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「それでもボクはやってない」

2012-07-31 00:22:30 | 日記
 

おもわず、万歳三唱をしてしまいました。この記事にようやく有効なリンク(下記のURL)を張ることができたのです。この間、時間にして15分くらいでしょうか。前のブログでもできなかったし、今回も数回やり直してみてもできなかったのです。それでなんだか癪にさわったので、絶対にやってみようと思ったわけです
 
以前、tagawaさんにやり方をお聞きしたときにはできたのです。でもその時はたまたまできてしまっただけだったようなのです。以後同じようにやってもできませんでした。しかし、メールなどに貼りつける場合はいつものコピペで対応できているのです。ツイッターなどでも有効なのですけどね
 
 とにかく、このブログの編集画面の上の欄に案内として表示されている「リンクの方法」で説明されている通りにやったらできてしまったというわけでした。こうした場合に、予断をもたずに、単純に説明書き通りにやってみるのがいいみたいです。というかそれ以外の方法ではできないようになっているのでしょうね。君はばかだね!といわれても仕方なさそうです

 なんだか、前置きを書くだけで疲れてしまいました(笑)。まあ、例によっていつも通りのぼくの勝手なお喋りなので、許容範囲も無限大であると自得させていただくしだいです。

 ところで上記の絵は、知っている方はしっているという、ブリューゲルの「子どもの遊戯」ー1560年ーです。この部屋にも盗絵?もどきのA4サイズの写真があります。(著作権の侵害ではないことを確認していますです)この絵をみていると、なんだか慰められるような感じがするのです。 
http://www.asahi-net.or.jp/~YQ5Y-YSD/asobi.htmlによると、この絵の中で子供の遊びは91種類あるのだそうです。おもわず嘘っ!といってしまいそうです。いくら昔の話といっても半端な数ではないですよね。しかしよく調べたものだと思いますね。調べる意味があったから調べたのでしょう。その意味は僕などにはわからないわけですけど。世の中にはほんとうに暇な人がいるものです

 などと思っているわけでは全くないのですが、でも学者さんはホントに凄いなあと感心させていただくわけです。今フット思ったのですが、そしてまた吉本さんで恐縮の極みですが、吉本さんが若い頃にもっとも強く影響を受けた書物を三冊あげていたことがありました。というか編集者の質問に答えていたわけです。「平凡パンチ」でだったかもしれません。確か、『新約聖書』と『資本論』とファーブルの『昆虫記』だったと思いました。

『昆虫記』は、例えばこんな感じなのでしょうか http://www.shueisha.co.jp/fabre/archive/02.html ぼくは読んだことがないのですが。吉本さんはファーブルについて、昆虫についてもこんなにも精緻に観察と記述をくりかえさないといけないものなのかと、驚いたというか感心してしまったといったことをいわれていたと思いました。このことばは僕の勝手な表現です。

 とにかくこの『昆虫記』は奥本先生の完訳本だと、全部で10巻・20分冊なのだそうです。昆虫の本でなくてもこれだけ同じようなタイトルの本が並んでいたら、とても読む気になどならないですね。
 ともかく、ぼくが読んでもいない『昆虫記』を想いだして、91種類の子供たちの遊びを数えた先生のご苦労を思ったわけなのでした

 上記のような記事を書く予定ではなかったのですが、この画像を選んでしまったのでなりゆきから余計なことを書いてしまいました。
書きたかったことは、前のブログにも少し書いた、銀座で開かれた「…記念シンポジウム」についてなのです。

 その後、周防正行監督が脚本・監督をされた「それでもボクはやってない」という痴漢冤罪事件を扱った映画を観たのです。この映画はまったくお勧めですね。ツタヤで100円で1週間借りることができました。100円は60歳以上でしょうか?

 周防監督は、この映画を通して、刑事裁判の現状を多くの人々に知ってもらいたかった。少なくとも、ぼくが見た刑事裁判はこのような現実でした、ということを伝えたかったといわれています。映画を観ていて最初は忍耐が必要でした。でもがまんして観る中で、ほんとうに気持ちが強く動かされてしまいました。感動させられたということなのですが。

 <それから、とにかく僕の書くこの記事は、前後左右食べ散らかし放題の食卓みたいでもうしわけありません。

 このシンポジウムを主催した「共生社会を創る愛の基金」は、村木厚子さんが冤罪の国家賠償として得た3330万円を基にしてできたわけなのです。
この集まりには、参加してほんとうによかったと思っています。なにがどう良かったのか、僕もまったく知らなかった「累犯障害がい者」とはどういう人達なのかとか、また書く気になったらというか、書けたら書こうと思います

週間金曜日?

2012-07-20 09:52:33 | 日記
  
 
 当地の空模様は曇りです。今、朝です。朝書くのは久しぶりなのか初めてなのか?昨夜はこの部屋のソファーで寝てしまいました。おかげで少し腰に違和感があってオカシイのと、ぐっすりと寝た感じがしません。ソファーに寝るのはやめた方がいいのですが、飲み食いした後のなりゆきで寝てしまうことがあります。
 最近、ぼくのテニス人生も徐々に復活しつつあります。ファーストサーブも全力でできるようになりました。テニスのサーブは2回できるのです。ですから、ファーストサーブはパワー全開でボールを打ち抜きます。そしてセカンドサービスはフォールトしないようにコントロール重視で打つわけなのです。
 
 テニスはオムニコート(砂混じりの人工芝)でやっています。このコートはハードコート(テニス用のコンクリート)よりも照り返しによる温度の上昇は少ないのです。でもこの時期ですからある程度の温度の上昇は仕方なく、外気温よりも2,3度は高いような感じがしています。今日は朝の9時から近くの市営コートに予約してあります。
 
 予約は2か月前にPCでネット予約をします。ほぼ全会員が自分のPWを使って県のサーバーにアクセスして、予約の申し込みをするわけです。申し込んでも予約が確定するかどうかは分らず、コンピューター抽選の結果で確定するわけです。ぼくが所属しているグループは50人くらいのメンバーですが、新人の募集は中止しています。市のテニス協会にも所属していますが、一番新しいグループなのです。このグループについては前に何か書いたことがあるような気がします。すみません

 じつは今日は、金曜日なのです。ダテさんと一緒に首相官邸にいったのは先週でした。あれから、もう一週間も経ってしまったというわけです。ほんとうにあっという間の一週間でした。そしてこの一週間というもの、自分はなにを思いなにをしたのか

 「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。 たましきの都のうちに、棟を並べ、甍を争へる、高き、卑しき、人のすまひは、世々 ...」
 …ネットはホントに便利です。しかし鴨長明さんも、いまこの時代に生き返ったらどんなことばを紡いでくださるものか

 そろそろ真面目に、自分の終括の方法をまとめないといけないなあと思っています。前々から何となく思っていたわけですけど、少し前にテニス仲間が急性心筋梗塞で九死に一生を得るということがありました。他市で行われたテニスの試合に参加しているときに、ベンチで急に倒れこんで意識不明になり心停止になってしまったそうです。

仲間がすぐに心臓マッサージをするなかで、すぐそばの消防署からAEDをもった消防隊員が駆けつけて下さり当市の基幹病院に搬送となりました。しかし重篤度に緊急的に対応するには他市の基幹病院がベストと判断されて、また別の病院のドクターヘリで移送されるということになりました。そしてCCUで、とにかく助かってよかった というわけなのでした。

 この方は年齢がぼくとあまり違わない年下の人です。メンバーの中でもコートにいる時間が一番長い人で、週に5日、1日5~7時間くらいは必ず常在されるわけです。健康面での気配りでも奥様の配慮が十分で、本人自身もかなり神経を使っていたのです。でも、まったく突然にそのような病魔に襲われてしまったわけです。よく、「人生、一寸先は闇」といわれますけど、ほんとうにそう思わずにはいられません。闇の先になにがあるのか分りませんけど。 

「死ねば死にきり、自然は水際立っている」これは高村光太郎のことばだそうです。亡くなった吉本隆明さんもこのことばをよく引用されていました。人間の死の問題についても、徹底して考えることを力仕事としてやっていた吉本さん!次女のばななさんが残してくれた死の間際の吉本さんの様子が目に浮かびます。
 
吉本さんは徹底した医療的管理下で亡くなられたご様子です。吉本さんのことですから、多分そのときのご自分の『心的現象』はぼくたちに伝えたかったに違いないとおもいます。「どうってこたーないよ!」といってくださったのかな~とか…。

 類としても個としても人間に肉体の死という現実が招来することに例外はないわけです。それなのに、人が死を恐れるという思いが強いのはなぜなのか?死を恐れるということは、自然過程の人間としてはなんとなく間違っているような不思議な感じがするのです。でも、死を恐れるという気持ちは人間に抜きがたく強く存在することはまちがいないわけです。

 でも、DNAとやらの人間を形づくり支配しているらしい遺伝子はどうなんでしょうか?ドーキンスの『利己的な遺伝子』は有名ですけど読んでいません 有名な「生物は遺伝子によって利用される”乗り物”に過ぎない」ということばがあります。このことばを聞いてぼくは、冗談じゃないよ!と思いました。でも、ほんとうのところどうなっているのでしょうか?

 福岡伸一先生の『生物と無生物の間』も読みました。でも字面を感賞しただけでした。そもそも例えば「アミノサン」という言葉がでてきます。これはテニスの前に必ず飲んでいるものです。でもこれって何なの?というわけです。岩波の『科学辞典』で読んでも、多分よけい分らなくなるでしょうね、ぼくの知能学的レベルでは でもそのうち『動的平衡2』は頑張ってみることにします。福岡先生は「ドーキンスは遺伝子原理主義者」といわれています。

 とにかくぼくは今まさに、”終括 ”が必要な時期になったというわけです。遺言書も書いておきたいし、葬儀と埋葬方法なども決めておくつもりです。公正証書がベストですね。むかし鎌倉にいたときに、クライアントさんと弁護士と一緒に公証人役場にいって公正証書作成のお手伝いをしたことがありました。作成には二人の証人が必要なのです(お金はかかりますけど、依頼すれば行政書士さんとかが代行して下さるそうですが?)。そのときに作成者は弁護士とぼくに百万円ずつくださるという遺言を主張されたのでした。
 
 ぼくは仕事なのですからとお断りしたのですが、公証人はそれはできないというわけです。なによりもご当人のご意思が全てというわけで当然のことのわけです。職場には事情を説明して念書をかいてお渡ししたのでした。その後職場を辞めた後でしたが事務長さんから連絡があり、当然ながら手続きをして振り込ませていただきました。しかしその際に、同席した遺言執行者である弁護士さんに直接職場に振込を依頼したのですが、それはできませんということでした。法的手続きというのは面倒な点もありますけど、そうする必要性があるのももよく分ります。

 とにかく、その遺言書を作られた方のことを想いだしますね。いろいろさまざまなことがありました。ぼくたちのグループではどなたでも沢山の同じようないろいろな想い出があるはずですよね。あのときの仕事としてさせていただいたことごとに伴うさまざまな経験は、ぼくの人生の中でこの上ない珠玉のできごとでもありました。なによりも感謝とそして懐かしさと共に、少しのほろ苦いことごともありました。でも、鎌倉での想い出は、ぼくの人生の宝物ですね

 ぼくは死後について、葬儀はなくてもよいし、実家のお墓に先祖や両親と一緒に入らなくてもいいと思っています。とにかくなんとか散骨をと希望するわけなのです。NPOで一式面倒みてくれるところがあります。具体的な法人に心当たりはないのですが。どなたか心当たりがおありの方にはご教示願えたらとおもいます。でも皆様はご家族がいらっしゃるわけですよね。

 とにかくこのマッチ箱の自宅と埋蔵物・ガラクタの始末とか、他市にあるおんぼろアパートの始末とか。しかしことの本質は、このどうしようもなく厄介で心にあまるご自身の『心的現象』なのですが

 さあ~ 夕方どうするか、迷っても今はテニスだ


すべってころんで大分県!

2012-07-17 02:14:21 | 日記


”口が滑る”とか”筆が滑る”ということばは聞いたことがあります。でも、”すべってころんで大分県”という言葉ははじめて聞きました。この言葉は、県名を憶えたりするときに小学生がつかう常套句の一つらしいのです。じつはある雑誌を読んでいて見つけた言葉なのですが

写真は先日銀座で開かれた、「『共生社会を創る愛の基金』設立記念シンポジウム」第二部「テーマ・累犯障がい者を知っていますか?」の鼎談の場面です。鼎談のテーマは「取り調べの現場に期待するもの」。
第二部の開会のあいさつは、冤罪事件で有名な村木厚子さん(元厚労省局長、現在内閣府政策統括官)。基調講演は作家の山本譲司さん(元民主党衆議院議員、秘書給与問題で実刑判決・433日間入獄、現在福祉関係にも就業)。

鼎談は、村木さんと江川詔子さん(フリージャーナリスト)、周防正行さん(映画監督、冤罪事件を扱った『それでもぼくはやっていない』や『shall we ダンス』)。コーディネーターはNHKの解説委員をされていた小宮英美さん(現在チーフ・ディレクターで福祉関係の著書・ビデオ等多数)。そして閉会のあいさつは、元気いっぱいでエネルギッシュな、元宮城県知事の浅野史郎さん(慶応大学教授、ATL・成人T細胞白血病に罹患)。

ここまで書いてきて眠くなってしまいました。少し呑みすぎかもしれません。今そんなに酔ってはいないのですけど、でももっと早い時間から書き始めればよかった。

この続きは明日にします。せっかく書いたのだからこのまま投稿して、あしたまた続きを書き加えるようにしたいとおもいます。
………


この集会には、村木さんの弁護をされた広中惇一郎弁護士も参加されていました。鼎談の終りに司会者から指名されて発言をされたのです。与えられた短い時間での手短な発言でしたけれど、じつに無駄が少なく中身の濃い発言だったとおもいました。著名人の弁護活動で活躍されている有名な方なので、ぼくもお名前だけは知っていました。小沢一郎さんの主任弁護士でもあるわけです。現役で司法試験に合格され、お譲さんも大学の後輩であり親子(+1名)で弁護士事務所を開かれているんですね。

いわゆる可視化問題についても話されていましたが、弁護士が被疑者と接見する時に禁止されているのも問題であるといわれていました。最高検察庁の総務部長も参加されていて、障害者の(知的障がい)可視化は既に実施されているということを話されたことを引き合いにされて、冤罪事件で無罪を勝ち取られた菅谷さんの話もされていました。菅谷さんの取り調べ段階での録音テープが存在したという話しでした。しかしそうした証拠の一部であるテープを踏まえた上で、最高裁は判断を間違えてしまったという問題も指摘されていました。証拠となるべき資料の扱い方は、弁護側と検察側では同じではないということでしょう。検察は被害者の心情や正義という御旗の公判維持の為に、弁護側は被告の人権と事実解明のために、同じ資料でも検察と弁護では正反対の位置づけになるというわけでしょうか。

第二部を傍聴したわけですけど、いくつか感じたことがありました。ただ、このイベントに興味をもたれた方がいたら、「Ustream」
http://www.ustream.tv/?lang=ja_JP
  でイベントの視聴が可能です。(会員にならないと充分に視聴できません。このサイトで視聴できるイベントは結構多いと思います。例えば16日の代々木講演での反原発集会など。でもユ-チューブは全て無料ですから、アップされていればそちらでで観ればいいわけです)

なんだかまあ、分裂拡散した書き散らし方になってしまっています。ホントに申しわけありませんが、あちこち飛び飛びでも感じたことごとを書かせていただきます。無駄にしてもよい時間がおありの方はよろしくお願いいたします
そのうち、ダテさんが参加して下さることになっています。ダテさ~んよろしくお願いいたします。お待ちしていますよ~

話題はまったく前後しますけど、前回、首相官邸周辺での反原発集会へダテさんと参加したことを書きました。ぼくがそうしたイベントに参加したということについては、どなたからでも「あなたは反原発の立場なのですね…。では、その理由は、なぜですか?また、即時廃止とか段階的廃止とかその辺はどうなのですか? もそもあなたは、原発、原子力、原子核物理学といったことについて理解をしたうえで判断をしているのですか? 日本は再生可能エネルギーだけでやっていけるのですか? 日本の経済的な問題も考えているのですか?………」といったことごとを詰問されても仕方なく、当然でもあるわけです。あのような反原発の集まりに参加したわけですから。

そうすると、ここでぼくはどうしたらいいのか困ってしまうわけです。まあ、今いえることは、すみませんまったくよくわからないのです。でもこれからも少しずつでも、もっとっよく感じたり考えたりしていかなければと思っています、ということくらいなのです。

福島以前のぼくは、思想家の吉本隆明さんの影響下にあって、原子力についても更なる進化を期すべきであると思っていました。全知全能(この使い方はやはりダメみたいです。注)を使って人類は核科学を前進させるべきである。そうする以外に選択肢はないと思っていました。人類の叡智を集めて取り組めば原子力の平和利用と統御は可能なはずであると。しかしまた、吉本さんの盟友でもあった詩人の故鮎川信夫さんは吉本さんとの対論のなかで、「…原子力は人類にとって原罪という位置づけが相応しいのでは…」といった表現をされていました。ぼくはそれを読んで凄い言葉だなあとおもったものでした。そのときに吉本さんはそこでどのようにいわれていたのか、昔のことなので細かいことは後でその本にあたってみます。ただ幾つかの場所で、吉本さんは原子力について発言をされていました。いちばん有名なのは、『「反核」異論 』まとめられている<「反核」運動の思想批判>をはじめとした一連の反核批判の中でだとおもいます。

ここでひと言いえることは、ぼくは吉本さんの(といっても吉本さんの思想について殆ど全く理解できていないのですけど)反反核の思想を成立させている理念は正しいと思っているのです。
その理念というのは、例えば「……時代が最大限に獲得させた<知識>、あるいは感受性は、それが退廃的にみえようと何であろうと、いったん獲得された人間の精神の範囲は逆に戻ることはありえないのです。<知識>は、科学技術よりもある意味でもっと確かなものです。……」
これは更に続きます。そしてこの文章は、昭和54年-1979年-7月14日、今から33年前ある女子大での講演記録です。

続きはこの次にします。

好一対のご同行(”・・)/~~~

2012-07-14 23:13:11 | 日記

 タイトルはダテさんとsu-との組み合わせでの、二人連れの道行きのことです。ふたりは最近、立て続いて行動を共にしたわけなんです。今月の8日(日曜日)には東銀座で行われた「『共生社会を創る愛の基金』設立記念シンポジウム」に。そして昨日13日(金曜日)には、首相官邸周辺での集まりに参加したわけです。
 写真は、官邸周辺で行く手を機動隊によって阻まれた人たちが「原発反対~」とシュプレヒコールをくりかえしている様子です。不思議なことで、他のデモなどでは考えられないような、くりかえされるシュプレヒコールは「原発反対~」だけなのです。「野田はでてこ~い」とか「粉砕するぞ~」とか、とにかく他の言葉は何も聞こえてこなかったのでした

  しかし、最近パソコンの調子がよくてほんとうに助かっています。ソニー(バイオなので)に相談したら、6万円から10万円はかかるかもしれませんとのことでした。不良状態はモニターの画面が不安定になって消えてしまうことでした。調子がよい時には1時間くらいは安定するのですけど、不調のときには数分おきに消えてしまうわけです。バイオのカスタマーセンターでは、電話でいろいろと指示をして下さってやってみたわけですが、結局モニターかマザーボードの交換が必要でしょうという結論でした。しかし僕は交換を保留することにして、ノートン(セキュリティー、去年ウイルスバスターから替えました。替えて正解だったと思っています)に相談してみました。そしてとにかく、いろいろと懇切丁寧にやっていただいたのですがダメでした(ソニーでもそうでしたけど、リモートコントロールというのかチャット(これはノートンだけ)をしながら遠隔操作をしてくれるわけです。それも何と中国から。チャットの表記がどうもおかしいとおもったらやはり中国の方でした。日本人をオーダーすることも可能だそうですが)。

 そして結局面倒くさくなって、DELL製品でも買おうかなと思ったりしていたのですが、ときどきディスプレイ画面の端に顔を出すバックアップ要請のメッセージが気になっていたので、思い切ってやってみたのです。ぼくはバックアップは外付けでやっているのでノートンではやらなかったのです。というのも、ノートンとの契約の容量ではカバーしきれないはずだと思っていたからなのです。でもこれは僕の勘違いだったみたいです。とにかく、大層な時間がかかったのですけど、バックアップが終ってからは、それまでの画面が消えてしまうという不都合さが殆どなくなってしまったのです。なぜそうなったのかは分りません、バイオや特にノートンには聞いてみればわかると思いますけど、面倒なのでいまだ聞いていないのです。とにかく、因果関係がまったく分らないわけですけど、このPCが甦ったことは事実のわけです。あのときに親身に相談に乗って下さった方々、特に中国のどこだったか聞いても忘れてしまった街の、若い女の方にも感謝ですね。女性ということが分ったのは、チャットではどうもやり取りが充分にできないので、電話に切り替えてもらったので分ったわけでした。

 それから、CCメールで恒例の夏季合宿のご案内をさせていただきました。時間等の詳細と申込などについては、後日改めてご案内させていただきます。いろいろと悩んだのですが、むかし懐かしい逗子にさせていただきました。また、秋頃には有志で誘いあって山葵田やきれいな山川の空気を吸いに行きたいねという話もでています。そしてまた沖縄にも、という話も……。

 上記の集会のことですが、この写真に写っている風船は、田中康夫代議士が配っていました。とにかくとにかく、久しぶりの集会への参加でした。でも主催者がいない集会への参加というのは、あの69年以来ですね。もっとも69年のときは、お茶の水から本郷の東大の周辺をレモンを片手に催涙弾の煙から逃げるようにしてうろつきまわっていただけなのでした。
 
 官邸周辺での集まりとシンポジウムについても書きたいことはたくさんあります。メールではこのブログのことについても、ぼくもここで少しは書きますと書いたので、少しずつ書かせていただけたらと思います。

 それにしても、機動隊さんの装甲車が多いのにはビックリしました。有楽町からタクシーで国会通りを首相官邸に直進してもらったのですが、内閣府と国会議事堂の間(官邸の正面に続いている道)には装甲車が両側共に垣根のように並んでいました。僕は思わず「オイオイ」でした。
 そして、装甲車の上には、何とナント!女性の機動隊員がマイクを手にしてやさしい声で、「参加者の皆さん、あなた方の行動は東京都公安条例の……」とは言っていませんでしたけど、必死に何かを仰っていましたですね

 とにかく、首相官邸には誰も近づくことはできませんでした。当り前ですけど、規制は完ぺきでした。帰りがけに、機動隊員さんにお訊ねをしたのです。「あの、すみませんけど、この規制の法的根拠は何ですか?」 機動隊さん(出動服ではないおまわりさん服の)は ??? ぼく、「道交法でしょうかね?それとも公安条例とか?」 機動隊さんは ???

 
 そうしたときに、ぼくの真後ろにいた方が、「行政指導ですよ!」と教えて下さったのです。ぼく、「エッ!行政指導? 行政法の中にあるんですか?」その方、「そうです!」
 その方は、ヘルメットを手にしてカメラマンのような恰好をしていました。でもカメラは持っていませんでした。参加者でこうした集会に慣れた法律にも詳しい人なのかなと思いましたですね。

 ところがなんですが、その後に、ほんとうに驚いたことが起こったのです。というと大分オーバーすぎてしまいますけど、イヤ~マイッタですね。
その、ぼくに教えて下さった方が、ぼくの向かいにいる機動隊さんに軽く頭を下げているではないですか。ぼくはまさかと思いながら、その方の後について信号を渡っていったのです。そしたらまたそこで、機動隊さんに頭で軽くウインクをしていたのです 
 ぼくはそこで、親切な機動隊さんがいるものだなと感心してしまいました

 そしてぼくたちは国会通りを東京電力の本社の方にに向かって歩きながら、そういえば昔、「犬といわれた警官の問題」という議論があったのを想いだりしたのでもありました。

 書くことはたくさんあるのですが、またにします。ダテさんとの弥次喜多珍道中のようなご同行の模様なども書きたいのですけどね……。それから、ある宗教団体さんが、あちこちで機関紙を配ってくださっていて頂いてきました。そして読ませていただきました。凄いのです!反原発が半端ではないのです。しかし、いずれにしてもこうして書かせていただくことごとは、どなたさまにもとっても面白くもない勝手なことごとであって、時間の無駄だといわれてしまいそうですね