はらじゅく86のブログ

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『夜と霧』

2012-08-28 23:04:21 | 日記

この8月にNHKのEテレ「100分de名著」では、V・E・フランクルの『夜と霧』をとりあげていました。録画をしていたのでさっき残りの2回分をみたのです。もちろん呑みながらみていたんですけど、なんだかこの本を読んだ若い頃の懐かしい世界に引き戻されたというわけなのです。しかし、この番組をお酒を呑みながらみたなんていったら、真面目な人からは顰蹙を買うことは間違いないでしょうね。つまりその、この本のもつ迫力というか衝撃力はスゴイのです。でもそれを正確にいうと、当りまえですけど、この本を書かしめたところのアウシュビッツの現実のとてつもない悲惨さに起因していることは明らかですよね。(NHKhttp://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/14_frankl/index.html) この本を読んだ方はたくさんいるとおもいます。高校生は授業で読まされたりすることもあるのでしょうか。

フランクルについて・ウイキペデイア http://9oo.jp/xyBQT むかし朝日紙で「私の1冊の本」といった連載ものがあったと思います。そこで作家の遠藤周作さんがこの本をとりあげていました。たしか遠藤さんは、若いころ結核になって死線をさまようといった経験もされたと思いました。そうした背景もあってのことなのかもしれませんけど、遠藤さんはこの本を「私のただ1冊の本」として選んでいました。そして、苦しいときにはいつもこの本を読むのだといわれていたように、僕の記憶の隅っこには遠藤さんのこうした声が残っています。

そして録画を見終ったあと、この本の新しい訳本について知りたくて検索してみました。そしたら、新訳をされたドイツ文学の翻訳家である池田香代子さんのインタビュー記事がありました。そしてこのインタビュー記事がとても刺激的だったので、なんだかこのブログにも書きたくなったというわけです。この記事を読んで翻訳者のご苦労とか翻訳家のレベル、また翻訳者同士の仁義とか面白いことごとを幾つも教えてもらったというしだいなのです。
(池田さんの記事 http://www.zenrosai.coop/kurashi/osusume/backnumber/arakan/05index.php

(池田さんの新訳本ー内容紹介とコメントがあります) http://9oo.jp/irIW8  池田さんの記事を読んで旧訳者霜山先生とのやり取りとかいろいろなことを知らされました。池田さんは高校生向けに新訳を書きたかったみたいですけど、確か大分前に池田さんの新訳本を書店で手にしたことがあります。たしかその本では、旧訳にはある強制収容所での写真の大部分が削られていたように記憶してるんですけど、でもあまり自信はありません。このアウシュビッツの惨状の写真(下記アウシュビッツURLに沢山の写真があります)は削ってあったとしたら間違いだと思うんですけどね。何故削除したのか編集者と訳者に聞いてみたいですね。でも写真があったりして…。

この本は僕にとって懐かしい、そして一気に読まされてしまうような衝撃的な本でもあったんです。手元にあるので開いてみました。格調高い霜山徳爾訳・「みすず書房」がなんと500円。1964年・第5刷なんですけど、書き込みがあって読んだのが1965年10月12日とあるんです。懐かしい本というのはまあ印象深かった本ということでもあるわけですけど、だれでもそうした位置づけの本は何冊かあるとおもうんですよね。こうしたことというか出会いは、本であっても人であっても同じことだと思います。そして、そういう種類の本は、時間を忘れて読んでしまうことが多いようにおもいますね。

ところで、この番組のコーディネーターはタレントの伊集院光さんなのです。話のもっていき方がとてもよかったと思いました。すごい能力の持ち主なんだと感じましたですね。

でも、しかし、なんだかぼくはこのブログに余計なことごとをしかもいい加減に書きすぎかもしれませんね。巷では顰蹙もの!といううわさも伝わってはこないのですけど。そろそろそうしたことごとが話題になっても仕方ないころでしょうね。

そう、キミはなんだか体裁のよさそうなことばかり書いているみたいだけど、そんな恰好ををつけてみたところでお里が知れているよ。といわれても仕方ないですね。なにせ過去ぼくが生きてきた道筋を振り返ってみたならば、どうにも隠しようもないほどの破れかぶれのオンボロ下着を身につけているというわけです。福祉だとか愛だとか(このことばは使ったことがないのですけど)よしもとさんだとか何だとか、句読点もままならない身がなにをおっしゃるのですか!といわれても…

そのようなわけで、少しではなく大いに反省をしなければとおもっています。でもぼくは、ここに書かせていただけることについては、ほんとうに有難いことだと心から感謝しています。こうして書かせていただけるということは、どんなによちよち歩きの赤ん坊みたいな書き方であっても、書くということに伴うプラスアルファーということは絶対的ですね。どんなにいい加減な書き方とお粗末な内容であっても、書くことによって以前とは違うなにかが、ぼくにも内面性といったものが少しでもあるとしたら、なにか違った局面が感じられてくるような気がしています。よくわからないですけど、ぼくのいい加減さの弁解としてではなく、何かを予感させてくださるというわけなのですが。

そしてまた”有難い”という言葉で連想してしまうのですが、ぼくタチの結婚式で司式をして下さった神父さんが披露宴の祝辞で、結婚するということは”有難いこと”なのだといわれいたのを想いだします。結婚式では誰もが新郎新婦に対して「おめでとうございます」というわけです。そしてその言葉に呼応して新郎新婦は「有難うございます」と答えます。しかしこの”有難う”という言葉は、かんがえてみるに値することばではないでしょうか、と。二人の男と女が出会って、そしてこれから二人が生涯を、苦楽を共にして生きていこうとすることは、ある意味でホントウに”有難いこと”、滅多にあるはずのないことなのではないでしょうか。といったことも話してくださったのです。多分そのようなことだったと理解しているのですが、テープを聞き返さないと正確ではないかもしれません。

しかしとにかく、離婚はダメですね。しかも教会で結婚式をして離婚をするということは、絶対的な矛盾なのですよね。キリスト教的には結婚は神様・イエスキリストとの契約であり、神様(iイエスキリスト)への信仰と同義的ということだそうです。ですから、信者でない人が教会で結婚式を挙げるときには、必ずキリスト教のガイダンスを何回か受けることになるわけです。

このところ2回の投稿には絵文字をほとんで使いませんでした。その理由は、記事を読み返してみて、なんだか自分が書いた文章なのに自分で白けてしまってなんともやりきれないというように感じたからなんです。以前絵文字をたくさん使ったのはアルコールの影響も多少はあるのですけど、でも本人としては使うことに楽しい感触があって多用していたこともまちがいないのでした。でも、ぼくの記事が酔っ払いの戯言にしてもなんとも不謹慎さの度がすぎてしまって、せっかく読んでやろうとおもっても、絵文字だらけではあほらしくて読む気にもならないよ!といわれてしまうのではないかと…か… 

(アウシュビッツ強制収容所 http://konotabi.com/auschwitz/toppage.htm)

きのうに続いてきょうも、一日が終ります 

 


きのうも今日も…少しばかり…

2012-08-28 00:25:02 | 日記

……そうなのです、きのうはお祭りで、今日はテニス+αで、少しばかり呑みすぎています。食道がんの予備軍への入隊が予想視されるのは確実です。

先ほど、テレ朝の「報道ステーション」に作家の浅田次郎さんがゲスト出演して、”原発と日本人”という話を古館さんとしていました。浅田さんはチェルノブイリを視察してきたみたいで、絶対的な反原発・核廃絶の必要性を語っていたように思います。途中からみたので正確な内容は分りません。

ぼくは今度また、金曜日の首相官邸のデモには参加しようと思っています。少なくとも今この日本では、原発の絶対的な安全管理は難しいと思っています。ですから、原子力技術の行使はするべきではない。つまり今後の歴史に対して責任を持てないことについては、現時点での選択を控えるべきである。核という選択をするべきではないとおもうわけです。

きょうテニス帰りにみた『週刊現代』の特集記事では、新宿を中心とする活断層の存在を新たに確認したという専門機関の発表を解説していました。大飯原発の立地にしても活断層の存在が専門家から指摘されています。日本の地震の頻発度や活断層の存在は、世界の中でも突出して多いらしいですね。

3.11以降少しばかり読んだ原発関係の出版物の中では、去年の8月に緊急出版された中沢新一さんの『日本の大転換』ー集英社ーが一番印象深いです。そして、その本がどうしてもっと論壇などで話題にならないのかなあと、ズット思っていました。たしか朝日紙の書評に取り上げられたのは知っているのですけど。

ではそこで、何をどのようにいわれているのかということなのですが、それは僕に聞くのが間違っているというのは周知のことです。アマゾンの書評のカスタマーレビューでは、http://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%A4%A7%E8%BB%A2%E6%8F%9B-%E9%9B%86%E8%8B%B1%E7%A4%BE%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E4%B8%AD%E6%B2%A2-%E6%96%B0%E4%B8%80/dp/4087206068/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1346078885&sr=8-1 一番下までみていただく必要がありますけど、大変厳しい論評があります。
まあ、僕にとってはすべからく今後の課題としてでしかないわけですが。

ただ、核エネルギーの文明史的・宗教史的・科学史的な位置づけについては何となく参考になるわけです。詳細については僕の理解の範囲を越えているので何も言える筋合いではありません。ただ僕の読後感としては、なんとなくそうなのかなぁとか、もう少し優しく詳しく説明をしてほしいなぁとか思うわけです。中沢先生は何となく僕の好きな人なのだけど、この点について大丈夫なのかなと思う点も少しはあるわけです。でもここで唯一僕が思うことは、中沢先生にはとにかく核問題について、原理的・全体的というか総合的な視点を提供して頂けたということなのです。詳細についてはなにも分からないけど、僕にとってはなにか新しい視点があるのだということを教えられたという次第なのです。

写真は、きょうテニスの帰りに撮りました。雲の合間から太陽の光がこぼれ出ているのが素晴らしかったのです。携帯で撮ったのであまり臨場感がでていないので少し残念です。昔の人々はこうした光景に出合うと、これからなにか良いことがあるに違いないといった連想をしたのでしょうか。

昨日、アメリカ・コロンビア大学ビジネススクール教授シーナ・アイエンガーさんの講義が慶応大学ビジネススクールでありました。むろんNHKEテレの深夜放送です。ぼくは録画をしていて今朝みました。

ぼくは少し前の朝日紙の土曜版でこの方のことを知りました。 「白熱教室・NHKサイト」 http://www.nhk.or.jp/hakunetsu/ でのこの方については、大分前にNHKでみたことがあります。その時はあのサンデルさんではなくビジネススクールの講義というので、また」アメリカが得意なハウツウもののようなので、すぐにパスをしてしまったのです。もちろんこの方が盲目というレベルの方だということもまったく知りませんでした。 

ここでまたもや、オネムタイムになってしまいました。この方の書いた『選択の科学』ー文春ーについては知っている方がたくさんだと思います。ぼくは先の新聞の記事を読むまで知りませんでした。最初新聞の写真をみたときは、短距離の著名な黒人ランナーかなと思ってしまったくらいですから。以前テレビで見かけたことがあったので、何処かで?といった感じはあったのです。でも盲目の方ということにも気がつきませんでした。

またそのうち気が向いたら書かせていただきます。何だかその内容について殆ど分りもしないのに知ったかぶり風の取り上げ方というより通りすがりだけで恐縮なのですが、まあいつも通りのsu-ですから。ご寛容をお願いいたします。ただ、この「選択」ということは、ぼくにとって意味のあることだなあという印象は持っているのです。つまり、自分にとって殆ど欠いていることの一つだということなのです。

でも昔だったら、”選択”といったことばは流行らなかったように思うのですけどね。昔は例えば”投企”とか”賭け”とか”主体性”とか”あれかこれか”とかなのかなあと。でもビジネススクール版ですからね。そうしたら、弁証法とか実践論・矛盾論なんかがあったリして。そしてARTが科学なのだそうですけど、この訳し方はイワサキさんに今度お聞きしてみます。そういえば昔、紀伊国屋からE・フロムの『愛するということ』という素敵な?本がでていました。これも確かARTでした。その後新しい訳もでていたように思います。20代の前半に、この本を二人の女性に匿名で贈ったこともあったのです。いまその方々はどこでどう過ごされているのか。

後で書き直します。おやすみなさい!


合宿

2012-08-27 09:37:55 | 日記

幹事の方、合宿の手配ご苦労様です。今年は参加10名とのことです。予定が変わって参加出来る方、是非ご参加下さい。お返事忘れましたが、ブログ管理人は欠席です。今年は帯状疱疹に見舞われ疲れる夏を過ごしました。

残暑厳しき折、皆様ご自愛のうえ、楽しいひとときをお過ごし下さい。顔無しの合宿写真を楽しみに(笑)


久しぶりの横浜中華街!

2012-08-19 22:42:19 | 日記

 昨日久しぶりに「横濱中華街」にいきました。高校のクラスメート7人で集まったのです。秋になったら一泊二日の旅行をしたいねということで、なんとも奇妙な間柄の友人がその旅の打ち合わせということで集まったのでした。奇妙なというのは、在学中にはまったく親しい関係ではなかったということなのです。

 高校のクラス会は毎年開かれています。7月の第一土曜日にきめているわけです。ことしも七夕に開かれて、27人が集まったのです。常連の出席者数人が欠席する中でのこの人数というのはなかなかのものではないでしょうか。もうすぐ古希を迎える世代のクラス会としては申し分のない出席者数だと思うのですが。

 しかし久しぶりに中華料理を沢山食べたのですが、その美味しさにもかかわらず中華料理ってホントーに油料理なんだなあと改めて思いましたですね。なにしろ、出てくる料理がすべてといっていいほど油で炒めた料理のわけですよね。ですから飲みものはまずは生ビールですけど、その後は、ビールはプリン体が心配だしまた腹が膨れるということで紹興酒ということになってしまいます。いつもながらこうした席でしか紹興酒を呑むことはないのですけど、旨かったですね。何本空けたのやら…。

 とにかく、席を共にしたのがお互いに不思議な関係としか認識しあえないようなメンバー同士なので、少しばかりのナントはない緊張感や距離感のなかで卒業後のことごとなどを語りあったわけです。当りまえのことですけど、学生時代からお互い同士それぞれ勝手に相手のイメージを作りあっていたわけです。でもお酒の力も借りながら話し合う中で、「su-はネクラだと思っていたけどそうでもないみたいだね」とか、想像していたお互いのイメージが作りかえられる過程がたくさんあって、こうしたことがこのような集まりや同窓会などの面白さですよね。まあ、人生の貴重なひとときでした。

 しかし、中華料理といえばなんといっても、新年会として西新宿での年中行事になってしまっている「新年・中華の会?」ですよね。ユアサさんの御用達のお店で特別待遇の扱いをしていただいていますけど、そこでの料理や紹興酒も抜群ですね。また来年もよろしくお願いをしたいとおもうのですが。

    
     
 突然この写真なのですが少し大きすぎました(でもHTMLに変えて編集し直しました。この写真もサムネイルにしてみました。クリックで画面が拡大します)。

 この建物は横浜市寿町の中にある宿泊施設を兼ねた寄り合い施設のようでした。もちろん写真はご了解をいただいてから撮らせていただきました。この寿町はご存知と思いますけど、日本3大寄せ場のひとつですよね。ぼくは鎌倉で仕事をしていたときに生保の関係で数回訪問したことがありました。ですから、ぼくが寿町を歩いたのは20年ぶりくらいでしょうか。地理的には「JR石川町駅」を挟んで中華街の反対側になります。どこの寄せ場でもそうですけど、そこで活動されている方はボランテイアも含めてたくさんの方々がいます。昔の寿町で活動されている方についてはキリスト教関係の人たちしか知りませんでした。また3大寄せ場といっても、寿町は山谷や釜がヶ崎に比べると規模的には一番小さいですよね。ウイキペディアでは「横浜寿町」でページはあるのですが、削除という文字も見えます。とにかくリンクが張れません。メールとかではコピペでリンクが有効なのですけど。お分りの方はどうぞ教えて下さい。

 下記のサイトは「横浜アムネスティ」のブログです。このブログの中に寿町の中心といえる広場の画像があります。お祭りのお神輿もこの場所に置かれていました。
http://plaza.rakuten.co.jp/amnesty16/diary/200702160001/

 
 この写真はグーグル画像から頂きました。寿町のメイン通りといったところでしょうか。もちろん寿町の一部分の写真です。長屋式の木造家屋が呑み屋さんとしてならんでいる、ひと昔前の日本といった感じのところもありました。
 
 寿町ではきのう今日とお祭りでした。ほんとに小さいお神輿が2基ならんで路上に置かれていました。子供たちが担ぐお神輿なのかもしれません。
su-が住むこの地域のお祭りも来週でしょうか。この辺の地域では最後のお祭りになるのかもしれません。

 それから少し驚いたことがあったのです。広い通りに面して、あるセクトの教会が鉄筋コンクリート造りでガーンと聳えたっていたのです。入口には頑丈な鉄柵が設けられていて長いアプローチを登った先には、なんとも立派な建築物がご鎮座ましますというわけでした。場所はこの地区の外れの方だとは思いますけど、なんだか違和感の塊としか感じられないような、また疎外感が溢れでたような建造物でしたですね。 この教会堂を作った方々にはそれぞれの思いとお気持ちがあったのはよく分るし、su-ごときが勝手なもの言いをここに書く資格などあるはずもないのですが。 

 ところで、実はまたまたリンクができなくなってしまいました。上記のリンクがどうしてもできなかったのです。どうしてもというほど頑張ったわけではないのですけど。でもできなかったので実は頭にきた!わけでもあります。普通だったら頭にきたらとことんしつこく本道を極めるはずですよね。しかし男su-はダメなのです。HTMLにとん走ならぬ敗走です。そしたらできました。このブログgoo!さんは凄いと思います。テニスサークルで使っているブログとは大変な違いです。無料枠での使いでが抜群にちがいますね。gooさんはふとっ腹だとおもいます。もっともテニスのブログとは利用目的が少し違うということもありますが。 

 そして、ここでというか、上記でsu-はいつでもダメな自分で恥ずかしいなあとおもったら、次のようなことばが思い浮かんできたのです。亡くなられた「必殺仕事人」の藤田まことさんが吉本隆明さんに贈った色紙のことばなのです。その色紙の言葉は “恥ずかしながら一生芸人です” なのです。   http://blogs.yahoo.co.jp/ushidoshimoo0210/46877536.html お時間がおありの方は、この短いブログの記事をぜひ!

 そしてそして、きのうも今日も、”でも、それで、それがどうしたの”というわけなのですが

 


”なでしこJapan”は勝てますか?

2012-08-09 23:38:37 | 日記


 きのう今日とわりかし涼しい一日でした。テニスコートで3時頃でしたか、澄んだ青空に飛行機の二本の航跡がくっきりと長く消えずに残っていました。その航跡が綺麗だったのでみんなで思わず空を見上げていたのです。そのとき飛行機に詳しい人が教えてくれたのですが、その飛行機は上空約1万メートルを巡航速度で飛行中で、しかも上空の気候状態が航跡を残すのにタイミングのよい状態なのだということでした。みごとに綺麗な長い長い航跡でした

 でも今、「航跡」という言葉でいいのかなあと思い、グーグルしてみました。そうしたら、「飛行機雲(ひこうきぐも)は、飛行機の航跡に生成される細長い線状の雲。ジェット機などのエンジンから出る排気ガス中の水分、あるいは翼の近傍の低圧部が原因となって発生する、排煙ではなく雲である。別名航跡雲(こうせきうん)、英語ではcontrail(コントレイル)」ということなのです。
ぼくは排気ガスもどきだと思っていたのですが、実は飛行機雲なんですね 面倒くさいのでセカンドはしませんけど

 ところでこのところ、テニスコートは天候に恵まれていてテニスをするのに快適な状態です。きょうもホントーにテニスを楽しむことができました。コートでは大体ダブルスの試合をするのです。
 今日もそうした試合をしている最中に、なぜだか突然「幸せだな~」という感慨がこみ上げてきたのです。コートは少し暑いのですが、でもすごくよいお天気で、仲間とゲームを競い合うなかで自分の意思どおりに身体を思い切り動かすことができるのは快感なのです。テニス仲間はみんないい人ばかりだし、みんなで仲良くテニスを楽しむことができているのです。何の不満も問題もない幸せなひととき

 でもそうした気持の片方では「これって何なのかな~」という思いも心のなかに湧きでていました。これって贅沢だよな!とか、これでいいはずはないよな~!とか。好きなことを好きな通りに楽しんでいるただそれだけなんだけど!でもでもこんな贅沢さでいいものなのかな~!とか。
 
 そしてしかし、ドストエフスキーの小説の主人公だったら、こうした場合に、どういうふうに総括をするのかな~

 ところで、ぼくは毎日食料品の買い物でスーパーなどにいきます。
例えば魚売り場では、商品のラベルに「養殖」と書いてある魚がこの数年増えているように思います。北欧産の「鮭」や国産も含めた「マグロ」が一番気になっています。皆さんは、養殖の「マグロ」や「鮭」を買っていますか? 脂がのったそうした魚は美味そうなのですけど、ぼくはダメなんです。   しかし時には、回転寿司にはいくのですよね

 こうした気持は、過去のブログにも書いたことがある日本消費者連盟の出版物の影響があります。日本消費者連盟のレポートによると、養殖ということは言ってみれば「ブロイラー」の飼育と同じだというわけです。つまり、ケージの中で強制的に太らせられたり、様々な病気を予防するためにたくさんの抗生物質を投与されたりするわけです。魚もケージもどきの網などの中で科学的に産み育てられるということなのだと思います。むかし、日消連は養殖というシステムを完全に否定していました。身体に悪さをする!

 また、ぼくはパンを食べることに控えめになっています。トランス脂肪酸の添加が問題になっているからなんですけど
たしか、欧米ではトランス脂肪酸の添加を禁止されているみたいですね。(スミマセン今調べませんけど)

 それから、生のオイルは朝晩に摂っています。オリーブ油は日野原先生のまねごと(先生は朝スプーン1杯)なのですが、ぼくは上質の「オリーブ油(贅沢)」と 「国産えごま油(紫蘇の葉・αリノレン酸n3系)」と 「ごま油(少し)」と 「純玄米黒酢」を混ぜてドレッシングとして食べています。これに気に入ったケチャップを混ぜるときもあります。

 また、常食している缶詰があります。キョクヨーの「サバ水煮」と、時々「サバ味噌煮」です。さんま缶とか少し目先を変えることもあります。鮭缶や中骨缶もよく食べます。「サバ缶」は98円だから助かります。それから、冷凍食品の野菜素材各種(カボチャ、ブロッコリー、ベジタブル、洋風野菜、ホーレンソー、その他)を大皿に並べてレンジでチンをします。これに生の各種野菜やニンニク、椎茸類を入れることが多いです。

 ニンニクは常食なんです。それから生キャベツも常食。トマトはミニトマトをいくつか食べます。あと、大根を下ろすのが面倒くさいのでカジッタリ「貝割れ大根」にしたりします。あと「オクラ」もチンしてもいいのでしょうが、なんと生でかじります。これって栄養的に(ネバネバが)ダメなのでしょうか?

 それと、大体毎食飲むのが「無塩野菜ジュース」と「有機豆乳」。これに「大麦若葉」と「オリゴ糖」と「カフェインレスのコーヒー顆粒」。「野菜ジュース」には必ず「純玄米黒酢」も少し入れます。でも野菜ジュースはジューサー・ミキサーを買ってあるのでこれに切り替えないともったいないと反省しています。でも実行できるか疑問なんですね。

 肉も食べないといけないということで、鶏のムネ肉を「焼き鳥」で食べます。これはテニスの後の焼き鳥が多いんですけど、時には肉を買ってチンするときもあります。最近、山形在住の後輩が奥さんを亡くされてからしょっちゅう電話をくれます。彼は税理士と行政書士の仕事もしていたんですけど、仕事は整理をして家事労働を頑張っています。昔からやっている合唱団や新たに放送大学と英会話をはじめたりとか、また料理にも凝りはじめているんです。今日は「…鍋」をつくって食べたら美味かったとか、およそぼくのようないい加減さとは無縁な”料理”をキチントやっているのです

 それから、御徒町の「タケヤ」で買った、「素煎アーモンド」「有機栽培でオイル不使用のレーズン(アルコール飲酒の罪滅ぼしでフレンチパラドクス) 「くるみ」 「焙煎パンプキンシード」などを日常的に食べています。

 これで、100歳までの長命が保証されるというわけなのです

 スミマセン、上記の幾つかのことごとでなにか気になったことがあったら、是非ともご批判とご教示を懇請する次第であります。ご当人は105歳まで生きるつもりでいるみたいです。とにかく上記のことごとを考えてみたりすると、ぼくは典型的な自己中人間みたいです。改めていうまでもなく、わかってはいることごとなんですが

 最近、また無駄づかいをしてしまいました。買ったのは本なのです。無駄遣いといったのは、これまであまりにも買っただけの積読が多すぎるからなのです。この家の積読の現状を説明させていただいたならば、どなたにでも呆れられてしまうことは必定なのです。老後はすでに後半になっているのに、「老後の楽しみ」はもう通用しませんです。不真面目さの極みなのです
 
 『がん放置療法のすすめ』近藤誠先生、『人間の叡智』『読書の技法』佐藤優さん、『「語る人」吉本隆明の一念』、『原発危機と東大話法ー傍観者の論理・欺瞞の言語ー』、『流砂第5号』栗本慎一郎・三上治編集、『大往生したけりゃ医療とかかわるなー自然死のすすめー』中村仁一先生、ここには恥ずかしくて書けない『……』。

 
 <追記として>

 前のブログに書いたリンクのことなのですが、ブログを読み返したらどうも意味不明な書き方をしたみたいなので書きなおします。リンクの張り方なのですが、要するにこのブログサイト提供者のgooさんが表示される通りに素直に粛々と行えばいいわけです。
  

 以前tagawaさんからご教示いただいたことは、このブログには張り方が明示されていますよ!ということのわけでした。つまり、ぼくが張り方を不十分にしかできなかったのは、ただひとえに僕がgooの教示内容を勝手に解釈してやり方を間違えたということでした。

 それから、最近ユーチューブでtagawaさんのインタビュー映像を観ることができました。17分の映像ですからかなりの時間です。視聴を希望される方は、tagawaさんのペンネームで検索されるとすぐにヒットします。ご不明のかたはsu-までメールして下さればご案内させていただきます。

  どなた様でも、ぼくの勝手気ままないつものおしゃべりでお気に触る個所がありましたら、記事の改変はご自由になさってくださいませ。どうぞよろしくお願い致します