BUZ LIFE

毎度ご乗車ありがとうございます。

半分バス車内。

2017年03月20日 | Weblog

この3連休、うち2日間は気付けば半分近くをバスに乗って過ごしていた。

1本目は横浜YCAT9:20発浜松駅行き遠鉄バス。
今年に入ってから新設されたYCAT発午前便。横浜でのPRはほとんどされておらず、もとよりこの路線は浜松市民向けのダイヤ設定となっており横浜午前便の需要はひょっとして1ケタ台・・・と懸念したものの、実際は車内の半分が埋まる盛況ぶり。やはり浜松人の利用が多い模様だが、どのような行程をとればわざわざこの便を利用しようとするのか。横浜観光を楽しみたいのなら夕方便まで待つだろう。ひょっとしたら前日の同路線夜行便が満席のようだったので、それにあふれて横浜で1泊したか。それであれば宿泊代を払わずして新幹線に乗ればよさそうなものだが、横浜ナイトライフを楽しんだ結果と推測するのが妥当だろう。
中には浜松のガイドブックを持った人も見られたが、横浜側でのPRが進めばより高い乗車率が期待できよう。

豊橋での用事を済ませ、名鉄で名古屋駅へ。ここから神戸まで夜行バス。夜行程の距離はないものの、朝一大阪方面に入れること、宿泊代を節約できることから、根強い需要があるようで、JR系を予約しようとするも満席で、上記YCATの人々曰く所の「新高速バス」であるJAMJAMライナーに切り替え。0:30発2階建て車両も満席となって出発。その前にこの車両を見て、感動しない人がいるだろうか。そう、このブルーがかった窓、どうも使い勝手の中途半端なフットレスト・・・もとは神奈中で使われていた夜行用の車両っぽいのだ。神奈中を引退してから、少なくとも7年前後は経とうとする中、こんなところで会えるなんて、本当にラッキー。翌朝なんば、梅田と経由、途中USJで大半の乗客が降車後、終着三宮は定刻ぴったりの7:20。夜があけて、太陽の下で見る元神奈中の勇姿に改めて感動。他の”新高速”バスが続々と到着するあわただしい降車場を、さっと走り去っていった。

三宮7:30発の阪急特急に乗車。神戸の滞在時間はわずか10分であった。7:59に梅田到着。3本目は8:40発横浜昼特急大阪2号、西日本JRバスによるこれまた2階建て車両。定刻に出発したため、大阪滞在時間は30分少々。自分の席は2階最前列真ん中の特等席。この車両も車齢15年弱の経年車で、3月いっぱいで車両更新が予定されていることから、駆け込みで乗車。東京・新宿線ほどの集客は見込めない中、乗車率が気になったが、9割程度の席が埋まった。車両更新で路線廃止が免れた理由もこれで納得。一定の需要はありそうだ。
3連休の最終日で覚悟していたとはいえ、事故渋滞も重なり、御殿場過ぎたあたりから断続40キロの渋滞。結局町田BCには18:15と2時間弱の遅延で到着。ここで半数近くの乗客が下車。東京西部のターミナル駅としての実力を垣間見た感じだ。横浜までは保土ヶ谷バイパスを快走。ご老体を一切感じさせない立派な走りは、車両更新が大変惜しまれると共に、長旅の疲れを吹き飛ばす感動をもたらした。横浜駅には19時ちょうど、90分程度の遅れで到着した。

どのバスも、乗っていて全く飽きることはなく、大変充実した時間を過ごせた。
しかしながら、この楽しみは間もなく廃車される二階建て車両に依るところが大きい。神戸線も時間の問題だろう。そう、この先は別の時間の使い方を見出す必要がある。
そう思い、ちょうど渋滞のさなか、最近はやりの婚活アプリ的なものに登録。豊橋でも、散々心配されたため、どうにかして結果を残せるよう頑張る所存。

高校卒業おめでとう

2017年03月07日 | Weblog

自分の高校卒業式は、気付いてみれば10数年前。
当然、高校生の子どもなんていやしない。

そんな中、出向していた際に担当していた生徒が高校卒業ということで、挙行された卒業式に列席した。

自分が担当していた時は中学2年生。
反抗期真っ盛りで、何を言っても、素直には受け入れてくれない。勉強をサボり、掃除をサボり、禁止されていることを積極的に行おうとする。

同じ人間かよ、と嘆きたくなった。別に1年の付き合いだから放っておいてもいいのだけど、人間相対するものには情が湧くものなのか、こちらも何とか彼らを正しい道に導こうと奮闘する。

言葉で言って聞かないのなら、生徒の教科書を投げ、部屋の端から端まで胸ぐらつかんで追い詰め、ここから出て行けと怒鳴り散らす。
今から思えば、もう絶対できない、いやそれまでも一切やったことなかったことが、なぜか彼らを目の前にすると行動に出ていた。

逆に1年の付き合いだからいくら嫌われてもいい。だったら、なりふり構わず、こちらも振舞った。

その場では当然対立の嵐。分かり合える訳もない。分かろうともしない。

しかし不思議だ。1年後には、そうやって体当たりした生徒ほど、親しくなっていた。
自分が離任した後も、学校に顔を出せば、いつの間にか近くにやってくる。

月日は早く、彼らもあっという間に卒業。
久々に会う生徒は顔もよく分からなくなっているくらい。

しかし、みな一様に立派に成長していた。

そして。彼らが書いた文集を手にすると・・・学校の思い出の中で、自分のことを書いてくれている生徒がいる。
1人は、それこそものすごく怒った生徒。しかし、彼の中でも今となってはいい思い出として印象に残っているようだ。

正直とっても嬉しかった。1年の間、自分がしてあげられたことは、本当に僅かであったはずなのに・・・。

もっとも、彼らが思春期を必死に生き延びたからこその立派な卒業だ。心の底からおめでとうと伝えたい。