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終の信託をみて

2012-11-29 19:06:23 | 日記



丁寧な語り口で、とても重く、興味深い映画でした。


この映画には法治国家が持つ大きな矛盾を2つの視点から描いていると思います。2つの視点とは


1 本来明確には分類できない人間の行為を、有罪か無罪かに分類しなければならず、日本の現状では検察のストーリーによって、有罪となるケースが多いこと。
2 人道的で安らかな臨終を迎えることが困難な場合があること


いずれの場合も欲が介在する故に起きる問題といえます。

1に関しては、被疑者を有罪にすることが、担当検事の手柄となり、出世に影響するであろうことに一番の問題があります。検事個人の良識を期待するか、検事の勤務評定そのものを改善しない限り、解決は難しいでしょう。
2についてですが、死は本来忌むべきものではないにもかかわらず、安らかな死を得られないのは、死に伴う欲が介在するからでしょう。

 今回あらためて実感したのは、取り調べに関わらざるを得なくなったら、まず弁護士に相談すべきだと思ったことです。よかれと思った供述が、自分の意図しない形で利用されるのは避けたいので、「黙秘権」を大切にしたいと思いました。
 それと、どのような場合でも安らかな臨終を迎える権利を認めて欲しいと思いました。遺族にとって、最期の瞬間が生涯のトラウマになってしまうのは互いにとても悲しいことでしょうから。












本日29日渋谷でイナザワ先生がトークに出演!

2012-11-29 03:06:20 | 日記

 今もう寝ようかなと思い、PCも閉じようと思ってデスクトップを見たら、イナザワのアイコンが目に入ってしまったのです。僕のデスクトップには、恥ずかしながらアイコンが、常に180個近く画面いっぱいに並んでいるのです。無論フォルダーも含めてでなのですが。そんな中で、「イナザワ」のアイコンがたまたま目に入ってしまったのでした。

それで、本当に久しぶりにツイッターを開いてみました。多分全く更新はされていないだろうなあと、信じながら開けてみたのです。ところが、今月は3回ツイートをしていたのでビックリしたわけなのです。~~明日は午前中歯医者に行くので、テーマについてだけ書かせていただきます

直近のツイートは26日です。そこには、ブログの更新内容が書かれていました。そして17日のツイートには、本日29日、渋谷のユーロスペースである映画のレイトショーがあって、そこで監督とトークショーをするというのです。映画はhttp://9oo.jp/envAQ です。これは映画の公式サイトです。当然ですが、映画の荒筋から上映館のことなど、一式が分るようになっています。

あらすじを読むと、是非見たい映画だと思いました。でも上映は21時過ぎからの訳です。明後日は用事があるので無理なのです。まあ映画は他の日でも見ることができそうですので。それと、ツイッターを読むと、先生の所属大学が変っているのでビックリすると思います。このことは以前ここに書いたかもしれませんね。ぼくもイワサキさんにお聞きした時には、少し驚きました。

とにかくそういう次第であります。
もし万が一にでも、このブログを開かれて  この映画の公式サイトを読んでお気に召したら、せっかくだったらイナザワ先生と監督とのトークがある今日、是非行ってみて下さい。
未だかって、見たい映画がこんなに(「天のしずく」「終の信託」)たくさんあることなどありませんでした、初めてです。


ちょっと面白い記事

2012-11-23 08:40:34 | 日記

友人のブログからの転載です。

日頃ワタクシが感じていた事なので掲載してみました。

皆さんどう思われますか?

 

ヒトの知性、6千年前ピーク? 米教授「狩りやめ低下」

 【中村浩彦】人類の知性は2千~6千年前ごろをピークにゆっくりと低下し続けているかもしれない――。こんな説を米スタンフォード大のジェラルド・クラブトリー教授が米科学誌セルの関連誌に発表した。
 教授の論文によると、人類の知性の形成には2千~5千という多数の遺伝子が関係しており、ランダムに起きる変異により、それらの遺伝子は、働きが低下する危険にさらされている。
 一瞬の判断の誤りが命取りになる狩猟採集生活を送っていたころは、知性や感情の安定性に優れた人が生き残りやすいという自然選択の結果、人類の知性は高まっていった。
 ところが、農耕が広がると、知性や感情の不安定さは生死に直結しなくなって自然選択は停滞。遺伝子の変異が引き継がれるようになった結果、人類の知性は少しずつ低下しつつある、としている。
 クラブトリー教授は「紀元前千年ごろのアテネの平均的な人が現代にタイムスリップしてきたら、知性や記憶力が最も優れ、感情も安定した部類に入るに違いない」としている。

 


またまたなのですが(=_=)!

2012-11-16 02:28:29 | 日記

tagawaさん、せーさん有難うございました。といっても何のことなのか分らないと思います。実は、お礼を言いたいのは、映画の話をつなげて頂いたことに対してなのです。もちろん映画は映画でしかないのですが。でも、お二方の映画を通しての当ブログの記事なしには、僕の感謝の言葉をここに書くことはできなかったのです。

しかしそれにしても、世の中不思議なことがあるものです。こうした巡り合わせというのは、「天の配剤」というか「摂理」というのか単なる「偶然」というのか、あるいは何でもない「普通」のことなのか、何なのでしょうか。といっても何のことなのか、説明しないと分っては頂けないと思います。

感謝の言葉の意味合いは三つあるのです。一つは、tagawaさんに教えて頂いた「天のしずく」の辰巳芳子さんを検索する過程で、昔お世話になった仕事先のHPを見ることができたのです。最近リニューアルされたばかりのHPを、懐かしい関連施設のHPも含めて鑑賞させて頂いたというわけです。そしてその施設の内容も素晴らしいと思える方向に変っていたので、嬉しいやらびっくりするやらという訳でもありました。何にせよ、あの規模でMSW(社会福祉士)が6人もいる訳です。HPも僕にとっては最優秀レベルといえる程本当によくできていました。そしてなんといいますか、この作品(映画)に協力をしてもいたのでした。

辰巳さんについては、雑誌の記事で読ませて頂いたことがあってお名前などは知っていました。この映画もいつか鑑賞させて頂きたいと思います。もしかしたら、僕という存在の根底にある何かの、欠けている部分について教えていただけるかもしれません。封切りは今月の3日でした。予告編も見て解説なども読ませていただきました。監督と脚本は河邑厚徳さんです。知らない方なので検索したのですが、感激してしまいました。NHKでディレクターをされた後、NHKエデュケーショナル在籍のまま、現在は女子美の教授なのです。驚いたのは、NHK時代に作られた作品や著書が素晴らしいと思ったことです。もちろんというか多分僕は見ていないと思うのですが、作品群(受賞作品の多さもです)があまりにも素晴らしいのでURLを入れさせていただきます。少し抜き書きをしようと思ったのですが、とても多いし、もしかして僕と同じような興味をもたれる方がいるかもしれませんので  http://9oo.jp/lHMOS 

それから二つ目は、せーさんが見られた「終の信託」についてです。この映画は僕も見ようと思っていました。何といっても、監督・脚本は周防正行さんです。映画の内容にも興味がありました。せーさんも仕事柄、周辺的な事態については直面する場合もあるのではないでしょうか。この作品の原作者・朔立木さんというお名前はペンネームで、著名な弁護士(主に刑事)さんでもあるのだそうです。そして実は、この方の検索をする過程で、あるHPに出会ったのです。僕が感謝をする理由は、このHPに出会ったことでもあるのです。  < 「終の信託」は http://9oo.jp/eoBDQ >

そのHPは「日本裁判官ネットワーク」です。HPの「設立の趣旨」を読んでみてびっくりした訳です。そこに書かれていることを少しコピーしてみます。

 本ネットワークは、開かれた司法の推進と司法機能の充実強化に寄与することを目的とする、現職の裁判官の団体です。
本ネットワークの性格を一言でいいますと、「司法改革を目指す緩やかで開放的な裁判官団体」、ということができます。ここには、3つの基本要素が入っています。
 
本ネットワークの準備には7年間を費やしています。この準備活動の内容は、別のページをご覧下さい。この間、実務的な改革を検討する一方、裁判所職員、弁護士、学者、学生、マスコミ、経済団体、市民団体、外国裁判官等様々な分野の方々と交流してきました。その中で、我が国の司法の弱点を、「閉ざされていること」「機能的に十分なものではないこと」と整理認識し、改善のためにどのような形態、内容の運動が必要なのか議論を重ねてきました。その結果が3つの基本を持つ本ネットワークなのであります。
 
こうしたネットワークを、「最高裁と対決するグループ」などと位置づける方もおられると思います。しかし、それは誤りです。本ネットワークは、司法の将来像を真摯に考えている機関や個人とは、すべてにわたって建設的な対話を重ねていきたいと考えています。最高裁、法務省、弁護士会等とはもちろんのこと、可能なら司法制度改革審議会やその委員の方ともです。すでに最高裁には、本ネットワーク設立の趣旨と本の出版についてメンバー裁判官から説明する機会を持たせていただきました。
 
こうしたネットの設立は、日本で初めてのことであり、私たち自身手探りの状態であることは否定できません。しかしながら、司法制度改革審議会の設置をはじめとして、各分野で司法に対する関心は徐々に高まりつつあるように思われます。そうした時期に、本ネットワークを立ち上げるのは機が熟したと考えられます。今後、様々な活動を通じて、司法の改革に貢献したいと願う一方、私たち自身が裁判官として成長していくことを国民の皆さんにお約束したいと思います。今後も、本ネットワークの活動にご理解をいただければ幸いです。    

  「日本裁判官ネットワーク」 http://www.j-j-n.com/

明日はというか、もう今日になってしまいましたけど、テニスの対外試合があるのでもう寝ます(笑)。今宵のお酒はもう終っています。しかしとにかく、いつも生意気なもの言いばかりしているのが恥ずかしいですね。思いかえしてみたら、昔お世話になったグループにも、東京高裁の判事さんがいました。尊敬できる方だったという想い出があります。そしてまた、検事さんにも想い出があります。副検事さんだったかもしれませんが、以前僕が交通違反として切符を切られた事案について、検察に異議申し立てをしたのです。そしてその結果、その検察庁の検事さん名義で、確か「不起訴」という賞状のような書類を頂いたことがあります。要するに罰金を納める必要はありません。その案件については交通違反ではありません。というわけなのでした。

このことについては書くと長くなってしまいます。しかし、その切符を切った警察官の「道路交通法」の解釈が理不尽な気がしたので、多少調べて,、申立書、書証・挙証(現場の写真や。現場と運転状況をビデオ映像ーこれは受付不可とされた)を作って、「無実」を勝ち取ったわけでした。しかし、その検察官に対しては、お会いすることはなかったのですが(事務官から書類を渡された)感謝しましたのです。交通違反の異議申し立てで不起訴を勝ち取るのは大変難しいのだそうです。担当していただいた検察官は、僕の申立書をキチント読んでくださった訳で本当に感謝したのでした。

まあその後の、いわゆる行政点数の問題で公安委員会とのやり取りもあったのですが、長くなるのでやめます。ただ、今でも思い起こすと、「公安委員会」には腹立たしい思いがいっぱいです。

交通違反点数の取り消し請求の「審査請求」は、公安委員会に対してする訳です。そしてその審査も公安委員会がするという可笑しくて不思議な仕組みになっています。確か。つまり審査といっても、公安委員会内部での身内審査でしかないのです。僕の立場からしたら、僕の交通違反とされた事案は検察によって不起訴になったのだから、行政罰として誤って科された違反点数は、消去されるのが当然だと思いませんか?

しかし公安委員会は、こちらは検察とは別であるよ、というわけなのでした(違反点数は「交差点左折後の赤信号無視」で2点でした。そもそもその不規則的な交差点の補助標識の設定不備と、当該「道路交通法」の曖昧な規定が問題でした)。僕としても、点数の問題ではなく、そうした流れに対して納得できるかどうかという問題の訳でした。しかし、審査請求は、請求してから裁決までに半年近くかかったように記憶しています。否とされた裁決書を読んだら、僕の請求書面をよく読んでいないとしか思えないような、お粗末で簡単で形式的・事務的な内容でした。そして確か、今後についてはご自由に裁判でもなさってください、というお達しを頂いたように記憶しています。

僕は訴訟も考えて裁判所に問い合わせたら、印紙代が3万円とのことでした。何回続くか分らない裁判所へ出向く労力も考えたら、2点を取り消す(その時は既にゼロ点でした)のも馬鹿らしくなって、結局諦めました。何だか、けっこう書いてしまいましたです。この個所についてでもご不快と感じられる方がおられましたら、どの個所でも改変・削除・書き込みなど、どうぞよろしくお願いいたします。 寝るのも遅くなって… 

 何故か過日見たロダンの「地獄門」(在・国立西洋美術館前庭)。toiletの人は我が家にもいます。

それから三つ目(の不思議さ)なのですが、実は少し前に宝くじもどきに当ってしまったようなのです。そうなのです。まあ宝くじといっても、巷で言われるようなお金がらみの「一攫千金の宝くじ」という訳ではないのです。もっとも宝くじならよかったのですけど。でも宝くじは買わないと当たらないですよね。しかし何の因果でそのようになってしまったのでしょうか(笑)。ある人から、それは「貴方ですよ!」と言われたときに思い浮かんだ言葉は、「選ばれてあることの恍惚と不安と二つわれにあり」という太宰治の有名な言葉でした。

それで太宰のどの本だったかなと思い調べてみました(意味合いは大分違うのですが)。そうしたら、その書名はともかく、その言葉は本来太宰の言葉ではなく、堀口大学訳のヴェルレーヌの詩集からの引用なのでした。しかしここでもまた、いつも通り大分脱線してしまいました。要するに、こうしたご指名という出来事は、集団お見合いの結果のご指名とかといった、願ってもない話ではないのでした。恥ずかしいのでといいいますか、とにかくここには書きえないことでもあります。だったら何故書くのですか、といわれても仕方ないのですね。とにかく何故なのか自分でもよく分らない、不思議な出来事なのでした。

今日のこの記事の絵文字は、少し前にTVでみた記録映画の影響で向日葵にしたのでした。向日葵の花言葉は<「あこがれ」 「私の目はあなただけを見つめる」「崇拝」「熱愛」「光輝」「愛慕」「いつわりの富」「にせ金貨」>なのだそうです。何だか意味不明な言葉群の二項対立だと思うのですけど。でもしかし、これこそ、『向日葵』そのものなのかもしれません。深刻な場面が多かった記録映画の残像が未だ脳裏にあるのですが。余談ですが、何だか何かが歯間に挟まっていて中々とれないので困っている昨今でもあります。そうだ歯科に行こう。 

 


医療は・・心?身体?

2012-11-15 18:21:59 | 日記

 先日映画を見ました。「終の信託」 殺人か?医療か?と話題になっている映画。

モデルの実話があったんですね?

自分の命の終わりを信ずるものに託す、家族以外の人に・・・残された家族の気持ちは?等・・

色々考えさせられる事がありました。

それにしてもすごかった。検察官とのやり取り、何故そうなのか、その時の事情など

話せずイエスかノーで答える以外は許されない。でも応える、緊迫した空気・・・

一つ間違えると「冤罪」に繋がるかも?様々な考え方があると思いますが・・・・・

お考えを教えてください。(偏っているかもしれないせー)


天のしずく

2012-11-14 17:36:00 | 日記

今年もあとわずかとなりました。

きょうはこのブログを立ち上げた理由を書いてみたいと思います。

第一には、はらじゅく86の皆さんの連絡、情報交換、近況報告です。そして私が勝手に思いついた第二の理由がインターネットの特徴を利用した情報発信です。

これだけ長く皆で活動を続けたのだから、会として何か社会活動をしてみたい、とはいうものの、住む地域も離れ、仕事や家庭その他の事情であまり時間的な余裕もなく、具体的な活動は難しいと考えました。

そこで、皆さんの経験、意見、情報などをインターネットで発信し、不特定多数の人達の目に触れるようにしたらどうかと思ったのです。

ある意見については節度のある反論も良いと思いますし、異なる意見を述べる自由もあります。せーさんのように映画情報を載せてくれれば、メンバー以外の人がそれを見て、その映画に触れる事により人生が変わる事もあるかもしれません。些細なことと思えることが大きな影響力を持つ事もあり得ると私は思います。震災等、多くの人の力を借りたい時も威力を発揮できます。

匿名で言葉の暴力をふるうのではなく、袖触れ合うも多生の縁という使い方をしてみたかったのです。

そこできょうは映画情報。辰巳芳子さんのドキュメンタリー映画「天のしずく」です。絶対のお薦めです。

いろいろな話があるのですが、その中で特に印象深かったのがご結婚の話しでした。辰巳さんは戦時中結婚されました。婚約者の方は召集が決まっていたので、お父上は結婚の延期を先方に持ちかけたのですが、その際「彼が泣いていた」という話を聞いて、「死ぬかもしれない人を泣かせたままで良いのか」という思いでご結婚を決意されたそうです。

そして3週間の結婚生活を経てご夫君は戦地へ赴き、フィリピン沖で亡くなられ、50年もの間、辰巳さんはその死を背負って生きてこられたということです。

後は、百聞は一見にしかず、ですので、是非ご覧下さい。

 

 


どうにも、なのですが!

2012-11-11 22:24:01 | 日記

今日は久しぶりに、といっても8年ぶりくらいになるある集まりに参加してきました。そこではというかそこでも、午後の早めの時間帯から呑み始めたというわけです。どうにもとまらない酒癖なのです。もっともお酒がないと始まらない集まりでもあったのですが。そして雨の夕方、久しぶりの都心のターミナル駅まで兎にも角にも歩き続けたというわけでした

「冷たい雨が紅葉を散らしています」「薪の火がとてもきれいです。自然は最高のアーティストなのです」 素敵な写真をコピーさせていただきました

当地の紅葉の盛りはもう少しというところです。我が家の裏庭は猫の額ほどの広さなのですが、小さい楓の樹が一本あります。誰が植えたのか定かではなく思いだすこともできないのですが、とにかく今も可愛らしく健気に生き続けています。でも今その紅葉がどのくらいの色付きであるのか、最近庭にでたことがないので分りません。なんともお粗末な次第です。

帰宅後PCのメールを開けてみたら、ウエブマガジン「魚の目」ー魚住昭さん責任総編集(元共同通信記者、フリーのノンフィクションライター)ーが届いていました。最初の記事は下記の抜き書きのような内容です。もし興味をもたれた方がいましたらURLを下記しますので。

< ちょっと言葉を交わしただけなのに、鮮やかな印象を残す女性が希にいる。中国人留学生の房満満さん(ファン・マンマン、二十二歳)は、そんな女性の一人である。 彼女は北京にある中国伝媒大学日本語学科を卒業し、早稲田大学大学院のジャーナリズムコースで学ぶ。3カ月前、私がそこでメディアの病理について話したら 「でも私は日本のメディアに就職して日中友好に役立ちたい。それが私の夢なんです」と真剣な眼差しで言った。 >

< …房さんの問題意識は、反中国ナショナリズムを煽る日本のマスメディアのあり方へと向かう。 8月27日、丹羽宇一郎・駐中国大使の公用車が男女4人に襲われた事件に絡み、中国のネット上では「愛国無罪」とか「4人は英雄だ」とかの書き込みがあったという報道が日本で相次いだ。 >

< だが、房さんに言わせると実情は相当違う。中国には共産党に雇われ て愛国的な書き込みをするグループがある。彼らは一件の書き込みで5毛(1元の半分)もらうので「五毛党」と呼ばれる。それは中国の若者の間では常識だ。日本人記者もみんな知っている。 にもかかわらず、日本のメディアはそんな背景事情をほとんど説明せず、中国の反日感情ばかりを拡大・強調して報道する。 >

< 「今の中国は愛国精神が弱まっていると私は感じてます。それは政府にとってあまりよろしくない。なので、愛国的な空気を保つために人を雇って書き込みをさせているのではないかなと私は思います」 > …  

http://9oo.jp/iW239

 

 懐かしい「七里ガ浜」から望む江の島の夕景。  もうすぐクリスマス、救世主が馬小屋で産まれたという逆説の物語(写真はクリックで少し拡大します)

 

そしてこのウエブマガジンの冒頭には、「安倍晴彦元裁判官独占インタビュー」 (約1時間)、ユーチューブが貼り付けられてあります。ーURLは下記ー

安倍弁護士さんについては知っている方もいると思いますけど、『犬になれなかった裁判官』 NHK出版、2001年 を書かれています。元裁判官による現今の裁判所と裁判官についての一つの証言というわけです。 この本について、アマゾンのカスタマーレビューです。 http://9oo.jp/aouIP

ある女性のブログにこの本の紹介記事が載っていたのでコピーしてみました。もちろんこうした見解に反対の意見も当然たくさんあるわけです。

< 前述の「裁判官が日本を滅ぼす」に出てきた安倍裁判官が退任後に書いた本です。東大法学部を卒業後、裁判官として任官し36年、現場で見たこと、感じたことを書き綴ったこの本は、やはり日本の司法の問題点を糾弾したものでした。 

  裁きを行う場を神聖なものと信じ、正義感に燃えた若き安部さんがその後歩んだのは、苦難の道でした。しっかりとした信念を持つがために煙たがられ、地方への転勤に継ぐ転勤、不当な昇給の遅れ、望んでも刑事裁判を担当できず、ほとんど民事や家裁の家事事件担当とされたこと等々、

  どこかで聞いた話だと思ったら、「沈まぬ太陽」の恩地さんみたいではありませんか。人間のやることって同じなんですね。
結局、お国の言うことを聞かないとこうなる、ということなのでしょうか。「犬になれなかった・・・」とは、国家の犬にと言う意味なんでしょうね。

  著者は前述したとおり、東大法学部を出て、司法修習をトップクラスの成績で終えたと言います。漫画「家栽の人」のモデルとも言われる人情家でもあります。こんな方こそ裁判長として活躍するのが当然というのが一般の感覚でしょう。でも国家が求めるのは、感情を持たない国家に対するイエスマンなんですね。これでは問題が山積するわけです。 ε-(´・`) フー 

  裁判所も、裁判官も、日ごろ自分とは縁がなく、雲の上の話のようでその問題点など考えたこともありませんでした。たまたま痴漢冤罪事件の本を読み、続けて裁判官に関する本などを読んでみて、いい勉強になったと思います。安倍さんのように、自分の信念を貫けるよう、そのために正しい判断ができるよう生きていかないと、と思います。 > 

安倍弁護士さんへのインタビュー http://9oo.jp/kltJ8 (このビデオは本当に貴重な証言だと思います。判事さんと検事さんそして裁判所の実態が語られています。判検交流の問題性もこの証言でよく理解できます。インタビューは5分割になっているので見やすいです。少しの時間しかない時でも視聴可能です)

上記を読み返してみて、安倍さんについては前にも一部は書いたことがあるような気がしてきました。前に書いたものを読み返すことも確認するのも面倒なので 

当ブログのアクセス数は20IP平均はいっているみたいです。グループの方なのかどうか分りませんけど、このブログをたまたまでも読んでくださる方もおられるみたいです。グループでは少なくともお一人は当然というか必ずいつも読んでくださっていることは確かなことです。su-も含めると二人ということでしょうか。

su-の記事については「てにをは」も覚束ない文章なのに本当に有難いことです。またどなた様でも添削をしていただけると更に有難いわけですけど、現役の方々にそんな暇があるはずもないですね。そんなことは自分で学習したまえという訳です。

ただ最近su-の書く記事について、話題と内容が偏向しているよとか、言わずもがなのことばかりを書いているよと。またURLを多用した知ったかぶりも呆れるばかりのことだ、といった声が聞こえてきます。こうした声が聞こえるのは、su-の幻聴ではないことも確かなことの筈です 

 


秋も終わりに近く・・・

2012-11-11 00:26:04 | 日記

冷たい雨が紅葉を散らしています。

今年は断捨離元年と位置付け少しずつ整理を始めました。

なんとなくとっておいた物、もったいないと思って使わずにいた物もいろいろ役立ちます。

洋服も含め、昔の製品の質の良さにしみじみ感じ入り、今では手頃な値段で手に入らなくなったことを残念に思います。

地方でも最近は「売れる農業」と称して付加価値をつけた作物を、海外へ売り出そうとしています。農業に携わる人が豊かになる事は大切ですが、国内の農産物が海外の富裕層へ回り、国内の人が外国産の安い農産物を買う、という図式に不自然さを感じます。

暖炉の前でつらつらとこんな思いに耽ってしまいました。

薪の火がとてもきれいです。自然は最高のアーティストなのです。

 

 

 


どうも、なのですが!

2012-11-07 01:48:34 | 日記

先ほど、あの東電事件の再審で無罪判決がでました。分っていたlこととはいえ本当によかったと思います。でも、東京高裁の門扉の所に傍聴した法廷から駆け込んできた記者は、無罪判決を述べた後に、裁判所からの謝罪はなかったと付け加えていました。

昨晩午前0時前の10分間、NHKの「時論公論・再審無罪判決へ」という番組では、解説委員の友井秀和さんが話されていました。聞いていてその解説が分りやすくとても正確だと思える内容だったので感激しました。恐らくNHKの解説としては、許容範囲ぎりぎりの内容だったのではないかなと思いましたですね。

その解説は、この事件の対処方法について誤った検察と裁判所への批判であったと思います。指摘された検察の間違いの一つは、裁判で手持ちの証拠の開示を充分にしなかったこと。例えば、公判前に被害者に附着していた唾液がゴビンダさんのとは違ったDNAであったにもかかわらず、この重要な証拠となるデータを裁判所と弁護側に開示しなかったことを指摘されていました。平成9年には分っていたこのデータを開示したのは、昨年の9月であったということでした。しかもその開示は裁判所からの要請に基づくものであったということでした。こうした検察による証拠の非開示(隠滅)はこれだけではなかった訳ですけど、こうしたことは確信犯もどきの違法で非正義な犯罪行為であったとも言えるのではないでしょうか。本来検察とは、法と正義に基づいて公益を担保することが使命のはずです。

欧米など海外では、こうした証拠の開示については法律による制度化がなされているということです。しかしわが国ではなんと、検察の裁量に任されているということなのだそうです。裁判所は1審は無罪であったにもかかわらず2審以降は有罪を確定させていったわけで、そうした誤った判決の根拠についても様々な問題性も指摘していました。いずれにしても、この事件の総括はしなければいけないと。そうした場合に当事者以外の外部に検証機関を作って、そこで検証作業をすることが必須ではないのか、と言われていたように思います。

しかし、このブログに最近書いていることについて、「君にしては余りにも野郎自大で勇ましいもの言いなのではないか」、「自分の単細胞性や怪しい実存性をきちんと総括することなしに他者の非正義を吹聴し、恥ずかしげもなく正義の味方ぶっているとしか思えない君には、困ったもので呆れてしまうよ!」、「君の背中に、汝自身を知れ!!と大書した紙を貼り付けておきたいものだ」、と   このsu-を一番よく知っている飼い犬でもあるワンちゃんが、ご主人さまである筈のsu-に申しております。

前回の記事で書いた猪瀬さんについてですが、僕は猪瀬さんの<太宰治伝、三島由紀夫伝、天皇制論>などを昔何となく読んだだけの知識の訳です。憶えているのは、かって西武創業者の堤康次郎さんが開業した全国チェーンの「プリンスホテル」という名前は、本当にその名の通り旧皇族絡みの由来なのだなあといったどうでもいいことだけなのでした。副知事就任後の仕事の内容などについてはネットの検索もしたことがなく、たまたま読む新聞やTVニュースで知ることができた内容が全ての訳です。考えてみたら、猪瀬さんについて語る資格は殆どないよとも言えそうです。

(そして蛇足ですけど、確か関川さんは猪瀬さんの著作集刊行時の立派なパンフレットに推薦文を、また内田さんとの関係でも…。当然というべきなのかもしれませんが狭い世界なのですね、…でも…)

とにかく、きのうも雨でできなかったテニスを、今日はオモイッキリしょう!

(いつものことですけど、この記事を読まれてお気に障った内容がありましたら、どなたでもどうぞ御遠慮なく改変や削除をお願いいたします。)

 

 

 


最近は連戦連敗で!

2012-11-01 01:35:37 | 日記

中学校同窓生との毎年恒例の旅行で、日光に行ってきました。中禅寺湖では数十年ぶりに船にも乗りました。紅葉は少し最盛期が過ぎていましたが、子どもたちは元気いっぱいでした。 (写真を修整しました)

 

最近聞いた歌なのですが、「死んだ男の残したものは」 東京混声合唱団 http://9oo.jp/bmHQ0 森山良子http://9oo.jp/pyzZ5 どちらもそれなりに味わいがあります。この歌はズット忘れていましたが、僕にとっても懐かしい歌なのです。たまたま聞いてよかったのでアップさせて頂きます。PCの環境がある方は、聞きながら下記を読んでいただけたら幸いです。…という程の内容は何もないのですけど

1. 死んだ男の残したものは  ひとりの妻とひとりの子ども  他には何も残さなかった  墓石ひとつ残さなかった 2. 死んだ女の残したものは  しおれた花とひとりの子ども  他には何も残さなかった  きもの一枚残さなかった  3. 死んだ子どもの残したものは  ねじれた脚と乾いた涙  他には何も残さなかった  想い出ひとつ残さなかった  4.死んだ兵士の残したものは  こわれた銃とゆがんだ地球  他には何も残せなかった  平和ひとつ残せなかった  5. 死んだかれらの残したものは  生きてるわたし生きてるあなた  他には誰も残っていない  他には誰も残っていない  6. 死んだ歴史の残したものは  輝く今日とまた来るあした  他には何も残っていない  他には何も残っていない   (谷川俊太郎作詞・武満徹作曲)

このところ当地も気温の低い日が続いています。今宵は今年初めてエアコンを始動させました。そして今、例のごとく相変わらず飲んでいます。でも飲んでいるといっても、昨日と今日のお酒は呑むについての条件が毎日少しく違うわけです。昨日のお酒と今日のお酒というのは、その飲む意味ということについても違うわけです。などというと、少しこじつけでしょうと云われてしまいそうです。呑んべいだったら、そこにお酒があればいい訳です。例えひとり涙ながらに呑むお酒であっても、また恋人と語らいながら呑むお酒であっても、お酒に意味があるということはこじつけでしかないともいえる訳です。

お酒は旨いから、そして少しの心地よい酔いを求めて呑む訳です。少しの酔いというのは正確ではないかもしれません。酔いを求める気持というのは、自分という意識を消去してしまいたいという気持であるということは確かなことです。無論僕にとってはということです。ですから、時には意識から無意識を目指してとことん迄という形で呑んでしまうこともあるわけです。もちろん、楽しい場所での楽しい呑みすぎのお酒という場面も沢山あるわけです。しかし、この自己意識を消してしまいたいという気持ちは、僕の中の何処からどのような意味合いで出てくるものなのか。こうした意識は、僕という存在の根底にある何かの象徴ではないのかなと、思うことでもあります。

今、どうにも頭が回りません。お酒の飲みすぎなのか、書こうという気持があったにもかかわらず乗れなくなってしまったのか。しかし、そのどちらでもあるというのは明らかです。今宵書こうと思った時には、気持は全く書きたいなモードであったのです。最近気になっている報道記事が沢山あって、一言二言書きたかったというわけです。でも、食べつつ呑みながらテレビを気にしながら、更に電話で話しながら呑み続ける中で、頭の中の中枢機能が少しくダメージを受けてしまったというわけです。しかし突然ですけれど、今僕は自分の実存レベルでの決断をしなければいけないことがあります。…右か左か!そうすべきかせざるべきか!…

最近の新聞記事を読んでいると、このブログに書きたいと思うことが沢山ありました。以前このブログに書いたことについての話題が連続していたというわけです。それは「東電OL殺人事件」の再審問題と、週刊朝日誌で佐野眞一さん達が書いた橋下徹大阪市長についての記事に対する一連の騒動ともいうべきことがらについてです。

石原知事の辞職の問題もあります。石原後継を名指された猪瀬副知事について、分ることと分らなさの問題もあります。佐野眞一さんについての猪瀬さんの批判はいろいろな感想をもたされました。猪瀬さんには著書を通じていろいろなことを教えて頂いたことがある訳です。でも、今回の橋下市長がらみでの「佐野眞一さん38歳時の剽窃と疑惑」http://9oo.jp/bkwzM http://9oo.jp/dpRW7についての発言は、なにか割り切れない思いをもたされます。

猪瀬さんと石原さんとの5年間のお付き合いをどのように位置づけることができるのか、という問題もあると思います。僕は、猪瀬さんはよく我慢できたものだという思いがあるわけです。つまり、猪瀬さんは我慢されたに違いないと思わずにはいられないのですが、その我慢をされた理由・課題・質は那辺にあったのか。つまり、我慢してでもやるべきことできることがあると考えられたのは確かなことであったと、信じたい訳なのですが…。

ここで僕が言えることは、猪瀬さんではなく佐野眞一さんについてですけど、「…にもかかわらず、僕は佐野さんの人間性を信じることができます」ということだけです。ただ、あの週刊朝日誌での記事は、もちろん発売時に買って読みました。そして読みながら、この記事は本当に佐野さんが書いた文章なのかなと思いました。その文章は、佐野さんの品性があまり感じられませんでした。余りにも粗雑で安易な表現が多すぎると思いました。週刊朝日誌の記者二人との共著なのですが、それにしても文責は佐野さんにあると思うわけです。ネットでは、記事の主張については肯定的な意見が多いと思います。僕もそのように思います。このことについては、また後日書かせて頂くかもしれません。書きたいことは沢山あうのですが。

表題の「連戦連敗!」というのは、甘いものを食べるという誘惑に負けてしまっているということです。「砂糖は敵だ!」といつも思っています。僕は甘いものが大好きなのです。でも、ズットけっこう勝ち続けていたのですけど、最近、といってもこの数日は負け続けています。何かのストレスがたまっているのかもしれません。砂糖は果糖で充分な訳ですから、砂糖に勝とう!というわけです

明日は用事があるのでもう寝ます。書きたいことの半分も書けませんでした。呑みすぎです!

しかしそれにしても、「ゴビンダさん、本当に申し訳ありませんでした。日本の司法は限りなく間違っています。検察と裁判所は何の総括もしていないようです。反省も謝罪もありませんでした。ただこうしたことごとが以前にもまして明白になったことは、せめてものことだと思います。」そして、支援活動を続けてくださった多くの方々がいたことを、僕は知りませんでした。毎週3度は、収監されていたゴビンダさんに面会を続けられていたことも知りませんでした。故国ネパールのご家族へのカンパには、千人もの方々が参加されていたということも、今回知りました。