一段ずつ踏んでいかないと落ちてしまいそうだった。

以前も松本城を訪れたことがある。季節は冬。堀の水が凍っていて、その上をハトが歩いたが・・・ツルッ。明らかにハトが滑ったのだ。氷の上で。よれっとして、倒れまではしなかったが一瞬バランスを崩していた。ハトも氷の上ではすべるんだな、と感動したことを思い出した。

何もしない旅行、たまにはいいか。将来、60~65くらいで退職したあと、人生の伴侶とまた、こうした旅をしてみたいと思った。

2007年04月17日 | Weblog
なんか、ものすごくばかなんですけど・・・。

こんな記事、恥ずかしくて掲載していられない。何書いてたんだ。

でも、このブログのポリシーとして、一度あげたものは消去しないことにしている。一応、どんな内容でも書いたことは事実として後から読み返したときにこんな自分もいたんだ、と把握するため。消去したら、その分自分を消すことになってしまうし、おそらく消し始めたらあれもこれも、全部消したくなってしまうだろうから。

なんたって、自分は自分のこと、大嫌いなんだもん・・・・。

LOVE BEER?

2007年04月16日 | Weblog
2:30にコンビニに行って、キリンビールを購入。3時過ぎから一人で飲んだ。妹もおきていたが、風邪だから、と酒は断られてしまった。

ビールなんて嫌い。でも、今日は飲みたくなったんだ。アホだと分かっていても、どうせ後々ばかを見るのは自分だと分かっていても、それでも、飲んだ。





今はどうすることもできない。でもこの気持ちは確かなものだ。この気持ちから、ビールを飲み、願うんだ。うまくいきますように、と。




缶1本で実は酔ってしまう弱い自分です。だから今何かいてるのか良く分からない。でも、ばかなことしてるな、と突っ込む冷静な自分もいる。割と冷静なんだ、自分。




事故

2007年04月16日 | Weblog
あーあ、今日は目の前で事故を見てしまった。しかもバスと乗用車。テンションがた落ちですね。自分は乗用車に責任がありそうだと見たが、当ドライバーは否定、バスの不注意を取り上げていた。もう少し自分がしっかり見ていればな。後の祭だけど。

実は自分、バスがらみの事故は、見ただけでなく当事者になったことがある。しかも3件。

1件目は、自分が小学生の頃、一車線の道で自分の車が右折しようと、前から来る路線バスを待っていたら、後ろから追突された。前方不注意だったらしい。人に怪我は無かったが、追突されへこんだトランクが開かなくなり、中のキャベツが腐ってしまったという大惨事。

2件目は、確か中学生の頃。大晦日の日に松本から高山行きのバスに乗っていた。安房トンネルを抜け、高山市内に差し掛かっていた山道、橋の上でスリップした対向車がこちらの道路にはみ出し、ブレーキが間に合わず正面衝突、弾みでバスは左に追いやられさらに橋げたにぶつかって止まった。2度の大きな衝撃。バスの乗客に怪我は無かったが、乗用車側はけが人が出た模様。バスもドアが開かなくなったため、左後ろの非常ドアを使って乗客は降りた。

3件目は自分が大学1年の頃。乗っていたバスが右折しようと斜めに停車中に、すぐ右隣に小さなトラックも右折しようと2重に斜めになって停車。あちらが先に進もうとしたところ左のミラーがバスの車体にあたり、こすりながら発車、それに気づいたのか分からないがそのまま逃走してしまった。幸い実車中ではなかったため、けが人ゼロ。

わりと、バスがらみの事故は多い人生。今後も危ないかな・・・。

辻堂駅・藤沢駅・戸塚バスセンター~成田空港行きバス乗車

2007年04月15日 | Weblog
いまは亡き特急東海の車両に揺られて辻堂駅に6:12に降り立つ。バス停に行き、係員から乗車券を購入。3700円。辻堂駅北口6:25発成田空港行きの神奈川中央交通の車両はすでに5番線に入線しており、ドライバーに乗車券を渡して車内に乗り込む。町田や本厚木線と大差ない車内。2-2列のシートがずらっと11列ならんで42席の仕様だ。

自分を含め3人の客を乗せ、一路成田空港に向け定時に出発となった。快速アクティーも止まらない駅から世界の玄関口・成田空港へ・・・少し違和感を感じてしまう。

バスはすぐに左折し、辻堂駅を背にして駅から離れる。右折を2回繰り返し、高山車庫の前を通りながらフィルモールを左折し、東海道線沿いの道に出る。朝早いせいか、通行量も少なく、順調に藤沢駅着。ここで7名の客が加わる。藤沢駅でも空港線専用のポーターが荷物を積み込んでいる。5分ほど停車し、ここも定刻6:45に出発。

ここからまた一般道を走り戸塚バスセンターに向かう。心配した原宿交差点だが、交通量は多いものの渋滞はしておらずすんなり抜けることができた。よって戸塚バスセンターでも10分ほど停車する余裕が生まれた。しかし、戸塚バスセンターからの乗車はゼロ。自分はここからの乗車が一番多いと思っていたが、完全に外れてしまった。戸塚バスセンターは戸塚駅から歩いて5分ほどはかかり、駅から離れていることが敬遠されているのだろうか。大きなスーツケースを持っての移動は大変である。戸塚駅西口の再開発が進み、バス乗り場が駅前に移ればこの問題は解決されるかもしれない。

よって総勢10名で成田空港へ向かう。開業の3月22日から1ヶ月弱。認知度はまだ低いのかもしれないが少々さびしい数字であるように感じる。沿線人口は少なくないはずだ。認知度が上がり、原宿の渋滞や戸塚バスセンターの位置といったマイナス材料が許容されればまだまだ伸びる路線であろうが、やはり東海道線+成田エクスプレスのルートを取る沿線住民も少なくないだろう。あとは安さで勝負といったところか。


戸塚バスセンターを出て、運転士からマイクで案内が入る。辻堂駅、藤沢駅を出たときにもテープだけでなく必ずマイクを通して肉声の案内がなされていたが、非常に好感がもてる。

すぐに高速に乗り、気づくといつもの湾岸線に入っていた。そこまでの経路はややこしく自分には判別つかなかった。ここまで来れば、YCAT発のリムジンも同経路を走るので、心強い。実際、東京空港交通の車両が前を走っていたが、あっさり抜き去ってしまった。最新鋭の三菱エアロバスは坂道もものともせず、時折追い越し車線に入りながら、速度は高めに維持されている。それでも安定した走りで安心して身を任せていられる。

驚いたことに、戸塚を出てから羽田空港まで30分とかからなかった。YCAT~羽田空港の所要時間と同じである。現在戸塚駅からは東口から1日4便だけ羽田空港行きが出ているが、港南台駅を経由するため、1時間ほど時間がかかる。路線を分離して、戸塚駅から直行で向かわせたら需要はそこそこあるのではないだろうか。あるいは立場地区へ延ばしてもいいだろう。

その後も湾岸線、東関東自動車道と一切渋滞することなく順調そのもの。面白いことにさっき抜かした東京空港交通がいつの間にか酒々井あたりで追いつき、逆に抜き返されてしまった。少々、減速気味で走っていたのかもしれない。最終的に成田空港には8:45に到着、なんと30分もの早着であった。余裕を見込んだダイヤ設定なのかもしれない。平日朝に戸塚で高速に入るまでに渋滞にはまれば、ちょうど定時着くらいになるのだろうか。

到着前も、テープによる案内に加え、やはりドライバーからもマイクで案内が入る。「お気をつけていってらっしゃいませ」と印象的な言葉も混ざり、接遇レベルはなかなかである。「ありがとうございました」すら聞こえてこないオレンジ色のバスに乗っていては、絶対にありえない言葉である。こういったソフト面でのレベルの高低も、そのまま乗客の増減に跳ね返ってくるのではないだろうかと自分は考える。無愛想な会社を進んで使おうと思わないし、人間味あふれるきめ細かい対応をされれば、それだけで次も乗ろうというインセンティブになる。

まだまだ駆け出しのこの路線だが、これからが楽しみである。繁忙期には増便も、と新聞記事に出ていた気がするが、定期便がもっと増えればさらに便利な路線となるだろう。

東京タワー

2007年04月14日 | Weblog
という映画を観に行った。公開初日に映画を観に行くなんてはじめてかも。

だからか、非常に混んでいた。30分後の回は満席、仕方なく、3時間後の回を取る。あとで「公開初日を迎え全国334館のほとんどで満員となる好発進を切った。配給の松竹では昨年、SMAPの木村拓哉主演の「武士の一分」の興行収入40億円を超えるのは確実とした。」というニュースを見て納得である。

テレビドラマを少しかじっていたので、大体の内容はあらかじめ分かっていた。東京に出てきた息子と、その母親にまつわるお話。そして、感動して涙してしまう映画であろうことも分かっていた。

しかし自分の中では「まさか、感動して泣くわけなかろう。たかが息子と母親の話でしょ?」という気持ちと「いや、そうはいっても、やはり映画を観るとどんなにそんな冷たいことを言っててもきっと泣けるんじゃないかな。自分にもそんな温かい心があるはずだ」という気持ちとが入り混じっていた。

観てまず感動したのは昭和時代の映像のリアルさ。人や家や街並みも、特に炭坑節の流れる筑豊地区のものは当時の様子がありありと伝わって見ごたえがあった。三輪自動車とかどうやって走らせてるんだろう。バスも車も電車までも、当時のふるーい感じなものを実際に動かしていた。カタカタ音を立てながら動く首振りの扇風機・・・冷房もない夏のけだるい雰囲気が、嫌悪感を感じさせるほどに伝わってくる。昭和時代の人々の生活を垣間見ることができたのは話の内容云々を差し置いて、非常に価値が高いのではないだろうかと思った。

さて、話の内容だが、結論から述べると自分は一切泣くことはできなかった。なんの感情の起伏もなく終わってしまった。正直、少し不安になった。ひょっとして自分は冷徹な人間になってしまったのではないか、と。周りの人は結構涙していたようだが、自分にはどうもまったく響いてこなかった。親子愛というのが一つのキーワードになってくるが、自分の家庭環境からこの愛については月並みの感情を抱けないからかもしれない。

そして、もうひとつ気になったのが、東京タワー。この映画のタイトルそのもので、映画の中でも何回か出てきたが、この東京タワーになんの意味があるのか。登場人物中特に誰も東京タワーに深い思い入れがあるというわけではなさそうだったし、東京タワーにまつわるエピソードも見当たらない。よってクライマックスで東京タワーが出てきてもどうもインパクトに欠けてしまう気がした。もちろん、登場人物がそれぞれ相当濃いので、人物だけでも物語は十分な内容を含むとは思うのだが。

ごめんなさい、自分の感情や思考が稚拙なため、どうもただただ話しの内容をそのまま追っていく、というだけで終始してしまいました。

ツンデレ度

2007年04月13日 | Weblog
http://kantei.am/1901/

このサイトで確認できるそうな。

ちなみに自分の結果は

総評
ツンデレすぎです。
ツンデレのせいで嫌われずに気を付けてくださいねッ。

ラッキーアイテム:ピンクの小物
都こんぶ

だそう。まったくあてにならないな、このサイト。

まあ気になった方はぜひ試してみてください。

つかみかけたのに・・・。

2007年04月12日 | Weblog
先日の夜、第一志望のD社から突然の電話。「明日、また本社に来て下さい。」

6回目の面接の案内だった。

「来たっ!!」どれほど、この電話を待ってたことか。5回目の面接が終わってから毎日、毎日、D社からの電話を待っていた。そして、ついに案内された6回目の面接。

思わず笑ってしまうほど、うれしかった。なぜなら6回目の面接=内定、という話を友人から聞いていて、ネット上やその他友人の話からも6回目の面接は、意思確認程度で、「第一志望です」といえば確実に内定、ということを知っていたからだ。

やっと就職活動が終わる。報われるときが来た。ずっと電話が来なかったから落とされたと思っていたのに。

この電話が来るまでは、相当つらかった。M社からも内定をもらっていたが、正直まったく行きたい会社ではなかった。このままM社になるのか・・・。

初めての経験だった。自分が望んだものが手に入らない、という現実は。これまでも、中学受験、大学受験、そして入ゼミ試験、と失敗することなくすべて結果を出し、自分の望むところへ行けていた。もちろん、そのために相当な努力をしたのだが。今回の就職活動も、並大抵でない挫折・苦労を味わっており、どうしてもD社に行きたかった。しかし、友人は内定をもらっている中、自分には電話がなかなか来ない・・・。初めて、自分の望みは叶わない、そんな経験をするところであった。

そんな矢先にかかってきた電話。そりゃあもう、とてつもなく喜んだわけ。すでにD社から内定をもらっている友人にメールをしたところ、すぐに折り返し電話がかかってきて、ともに喜んでくれた。こいつと、同僚になれるのか。大満足であった。

その夜、もう一度D社について考えてみた。決して華やかな業界ではないが、仕事内容はつまらなさそうでなく、給与も申し分ない。そして何より今までセミナーやOB訪問、そして面接を通じて会って来た社員の雰囲気がとてもよく、こんな社風の中でぜひ一緒に働いてみたいと思っていた。

「間違いない」思わず口に出して言っていた。この会社で働くことは、自分にとって、最善である。自分がこの会社で働いている姿を想像しながら、そう結論付けた。ついにこの会社で働けるんだ、という高鳴る気持ちとともに、いやまだ結果が出てないんだから、ひょっとしたらだめかもしれない、という少しばかりの不安が入り混じっていた。

翌朝、少し早く起きて面接会場近くの喫茶店で一息つく。落ち着いてからじゃないと、面接に臨めないのだ。

そして、面接会場へ。10分程度で終わる意思確認程度の面接、と聞いていたから気楽な気持ちで待つ。いよいよ、内定がもらえるのだ、と信じ切って。ここまできたら「挨拶と笑顔!」隣の人もそう言っていた。

しかし「結果は月曜日までに連絡します」

面接官は言った。

信じられなかった。6回目の面接で出るはずの内定が出なかったのだ。その場で言われると聞いていたのに。

普通に面接されただけであった。


唖然。ってか、その場で出ない=落選、ということだろう。期待していただけにショックは大きかった。つかみかけた、その内定がスルッと手の中から抜けていった。自分の手の届かないところへ、遠く、深く・・・。

その夜、壊れた。かえって、床に倒れこみ、やっとのことで立ち上がり、布団の中で叫び、そのままいつの間にか寝ていた。

就職活動、結局、満足に行く結果は得られませんでした。