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ベートーヴェンの交響曲第9番とハイル・ヒトラー

2016-01-01 00:22:30 | 日記

 

 みなさま明けましておめでとうございます!
        昨年中は大変お世話になりました。
        今年もどうぞよろしくお願い申し上げます 

 過日、Yさんから新年会のお知らせのメールが届いていることと思います。
 16日(土)18時~。場所は、新宿駅西口から直近のビルの中、Xです。
 毎年の新年会は、Yさんの担当のようになっていましたが、今年も開催さ
 れるということでうれしいです。もちろん、su-も参加させていただきます。 
 もしも、メールが届いていなかったりした場合は、Yさんや他の方にでもい
 いとおもいますので、ご連絡をしていただけたらと思います。
 といっても、このブログを目にしているメンバーは少ないので、ここにこうし
 て書いても意味はないのかもしれません

大晦日の昨晩、ベートーヴェンの九番をNHKのEテレで久しぶりに視聴しま
した。実は、この曲を聞こうと思ったのは、きのう近所の大型店2店舗に買
い物で入った時にこの曲が流れていて、えっと懐かしく感じたからなのです。

また、それに加えて、数日前に録画でみた、NHKスペシャル 新・映像の
世紀「第3集 時代は独裁者を求めた」の中で、ヒトラーの生誕記念前夜祭に、
この曲をフルトヴェングラ―の指揮でベルリンで演奏されたということもおもい
だしたことからでもありました。

その「映像の世紀」によると、同じころ、あのアウシュビッツでは、毒ガスによ
るユダヤ人の虐殺が本格化した時期でもあったのだそうです。そして更に、
このアウシュビッツの収容所のなかでも、この第9が収容されていたユダヤ人
によって演奏されていたのだそうです。

この9番はどなたでも知っているように、第4楽章はシラーの詩による合唱付
のわけです。そしてこのシラーの詩(歓喜の歌)というのは、”人類愛、兄弟愛”
こそが被造物としての人間の本質であるはずだ、といったことを謳っている
わけです。
上記の「映像の世紀」によると、そのころのドイツ国民は、ユダヤ人虐殺につ
いて知っていたのだそうです。おそらく、アメリカの政権や資本家の間でも周知
されていたはずだと思うのです。
そうした中で、それにもかかわらず、この9番がヒトラーに捧げられていたという
ことは驚嘆に値することなのではないかとおもうのです。もっとも、そこにヒトラー
は参列していなかったということです。 その理由についてはコメントがなかった
わけですが。 

ユーチューブには様々な実録映像がアップされています。
検索してみたら、上記NHKの「映像の世紀」の第1集がありました。
NHKスペシャル『新・映像の世紀「第1集 百年の悲劇はここから始まった」』
(約70分) 
第2集はさがしかたが悪いのか見当たりません。そのうち、第3集(50秒)の全編
ともどもアップされるのではないかと思います。ただ、著作権といった問題もあり
ますよね。どうなっているのかよく分りませんが、こうした映像がわたしたち人類の
貴重な遺産・財産であることは間違いないことです。
ついでに、ユーチューブには、例えばNHKスペシャル「カラーでみる太平洋戦争
~3年8ヶ月・日本人の記録~」
約60分といった、太平洋戦争の記録もたくさん
アップされています。 これからの日本国の進む方向性を想像するなかで、過去を
振りかえってみることは絶対に必要なことではないかとおもうのです。
興味のある方は、ぜひ、アクセスしてみてください。

新年早々に、なんだかもの騒がせな記録映像の話に巻き込んでしまうような感じ
で、じぶんでもといった気持ちがないわけでもないのです。
でも、上記「世紀の映像」のなかで、マルチン・ニーメラーというドイツの牧師・神学
者の有名な歴史的述懐のことばとされている詩についても紹介されていたのです。 
たしかニーメラーさんは、1970年代に来日されたのではなかったかとおもうのです。
そのことば・詩というのは、考えてみたら、まったく空恐ろしい内容です。

ご存知の方がおおいと思いますけど、アップさせていただきます

ニーメラーさんの言葉に由来する詩 

 ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった
 私は共産主義者ではなかったから
 社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった
 私は社会民主主義ではなかったから
 彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった
 私は労働組合員ではなかったから
 そして、彼らが私を攻撃したとき
 私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった