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”今のほうが断然いい”岩崎航さん!

2016-06-30 13:34:40 | 日記

 
あれからさらに20年の歳月が経ち、僕は今、37歳になった。
症状は、一層進んだ。
あまりにも多くのことを失った。
思うことはたくさんある。
僕は立って歩きたい。
風を切って走りたい。
箸で、自分で口からご飯を食べたい。
呼吸器なしで、思いきり心地よく息を吸いたい。

でも、それができていた子どもの頃に戻りたいとは思わない。
多く失ったこともあるけれど、今のほうが断然いい。
大人になった今、悩みは増えたし深くもなった。
生きることが辛いときも多い。

でも「今」を人間らしく生きている自分が好きだ。
絶望のなかで見いだした希望、苦悩の先につかみ取った「今」
が、自分にとって一番の時だ。
そう心から思えていることは、幸福だと感じている。

授かった大切な命を、最後まで生き抜く。
そのなかで間断なく起こってくる悩みと闘いながら生き続けて
いく。
生きることは本来、うれしいことだ、たのしいことだ。
こころが温かくつながっていくことだと、そう信じている。
闘い続けるのは、まさに「今」を人間らしく生きるためだ。

生き抜くという旗印は、一人一人が持っている。
僕は、この旗をなびかせていく。

岩崎航著『点滴ポール 生き抜くという旗印』から

                           


日本の空の碧さと日本会議?

2016-06-30 01:43:20 | 日記



          過ぎさってしまった日を
          どうこういうのではないが
          なんという
          空の蒼さだろう   
 
                      山村暮鳥「ある時」
                       (旧かな遣い変換)

上記した詩の作者である山村暮鳥については、その名前以外のことはまったく知り
ませんでした。でも少しまえに何かの関係からウイキペディアを読んでその概略を
知りました。ウイキの内容が、ここでも、どこまで正確かはわかりませんけど、ほかの
記事を読んでみてもそんなには違ってはいなさそうです。 

上記の詩は、暮鳥に興味をもって、とくに「十字架」という詩を読んでみたいと思
ったのでさがしているうちに出会った詩なのです。ぼくも空が好きで、鎌倉にいると
きにはよく江ノ島や七里ガ浜にいってよく海や空を眺めていたのでした。

十字架という詩は青空文庫にはなくて、国会図書館でコピペをすることができた
のです。国会図書館など格別の用事があるはずがないわけですけど、ネット上で
一般公開されているものもけっこうあるのですね。

また、暮鳥が洗礼を受けて後に神学について学ぶことになった神学校、東京築地
の聖三一神学校というのは、聖路加病院の隣辺りにあった聖公会の神学校だった
のだと思います。
ご存知の方がほとんどだと思いますが、日本聖公会「英国国教会」の日本支部
といった位置づけだと思うのです。そして、立教大学、聖路加国際病院、滝乃川学園
をはじめ、日本国内にたくさんの大学や病院を創設しているようです。

ウイキの日本聖公会の項目を読んでみたら、京都にある「平安女学院」や「桃山
学院大学」も系列校なのでそうです。平安女学院短大といえば、上野千鶴子さんが
たしかドイツにいく前に在籍していた学校のはずです。
あの頃、上野さんが書かれた本の題名や内容は、かなり過激なものが多かったよ
うな記憶があります。4文字言葉満載の本とかジェンダー、セクシャリテイといった
問題についての発言だったと思いますけど、難しい理論書は歯が立たなかったので、
そんなような本の印象だけが残っているのかもしれません。 
あの頃の上野さんは女性で一番の理論家と言われていたらしく、そんなことも誰か
から聞いたような記憶
もあるのです。 

冒頭の詩ですが、ここに書かせて頂いたのはこの詩がなんとなくという以上に、
とってもいいな~!と思ったからでした。
  過ぎさってしまった日を
  どうこういうのではないが
  なんという
  空の蒼さだろう
昔、国語の教科書に哲学者アランの「遠くを見よ」という文章がありました。
そこでアランは、「思いつめて死まで考えている人には、わたしはたった一つしか
言うことがない、……
遠くを見よ」といったようなことが書かれていました
ようするに、人という存在はこの地上から離れて生きていくことができないわけです。
客観的にも主観的にも、人間はこの地上を這いつくばって生きている昆虫たちと
同等の存在であることはたしかなわけです。そういった限定的存在としての人間に
とっては「空を見上げて、空から眺めて~」といった自由な視点がなければ、そこで
自分自身を相対化するための第2の目、第3の目といった客観性がもてなければ、
この惨めなそんざいから超越することはできなさそうなわけです。
 
   なんという 空の蒼さだろう 

この句の前段は、
   過ぎ去ってしまった日を どうこういうのではないが 
過去という時間は万人に平等にあたえられている、ということなのでしょうか。
それとも。 
あいかわらず、思いついたことをだらだらと書いてしまいます 

Dさんに言ってしまったこの投稿の約束を守ろうとおもい、巻頭言てきにこの詩を思
いついたのです。でも、この詩についてもなにかを書かないとと思って、聖公会など
を検索している間に時間切れになってしまいました。

今日、Dさんと話していて書こうと思ったのは、課題図書ならぬ『日本会議の研究』な
のです。実はこの本、少し立ち読みをしただけで買ってないのです。買うのがもったい
ないと思ってしまったのです。ほかに買いたい本が何冊もあってという現状のわけ
なので、この内容は大事なことだと思っても、カスタマーレビューと評論記事を重ね
合わせたところで何とか判断をしてみるので間に合わせることにしようとおもってい
る次第です。
日本会議については、魚住昭さんがそのブログに何回かにわたって書かれていて
読んだ記事もあります。
ぼくは魚住さんをかなりなところまで信頼しているので、その記事を読んでみようと
思っています。 

ウェブマガジン『現代ビジネス』に、魚住昭さんによる「日本会議」に関する記事の
一覧
があります。
少しでも興味をお持ちの方は是非とも、お読みください。ぼくも忘れてしまったこと
がほとんどですけど、新たな記事も含めて読み直したいと思うのです。 

一覧表のなかの6月5日の記事「安倍政権の黒幕「日本会議」とは何か」では、
この本について書かれています。

<いま話題の『日本会議の研究』(菅野完著・扶桑社新書)をお読みになったろうか。
もしまだなら、ご一読をお勧めしたい。こんなに興味深い本は、そう滅多にあるもの
ではない。本の内容は書名通り。安倍政権の“黒幕”と噂される右派団体・日本会議
とは何かという疑問にわかりやすく応えている。

私も10年前に日本会議を取材した。結果はこの連載でも述べたので覚えておられ
る方もあるだろう(gendai.ismedia.jp/articles/-/44029)。著者の菅野さんは
丹念な取材でそれをさらに掘り下げ、現在の日本会議の姿を赤裸々に描いてみせ
てくれている。>  菅野完さんについてウイキ

Dさん、そのような次第で?今宵はもう寝ないといけません。NHKウインブルドン
錦織圭の第2戦は雨のため開始時間が大幅に延びているようです。録画をしよ
うとセットしておいたのダメになってしまいました。

しかし、MRIは明後日ですね。結果がでるまではケセラセラでしかないと。まあ、
こうした心構えは、ぼくの現在の病気とか終活とかにたいする 基本的な考え方
なのです。いつも話しているとおりなのですが、近藤医師の言われていることに
極めて近しいといった内容にもなるわけです。

肉体的な痛みや苦しみは、心配という範疇から外れた大変な苦悩に結びつく事態
なのだと思います。でも 仏教では”一切皆苦”という教えもあるようなことを耳にした
ことがあります。そして生老病死の四苦は人間の限界状況のわけですが、こうした
苦というのは仏教的には、”思いどおりにはならないこと”という意味なのだとか。
つまり、ケセラセラという言葉に同義的な意味合いもあるのではないかといった
こともあるのではないかと。

このケセラセラという言葉は、あの哲学者ラッセル家の家訓だと聞いたような記憶
があるのですが、ウイキをみてもその他でも無関係なのかもしれません。一説では
ある映画の主人公の伯爵家の家訓だったとか?しかし、ドリス・デイの歌は有名で
すし、聞いていて自由さとか解放感に浸ることができる感じがします。

しかし、上記したことごとは正に、釈迦に説法以外の何ものでもありません
勝手なことごとを書いてしまいますけど、Dさんの根源的・根底的な信条の部分で、
上記したような事柄はどのような位置づけになるものなのか、これからもご教示
頂きつつ、相互検証てきなばしょで関わり合いたいとも思うのです。。
ぼくも残り少ない余命のなかで、最期的なかくごとかについてどのように総括でき
るのか、、どうしたものかと四苦八苦的総括をしなければいけないと痛切におもっ
ているのです。
Dさんはぼくなどとは違って、ほんとうの至高の理念、根源の真理について自覚的
な立場をもたれているわけだと思いますので、もちろん多分なのですが、その辺に
ついてもですね……。 

 


Dさんありがとうございます。

2016-06-26 21:27:12 | 日記

Dさんありがとうざいます。ご病気とは知らずすみませんでした。

肩鍵盤損傷・・聞いたことのない症状です。

管理人が思いつくのは、人の体は食べ物でできているので、炎症にきく紫蘇や腱ををつくる鳥の手羽、痛みがでていると体が疲労するので、ビタミンや梅干しなどの疲労回復の食事を摂ることくらいです、

どなたか良い情報などありましたら、ブログでもご本人にでもお寄せ下さい。

パソコン入力は症状に悪そうなので、無理をしないで、ご快癒の節はその旨是非ともまた投稿してください。


Dさん有り難うございます!

2016-06-24 23:59:12 | 日記

       
Dさん、初めての投稿有り難うございます。
肩の調子がよくないのに本当にすみません。感謝です
とにかく、MRIの検査結果がよいことを期待し祈念するなかで待ちたいですね。

Dさんも言われるように、僕もイギリスのEU離脱決定のニュースは、驚きでした。
こうした投票結果というのは、大英帝国時代から続く王家のエリザベス2世女王陛下が、
投票の土壇場で、EU離脱支持を間接的にせよ国民に知らしめた結果なのでしょうか。
離脱という結果は、そんなに単純な理由だけではないとは思うのですが、でも気になる
点でもあります。

この問題についてネットでほんの少し検索してみました。
自分の手持ちの判断材料はゼロにちかく、欧州の経済や政治の問題などについても、新聞
の見出し記事のレベルで恐るおそる自分の感想をつくり上げる以外にはなにもないわけです。

それで、ぼくの感想に近いことを言って下さる人はいないものかと探したところ、といっても、まず
内田樹さんのツイートにいってみたのです。
そうしたら以下のようなツイートをされていました。このツイート以外にもリツイートを含めて発言
をされていますのですが。

<英国のEU離脱の動きは、フランスの国民戦線、ドナルド・トランプ、安部政権へのドメスティック
な支持の高さと共通する現象に思えます。「ナショナリズムの時代」がまた来るのか、ナショナリ
ズムのこの痙攣的な末期症状を経由して、新しい政治思想や体制が出現するのか。どちらでしょ>

そして僕などは、あり得ないこととは思っても第3次世界大戦を心配してしまうのです。世界大戦
というのは不可能であっても(もしあったら世界・人類が破滅)過去の大戦もどきの第二次世界冷戦が。

それから、BBCの日本版には面白そうな記事がなくて、ロイターを見たらそうなのかなと思える
記事がありました。
コラム:大英帝国分裂か、EU崩壊は杞憂唐鎌大輔 みずほ銀行のチーフマーケット・エコノミスト

(2004年慶應義塾大学卒業後、日本貿易振興機構(JETRO)入構。日本経済研究センターを経て
欧州委員会経済金融総局(ベルギー)に出向し、「EU 経済見通し」の作成やユーロ導入10周年
記念論文の執筆などに携わった。2008年10月より、みずほコーポレート銀行(現みずほ銀行)
国際為替部で為替市場を中心とする経済・金融分析を担当。近著に『欧州リスク―日本化・円化
・日銀化』(2014年、東洋経済新報社刊)ー東洋経済ONLINEによる紹介記事ー)

上記記事を読んでもよく分らないのですけど、でも何となくいい線かなといった感じなのです
経済の問題などは、勘を働かそうと思っても勘がアレルギー反応を呈してくださるといった次第。

そして、もう一つ「東洋経済ONLINE」の下記のような記事が目につきました。
 <「英国EU離脱で日本は英国以上に厳しくなる」ー日経平均1286円安、16年2カ月ぶりの
 下げ幅ー> 近藤駿介 金融・経済評論家/コラムニスト

(1957年東京生まれ、早稲田大学理工学部土木工学科卒業後、総合建設会社勤務を経て、31歳
で野村投信(現野村アセットマネジメント)に入社。株式、債券、先物・オプション取引等を担当した後
、野村総合研究所に出向しストラテジストとして活躍。再び、野村アセットに戻ってからは、担当ファン
ドが東洋経済の年間運用成績第2位に選出されるなどファンドマネージャーとして活躍。その他、
運用責任者として、日本初の上場投資信託(ETF)である「日経300上場投信」の設定・上場を
成功させ、1996年に野村アセット初のプロフェッショナル・ファンドマネージャーとなる。現在は
金融や資産運用に関する客観的な知識を広めるべく、合同会社アナザーステージを立ち上げ、
会長兼CEOとして、一般向けの金融セミナーや投資セミナーなど専門家向けセミナー等も開催中。
自身が手掛けるメルマガ『マーケット・オピニオン』は、個人投資家から圧倒的な支持を得る。)

上記の記事については、判断も感想も持ちようがない感じです。
でも、
今回の英国国民投票の結果を受けた金融市場の混乱について認識しておかなければ
ならないことは、金融市場の短期的な反応と、今後の英国及び世界経済の影響は分けて考える
必要があることだ」
「英国はもともとユーロに入っていない」
「専門家の中には、英国のEU離脱がリーマン・ショック以上の危機を招くと危機を煽る人もいる
ようである。しかし、リーマン・ショックは『金融的ショック』であるのに対して、今回の件は『政治的
ショック』であり、全く別種のものである」などと言った言葉を聞くと少しは安心なする点もあります。

でも、
「日本は英国のEU離脱によって世界の「秩序」が揺らぎ円高になっているにもかかわらず、介入
で対応できない状況に追い込まれる可能性が出てきている」と。

上記の記事の筋道は読んでも理解不能なのですけど、でもDさんが心配している円高が心配です。 
金融経済の臨床家とでもいえる人の見方だと思うのですけど、どうなのでしょうか?
また明日になると、いろいろな専門家のひとたちの意見を聞くことができるのだと思います。 

今日のテニスコートのベンチで、いつもおとなしくて政治的な発言をしたりすることがなかった
メンバーの女性が、「もしも日本に、東南アジアの人たちが仕事を求めて大勢で来てしまった
としたら、とっても嫌ですね~」と言っていたのにはびっくりしました。そういったところもあるの
でしょうか。 

またまた、……でした……
        


初めての投稿です。

2016-06-24 17:59:33 | 日記

D

今日はEU離脱の日でショック状態にあり ます。世界経済影響云々は ニュウスで溢れているけど個人的には円高で家計にマイナスです。話題は変わってまた辛い話しです。二ヶ月位前,.原因ははっきりしてないけれど肩鍵盤損傷となって日常生活に支障が出ています。本を持てない、パソコンを打つのが辛い、右手が使えない不便さを初めて経験しています。損傷は回復は時間がかかる、難しい等の情報で鬱気分です。肩の負担がかかってきたのでこれで中断します。

 

 

 


紫陽花が綺麗でした。

2016-06-23 23:35:59 | 日記

        
     (紫陽花、テントウムシ)
雨上がりの午後の遅い時間、テニスにいく途中の路で雨にぬれた紫陽花が
とっても綺麗でした。昔、鎌倉にいたころ、紫陽花で有名な明月院には数回
行ったことがあります。明月院のある北鎌倉の辺りには、円覚寺や東慶寺、
建長寺とか浄智寺があって、ゆっくりと散歩をしながら見学をしていると昼
ご飯をはさんで一日コースになってしまいます。

たしか円覚寺と東慶寺には、著名人のお墓がたくさんあったような記憶が
あります。円覚寺のなかのある塔頭の奥様とは仕事上のことでご相談をさせ
ていただいたことがあったりして、そのときの対象者の方もそこのお墓に入っ
ているはずです。そう、円覚寺とその近くのお寺には、このグループでも2度
くらいは行っているはずです。 想いおこしてみると実に懐かしいですね。

ブログにこうして書いてみようかなと思わなければ、こうして想い出すことも
なかったわけです。今ここで、特別なにかについて書こうと思ったわけでは
ないのですけど、いままた雨が降り出してきたみたいで、いろいろ昔のこと
ごとをそれとなく想い出して見るのもいいものです。想い出といえば、部屋の
なかにはたくさんの写真を100均で買った額にいれて飾っています。

こうでもしないと、せっかく撮っておいた写真が焼却場にいくばかりになって
しまうし、長い間段ボールの中に閉じ込められていた写真がかわいそうとい
うものです。赤ん坊のころからの懐かしい写真とか、今では会うこともでき
ないグループワークで一緒した人など、そこで出会って一緒に過ごした時間
を想い出しながらいろいろなことを考えてみるのには、写真があると実にいい
ですね。
Dさんはじめ皆さま、といってもブログにアクセスされているメンバーの方は
なんいんいるのでしょうか?ふたりは確実なのですが。
Dさ~ん、あしたテニスにいく前にでも、また……!
      


読ませていただきます。

2016-06-22 23:41:56 | 日記


コメント欄に書き始めたのですが、投稿にした方がブログの賑わいにもなると
思いここに書かせていただきます。

良い本を紹介していただいて有り難うございます。
ほんとうに時宜にかなった本の取り上げ方ではないかと感じます。
今、図書館に予約を入れてみたのですけど、すでに予約者9人なのです。
明日にでも、時間があったら本屋に寄ってみるつもりです。

しかしこの「日本会議」という団体には、以前から興味をもっています。
今まで幾つかの関連記事をよんだりしたことがあるのですけど、でも大部分を
忘れてしまっています。

また、この本の著者は知らない方ですが少し調べてみると、その出自からする
履歴のすべてがとても複雑な人のようですね。また、扶桑社の出版物というと
すこし色つきで見てしまいがちですけど、この本についてはそうとも言えずわけ
の分らない部分があるようなのですが(もちろん僕にとって)。
とにかく”百聞は一読にしかず”ということで、読んでみたいと思います。

それと、今年の4月に発売された本のわけですけど、アマゾンをみたらベスト
セラー1位で、カスタマーレビューが127件なのですね。
とにかく読ませていただきます。

それにしても、参議院議員の選挙が始まりましたですね。 


おすすめ図書

2016-06-22 20:08:19 | 日記

さて、選挙も公示となりました。

その前に読んだらどうかなと思う本「日本会議の研究」扶桑社

読み終わって疲れたら岩波書店が珍しく出しているエンターテイメント系の「裏切りの晩餐」

 

ブログ継続のご要望がありましたが、その後 su-さん以外の方の投稿もなく、管理人はいささか残念で寂しい思いがしております。

どなたかの投稿があるまで、天照大神のごとく天の岩戸に隠れ、ブログを見守ることと致します。(笑)

あまり投稿がないと無料ブログのため、宣伝だらけになってしまいますので、近況やsu-さんのご提案のとおり食事、健康についての意見交換なども良いかと思いますので、皆様ご協力よろしくお願い申し上げます。


舛添さんと栗本慎一郎……

2016-06-22 01:06:05 | 日記

ニュースによれば、東京都知事としての舛添さんが登庁するのは、退職の
日付である本日の21日ではなく、昨日が最後の日だったそうです。
そして昨日、舛添さんが都知事として最後に退庁する様子はテレビニュース
で何度となくくり返してみることができました。

報道番組でもバラェテイー番組でも、その退庁の仕方がよくないということで、
ぼくが番組を見た範囲では、ほとんどのコメンテーターから批判されていました。
おまけに幾つかの局では、過去の都知事の最後の退庁時のビデオ映像と
比較されてしまって、そうした様子が余りにも好対照であったために、昨日の
舛添さんの異常な姿が際立ってしまったと思います。 

ぼくもそうした映像を見ながら、これはダメだなーと思いました。
これでは、まったく舛添さんらしくないのではないか?本当に舛添さんはあの
うな退庁の仕方で良かったのか。
舛添さんは、都議会での最後の挨拶の中で、「東京を世界一の都市にしようと、
私なりに全力を尽くしてまいりました
」と言っていたはずです。
舛添さんが全力で頑張ったのは間違いなかったとして、しかし舛添さんは一人で
頑張ったわけではなく、都庁の職員の人たちと一緒に共々に頑張ったはずです。

だったら、一緒に共々に全力で頑張ったはずの職員がいる都庁という職場に、
振り向くということもすることなくして、足早にさっさと車に乗り込んでしまうとい
う舛添さんの姿は、あってはならない映像として見たくはなかったですね。 

東京都庁という職場は、舛添さんにとって2度目のチャレンジでその職場の
トップになることができた、念願の職場であり役職であったはず。
それなのに、あのような最後のお別れの仕方というのは、ぼくには考えられ
ないし、あってはいけないことだとおもうのです。

当然ながら、最後の退庁の仕方については舛添さんなりに考えられた結果
のことなのだと思うのですが、画面で拝見する限りでの舛添さんの様子は、
何かかぎりない拘りに満ちたような表情を感じました。舛添さんの何かへの
執念のような、いい加減な憶測は控えなければ失礼だとはおもっても、
しかし舛添さんのその一途な表情と一挙一動にはなにか限りない拘りと
虚しさを感じさせられましたですね。今の舛添さんには、だれが何を言っても
聞く耳をもたないのではないかと。

こうした人としての在り様というのは、虚無といった言葉に近いように思います。
舛添さんの中にも、そしてそうした舛添さんを感じるぼくとのお互いの間には、
そこに底流するのは、虚無感ですね。
よく分りませんけど、ほんとうに空しい感じ以外のなにものでもない。 

話は変わりますが、
Dさんと長話をする機会が多いのです。きょうも話しているなかで、たまたま
本の話になった時にDさんが、吉本隆明さんの対談本を自分の書棚で見つけ
たよということだったわけです。ぼくもその本をもっているので、じゃあふたりで
読書会をしましょうということになったのです。

少し前に、少し回っている頭の中で、その本『相対幻論』1983年冬樹社(栗本
慎一郎との対談)のページをめくってみたのです。 そしたら、栗本さんの後書き
「経済人類学と吉本隆明」で目に入った言葉にすこしばかりひきこまれたのです。

「学者にせよ思想家にせよ、彼は徹底的に私的になることによってはじめて
時代の公傷をにないうる。私的であることを拒否し感性を解放せざる者は、
傲慢な教条主義の枠内にとどまることしか出来ない」

この部分の言葉が鉛筆の線で囲まれていたので目に飛び込んできたわけです
けど、読みながら、舛添さんのことを連想してしまったのです。この文章の理解
について文脈を抜きにしてもしなくても、いずれにしても理解が届かずよく分ら
ないということは、僕のいつもどおりのことなのですけど、でも、舛添さんは、
ここで栗本さんが言っている「私的」という言葉を、まったく間違って理解してし
まっているのではなかったのかと。

舛添さんは、時代の公傷を真摯にになおうと私的にも頑張るはずであったのに、
その公傷を徹底して私的に掘り下げて突き詰めて課題化して、というプロセス
を辿らなければならなかったのに、しかしそこを私的に流用してしまった?
そしてまた、その「私的」を私的に指摘されてしまったという悲劇。
なのでしょうか?
すみません、よくわからないことを、適当な解釈のし過ぎをして間違っているか
もしれません。そうしたら、ご指摘をいただけたならばほんとうに感謝です。

ここで栗本さんが言われている「私的」ということは、たしか小林秀雄が同じよ
うな意味合いで言われていたような記憶があるのです。
私的を徹底する方途以外に事柄の本質へと辿りうる道筋はあり得ない!
と言ったようなことだったと。大昔の微かな記憶なのですけど。
小林さんから”君は君自身でいたまえ”といった言葉をきいた憶えがある
のですが。

それにしても、 上記した栗本さんの言葉、「私的であることを拒否し感性を
解放せざる者は、傲慢な教条主義の枠内にとどまることしか出来ない」は、
「私的」という言葉を誤解しない限り、とっても刺激的なつよいことばだとお
もうのです。70年代にも通用したような、また高倉健!のその余りにも私的
・義理人情的な生きざまとも共通する可能性が秘められた。
(昔、健さん主演の映画は何本か見ました。今みたらどんな印象なのか)

でもその反対に、専門なんとかといわれ、光の向け方、方向性が間違って
いるのではないかと厳しく批判された燈台のお役人さんもいたような記憶
があります。
相変わらずいいかげんで生意気なぼくの言辞は、ここでもご批判をいただ
くことになるのかもしれません。 

明日読み返してみます。 
そして読み返してみたけれど、なんだか書いた本人がよく分らないといった。
そもそもこの本の読書会をするとしたら、だれかわけ知りの方に道案内を
お願いしないと無理ですね。wikiを道案内に頼るレベルでは無理そうだし、
でも、考えてみたら自身にに引っかかるところだけをお互いに出し合って、
お互いの分らなさを分担して調べ合えば、そして1年くらい時間をかければ
少しは理解とは言えなくても、感想を確認しあえるということなのではないかと。 

すみません、ここまで読んでくださった方は一人か二人だと思います。
もう自分でもなんだかよく分らないことについてくどくど愚だ愚だと書き連ねる
といった投稿はやめにします。健康や食事について意見交換でもできたら
いいなと思ったりします。 

きょうは、雨がいつ降ってよいといったお天気模様です。
これから、またテニスです。このテニスもいつまで続けることができるのやら 


今日、6月19日は桜桃忌!

2016-06-20 01:35:11 | 日記



「僕は自分がなぜ生きていなければならないのか、それが全然わからないのです」
                        太宰治『斜陽』 青空文庫 

昨日投稿した”たのしい高校3年生でした”
何だかかんだか能天気な記事ですね。
難しい問題に取り組むなかでお仕事をされている方が読んだならば、
「君の脳天気ぶりは今に始まったことではないけれど、如何なものか!」
と呆れられるのは確実でしょう。

テニスの試合の後は打ち上げとやらで飲み、また同窓会でも飲み、家でも
毎日飲み続けてしまう。お金の空費もいい加減にしなさいと言われても仕方
ないですね。

自己批判すれば済む問題ではなく、いいわけの一種という自己欺瞞でしかない。
都民の批判にたいする舛添さんの姿勢と似ていますね。

でも、騒動最終期の舛添さんは真剣になっていたと思います。子供さんのことを
言い始めたころからの舛添さんは、わが子に対峙する真剣で真面目な舛添さん
になっていたはずです。

多分、自殺する人がその最期の時に意識の錯乱と昂揚感のなかで、一瞬正気
になるのではないかと想像するように、それと同種の魂の覚醒を、子供の頃の
ご自身の気持ちを取り戻していたと思うのです。
生意気な言い方でもうしわけないのですが、でも。

「笑われて 笑われて つよくなる」 太宰治『HUMAN LOST』 青空文庫

 Dさ~ん、まだですよ~!