はらじゅく86のブログ

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人は矛盾という流れをたゆたうものかも

2015-11-30 21:12:38 | 日記

su-さんが含蓄ある記事を掲載してくださいました。

それに関連するような記事を目にしました。

新聞に掲載された、村上春樹氏が福島のイベントに参加されたときのコメントから。

「一人で食べる牡蠣フライはおいしいけれど淋しい。淋しいけれどおいしい。自由と孤独の関係もそのようなもの・・・・・・・」

「人生には偏るのが必要な時期もある。しかし硬直してはいけない」

さすがに奥深い内容をわかりやすく伝えています。




フランスの同時多発テロとパスカルさん?

2015-11-28 01:43:14 | 日記

コメントを書くこともなく、日数を重ねてしまいました。
実は、書いたのですが、新しいキーボードのキー操作ミスで、せっかく書いたものが瞬間的に消え去ってしまった 
ということがあったという次第でもありました。 PCの調子はまあまあといったところでなんとか生きながらえています。
といっても、ときどき入力ができなくなってしまったりして、息も絶え絶えでもあるといった状態です。 

数日前の朝日紙に掲載された連載コラムが気になったので、下記させていただきます。(著作権?)

「 人間は、天使でも、獣(けだもの)でもない。そして、不幸なことには、
天使のまねをしようとおもうと、獣になってしまう」 (パスカル)

「愛を、正義を訴える人は、それをあまりに純粋に求めることで、逆に、誰かがやるしかないとあえて「美しくない」仕事を引き受けて
きた人たちへの想像力をなくしてしまう。愛と正義を掲げて残虐な行為をくり返す人たちを、私たちは歴史の中で何度も見てきた。
17世紀フランスの思想家の『パンセ』(前田陽一・由木康訳)から」

朝日新聞 「折々のことば」ー232ー 鷲田清一 2015年11月25日

パスカルの原理のパスカルの言葉は、以前、このコラムでも取り上げられたことがあったと思います。
実はパスカルの『パンセ』は、自分にとって懐かしい本です。19歳のときに読んだ思い出があるのです。
そして、この本の内容が自分の背中を押してくれた一つにもなって、ある決断を したというわけでした。

そのときの本がまだ手元に残っています。それで気になったので、上記の個所を検索してみたのです。
第6編 思想の尊厳 358
 
「人間は、天使でもなければ動物でもない。そして不幸なことは、天使のまねを
したがるものが、動物のまねをすることだ」

(モンテーニュ『エセー』3巻13章)訳は、由木康 『パスカル随想録』1961年、白水社6版、450円

二つの訳を比べてみると、訳の違いは明らかです。
上記の訳は前田陽一さんの訳なのではないかと思うのです。

ぼくは鷲田先生のコメントを読んだときに、フランスでの”同時多発テロ”のことをおもいました。
鷲田さんの想いとはかけ離れているのかもしれません。でもそのような解釈もできるような気もするのです。
そしてぼくの想いからすると、前田さんの訳の「獣(けだもの)」のほうが適切な訳ということになります。

上記の鷲田さんのコメントを読んだときに、吉本隆明さんを思いだしました。
確か、愛とか正義とかといった正しいこと、正し過ぎることを声高に叫ぶということの問題性。
そういう人たちの問題性を、鋭いことばで、ときに言われていたように思うのです。 

また、いつでも自分をカッコに入れて、声高にではなく沈黙のなかででも、一見正しそうな
何かを主張してしまう!それはほかでもない、キミ!なのでは。というもんだい。

このPC、ときどき書けなくなってしまいます。しばらく待機すれば復旧するのですが。
困ったものです

途中ですけど、また書かせていただきます。もっと早くに書かないとだめですね。
もう寝ます!(体調問題)

ついでなので、これだけ書かせていただきます。
きょう配信された魚住昭さんのブログから 「わき道をゆく第85回」-沖縄は誰のためにある- が刺激的
でした。この本の高橋哲哉さんの真面目さは、上記の動物や獣とはまったく違うことは明らかだと思うのですが。 

それから、久しぶりに読んだパスカルで気になったことばの一つ。

295  「ぼくのもの、きみのもの。
     -[この犬はぼくのだ。]
      これらのかわいそうな子供らは言った、
      『そこはぼくが日なたぼっこををする場所だ。』ここに地上における簒奪の始めと写しとがある。」 

大国でも小国にでも、通用する論理!
通用しないのは、「『美しくない』仕事を引き受けてきた人たち」 なのでしょうか?


温かな夕食

2015-11-21 08:16:52 | 日記

国内外、気の重いニュースが多い今日この頃です。

あまりに単純とは思いますが、すべての問題は「温かな夕食」を全ての人が食べられれば解決するのではないでしょうか。

空腹はストレスを起こし、怒りを増幅し、夜は感情のさらなる高ぶりを生みます。

温かな夕食をお腹いっぱい食べれば、満ち足りた気持ちになり、眠くなり、夜中に出かけるなど面倒きわまりなくなります。

この単純な恩恵を受けていない人があまりに多すぎるのではないでしょうか。


過剰反応社会

2015-11-07 08:20:43 | 日記

テレビで過剰反応社会を扱った番組を見ました。

一見ごく普通の人が「クレーマー」と化す理由は一瞬にして社会に影響力を与えられるインターネットの普及によるものだそうです。この力はよく使えば素晴らしい効果をもたらしますが負の効果も甚大です。

特に、評判が業績を左右するサーヴィス業においてその影響は深刻らしいです。スーパーでの応対を録音した音声には慰謝料を請求する様子もあり場合によっては刑事事件になりうる内容です。

 一度ささいなことで理不尽な要求をし、それが認められると快感と高揚感に包まれ、自分が凄い存在であるような勘違いが起き、やめられなくなってしまうということらしいです。クレーム依存症??でしょうか。

 番組では理不尽な要求には毅然と対応することが大切で、業界で横のつながりを持つことも勧めていました

 また、こういうストレスを受けた従業員は、別の場所で今度はクレーマーとなり、そのうっぷんを晴らすこともあり得るということです。まさに負の連鎖です。

 作家の池波正太郎氏はタクシーに乗ったらほとんどの場合チップを渡していたそうです。「そうすれば気分がいいだろう?交通事故の防止になるんだよ」と氏は語っておられました。

 若い時は大人にいろいろ助けて貰ったり、無礼を許して貰ったりしたこともあるでしょう。自分が若くなくなったら、今度は若い人にそのお返しをしながら生き、奪い取る負の連鎖ではなく、与え合う正の連鎖を創りたいものです。