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記事を読んで!

2016-06-10 01:02:14 | 日記

もう寝る時間になってしまったのですけど「男の嫉妬はコワイ」をよんだので、
感じたことを書かせていただきます。

まず気になったのは、そのコワイひとはどういった履歴の方なのかなということ
でした。記事の本筋からは外れること……無駄な時間ですね。

でも、NHK放送研修センターでは、放送関係者への研修のほかに社会還元の一環と
して、その専門性を生かした様々な研修活動をおこなっているみたいですね。
例えば「朗読・ナレーション/ことばコミュニケーション」といった講座もあって、
インターネットやカセットを使って通信添削講座もしているのでした。

しかし、嫉妬という感情がこわいことであるというのは、ぼくなりにわかります。
自分の場合、嫉妬をされたことはなくても、嫉妬をしたことはあります。ただその
ときに、自分がある人に嫉妬心を感じているという自覚は大事にしたいとは思って
いるつもりではあったのです。

でも、ある他者にたいして嫉妬心をもってしまうという心根は、たぶん生涯、ぼくの
心のなかから消えることはないのかもしれません。
まあ、それは、自分にたくさんあるコンプレックスのせいなのかもしれません。いや、
それよりも、自分のなかの性向の悪さのせいといったほうが正確かもしれません。

でも、こうした嫉妬という感情は、年齢とともに加速度的に少なくなってくるように
思いますね。現在の自分のような年齢になってくると、人さまに嫉妬する時間があっ
たら他のことに目を向けないと、時間の無駄になってしまうというわけです。
でも、「では君のこころのなかの嫉妬心は無くなってしまったのですか」といわれた
ら、「いや、無くなるはずはないです。ただ嫉妬心をも忘れてしまうことが多くなって
いるだけです」といった感じだと思うのです。

よく考えることもしないで、思いつくままに書いていますけど、こういった問題に
ついて書かれた本を買った記憶があります。ずっと昔のことですが。ということは、
じぶんにとって嫉妬心を問題として抱えていたということになるのかなと。

あと、くるま屋さんの頃、知りあった人にそのことを伝えると、明らかに差別もどき
とかんじられなくもない言動をいただいたことがけっこうありましたですね。
昔からの友人には、びっくりされることはあってもどうということはなかったわけ
です。こうした不思議な価値意識にもとづく日常的な感情の交流というのは、
嫉妬心などと一緒で、人間の心の中にぬきがたく在ってしまうということなの
でしょうか。在ってしまうということは、人間存在の始原からその意識の自覚と
ともに仏教的な業とかキリスト教的な罪といったことばに結びつくようななにか
でもあるわけです。

しかし、tさんの経験されたその人のコワサというのは、嫉妬心であるとともに、
その根っこになっているのは人間の権力意識なのではないかとも思うのです。
あの安倍さんは、とてつもない不法な権力を恣意的に発動されているわけです。
いま、この「不法」という文字を『精選版日本国語大辞典』でみたら、
①仏法にそむく…②法に違反…③道理にそむく…とあって、ありゃー本当にそうだな~
と感心してしまいました。安倍さんに感心したのではなく「不法」ということばの成り
たちというか語義の適切さ、その正しさに感激してしまいます。

この権力というのは、他者を征服し自己を拡大化したいといった、誰かが「力への
意識」といったような、人間存在の本質につらなるなにか、さっきの業・罪とも近似的
・同義的なことがらなのではないかと思うのです。 他者との交流の谷間でじぶんの
気持ちを反省化してみる時、なんだかじぶんなりにもわかるような気がしなくもない
わけです。こうして書いていて、じぶんでもなんだかごちゃごちゃになってしまいます

過日に投稿した舛添さんについても、尻切れトンボになってしまっています。
書きたいことは幾つかあるのですが、読まれる方の顰蹙を買う結果になりそうだし。
でも明日には、書いてみようかなと思うのです。

気になっていることは「袋叩き状態の舛添さんはかわいそう」ではなく、平等とか
公平や正義といったこと、よく分らないけれどそういった側面から考えてみると、
舛添バッシングは不平等・不公平・不正義なのではないか?などといった……、
などといったら、分らないことを無理に書くことはしないほうが良い、と言われ
てしまいますね。

 tさんのされている「音訳のボランティア」という無償の作業もご本当に苦労様です。
たしか、地元の図書館でもそうした活動をされているのではないかと思います。
昔、身体障害者授産施設関連の事務職の仕事をしていた時に、高田馬場に下宿
していたのです。その下宿のすぐそばには点字図書館があって、駅から帰る道筋
には“視覚障害者誘導用ブロック”が道の中央に敷きつめられてあったのを想い出
します。
その職場の電話交換手の素敵な女性は、薬害スモン事件の被害者で全盲という
状態でした。佐藤さんという明るい性格のかたで、40年ぶりにお名前を口にする
ことができました。
こうしてここに書くことがなければ、この自分の生涯の中で、再び佐藤さんを想い出す
ことはなかったですね