はらじゅく86のブログ

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改札口の“音”は!

2017-02-18 01:27:45 | 日記

きょうは、一日中、風がほんとに強かったです。
こんなに強かったのも珍しいですね。夕方のTVニュースでは飛行機の着陸時の映像を映し出していましたが、強風で機体が不安定になり、1度では着陸ができないような状態でした。もちろんテニスコートは使えません。硬式ボールですけど、試合も、練習も完璧にムリな状態でした。

昨日の投稿記事では「音の効果」ということで、改札口の自動改札の音について指摘されていました。
そうした指摘というか感想をお聞きして、改めて、そうした時のじぶんの気持ちを思い返してみました。

ぼくは改札口を通過する場合に、そこでの音について違和感を感じることはなかったように思うのです。ただ、そこでときどき感じてしまうことは、 というかいつも感じてしまうことといったほうが正確かもしれませんが、次のようなことです。

特別に急いでいる場合とか、何かの事柄について意識が集中している場合を除いて、改札口を通り抜けるときにいつも感じることは、「その改札口の停止バーが突然下がって、進入禁止です!と、入場や退場を拒絶されてしまう」のではないかという感じ。そういった軽い強迫観念もどきというのか、強迫神経症的というのかわかりませんけど、いずれにしてもそうした軽い異和感を感じることがおおいですね。その際に、残高不足の可能性が心配になって、南無八幡的な、瞬間的な不安が頭のなかをかすめるといったこともあるように思います。

しかし、改札口の「音」と言われてみると、どういう音だったのか記憶にないのです。それで、いた仕方なくユーチューブに聞いてみました。
お時間と興味のおありの方は、下記の音をお聞きいただけたらと思うしだいです。

しかし、言われていることは、“音の効果”ということなのでした。
「……鳥のさえずり、水滴の音、ちょっとユーモラスなポヨン……」「……ダメよーー……」
そして、「殺伐とした雰囲気が少し和らぐのではと・・」

しかし、そうなのです。上記したような、ぼくが“音”について感じていないこと、記憶にないといった不感症てきな感性というのは、 ぼくの、ぼく固有の問題群の一端を現してもいるように、と思うことでもあるのですね……。

自動改札の気持ち ランダム版(スマホ視聴推奨) 
https://www.youtube.com/watch?v=1Fd8TgOsXRY

自動改札の気持ち エラー版(スマホ視聴推奨)
https://www.youtube.com/watch?v=VCys5A0ew6k

新・日本の最先端・自動改札機 (映像時間は90秒)
https://www.youtube.com/watch?v=RlF1BUp5jAw

 

 


音の効果

2017-02-17 12:36:24 | 日記

このところ上京の機会が多かった。

気になるのか駅の自動改札の音。カードでスムーズに出入りできるのは良いのだが

あのピッという機械音をもう少し違う音にしたら人々もなごむのではないかと思う。

たとえば鳥のさえずり、水滴の音、ちょっとユーモラスなポヨンという音など。

料金不足の時は「ダメよーー」と優しいお姉さんの声。

殺伐とした雰囲気が少し和らぐのではと・・


『沈黙ーサイレンスー』をみました!

2017-02-12 11:21:19 | 日記



『沈黙ーサイレンスー』をみました。Xさんもご覧になったことと思います。
それで、ぼくも少しばかりの感想はあります。でも、その映画のテーマと内容が重たく、大きすぎて、感想をまとめるのは大変です。この映画はアカデミー賞の撮影賞にノミネートされたそうですが、さまざまな情景として表現された画面にはこころを動かされました。でも、外国の人に見てもらう場合のことをかんがえたら、理解しにくい部分が多かったと思いました。たとえば、この映画のイントロの部分ですが、小説を読んだことがある僕にしてもアレっとおもってしまったのです。この映画のイントロとしては、外国の人だったら僕以上に強い違和感をもつなかで、わかりにくさが多かったと思います。これはシナリオの問題だと思うのです。たとえば、小説の世界でだったら序章がなくて、突然、主人公が事件の渦中に巻き込まれてしまうような構成ではないかと。推理小説のようになぞ解きが主題だったら、それでもよかったのかもしれません。

そして、内容についてですが、難しすぎる問題でしかありません。ただ、これから日本製の篠田正浩監督作品『沈黙』をみてみたいと思っています。しかし、ぼくが感想を考える場合にとても難しいとおもうのは、この映画のテーマが神学の問題として位置づけ、考えざるを得ないということになるからです。たとえば、ぼくが一番に感じたことは、人がひとを理不尽に殺害するという殺人・残虐行為・罪の問題です。また、そうした歴史・現実と、神の現在性・存在根拠・沈黙の問題。神義論という問題。万人救済説、予定説との関係。……いずれにしても、キリスト教の教義の根幹の問題と直接するわけです。

また、カトリックとプロテスタントの問題(主人公の神父達はカトリック・イエズス会の所属で-上智大学も-踏絵を踏む踏まないという是非の問題もそのカトリックの神学と直結する)。新約聖書でキリストを権力に売り渡したとも表現されているユダの問題。旧約聖書では神と対峙した苦難の象徴でもあるヨブの問題をどのように考えたらよいのか。しかし、十字架(磔刑)に象徴されるキリストの生きざま・死にざまの意味とは。その贖罪としてのキリストの行為とことばの意味とは。信仰(信じる)とは。理神論・汎神論とはまったく無縁であるキリスト教とは。キリスト・全能の神と悪・虚無・罪の問題は。神(キリスト)と歴史(自然史・人類史)の関係(意味)は。キリスト教倫理にとっての踏絵とは。

そしてまた、日本の宗教的風土の歴史的固有性の問題、日本と日本人とキリスト教の土着化の問題。また、歴史的時間が近接する「島原・天草の乱」との関係をどのように考えたらいいのか。などなど、そうした問題・課題のすべてが相互に関連するなかで、この映画のテーマが問われているということだと思うのです。
そうしたら、ぼくはこれからの余生の時間のすべてを使って学習し、かんがえても、この映画の感想は言えそうにもない、ということになりそうです。
映画、『沈黙ーサイレンスー』……神の沈黙……神の存在(十字架のキリスト)……人間の現実……遠藤周作。
でも、しかし、「 しかし、無くてならぬものは多くはない。いや、一つだけである 」と、新約聖書のルカさんは言われるのです。無くてならぬもの!とは。

しかし、この『沈黙』のテーマは、宗教・キリスト教の固有の問題・課題としてとし設定されていることは確かなことです。そして、この宗教・キリスト教にたいしては、たとえば「宗教は人間と世界を捨象する」(フォイエルバッハ『キリスト教の本質』)という宗教批判の一つの側面がよく主張・引用されています。また、「宗教の内部で、他者成立の前提を観念的に一だれのものでもない一般的思惟の立場でとり扱っているか、それとも『実践的に』、その『魂とみぞおち』において対決しているかどうか」(梅本克己『思想と科学』)という、宗教者批判ともいえる鋭い問題提起もあります。そしてそうした批判にたいして、宗教・キリスト教を信仰していると自己確認をすることができるひとは、そこでの問題提起にたいしてどのように向き合い、自己総括をすることが出来るのか。信仰者にはそうした相互連帯的な課題がつきつけられているのだともおもうわけです。

(上記の2著の引用文章は、故横田勲牧師「信仰の『位相』をめぐって」(雑誌『福音と世界』1972)から。横田牧師のそこでの論文にはつきない興味を引かれます。また、残された2冊の著書『傍らに立つ者Ⅰ』、『傍らに立つ者Ⅱ』も、ぼくにとっては必読・必携の優しい、しかしむずかしい本です。

そして、この映画をみての感想もどきのまとめとして、「しかし、あの時あの場所で、『沈黙』の登場人物の一人ひとりは例外なく、だれしもが「決断的に」、その「魂と腹わたで」、強いられた情況と対決していたことだけは、まちがいないとおもうのです」。

 


いったい、人間の大地では何が起きて!『海は燃えている』

2017-02-12 02:48:23 | 日記

◆下記の文章は、昨日の投稿記事で紹介させて頂いた映画、『海は燃えている~イタリア最南端の小さな島~』を紹介した『カトリック新聞オンライン』(リンクした)の文章です。リンクを張ったサイトの文章なのに、更に繰り返してしまいます。気が向いた方は、ぜひ、ご一読ください。

「 アフリカ大陸からイタリアを目指して、多くの難民が海を渡る―。北アフリカに最も近いイタリア最南端の小さな島を舞台にしたドキュメンタリー映画は、詩情あふれる静かな景色の中で、「難民の死」はいったい誰のせいなのかと、辛辣な問いを投げ掛けてくる。

ランペドゥーサ島は人口5千5百人の小島だが、数万人の難民が漂着しては送り出される。過去20年間でこの島に上陸した難民の数はおよそ40万人。しかし、その陰で1万5千人がシチリア海峡で命を落としている。難民たちは大金を支払って小舟に乗せてもらい、7日間、飲まず食わずの旅に出る。衰弱して死ぬ者、また船の難破で水死する者など、無事に上陸できるのは奇跡的なことなのだ。

しかし、島民たちは、そうした難民たちと関わることなく、その悲劇を知ることもなく、何事もないように〝普通の日常生活〟を続けている。この事実に直面しているのは、救助艇の関係者と、島でたった一人の医師だけだ。

医師はこう語る。

「船内で死んだ子どもや母親の遺体を多すぎるほど見て、怒りがたまり、腹の中が空っぽになり、穴があく。検死で遺体は切り刻まれ、彼らは死後も冒涜を受ける。…こうした難民を救うのは人間の務めではないか」

大海は小舟では渡れない。いったい人間の大地では何が起きているのか。「無関心」という〝人類の罪と暴力〟について問題提起をした作品である。

ベルリン国際映画祭・金熊賞(グランプリ)など数々の賞を受賞。カトリック中央協議会広報推薦。2月11日より東京・渋谷Bunkamura(ブンカムラ)ル・シネマほか全国順次公開。
詳細は、公式ホームページ(http://www.bitters.co.jp/umi/)」

 

 


映画】『海は燃えている~イタリア最南端の小さな島~』 2月11日公開

2017-02-10 23:25:34 | 日記

 

こんばんは。 
本日、祝せいたんの杯のまなこであるメールを開けてみましたら、この写真についてのコメントがありました。

【映画】『海は燃えている~イタリア最南端の小さな島~』 
「難民の死」、原因は何か? 北アフリカに最も近いイタリア最南端の小さな島を舞台にした話題のドキュメンタリー映画。本日の配信で無料の『カトリック新聞オンライン』の記事でした。

この映画は、第66回ベルリン国際映画祭金熊賞受賞作品だそうです。
公開は、明日2月11日から全国公開とのことです。上記の広告・案内写真をみると、ドキュメント・撮影部門など、9個の賞を受賞しているので驚きです。

『海は燃えている~イタリア最南端の小さな島~』 http://www.bitters.co.jp/umi/
このURLのリンク先は、今まで見た映画の案内サイトでは最高の出来栄えのように感じます。画面右上のMENUから予告編、その他を見ることが出来ますね。

非よみびとしらずというのか、それともみるひとしらずというのか、ともかく、とにもかくにもの勝手放題です。
このブログについて、 最高綱領と最低綱領のあいだの幅をおもいっきり拡大していただいて、つまり投稿規定などというものはむげんだいに非存在ということを確認していただくなかで、これからもさいごまでとうこうのけいぞくを……

『沈黙』もみました。明日にでも、もしかけましたらとうこうさせていただきます。


権利のための戦い!(気になったメルマガ)

2017-02-09 23:37:03 | 日記

本日配信された無料のメルマガ記事が気になったので、ご紹介させていただきます。
配信元は「医療ガバナンス学会」。ぼくにはむずかしくてよくわからない学会ですけど、でも参考になる記事がときどきあります。記事は投稿記事がほとんどで、投稿は学会員限定ということでもなくいろいろな方が寄稿もされているようです。また転載記事もけっこうあります。配信は週に4回くらいでしょうか。僕はじぶんの興味がある記事だけを読ませていただいてます。記事の内容は当然ながら医療関係が中心で、特に東日本大震災に関連した医療情報などもおおかったですね。過去の記事は月別のアーカイブで13年間分閲覧できます。通常の医療関係webとは違って、薬剤メーカーからの寄付などもまったくないようですね。会員と支援者からのカンパだけで運営されているようです。学会の中心メンバーの上昌広医師は昨年まで、東大医学部の特任教授をされていました。理事長の久住英二医師はときどき、昼のバラエティー番組のコメンテーター(確か、感染症関係の時)として出演されています。また現在、いままでにはないような新しい形のクリニックの共同運営方式を試行錯誤されているはずです。(大分前に検索しただけですので)。このメルマガにときどき投稿されている医師の中には、福島で活動されていたNさんと関わった方々もいるはずです。配信元は学会ということで難しい内容なのではないかと思いがちですが、このグループのメンバーにとってはそのような心配はまったく無用だと思います。ぼくでも読めますし、過去の記事も含めて読んでいただき、この医療の世界を少しでも良くしようと奮闘されている医師方の、せっかくの無料配信でもあるのでぜひご購読を……。

◆「マイノリティーだからこそ学んだ権利を守ることの大切さ」
チェコ共和国・国立パラツキー大学医学部生 坂本遙
(医療ガバナンス学会 2017年2月9日配信)

「丸山真男の『日本の思想』という本に私が出会ったのは、高校三年生の現代国語の授業の時でした。この本の一部、『「である」ことと「する」こと』を授業で習う機会があったからです。この時に以下のことを学びました。(後略)」
http://medg.jp/mt/?p=7321

◆「反トランプ『ウイメンズ・マーチ』:『女性の権利』のための長い闘い」
大西睦子 2017年2月3日
(転載記事で2月7日の配信。転載元の記事のほうが写真もあり読みやすいので、下記URLでリンクしました。大西医師は確か東京女子医大出身でハーバード大学で研究中or過去形?一般的健康関連記事をたくさん書かれています。この記事を読んで、大西医師について今までまったく知ることのなかった一面を知りました)

「1月21日、トランプ政権発足翌日の朝、マサチューセッツ州ケンブリッジの自宅のドアを開けると、ハーバード大学の方向から、「女性の行進(ウイメンズ・マーチ)」に参加する若者の集団が通り過ぎていきました。この日、街中の人たちが、手作りのプラカードを掲げ、ピンク色の猫耳ニット帽(プッシーハット)をかぶり、行進に参加するために「ボストン・コモン」(ボストン市中心部にある公園)に向かいました。プッシーは猫と女性器を意味していますが、プッシーハットは、トランプ大統領の「自分はスターだから、簡単にプッシー(女性器)にさわれる」という過去の女性蔑視の発言に対する抗議を示しています。ボストン・コモンには、約17万5000人(ボストン市当局発表)もの人が集まりました。……」
http://medg.jp/mt/?p=7325
http://www.fsight.jp/articles/-/41973 (このサイトは有料登録をしないと最後まで読めないのでした!でも、さっきは学会サイトからのリンクでは全文が読めたのですが?失礼しました)