BUZ LIFE

毎度ご乗車ありがとうございます。

4年目にして初めて

2008年02月16日 | Weblog
バイト先で学生だけの飲み会開催!

といっても参加者は3人だけ。学生はあと2人しかいないが、一人は未成年だから誘わず、一人は予定がどうしても合わず。

これまで学生が集まって飲み会、なんてしたことがなかった。もとから人数少なかったし、仲良くなかったし。

バイト先で友達、というのにすごくあこがれた。自分には一人もそう呼べる人がいないから。年齢層が高い。

知人の喫茶店でのバイトは同学年の学生が多く、よく飲み会を開き、夏にはうみに遊びに行ったりして、みんなで遊ぶ機会が多いようで、すごく楽しそうだといつもうらやましかった。

自分のバイト先では一切そういうことがなかった。だからといって、大きな不満に思ったことはないのだけど。一応何らかの形で、月に1回くらいは飲み会らしきものがあり、上の人たちと関わるのもまあ悪くはなかった。

やっと実現できたよ、ため口で話せる飲み会が!やはり楽しいね。部署は違えど、仕事の話を中心に、気付けばけっこう長居をしていた。話は進み、酒も進み、金額も進み・・・8000円なり。さすがに痛かった。一人は就活していて金欠だから仕方ないにしても、もう一人には完全に便乗された感じ・・・。ま、いっか。

もう一回くらい開きたいな~今度は5人全員集めて。

サークル春合宿2日目

2008年02月10日 | Weblog
朝は8時に起き朝食。昨夜の酒が抜けきっていないような抜けきっているような、そもそも生気が失われているような、で不快。

午前中はゴロンと過ごして、昼食をとり、宿を出発。

帰りのバスは土合が原団地13:49発の東京駅行き。1分ほど遅れてきたのはJRバス関東の日野・・・いや、正確にはJRバステックの車両のようだ。JRバス関東の子会社で、一部の東名高速バスの運行をしているのは知っていたが、どうやらこの路線もいつの間にかバステックに移管(委託?)されていたようだ。運転士のバッジにもバステックと書かれている。車両は行きと同じく1998年式と新しくないが、子会社に新車を下ろさないのはどこも同じ傾向なのだろうか。

さて、車内の大半がわれわれのグループで埋まり水郷潮来から一路高速に乗って東京を目指す。
ここでドライバー氏からマイクを通して案内放送が入るが、とても興味深い内容。「本日も地球環境に理解を示し、公共交通機関をご利用くださいましてありがとうございます」
これまで、割と多くの路線のバスに乗ってきたが、このような放送を聴くのは初めて。
前半部分は、自動車ではなく、一度に大量の人を少ない二酸化炭素で運べるバスを利用していることを指しての表現であろう。果たして乗客の何人が”理解を示し”ているのかは測りかねるが、少なくともバスという交通機関が環境に優しい乗り物で、その利用が環境保護につながると自負している点はバス会社、あるいはバスドライバーとしての誇りを感じると共に、世間一般に広く知らしめるべき事実だと、個人的にも考えさせられる、そんなフレーズである。

しかし、後半部分では”バス”という表現ではなく、”公共交通機関”というより幅広い単語を用いていた。JRグループとして、あるいは他社のバス・鉄道も含めてもよいと思われるが、単独の土合が原団地~東京駅という”線”だけでなく、他のバスや電車を利用してより幅広いエリアまで公共交通機関でカバーする”面”という概念を用いることで、door-to-door全てをクルマではなく、公共交通機関で担う意気込みを示し、当路線はその一部でしかないことを表していると同時に、公共交通機関が果たす役割、あるいはポテンシャルの大きさを表しているようにも思え、実に頼もしい。

この放送が終わると、すぐに眠りに落ちる。さすがに、体が疲れている。目が覚めるとすでに東京駅付近、途中渋滞とは無縁であったようで、ほぼ定刻どおりのようだ。16:20、山手線よろしくぴったり定時の到着。日野は自分とは対照的に疲れを微塵も見せることもなく降車場から去っていった。

家に帰る前に、合宿のテンションと、家でのテンションを調整するため、ワンクッション、喫茶店によっていく。ここで諸々落ち着かせて、帰宅した。

サークル春合宿1日目

2008年02月09日 | Weblog
といってもみんなにとっては4日目。派手に遅刻しての参加。

東京駅9:30発の波崎方面行き高速バスに乗車。いつの間にか乗り場が6番に変わっていた。5分くらい前に乗り場に行くとすでにJRバス関東の三菱車が改札中であった。で、びっくり。かなりの人が乗り込んでいるのだ。半数以上埋まっているのなんて見たことないのに・・・と、今日は3連休の初日。学生の団体も混じっており、やはり特殊な要因での混雑だろう。40名が乗り込みほぼ満席の状態で東京駅を定刻に後にする。自分は1-B席、一番前の席だから見晴らしがよい。

首都高から東関東自動車道に入ると、成田空港発、あるいは羽田空港行きの各社リムジンバスと数多くすれ違うようになる。成田空港に近づくと、赤い翼のJALがちょうど日本を発つところを見ることが出来た。あの飛行機はどこへ行くんだろう、そういうことを考えるだけで楽しくなるが・・・数時間睡眠の影響で睡魔に襲われ、その後は意識を失う。

水郷潮来、高速道路の終点まで乗り、そこからは一般道。一般道に下りてからは意識が戻り、景色と(昨日までいた沖縄で買った)さんぴん茶と三菱の車とを楽しむ。交通量は少なく、宿の最寄バス停の土合が原団地には定刻より7分ほど早く、11:42に到着した。あっという間。

宿には送迎バスですぐに着いた。2年ぶり。特に大きく変わった点はないようだ。

午後は一応サークルの行事に参加し、夜は宴会。

アルコールが脳にでも入ったのか、「人格崩壊」していると言われるまでに。途中のサプライズ企画中では、不覚にも袖を濡らすことを抑えられなかった。自分でも驚くほど、感情が表に出て、どうしようもなくなった。

結局明け方5過ぎまで粘り、廊下で寝かけたところ、あまりの寒さに本能が働き、部屋に戻ることに。冷静に目覚ましをセットして、人生最後の合宿の夜に幕を閉じた。

久米島旅行3日目

2008年02月08日 | Weblog
久米島旅行も最終日。チェックアウトまでだらだらと過ごす。

部屋を出てからは外でテニス。風が強く風下、風上ともボールの調整に苦労しながらのプレーだったが、海のそばでのテニスは気持ちよかった。

昼食は1日目と同じく、亀吉の食堂。今日はさくな久米島ソバを注文。さくなという植物を利用した麺で、緑色をしている。特に目立った味はなかったが、これで5食目のソバということに満足。

フライトまでだいぶ時間があるので、久米島観光をすることに。鳥の口という断崖絶壁の風景を楽しみ、まじめに自然文化センターというところへ。ここで少しばかりの地理と歴史を学ぶ。

久米島を走るが、本当に車も人もほとんどみない。商店街らしきところはあるが、路上駐車がいっぱいあるだけで人が大勢歩いている風でもない。いったい、この島の人はどこに隠れているんだろう・・・。民家がたくさん密集しているところもあまりない。1階建ての家が多い気がするが、多くの家の門の上にはちゃんとシーサーが乗っているのがかわいらしい。

五枝の松という、かなり枝が伸びた松を見て、久米島空港へ。ここでお土産を買い込んで、最後の食事・・・は迷うことなく久米島そば。6食目、もう言うことはない。さすがに呆れられたが、おいしいから仕方ない。久米島ソバ、ソーキソバ、沖縄ソバの違いはのっている肉の種類が違うのだそう。どのソバがどの肉かは分からないが、どれも非常に美味しい。沖縄といえばさんぴん茶だが、これも3メーカーを制覇。何で東京でも売らないんだろう、と疑問に思っていたら、さんぴん茶=ジャスミン茶だったのか・・・。

久米島空港18:55発JTA222便、那覇空港20時発JAL926便、共に満席のフライトだったが、羽田空港には22時ちょうどに到着。帰りはあっという間だ。

金曜日の夜とあってか、YCAT行きのバスは非常に込み合っており、22:32発を満席で見送り、22:40発も補助席で案内された。湾岸線は順調に流れており、YCATには23:04に到着。

あっという間の久米島旅行。非常に楽しめた分、帰った後の寂しさがつらかった。このたびを楽しいものにしてくれた幹事・同行者の人に感謝したい。

久米島旅行2日目

2008年02月07日 | Weblog
久米島二日目も生憎の空模様で太陽は見えない。

ホテルから車で10分ほど走った奥武島というところのバーデハウスという室内プールなどの施設があるところへ行く。

水着に着替え、プールへ。プールといってもがっつり泳ぐようなものではなく、ジャグジーなどを楽しむ、穏やかなもの。塩水で、引っかき傷にしみて痛む。

外にもジャグジーがあり、その目の前は海という最高のロケーション。30分くらいもそこでずっと入って堪能した。昼食は当然のことながら沖縄ソバ。これで3食目。ぜんぜん飽きない。

昼食後はパターゴルフを初体験。長距離ではなく、こつんとボールにグラブを当てるだけだが、なかなか難しい。穴に入り、コロンと音がすると気持ちよく、けっこう楽しめた。

夕食は外でバーベキュー。ここでもヤキソバを食べ、4食目。順調そのものだ。

こうして2日目は特に観光することもなく、ゆっくり過ごして終了。たまにはこういう過ごし方もいいか、と。

夜は今日が最後、ということで、かなりの酒が入り、カオスな状況に。よく苦情が来ないな、と驚くほど騒ぎ、よく分からないまま眠りについた。

久米島旅行1日目

2008年02月06日 | Weblog
戸塚駅から5:55発の羽田空港行きバスに乗る。横浜京急バスの担当で途中港南台駅でかなりの乗客を拾い40名弱で羽田空港へ。まったく渋滞することなく、羽田空港には定刻よる若干早く6:57に到着した。

羽田空港で同行者と合流し、JAL909便9:05発沖縄行きに搭乗。あっという間のフライトで12:05に那覇空港に到着。12:25発予定のJTA211便久米島空港行きは機材の到着遅れの影響で20分遅発。久米島空港には結局13:30前くらいに到着となった。

ターンテーブルも一つしかないような小さい空港を後にしレンタカーで宿のあるイーフビーチへ向かう。天気は生憎の曇り空。太陽は姿を見せてくれない。気温も18度くらいと、想像していたより寒く、着いたら脱ごうと思っていた上着もそのまま着用。対向車はほとんどなく、民家もあまり見られない。人の気をあまり感じることなく、ホテルに到着。久米島はちょうど楽天のキャンプ地となっているが、2軍の選手たちと同じホテルであった。

ホテルの近くの亀吉という食堂で昼食。さっそく沖縄ソバを食べる。沖縄といったらやっぱりソバ。食べれるだけ食べようと心に決めてある。

昼食後、レンタカーで島内の観光開始。まずは久米仙という琉球泡盛の工場へ。工場見学は出来なかったが、ショップは開いており、中をのぞく。もろみ酢というのを試飲させてもらったが、あまり酢という感じではなくなんとなく味噌の味がする少し不思議な飲み物だった。

続いてミーフガー。海岸すぐそばに大きな岩があり、その岩の真ん中が縦に開いている。その岩よりも、波に見とれる。風が強く、波しぶきが立っていたが、白く立つ波しぶきのところがなぜかエメラルドクリーン色になっており非常にきれい。荒々しい波しぶきと綺麗な色の対照が印象的。

おばけ坂、という本当は上り坂なのに下って見えるという坂に行くが、見る人によって上っている、だの下っているだの、と意見が一致しない。ボールかなにかをもってくればよかったと後悔。

本当のおばけは次のヤジヤーガマという鍾乳洞で出そうだった。行く途中で道に迷い、地元の人にたずねると親切にも自分の車で先導してくれた。この助けがなかったらおそらくたどり着けなかったであろうと思われるくらい、奥まったところにあり、地元の人が案内してくれたことには、霊感が強い人は立ち入らないほうがよいとのこと。鍾乳洞は相当暗く、懐中電灯などの装備がないと入れないとのことなので断念。驚いたことに、大きな穴のなかに人骨が置いてあった。つぼのなかに入っているものもあれば、そのままむき出しになっているものも。呪われなければいいけど・・・と願いながら後にした。

最後にガラサー山により、ホテルに帰る。夕食は近くの食堂で。刺身やゴーヤチャンプルーなど地元の食材が使われており美味しかった。最後にソバも出てきて、これで2食目。

ホテルに戻り、ホテル内の海洋深層水使用の風呂に入る。普通の水と違いがよく分からなかったが、きっと何か良いことがあるのだろう、といい気分であがる。

室内は広く、4人一部屋でも狭さは感じられない。目の前には海が広がっており、ベランダに出ると夜の風が気持ちいい、まさにリゾートといった感じで幸せな気分。夜は久米仙など、かなりの酒を摂取し、目覚ましもかけずに寝てしまった。

花束

2008年02月03日 | Weblog
ゼミの卒業論文は無事に教授に手渡しして提出完了。そして先日はその内容の発表を教授、ゼミ生の前で行った。パワーポイントを使って15分の持ち時間で説明。内容云々より、15分きっかりで終了できたことにわれながら感心。

少しはパワーポイントを使っての説明もうまくはなった。2年前ゼミに入ったとき初めて用いたが、最初はセリフが棒読みになるし、スライドは話すタイミングに合わせてうまくきりかえれないしで、苦労した。何回か発表するにつれ、だんだんと慣れてきた。

2年前・・・か。

そう、ゼミに入ったのは2年前。光陰矢のごとし、を身にしみて実感。

このゼミに入るのには苦労した。なんといっても60あるゼミの中でも、5本の指に入る倍率の高さ。他のゼミにしようかと何回も考え、何回もやはりこのゼミにしようと決意した。教授の本を2冊2回読み返し、英語の勉強を本格的にして・・・。

結果合格。そのときどれだけ友人に感謝したことか。
ゼミの面接で、「他人になりきって自分の事を紹介してください」という課題が事前に公表されていた。普段他人の目を気にしながら生活している割に、自分のことをよくわかっていなかった自分は友人に自分の長所・短所を教えてくれるよう頼んだ。新たに気付かされた点もたくさんあって、それを基に面接に臨んだ。
多くの人が協力してくれ、本当にありがたかった。

念願のゼミに入ったわけだが、現実はそう甘くはなかった。
当初、ゼミに溶け込めなかったのだ。新しい集団に入るとき往々にして自分はなじむのに時間がかかる。慣れっこではあったが、期待が高かっただけに少々の失望と焦りと、(このゼミでよかったのかという)後悔とが入り混じり、気分は憂鬱であった。

しかし1ヶ月もすると、ゼミのあとにはみんなで夕食を食べに行くようになったり、ソフトボール大会に参加したりと、急激に仲良くなっていった。これまで属した集団とはまた違い、個性的でバイタリティーあふれる人たちばかりの集団で非常に刺激的であった。1つ上の先輩も積極的に絡んでくださり、われわれの代はお世話になりっぱなしであった。
もちろんゼミの勉強もしたが、むしろゼミの人たちと遊んだ記憶が鮮烈だ。河原で飲み会をし、沖縄合宿では夜の海辺で妖精に出会い、フットサルをし、オールをし・・・。

そんなゼミ、先日の卒論発表の場をもってすべて終了。そして追いコン。
サプライズ企画で、このゼミの中で卒業式をやろうと。一人ひとり前に呼び出され、教授から「花束」をいただく。そしてコメントをしてくださる。一人ひとりのこと、よく見ていただいてたのだな、と。

実感がわかない。これが最後だなんて。だから悲しくともなんともないが・・・。それはまだまだ、このゼミの人間として、このゼミに関われるという期待がそうさせてくれるのであろう。ぜひ、そうなって欲しいと願うばかりである。