BUZ LIFE

毎度ご乗車ありがとうございます。

撤去

2006年06月30日 | Weblog
駅近くの道路上に置いておいたわが愛車(自転車ですが)が先日ついに市に撤去されてしまった。以前は絶対に撤去されないエリアに止めていたのだが、工事の関係上、とめることができなくなってしまった。市の手が及ぶエリアであることは知っていたが、撤去されることを覚悟してとめておいた。2ヶ月近く無事だったが、ついに持っていかれてしまった。

引き取る際には撤去費用として1500円かかるそうだ。駐輪場が1カ月1500円。2ヶ月違法駐輪で1500円だから、違法駐輪のほうが安い計算になる。しかも立地がよい。

そして今日保管場所に行って取ってきた。場所はすぐに分かった。高架高速道路の下にある少しさびしい場所。家からもそう離れていないが、こんな場所があるとは知らなかった。事務所らしきところに行き、先日撤去された旨を伝えると、場所を案内してくれ、すぐに見つけることができた。再び事務所に行き、住所と名前を書かされる。「ちゃんと駐輪場つかわないとだめだよー」くらい言われるかと思ったが「珍しい名前だね。どこの出身?」そっちかーい!話好きそうなおじさん、その後も自分の名前の由来を話してくれたり(声が小さくて聞き取れなかったが)、ぜひ家の先祖を調べてみるべきだよ、などと自転車を取りにきた自分を格好の話し相手とみなしたのだろうか、しばらくつかまってしまった。

それでもしっかり1500円は徴収。名前入りの手書きの領収書まで出してくれたが、どこに請求しろというのだ。もうこれ以上お金取られたくないので、一応聞いてみた。「いつごろ撤去するんですかね?」なんでも月に11回ほど駅周辺で撤去するらしい。具体的な日にちまではわからないようだった。まあこの人が撤去しているわけではないから仕方あるまい。

しかし、また明日から同じ場所に違法駐輪だ。撤去、意味無いのに。1500円とってどうするというんだ。それよりも手間だろうに。

新路線開業【青春メガドリーム号】

2006年06月22日 | Weblog
忘れていたが、先週6月14日に東京~大阪間に新たな路線が開設された。東京、大阪という2大都市を結ぶ路線はこれまでにも数多くの路線が設定されていたが、今回も新たな1路線が加わることになったようだ。

その名も「青春メガドリーム号」。愛称から想像できる通り、使用される車両は2階建て15メートル車の長大バス。この路線の特徴はすべてこの使用されるバスに集約できる。通常のバスは12メートル。それを3メートル長くして、しかも2階建て、ということで乗車定員は80名を越す。一般車両が40名そこそこの定員であるのでざっと輸送力2倍。これにより料金は大人片道4300円、前日までに購入すると、週末と夏休みなどの繁忙期は4000円、それ以外は3500円と、破格の設定となっている。

これまでは12メートルを越える車は道を走ることはできなかったが、12メートル以内とする国の保安基準の緩和が認められたため、今回の路線開業となったようだ。

実はこの車両、東京駅~つくばセンター線用にわざわざドイツから輸入した車。メガライナーと名付けられた。つくばエクスプレス開業までは、東京~つくば間の輸送はほとんど高速バスが担っており混雑解消のため1台で大量輸送できるバスが導入された。当時はまだ12メートルの規制が残っており、この壁を乗り越えるため運行会社であるJRバス関東は関係省庁とのやりとりを何度も繰り返したという。そのためバスは輸入され納車済みであったが、諸手続きのため運行開始はそれより1年ほど遅れるという経緯があった。つくばエクスプレス開業後は、定時性が大きなネックとなり客の大部分が高速バスから離れ、メガライナーの同路線での大量輸送の役目は終わっていた。

せっかく輸入した長大バスを遊ばせておくのはもったいない・・・。そこでJRは東京~大阪間のドル箱路線に目をつけてのであろう。日本を代表する2大都市間の移動の需要は盛んで、東京側では東京駅、新宿駅、品川駅、八王子駅、横浜駅、また大阪側では大阪駅、なんば、USJ、上本町などの各ターミナルからJRや私鉄系のバス会社が数多くの路線を運行している。

また近年では旅行会社が会員募集の形で観光バスタイプの車両を使い、4000円台の廉価バスの運行を開始していた。こちらも相当な賑わいをみせ、今では複数の旅行会社によって1日に何便ものバスが運行されている。

そこで設定された「青春メガドリーム号」。大きな武器はは上記のような「超低価格」であろう。当日の飛び込み乗車でなければ3500円で大阪までいける。1台で80名超の大量輸送ができるからこそ設定できる価格だ。今回「12メートル以内とする国の保安基準の緩和」がどの程度まで認められたか分からないが、15メートルの長大バスが東名、名神高速を走ることが許されるのは、トラック業界との絡みなどで不可能といわれていた。JRバス関東、西日本JRバスの働きかけがあったのかは詳しくは知らないが、とにかくこの規制緩和は長大バスをもてあましていたJRバス関東にとっては好機であったに違いない。

3500円のインパクトは強い。低価格で勝負してきた旅行会社のバスも何らかの対抗策を打ってくるのではないだろうか。運行開始の最初の週末は早速満席となっていたようで、出だしは好調のようだ(ちゃんと調べたわけではないので定かではない)。JRバス関東では同じ東京~大阪間に3列シート8610円のドリーム号、4列観光バスタイプ5000円の青春ドリーム号、9910円のプレミアムドリーム号など各種運賃を設定し、多様な旅客のニーズに応えようとしている。今後この多様な運賃でどのように客にアピールするか、また長大バスに対する旅行会社や私鉄系バスの動向が注目される。

寝つきが

2006年06月19日 | Weblog
最近、寝つきが非常に悪い。ここ2ヶ月くらい。前まではベッドに横になると1分かからないくらいで意識がなくなっていたが、どうも最近はうまく寝ることができない。

原因はよく分からない。寝ようとすると、バイト先で来る客来る客全員にクレームを言われる、という場面が頭の中に現れ、何度もはっ、と目が覚める。先日は目を閉じると、なぜかマージャンのジャンパイを混ぜる音が頭の中で鳴り響く。目を閉じたとたん、じゃらじゃらと誰かがジャンパイを混ぜだすのだ。

どうにもこうにも、前のようにうまく寝ることはできなくなってしまった。明け方目を覚ましてしまうこともしばしば。

でも、そういえば・・・

昔、寝るのがとてつもなく苦手な子供だった。というのも、暗い寝室が怖かったのだ。親と離れ、別の部屋・・・。怖がりで心配性な自分は、寝ている途中に親がどこかに消えてしまわないか、幽霊の類は出てきやしないだろうか、毎晩毎晩穏やかな気持ちで眠りについたことはなかった。

ある晩、寝ようとしているところに地震が来た。がたがたと扉が揺れて音を立て、相当怖い思いをした。その後数年間、地震の音がいやだから耳をふさぎながら寝ることに。

電気はいつも小さいものをつけていた。でも、変なものをみないように、目を開けたことはほとんどない。タオルをかぶって寝ていたこともある。雨が降っているときは、その雨音で神経がすり減らされたものだ。ミシっ、とどこかで音がするとそれだけで全身が緊張した。

おとながうらやましかった。「夜、早く寝なくてすむから」

今は幸いにも、外の明かりが部屋まで差込み、真っ暗ではないし、幽霊も出そうな場所ではないし、地震にも強い建物に住んでいる。そして何より、10歩も歩けばリビングにたどり着く。誰かがいる。ここに引っ越してくる前、高校生の頃までは寝室が2階で、リビングが離れていたのだ。真っ暗な場所もたくさん。だから、ぶっちゃけた話、高校生の頃まで、寝るのが怖かった・・・。

引っ越していなかったら、今でもそうだったのかも、と思うと少し情けない感じもするが、今になっても鮮明に昔の寝るときの恐怖を追体験できる。

当たったー!!

2006年06月18日 | Weblog
ついに!当たった。チョコボールの銀のエンゼル!

朝のバイトが終わって、近くのローソンで買ったチョコボール61円。昨日も買ったので二日連続の森永製菓への投資。配当なのか、箱を開けてみると、ひょこっと銀のエンゼルが出てきた。人生で初めて出したのでとても感動。

銀のエンゼルを5枚集めるとおもちゃのカンヅメがもらえるらしい。金のエンゼルだと1枚。どんなカンヅメなのか非常に気になる。そういえば従姉妹は大のキョロちゃん好きだった。カンヅメを手に入れたら自慢してやろう・・・ってもう高校生だから興味ないかな。

その前にカンヅメを手に入れる=銀のエンゼルを5枚獲得・・・21年生きてきてやっと一枚目をゲット。ということは単純計算で集め終わるのは21×5=・・・この世ではカンヅメを拝むことは難しいかもしれない。

ちなみに今朝はもう一個当たった。そう、おまわりさんに。朝4時すぎに出勤のため自転車で横浜駅方面に走行中のできごと。いるのは分かっていた。そばにいた暴走族っぽいバイクの相手をしていたのかとおもたっら、自分の自転車を少し追い越したところで停車。発見したときに、さしていた傘は念のためたたんでおいた。が・・・出てきた二人のおまわりさんに名前を聞かれ、自転車の型番号を調べられ、なにやらどこかへ電話している。盗難車かどうかを調べているのだろう。残念、もちろん自分の。でも傘をさしているところはしっかり見られていた。「もう雨降っていないし」確かに、いつの間にかやんでいるではないか。差し損だ。

ライトは?と聞かれる。でももう明るいよ。「常時ライトオン」でもらい事故をなくそう、というタクシー会社じゃあるまいし、暗くなきゃつけないよ。まあもっとも、壊れていてライトはつけることはできないのだが。

あそこのビルに行くんです。朝早くからご苦労さんだね。いえ、そちらこそ。

こんな会話をして、釈放。無罪放免。

最近は自転車の取り締まりを強化しているらしい。気をつけないと!エキサイティングな出勤は一度だけでよい。5回おまわりさんにつかまっても何ももらえないだろうし。

雨のち曇り

2006年06月16日 | Weblog
のちという天気なわけで、予定されていたゼミ対抗ソフトボール大会はあっさり中止。
その代わりに自分のゼミだけでフットサルが企画された。人数が足りない、ということで自分も強制参加。大森のフットサルコートに、2限後に足を運ぶ。

あれ、なんか広い。実はフットサルは中3の春休み、イギリスでやって以来っぽい。そこでの記憶だと、もっとコートは狭かったはずだが・・・。

やはり疲れる。開始1分でもう息が切れだした・・・休憩挟みながら2時間、久々の運動は睡眠不足と重なり、相当こたえた。

さらに・・・帰りにBIG FUN平和島という、箱根ユネッサンみたいにいろいろな種類の風呂があるところへ。

それにしても誰が学校帰りに湯に浸かっていることを予測できただろうか・・!午前中は普通にマルクス経済学を学び、午後はレポートの宿題をやる予定だったのだが・・・。友人いわく、こういうことができるのは大学生の特権。予想だにしない行動ができるのもまた楽しいもんだと。たまにはこの様に羽目をはずすのもいい、羽目のはずし方をしらないと、将来きれる大人になってしまうんだ、と。来週提出のレポートが気がかりで仕方なかったが、確かに、と納得。

帰宅後、死亡。5分でソファーに倒れこんだ。30分後おきるが、頭が痛い・・・。そういえば、高校生の頃、岩手県岩宿で牛乳ぶろ(だったかな)に入り、帰宅したらその後数日まったく動けなくなったことを思い出す。日ごろの疲れがすべて出た感じ。今回は大丈夫だと思うが・・・・。

突然の

2006年06月15日 | Weblog
訃報を、朝起きてメールで知った。

バイト先の社員さん。まだ32という年齢はあまりにも早すぎる。去年の秋にガンの告知を受け、手術をされ、一時は会社に復帰していたものの、最近はまた自宅療養が続いていた。誰もが、また会社で一緒に働くことを信じていた矢先の訃報。

別の課の社員さんなので、あまり深く関わったことはなかったが、それでももちろん顔は知っていたし、一緒に社外に出かけたこともある。だから訃報を知ったとき、驚いたし、非常にショックだった。

先日、お通夜に参列した。教会で、というのは初めて。ご焼香を済ませたら解散、というスタイルではなく、1時間の式にすべて参加する形式。神父が式をつかさどる。「いつくしみふかき」など、カトリック系の学校出身の自分にとっては懐かしい歌を歌ったり、神父の説教を聞いたりした。

決して自分の病気を恨んだりはしなかったという。むしろ周りの人が、「どうしてこの人がこんな目に」と故人の病気を憎んだ。

最後に献花をし、ご遺族に挨拶する。故人は1年ほど前に結婚をされていた。お相手も同じ会社のひとだから、自分も知っている人。早くに人生の伴侶をなくした悲しみは想像を絶するものに違いない。まるでドラマの中のような悲劇が現実に眼前たる事実として現れたとき、第三者である自分も悲しみを共有し、これからの残されたご遺族の身を案じないではいられなくなった。

これからも、避けることはできない、じぶんの周りの人の「死」。これに向き合うのは生きるうえで一番つらいことかもしれない。とある映画、詳細は覚えていないが、なぜか老人になっても死ねず、半永久的な生を受けてしまったらしい老人ホームで暮らす老人は、自分の一番の試練は、周りの親しい人が自分よりも先に死んでゆき、それに向き合わなくてはならないこと、と言っていたが、確かにそのことがよくわかる。

故人のご冥福を心よりお祈り申し上げたい。

誕生日

2006年06月14日 | Weblog
今日は自分の誕生日。

3:50に起床してバイトへ。いったんうちに帰り、仮眠をとってから12時すぎにまた別のバイトへ。

まったく誕生日らしくない、ちょっと忙しめの普通の日となった。

というのも、考えてみた。「自分の誕生日って、結局のところ、まわりの人にとっては普通の日となんら変わらない日」なんだ、と。

じゃあ、自分も普通の日を過ごせばいいじゃん。実際、違ったところといえば、メールの件数が普段より多かったことと、誕生日であることを少し意識したことくらい。

特に誕生日らしいもらい物もしなかった。二つ目のバイトでは、社員食堂でゆで卵をもらい、保険の外交のおばちゃんからお菓子をもらい、また別の人からカフェラテをいただいたくらい。誕生日ということは知らせていないが、やたらいろいろもらった。

でもこれでいい。そもそも、誕生日は自分が祝われるのではなく、産んでくれた両親に感謝する日であるべきなのだ。主役は自分ではない。感謝しない自分が言うのもなんだが、本人はこの世に生があることを両親に感謝し、両親はわが子の姿を見て喜ぶ、というのがより誕生日という日を意味あるものにするために必要なことかもしれない。

日々の忙しさに忙殺され、21の目標を考えるのを忘れていた。とりあえず、時間の使い方を間違えないようにしたいし、自分の存在が他人にとって何らかの意味を付するものであるようになりたい。

さて、次の手は

2006年06月07日 | Weblog
何気無くメールを送り、何気無くその返信を受け取ったら、床に倒れこんだ。もう考えるのは疲れたので、外しておきました。いろいろ考えた挙げ句の結論はなぜか「(自分の)妹ってなんでこんなに幸せなんだろう」

気を取り直せないまま翌朝バイトへ。陽が出るのが早くなったので出勤が楽になった。どうやら自分の課に新人が入る模様。楽しみ。

午後は久々のスーツを身にまとい日経ナビ主催のインターンシップフォーラムへ。平日なのにけっこう人が来てる。各企業のブースが狭すぎて、なかなか話を聞くことができないが、一通りはまわることができた。

18時~予約していたキャリアデザイン講座に参加。航空会社、飲料メーカー、電気メーカー3社、どれも業界大手だか、その人事部の人からの話を聞く。話が上手で、けっこう楽しかったしためになった。

まわりのみんなが自分より賢く見えた。就活はこんなもんじゃないだろうに、前途多難である。

ゼミのはっぴょー

2006年06月06日 | Weblog
今日で2回目。ゼミの発表。

前々から準備してあったがやはり前日の夜になるとあれもこれもと・・・気づいてみると夜が明けていた。用意周到に、と自分の担当でないところもパワーポイントを作っておいた。

結果は悲惨なものであった。自分が口で言う内容と、パワーポイントの画面があっていない。どこでクリックしていいのかまた分からなくなってしまったのだ。原稿を見ながら話をし、パワーポイントの画面をみながらクリックし・・・なんて器用なことはできい。もとからみんなの前に出るとあがってしまう性質である。そもそも頭が少々混乱状態にあったのだ。

パートの4人との共同作業でやるはずだった、今日の発表。しかし初めてみんなで集まったのは当日の10:30。しかも大して話し合うこともなく早々と終了。ひょっとしてもっと、しっかりやろうと主張したほうがよかったのかな・・・。自分に改めて自己主張の能力が欠けていることを痛感。みんなを引っ張る能力もないときた。どうしようもない・・・。だから昔から「副」と名の付く役職は得意だった。

発表はあからさまに厳しいものに。しかもみんながやりやすそうな部分をあえて自分は避け、少し違った部分をプレゼンしたらものの見事に痛い突っ込み。「関連は?」と。一応関連もわかりやすく説明したつもりだったが・・・。誰かに使ってもらおうと作っておいたパワポもお蔵入り。こっちのほうが内容的に面白いし、関連性はあったのに。評価されなかった。

なんのために朝陽を見るまでパソコンの前に座っていたんだろ。おかげで相当眠く、機嫌の悪い日。巻き込んでしまった皆々様、本当に申し訳なかったです。このブログの内容もひどいものだ。