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櫻よ、国花よ!(@_@)

2013-03-20 21:23:37 | 日記


ことしの桜の花は、どうしてそんなに速いのでしょうか?

桜ちゃんが、危険運転中です

桜よ櫻!何故にそんなに先を急ぐのか。

ゆっくりでいいのだよ。慌てることはない!無事故無違反、安全が一番だよ
ホントーに急ぐことはない、緩やかに、ぼちぼちと、そんなに周章てなくても、いいのだよ。

「飛び出すな!桜は急に止まらない」
そうなのだ、櫻よ、咲き急ぐことはないのだよ

 桜は日本の国花なんですよね。

それにしても桜ちゃんは、近年の開花日の記録を塗り替えるように、爆走ならぬ暴走中です

そしてその、上野公園の満開美は、明日なのだそうです。
満開美だったら、まことに結構この上ない慶事なのですが、満開美は満開日なのでした

そうしてなのですけど、
tagawaさ~ん 
昨晩ボクは、自前のとネットから頂いた桜の写真を数枚、A4でプリントアウトして、部屋中に飾りました
いまこの部屋は、最高のお花見日和です。満開美も満開中なのです。
それで、花にはお酒!というわけで、ついつい呑みすぎてしまいました(マジなのですけど) 

しかし、今年の桜はとてもいい加減な感じがしますけど、でも桜の花と言えば日本と日本人!
そして、「敷島の大和心を人問はば、朝日に匂ふ山桜花
という歌を想いだします。

作者は本居宣長サンなのだそうです。

なんだか、とてもよく分かるような感じがする歌なのです。
この歌の感じが、なのですが。
なにが分かるかという何かは、よく分からないのですけど、でもたしかに何かなのではあります

そしてしかし、この国の国歌は、「君が代」ですよね。ともかく!
しかししかし、戦時中の準国家(第二国歌)と言われていた歌をご存知ですか?(知ったかぶりですみませんけど) 

ぼくは子どもの頃、この準国家とやらを蓄音機で聞いたような聴かないような記憶があるのです。
正直なところ、この歌は好きです。ユーチューブの「お気に入り」に入れてあって、ときどき拝聴しています。
この歌を聞くと、ぼくでもなんだか、少しだけ真面目な気持になれるような気がするのです。 

その歌は、「海ゆかば」なのです。
僕と同じ高齢者世代の人はご存知の方が多いと思います。でも若い人たちは多分、知らない人の方が多いのでは? 

この歌詞は大伴家持(万葉集)、曲は信時潔さん(1937年・昭和12年)だそうです。

海行かば 水漬(みづ)く屍(かばね)
山行かば 草生(くさむ)す屍
大君(おおきみ)の 辺(へ)にこそ死なめ
かへりみはせじ

この歌の意味は

海で戦って死ねば、死体は海水に浸かって浮かぶだろう。
山で戦って死ねば、打ち捨てられた死体は草に覆われるだろう。
天皇のおそばで死ぬのだから、決して後悔はしないぞ  「教えてgoo」から

http://p.tl/mfuM (ユーチューブ)

何よりも、この曲は、大東亜戦争(太平洋戦争)の最中に、ラジオで大本営発表(戦果発表)が放送されるときに、

特に玉砕を伝える際に、必ず冒頭に流された曲なのだそうです。

つまり、この曲が放送されるときというのは、日本兵が玉砕ならぬ多大な徒死をした、という報せであったというわけです。 

ユーチューブのこのサイトは15分弱です。画面の情景を変えてこの歌が繰り返されます。

最初の方の画面は戦時中の過酷な場面が続きます。そして、その後の方では、あの有名な神宮球場での学徒出陣の
壮行会の画面も流されます。あの時の東条首相の「壮行の辞」は、その声音が僕の耳にものこっているんです。


 冒頭の写真は、昨日、テニス帰りに撮った桜並木です。

この桜並木は例年、なかなか綺麗なのです。この画面の後ろ方向にもズット続いています。
しかし、桜の花は気がついたときにはあっという間に開花していて、今は6分咲きといったところです。

アキレス腱のその後は、一進一退ともいえそうです。でも何とか、あまり無理をしない程度にやっています。 
このところ、呑みすぎと食べ過ぎ(甘いもの)です。なんだかストレスが溜まっているようなのです。
でも、例によって、何がなにやらよく分からずに生き延びているといった感じなのです、が。

「海ゆかば」なんかを書く予定はまったくなかったのです。
ただ、お花見のお相手の桜ちゃんについて、呆れています!と言いたかっただけなのですけど


 そして、ついでで恐縮ですけど、過去ログに書いた近藤先生のご著書の内容について、
   いろいろと実践させていただいております。

お風呂での頭や身体の洗い方では、石鹸の使い方や洗髪方法なども真似をさせていただいています。
以前から、石鹸とタオルの使い方はそのようにはやっていたのです。前に湿疹になったときに皮膚科医から、
極力控えた方がよいと言われたことがあるからなのです。

コーヒーも飲み始め、卵も食べ始めました。もちろん自己責任であります。

その本を読まれていない方には、何の話か通じないと思いますが 


 それからまた、ついでのついではあるのですけど、少し前の新聞の広告に吉本隆明さんの『フランシス子へ』
   という著書が載っていました。吉本さんは昔から愛猫家で、ネコとの付き合いを書いた本も出されています。
   (インタビュー構成の、『なぜ、猫とつきあうのか』1995年。挿画は長女で漫画家のハルノ宵子さん)

しかし、今回知ったのですけど、最晩年の吉本さん最愛の猫の名前は「フランシス子」だったのだそうです。

広告には、「最愛の猫・フランシス子の死、自らの生と老い…。最晩年に思想家は何を思い、何を語ったのか?」と。

そして、僕は、その広告の本の題名を見たときに、と思ったのです。
どこかで聞いた名前だ? 「フランシス子」 ~ 「フランシスコ」?~「フランシスコ 1世」

そして、そうだ、今度のローマ教皇の法王名ではないかと思いいたったわけです。

ぼくは、吉本さんが、どうしてそういう名前を猫につけたのか、大変興味を引かれるのです。
多分、特別に名づけの由来があるという訳でもなさそうな感じがするのですけど。

上記の本の裏表紙にある「吉本家の猫の家系図」には、ミロ、チャーリー、タロウ、ナマコ、モコ、クロ、サンキチ、マグロの名前が

またどうでもいい
ことばかり書いてしまっていると思います。
このぼくの投稿は、ぜ~んぶ、そうですから仕方ありません。

ただ、こうして苦労に苦労を重ねながらも書くということには、少しばかりの僕なりの意味がありそうなのです

しかし、この「フランシスコ」という人は、愛と清貧に生きた聖人として、欧米やカトリック信者の間では有名だと思います。

読売新聞の「Q&A」のサイトに行ってみましたら、 

「この名前は、13世紀にイタリアで活躍し、修道会「フランシスコ会」を創設したアッシジのフランチェスコ(フランシスコのイタリア語読み、
1182年頃~1226年)にあやかったものと見られています。

 フランチェスコはイタリア中部アッシジの裕福な商人の家庭に生まれました。騎士になろうと戦いに参加して捕虜になったり、重い病に
かかったりという経験を経て、信仰に目覚め、着ていたものも捨て、聖書に書かれたイエス・キリストの生き方を実践しようとしました。

 フランチェスコが活動を始めたのは、ローマ法王インノチェンチオ3世(在位1198~1216年)の時代で、法王は、神聖ローマ帝国を
意のままに操りヨーロッパの国王に命令を下すなど、世俗の領域でも絶対的な権力を握っていました。これに対してフランチェスコの活動は、
清貧を追求しキリスト教の原点に戻ろうという改革運動だったといえます。

 新法王が「フランシスコ」の名を選んだのは、神父による児童への性的虐待やローマ法王庁内の権力闘争などのスキャンダルに揺れる
カトリック教会に、「基本へ戻ろう」と呼びかける狙いがあるものと見られています」
(上記は、フランシスコの十分な紹介記事ではないように思いますけど、でもまあそんなところではありそうですから)


 そして、突然、例によって例の通りなのですが

じつは、吉本さんの住いは、抜群に素晴らしい場所なのです。

文京区本駒込の「諏訪山 吉祥寺」(曹洞宗の大きなお寺で、昔は千人の修業学僧がいたとか) の脇に建っていますのです。
本郷通りから車一台が入れる小道の突き当たりなのです。
お寺の正門の横にある小路になるのですが、その家の正面は道を隔てて、そして横側はくっつくような形でお寺の塀なのです。

そして、ぼくが素晴らしいと思う理由なのですが、家の玄関を出ると小道を隔てた正面の塀越しに、お寺の境内の大きな
「釈迦如来坐像」の横顔が見えるのです。親鸞を始めとした仏教や、また新約聖書にも取り組んだ吉本さんらしい場所ではないかと。
                             
                               (その釈迦如来坐像)

そしてまた、吉本さんの寝室のような気がする二階の窓からは、境内が一望できて、しかも墓地が部屋の真下にまで続いて
いるという具合なのです。そうなのです、つまり、吉本さんの家は、お墓の脇なのです。お墓と隣り合わせているわけです

おそらく大方のご家族にとっては、お墓の隣に住むということになったら、戸惑ってしまうのではないかと思うのです。
わざわざそんな所に住みたいと思う人は、多くはないはずだと思います。

しかし吉本さんは、たまたまなのかも知れませんがそのような場所を選ばれた訳です。でも、もしかしたら、たまたまその
物件を紹介されたときにその場所に何かの意味を感じられて、そして両者がドッキングした結果、そこに住もうと思った
のでしょうか
多分どなたかが、そうした経緯についても調べているはずです。
とにかく、そうした場所に住まわれていた吉本さんも、僕は好きなのです。

また、吉本さんは、若い時から下町の路地裏の住いばかりを渡り歩いてきて、そして、終の棲家がこの家だったわけです。
あるとき、吉本さんは父親から、お前の住むところは引っ越しの車も入れないような所ばかりだね、と言われたこともあったとか。

吉本さんには、吉本さんに興味を持って、吉本さんの様々なことごとを調べつくしている人が、数人いるのです。
その中には、その生涯を吉本さんに捧げたといってもいい方もいます。
ある人は、吉本さんの出自から青年期に至る軌跡を調べ歩いて、書物にまとめられています。
また他の人は、吉本さんのご両親は九州天草の出身なのですけど、そこにも行って生き残っている親類や関係者に
訊き歩き、吉本家の歴史と吉本さんの成り立ちについての関係性を考えようとしてみたりと。
 

この吉本さんの住いは、お寺の境内と同じような静かな環境にあり、多分この家が建っている部分も、昔は多くの学僧
が修行した場所であって、
25時間目の労働を自分に課してきた吉本さんには、とっても相応しい場所だと思えるわけです。 

そして何よりも、上記のようなこの場所は、
まさに、「メメント・モリ(死を憶えよ)」を考えるに相応した場所であると思うのです、が。
 
 


”だいじょうぶ”?

2013-03-16 13:04:43 | 日記

先ほどのニュースで、気象庁が東京(靖国神社)の桜の開花宣言をしたということです。
平年よりも10日、昨年よりも15日早いそうです

いやー、それなので参ってしまうわけです。。
グループ恒例のお花見なのですが、今年の予定日は、4月6日(土)です。これでは、どうしようもなく、遅すぎます 

 じつは、昨日東京に行った帰りに、上野公園の入口の桜の傍を通ったのです(京成上野駅の正面入り口側の交番の脇)。
そうしたら、公園入口の3本の桜は満開だったのです。この桜は例年早咲きの桜なのは知っているのです。でもそれにしても、満開だった 

しかし、どうしたものか、まったく迷ってしまいます。予定日の変更は難しいですからね。

いままでにも、散り桜のお花見は何回かあったように思います。むかし、用賀の世田谷公園で2回くらいやった時にも、
確か一度は、かなりの散り桜であったように思うのです。その時には、区職のAさんに美術館を案内して頂いたこともあったり。
しかし今年度は、散る桜もなく、全てが葉桜一色という形になってしまう可能性が大きそうです。 

しかししかし、ほんとうに嫌な年に幹事役が当ってしまいました

しかし、ええい、ままよ !
悩んだって仕方ない。悩むだけでは胃が痛くなるばかりで、何の役にもたたないのです。

そうです、僕がお得意の、 ケ~セラセラ  明日は明日の~風が吹く~
でも、よい知恵があったら教えてください

 『ビッグイシュー』という雑誌をご存知ですか?
都心部の駅の近くの交差点などで、中高年のラフな服装の男性がこの雑誌を高く掲げて、道行く人々に控えめな声で
語りかけている、という場面に出会ったことがありますか? 

そうした場面で売られている雑誌が、この『ビッグイシュー日本版』(BIG ISSUE)です。

ぼくは大分前に、細かいことは忘れたのですが、どこかでこの雑誌について知ったのです。
それで、たまに都心に行ってこの雑誌を手にした販売員に出会ったときには、必ず買うようにしているだけなのです。
1冊約30ページ、定価は300円です。内容は、自分にとって「為になる」という言葉を使いたくなるような、自分が知らなかった
ことごとについて教えていただけることが多いように感じるのです。 月二回の発行です。

この雑誌についてですが、「…ホームレスの人々に収入を得る機会を提供する事業として、1991年に英国のロンドンで始まりました
…雑誌販売者は、現在ホームレスか、あるいは自分の住まいを持たない人々です。…販売者はこの雑誌10冊を無料で受け取り、その売り上げ
3千円を元手に、以降は140円で仕入れ、300円で販売し160円を彼らの収入とします。販売員全員が行動規範に同意し、写真入りの販売者
番号の入った身分証明書を身につけて…」。行動規範は8項目あって、じつに行き届いた約束ごとが書かれています。ビッグイシューhttp://p.tl/ozAK

表題の”だいじょうぶ”は、今号の表紙の写真とトップのインタビュー記事の乙武洋匡(五体不満足の著者http://p.tl/gCK5
さんの言葉なのです。

乙武さんが大切にしているのは、自己肯定感。最も伝えたい言葉は、「だいじょうぶ」なのだそうです。

乙武さんを産んだ後でお母さんが乙武さんに対面したのは、1ヶ月後だったそうです。対面時お母さんが卒倒した場合に備えて
病院側は空きベッドを用意していた中で、初対面のお母さんの口をついて出た言葉は、「かわいい」だったそうです。

乙武さんの人としての剛さの原点は、この場面に象徴されているように思うのですけど、どうでしょうか。

今の時間、まだ明るい時間帯なんですけど、さっき、NHKのEテレで「高校通信教育NHK学園」という吉岡忍さんのルポ番組
を見ながら友人推奨の「ハーフビール」を呑んでしまったので、いま心地よい雰囲気の中で書かせていただいています。
番組は、坂本隆一さんの特別講座で、クラシックの解説をしながら音楽を流してくださっています。 

友人推奨のビールというのは、要するにサッポロ「ライオン」定番のハーフ&ハーフ風なんです。白黒を混ぜて飲むだけなのです。
しかし、これはほんとうに美味いですよ 
ライオンで呑むと高いですが、こうして作って呑むと同じような味わいで格安です。むろんビールは、プリン体が少ない発泡酒です。
ライオンで発泡酒は販売してないのです。中高年のビールは、プリン体が少ない発泡酒がせめてもの罪滅ぼし?という訳です。

そして、乙武さんは、「教育者として、2児の父として、僕が子どもと向き合う時に最も大切にしているのは、自己肯定感を育む
ということなんです。それを実践する上で最も役立ってくれたのが、”だいじょうぶ”という言葉。3年間の教員生活の中で、
これほどたくさん口にした言葉はなかったと思いますね」

というわけで、乙武さんが書いた小説の題名は『だいじょうぶ3組』なのだそうです。同名の映画は、3月23日全国東宝系で
公開
だそうです。 この雑誌には、
あのPC遠隔操作で100%犯人扱いされてしまっている片山容疑者の問題や、その他
興味を持たされた記事がたくさんあります。

 バナナの美味しい食べ方の極意(ためしてガッテン!)

40~50度のお湯に5分間浸けておく(少し糖度アップ)⇒そのまま1時間置いておく(糖度23度で昔の甘いバナナと同じになる)
さらに、長持ちをさせるには、ポリ袋に入れて冷蔵庫に入れておくと3倍長持ち(約15日)するそうです。

 過去ログに書いた近藤先生のご著書は、御徒町の書店で、店頭のゴンドラで山盛りになっていたのでびっくり。
本の題名は『医者に殺されない47の心得』です。僕は、こうした題名の本だと、近藤先生が書かれた本でなければ、
ほとんど手にすることもないですね。こうした刺激的な題名は、普通のドクター
では使いこなせない言葉なのではない
かと思うのです。 医学の世界でマイナーな立場の先生は、慶應の中でも無言の少なくはない支持者に囲まれていて、
そして、しかし、、母校である慶應を愛されているのだと思うのです。たしか、そのようなことをご著書の中で言われて
いたような、かすかな記憶があるのです。

この投稿を読まれた方のなかには、近藤先生の医学的見解や言行を嫌いだと仰る方は必ずいると思います。 
でも、すべからくお互いの自己責任の中で、お互いの生きざまをそれぞれに生き抜けばいいだけのことです。
誰かの気に入らないことについて、気に入らなさの細目を検討すること以外には、好き嫌いは偶々のことだと思うのです。

僕はいま、勝間和代さんの無料メルマガの愛読者です。以前は、テレビや雑誌でたまたま目にするだけの勝間さんでした。
そうした勝間さんは、あまり好きなタイプではなかったのです。
でも、いつだったか、勝間さんの無料のメルマガを登録したのです。その時からか、しばらくたってからかは忘れましたが、
今は、毎日必ず配信があるのです。 

殆ど毎日配信される勝間さんのメールを読んでいるなかで、僕の勝間さんに対する見方が少し変わってきました。
勝間さんが書かれた本を手にしたこともなく、見た目や話し方を感じていただけの関係だったのですが、毎日のメールを読む中で、
勝間さんがあらゆることごとに一生懸命に取り組んでいる姿が理解できて、勝間さんの方向性とか価値観だとかはよく分かりま
せんけど、何だかひとりの有能な女性が目いっぱい努力をして生きていることに感銘を受けている、ということなのです。

そして、食べ物のこと、運動のこと、様々な「現代を生き抜くための情報」、身体のこと、人の名前の覚え方とか、とにかく
いろいろな、試したり考えてみたりしても良いと思えるような内容の記事がたくさんあるのです。 

以上、いずれにしても、いつもながらの漫語放言でした。
書くって難しいですね。書きたいことがある程度分かっていないと書けないし、更に言葉を知らないと適当な表現もできないし。
そうであったら、分りもしないことごとを無理して書くこともないのではあるのですよね。 
いやー、文字数を重ねてはいても、その実何も書いていない、ということでもあるのですけどね。
書く以前の問題なのですよね 

 この5日間位テニスができていません

アキレスけんを少し痛めたのです。一度治りかけたのですが(をしながら治すのがボク流)、ある日休憩をとらずに続けて
4試合くらいをやってしまったのがまずかったのか、試合中に少し痛みが出始めてしまったのです。サポーターをダブらせて
やっていたのですが、
アキレス腱は悪化したら怖いので、まあ無理をしないでおこうと思って自粛しています。

過去ログで、中黒の使い方が分らなくてそのままにしておきましたけど、未だに自分で調べていません。
テニスができないので昔の友人と旅行に行ったり、東京で買い物をしたりと、そして確定申告もしたりと、相変わらずの?
テニス休暇をすごしているのですが

 


遠くを…!

2013-03-09 00:53:47 | 日記

きょうは、風の強い一日でした。

風の強さは、NHKや気象サイトの実況では8~9でした。
先日も風の強い日にをやったのですけど、やっぱり余り楽しくできるということでもないわけです。
所属クラブのブログを見ると中止の書き込みもないので、何人かはやっていた筈です。

そして、テニスに行こうかどうしようかと迷っているとき、
ふっと気がついたことがあったのです。
そうだ、確定申告だ! 

たいした申告内容でもないのですけど、とにかくやらないわけにはいかず、やるしかない!と。
それで仕方なく、資料を引き出しの中からみつけることからはじめたのでした。

想い起すと、2年前のあの3.11当日は、丁度、申告の最中だったのです。

しかし、あれからもう2年も経っているわけです 


むかし昔のことですけど、確か高校の国語の教科書に、アランの『幸福論』の1節が書かれていました。
ぼくは長い間その題名は、「上を見よ!」だとばかり思っていたのです。
でも、いつだったか目にしたのですが、正しくは「遠くを見よ!」 だったのでした

あのニーチェは「この人を見よ!」と。限界を突破してしまう直前の予兆として、ニーチェは「この俺を見よ!」と。
そして、新約聖書のそして旧約聖書の、ニーチェの恋敵イエス・キリストも控えめに?しかし断固として「…わたしを…見よ!」と

しかししかし、「遠くを見よ!」です
この言葉はすごく好きで、いいですね。なんだかとてつもない自由さが感じられるんです。いつも不自由だから?

ぼくが、ある意味どうでもいいようなことごとにばかり係ってしまうなかで、そこには「意味」がありそうな感じがするのです。
そこというのは、「遠くをみよ!」というその指し示す方向性!なのですけど。

しかし、その意味について、ほんとうの意味!真実の意味!などというと、なんだかオーバー過ぎて気恥ずかしくなるわけですけど。
でも、生き死にに係う意味!といっても、やはりなんだか恥ずかしさがなくならないですね。 

ただ、あのカール・ブッセの「山のあなたの 空遠く…」のような往還の感じではないのです。
それはまた、此彼から彼岸を目指していくといった超越的な方向性とも違った感じなのです。

じゃあ何なの、どういった感じなの、ということになる訳なのですが。
じつは今、こうして書いている本人が、何だかよく分からない感じで書いているわけです。

どうしようもなく、意味も何もない、ただなんとなく「これではダメだ!」、と感じていることではあるのでしょうか?
要するに、「意味」が欲しい!だけなのでしょう。…が…生きてそして死んで…あるのかないのか…意味よといった…
誰だったかが、人間は「意味という病」に罹ってしまっているのではないか。といっていたのを思いだしました。
意味なんてこの世界にはあるはずがない。意味に淫してしまう人間の危うさとかいやらしさ。怠惰な「意味化」や「合理化」

そして、「無意味に耐える」という、潔い男らしさが…
そしてしかし、例えば、「価値は、対自のあらゆる超出の意味として『かなた』としてしか、存在しない」とサルトルさんが…

 上の写真は昨日、テニスの帰りに撮ったのです。最近は日没が遅くなってきたので、17時半頃の空でも明るいですね。

あんまりにも綺麗だったので、思わずパシャリとシャッターを押したのでした。

この写真もテニス帰りに撮ったのです。 (クリックで拡大します) 

上の写真と同じ時間帯の別の日のものです。 
わが家の椿の花は、まだ蕾のままなんですよね。 なんだかまだまだ咲きそうにもないのです。
サザンカはとっくに咲いてしまい、たしか散ってしまった筈なんですけど?
その花が、サザンカなのか椿なのか、見わけがつかない訳です。とにかく
ぼくは、花の名前を憶えるのも全く苦手な次第…

 明日は、佐藤先生の最終講義の日です。
でも、残念ながら欠席させていただくということになりました。
講義の概要だけでも、大学のHPや同窓会報などに載せて頂けたら有難いですね。
先生はブログもツイッターもされていないと思うので、先生の教え子とか、関係するどなたかのブログに書きこまれたらいいですね。

 お花見には、同期生で一番遠くにいる方も参加して下さるそうで、ビックリで嬉しい限りです

 


お花見のご案内!

2013-03-05 22:41:15 | 日記


相かわらずのお晩です

昨晩「お花見のご案内」を送信させていただきました。

(上野)谷中霊園の桜並木

昨晩送信したCCメールの中で、御徒町駅前の「吉池」を紹介したのですが、「吉池」を「吉本」と書いてしまいました。
送信してしまったメールは、死んでしまったら生き返ることはありえな生きものと同じです。どうしようもない訳です。
送信済みメールを読みかえしてみて、まったくなんとも、情けなく頂けない次第でした。

昔、吉本隆明さんは御徒町の「吉池」の近くに住んでいたことがあったのです。しかし、それを念頭に置いていたわけでは全くなかったのです。
最近の、ぼくのそうした想起力の衰えによる頓珍漢なありさまは、日常茶飯です。近頃の僕のボケ具合はほんとうに心配になります。 

上掲の写真は、谷中墓地の桜並木です。この「谷中墓地」という名前もなかなか言葉として出てこないということが今も2回続きました。
この名前を想いだそうとして頑張ったのですが、何故か「染井の墓地」という名前を思い浮かべてしまったりするのでした

お花見は、4月6日(土曜日)です。場所は、上野公園一帯です
詳細はメールをご覧ください!よろしくお願いいたします  su-




相変わらずの漫語放言!…でも!

2013-03-01 23:16:18 | 日記

お晩です 

今宵投稿するつもりはなかったのですが、先ほど受信したブログ「魚の目」の記事に触発されて、ここに書きたくなりました。

しかしその前に、あの近藤誠先生が、昨年末『医者に殺されない 47の心得ー医療と薬を遠ざけて、元気に、長生きする方法ー』アスコム¥1,100、を出されました。
僕はこの本の出版を知らなかったのですが、友人から教えられて早速、既に4刷になっているのを読みました。
因みに、買い求めたスーパー系の書店では平積になっていたので、どのくらいの売れ行きなのですかとお聞きしたら、親切な店員さんがPC検索をして
下さったのです。そして、当店では20数冊、系列店では2千数百冊です…。少しビックリしたのでした

本なのですが、痛快ともいえる内容です。これまでの先生が書かれた本とは一味違っているのです。実に気楽に読めて、面白い!のです。
読み進む中で、当然ながら、すべからく自己責任の中で、人生の自由な選択の醍醐味というか、楽しさ、潔さ、つまりその痛快さが味わえます。
例えば、洗顔洗髪の仕方とか、「100歳まで元気に生きる『食』の心得」、同じく「『暮らし』の心得」、「血圧もコレステロールも高い方が長生きする」とか。
刺激的なことばによる「わたしの生き方」「生き方の勧め」が満載です。

そして、不謹慎にも笑ってしまうのですが
後書きに変えて、近藤先生ご自身の「近藤 誠のリビングウイル」が書かれているのです。 

「いっさい延命治療をしないでください。 私は今日まで、自由に生きてきました。 64歳まで、好きなことに打ち込んで、幸せな
人生でした。 そして、自分らしく人生を終えたいと思います。 今、私は意識を失っているか、…… このまま命が尽きても、…。だから、決して
救急車を呼ばないでください。 ……私はこの文章を、冷静な意思のもとに書き、家族の了解を得ています。……」 

買わないまでも、是非とも手に取って見て下さい。少し馬鹿げた話だと思われる部分もあるかもしれませんが。 

先生はこの度、第60回菊池寛賞を受賞されたそうです。この本の帯で知りました。

先生は、非患者中心的・医療権力的・商業主義的・否学問的な医療総体について、世界の標準医療・治療を踏まえ且つ「がんもどき説」といった医学的な
視点を基本にされる中から、批判をされてこられたと思います。(中黒と読点の使い方?前記は医療総体として括りたいので使いましたけど?)

この本の冒頭は「菊池寛賞受賞の弁」です。

「 私はこれまで、同業者がいやがることばかり言ってきました。
  がんは切らずに治る。抗がん剤は効かない。健診は百害あって一利なし。がんは原則として放置したほうがよい。
  そのためでしょう、わたしの医学界での受賞歴といえば「そんなこと言ったらダメで賞」とか「近藤をバッシングしま賞」っといったものばかり
  だったので、、今回、まともな賞をいただいて、とてもうれしく思っています。
  医学界の絶滅危惧種とも言われているので、そんな私を励まそうというお心遣いも、ありがたく受けとめています。

  申し上げておきたいのは、患者さんたちがいたから今日があるということです。
  乳がんと言えば、乳房を全部切り取るのが世間の常識だった時代に、私の話を聞いて、乳房を温存する療法を選んだ患者さんたち。
  その勇気あるパイオニア的行動によって、今「乳房温存療法」が乳がんの標準治療になっています。
  また、がんは治療しないほうが長生きできる、という私の話に納得し、がん放置を決めた、150人以上の患者さんたち。
  そのおかげで「がん放置療法」を確立することができました。 

  この賞は、その患者さんたちにも与えられたものだと考えています」

先生はよく勉強もされているのだと思います。僕がこんなことを言っても無意味なのですが、でも先生のご著書を読ませていただく中で感じたことなのです。
先生の奥様も医師で、そしてお二方の父親も医師というめぐりあわせの中で、そのような先生の方向性と軌跡が奇跡的にあるわけなのですよね。 

先生の患者さん方で作られている患者会「イデアフォー」http://www.ideafour.org/も是非覘いてみてください。
実によく勉強されているグループです。僕も昔、入会していました。妹の乳がんを調べる過程で知りました。そして、近藤先生にも診察日ではなかった
にもかかわらず、慶應の総合受付のナースのご配慮で、先生の研究室で15分の約束が30分近く相談に乗って頂いたことがありました。無論、ロハでした 

今日は久しぶりに、江川紹子さんのツイッターhttps://twitter.com/amneris84を覗いたところ、ご自分の裁判闘争を素晴らしいブログで詳述されていた方が

本日、無罪判決を勝ち取ったことを知り、そしてまた、そのオマケのように上記「魚の目」の記事を読んで、裁判所・検察・警察の問題性について知らされたので、報告
の様なこととしてコピペだけさせて頂きます。
(皆さんお忙しいので、ネットをうろつく暇などはないと思いますので、でも万が一にでもここにアクセスされましたら是非とも、クリックをして下さい。ご存知のことでしたら、できたらご感想を是非!)

上記した江川さんのツイートにある裁判は、「欧州大手金融クレディ・スイス(CS)日本法人「CS証券」の元部長・八田隆被告(49)について、東京地裁(佐藤弘規裁判長)は1日、「脱税の故意が認められない」として無罪(求刑・懲役2年、罰金4000万円)の判決を言い渡した」 読売新聞 http://p.tl/Zvk8 
無罪判決を勝ち取った八田さんのブログ http://p.tl/VU2c
また、江川さんはこの判決をされた佐藤弘規裁判官についても書かれています。

それから、ブログ「魚の目」については、以前にもここで紹介させて頂いたことがありました。その時もこの事件についてでした。
本日配信されたブログのURLはこちらです。 http://p.tl/S8h9 今回の記事は第16回です。前回までの分はブログで読むことができます。

是非共、ブログでお読みください

でも、念のためコピペさせて頂きました。

ー行変えは適当にさせて頂きましたー

< 01年1月6日、筋弛緩剤事件で守大助氏(41歳)が逮捕されたとき、彼の父親の勝男さん(67歳)は宮城県警高速道路交通警察隊の現職警部補だった。
 勝男さんは直ちに1カ月の病気休暇をとり、息子の“救出”に奔走した。仙台で最も冤罪に強いと言われる阿部泰雄弁護士に弁護を依頼。北陵クリニックの関係者を訪ね歩いて事情を聞き、捜査の実質責任者・T警部に「証拠があるなら示してほしい」と迫った。

 警部は「今は無理だが、裁判で」と口を濁し、捜査に対する自信のなさを裏付けるように「弁護人を解任してくれ」と何度も言った。

 勝男さんが突っぱねたら「警察からもらった給料で弁護士費用を払うのはおかしい」と言い出した。
 勝男さんが「そんなら女房を離婚 して慰謝料を払う。そこから弁護士費用を出す」と答えると、それ以上何も言わなくなった。
 勝男さんは長年、交通事故の捜査をしてきた。刑事であれ交通であれ、捜査は証拠に基づいて行われるべきものと信じてきた。
 ところが、息子の事件にはあるべき証拠がなかった。

「父親が息子の無実を信じるのは当たり前です。だけど、そんな親子の情を抜きにして1人の捜査官として、証拠もなしにこんなデタラメな捜査をやっていいのか、許せないという気持ちになった」と勝男さんが当時を振り返る。

 
県警捜査一課は逮捕に踏み切るまでの約1カ月間、医学的な裏付け捜査を何もしなかった。

 点滴直後に容体が急変した大田あゆみちゃん(仮名。当時小学6年)らの病状について、搬送先の 仙台市立病院の医師らから事情も聴いていない。原因究明に不可欠なあゆみちゃんらのカルテを市立病院から受けとったのも、大助氏逮捕から10日後のことだ。
 
クリニックで容体が急変した高齢患者についても同じことが言える。本来なら主治医の院長や内科医からの聴取が不可欠だが、一切行っていない。ハナから原因を筋弛緩剤と決めつけ、他の病変や医療過誤などの可能性を排除してしまったのである。

 勝男さんがさらに問題視するのは、大助氏が北陵クリニックを退職させられた00年12月4日夜の一課の動きだ。Y警部補らは大助氏が証拠隠滅のためクリニックから証拠物を持ち出すところを押さえようと待ち構えていた。
 
そこへ大助氏が筋弛緩剤(マスキュラックス)の空アンプルが 入った「赤い針箱」を紙袋に入れて通用口から出てきた。「何をしてる」と声をかけると、大助氏は建物内に逃げ込み、再び見つけた時はオペ室の更衣室で針箱に手を伸ばしていたのだと彼らは言う。


 しかし、それが本当なら、彼らが最優先でなすべきことは、大助氏を立ち会わせて針箱の中身を確認し、記録すること(実況見分)だったはずだ。勝男さんが言う。

「空アンプル入りの針箱を大助が持ち出そうとしたことを証拠として残すには、まず鑑識課員を呼び、大助に箱を持たせた状態で写真を撮る。次に箱を開けさせ、大助に箱を指ささせて撮影する。それが捜査の基本中の基本です」
 さらにマスキュラックスが19本(公判での検察側主張)あったというのなら、19本全体をまとめて写す。 その後、1本ごとに撮影し、その際には製造ロット番号をきちんと写すよう注意する。

「空アンプルのロット番号を写すのは、交通事故の捜査で証拠保全をするときに車のナンバープレートを写すのと同じくらい大事なことなんです」と勝男さん。

 だが、Y警部補らはそうした証拠保全を一切していない。大助氏を2階の理事長室に伴い、紙袋の中身を調べた後で「不法侵入で逮捕してもおかしくないんだ」と言いながら、そのまま帰宅させた。

 針箱は理事長室の金庫で一晩保管してもらうことにした。これも証拠隠滅工作の現場を押さえた捜査員がやるべきことでは決してない。証拠物を実況見分せずに病院側に預ければ、誰かが中身をすり替えたり、一部を持ち去ったりしても分からなくなるからだ 。

 つまり大助氏の証拠隠滅工作を前提にすると、一課の行動は捜査の常識で説明できないことばかりだった。検察側も後の公判途中でそれに気づいたらしい。そこで次のような屁理屈を捻り出した。

  実は、一課は12月4日夜の段階ではまだ筋弛緩剤事件の捜査を始めていなかった。証拠物を持ち出すところを押さえようという考えもまったくなかった。ただ 病院から多量の薬品が紛失していると聞いたので、大助氏が薬品を持ち出し、第三者に使うのを阻止するために動いていただけだ。

 
翌日の5日になって針箱の中身を調べたら筋弛緩剤の空アンプルが見つかったので嫌疑を強め、本格捜査を始めた。だから4日夜の段階で針箱の証拠保全をきちんとしていなくても何も不自然ではない、と主張し だしたのである。


 だが、これは事実のすり替えである。なぜなら初公判の冒頭陳述で検察自らが「(Y警部補らは大助氏が)証拠物を北陵クリニックから持ち出そうとしているのではないかとの疑いを抱い」たと明確に述べているからだ。

 検察は公判途中でこっそり主張を転換させた。そうしないと大助氏の証拠隠滅工作を裁判所に認定してもらえず、有罪の構図自体が崩れ去ってしまうと思ったからだろう。

 問題の針箱の実況見分は翌5日、県警本部でクリニックの事務長代理と婦長を立会人にして行われた。中から使用済みの針などともにマスキュラックスの空アンプル19本が見つかったとされる。

 
だが、検察側が証拠開示したのは空アンプルの写真だけだ。しかも8本、6本、5本に分け たもので19本全体の写真がない。そのうえ全部ロット番号が見えない角度から撮影されている。これでは本当に19本あったと信じろというほうが無理だ。

 
そもそも凶器の現物を法廷に出さない裁判なんてあり得ない。開示を命じなかった裁判所は検察の証拠隠しに加担したと言われても仕方がない。勝男さんが言う。

「空アンプルについているはずの指紋の開示すらしないんですよ。医師や他の看護婦の指紋があれば正規の手術に使ったものと証明される可能性があります。検察は指紋がついているのは認めたのに、なぜ開示しないのか。こんなデタラメな裁判があっていいんですか」
 
ベテラン捜査官だった勝男さんは事件後も勤めをつづけ、5年後に県警を定年退職した。同僚たちは目で合図した り、陰でガッツポーズをしたりして勝男さんの闘いを励ましてくれたという。


 今は妻の祐子さん(66歳)と一緒に全国各地を歩き、息子の再審開始を訴えつづけている。

 祐子さんは初めての人に会うたびにこんな言葉を記した名刺を渡している。「息子は無実です。本当の春を息子にかえして!」(了)
 
(編集者注・これは週刊現代連載「わき道をゆく」の再録です。「冤罪FILE No.2 2008年.6月号=仙台・北陵クリニック事件 筋弛緩剤のまぼろし 今井恭平著」を参照文献として使わせていただきました)

それから 少し前にここに書いた、あの内田先生のブログを読ませていただきました。

最新の記事に興味をもたされたので、もしかしてどなたかのお目に触れていただけたらと思いまして、そしてまた、この投稿の表題的な意味合いで?
コピペさせて頂きます

是非共、ブログにアクセスして頂けたらと http://blog.tatsuru.com/

(ここでの行変えは、僕が勝手にしました。以下は、僕がここから読んでもいいかなと思う、勝手なコピペです)

……ツイッターにも少し書いたけれど、現代日本に瀰漫しているナショナリズムは「ナショナリズムとして空疎である」という印象が私にはある。

ナショナリズムというのは、こんなに薄っぺらで、反知性的なものであるはずがない。

18世紀以降の政治史上の事件には「人間とはどこまで愚劣で邪悪になることができるのか」と絶望的な気分にさせられるものだけでなく、
「人間はここまで英雄的になることができるのか」と感動させられるものもあった。そして、後者のほとんどはナショナリズムに駆動されたものである。
そのことはマルクスも認めている。

アメリカの独立戦争も、フランス革命も、多くの人々が祖国と同胞のために、おのれの命も財産も自由も捧げた苛烈な闘争の成果として得られた。
これらの英雄的・非利己的な献身によって近代市民社会は基礎づけられたのである。
そして、私利や自己実現と同じくらいの熱意を以て公益を配慮するような人間をマルクスは「類的存在」と呼んだ。

そのような人間は革命闘争や独立戦争のさなかに「英雄的市民」というかたちにおいて一過的に存在することはあるが、安定的・恒常的に
存在したことはない。
いわば、ある種の幻想的な「消失点」として措定された概念である。
だが、それなしではいかなる革命闘争も実現しない。
そのことをマルクスは知っていた。

近代日本のナショナリストたちのうちにも、遠く「類的存在」を望見した思想家がいたのではないか。
勝海舟から坂本龍馬、中江兆民を経由して幸徳秋水に至る「反骨の系譜」というものが存在するのではないかという仮説に以前言及したことがある。
坂本龍馬がクロポトキンを読んだら、たぶん深い共感を覚えただろうと思う。

私にとって古典的な「左右」の思想区分は、本質的なものには見えない。
本質的な壁は、私利の確保や全能感の獲得のために政治行動をする人間と「類的」な動機に駆動されて政治実践をする人間たちのあいだにある。
私はそう考えている。

そして、政治史が教えてくれるのは、18世紀以来、「類的」という政治的概念がナショナルな政治単位を超えて「受肉」した事例は存在しない
ということである。
アメリカ独立戦争・フランス革命以後のすべての英雄的な「解放闘争」は「民族解放闘争」として行われた(残念ながら、成功した革命の闘士
たちは必ずしも統治者としても類的であり続けたわけではないが)。

そして、民族の枠を超えたスケールの「セミ・グローバルな政治闘争」として私たちはスターリン主義とアメリカ帝国主義というふたつの
頽落形態しか知らない。
近代の政治的経験から私たちが導き出すのは、「ナショナリズムと類的存在を架橋する」細い道以外に、政治的選択肢として可能性の
あるものはなさそうだということである。

そして、その場合、「誰を信じるべきか、誰についてゆくべきか」のぎりぎりの基準は、政策コンテンツの綱領的な整合性や「政治的正しさ」
ではなく、その政治思想家の「生身」だということである。

明治大正の政治思想家たちは、左右を問わず、身体を持っていた。
vulnerable な身体を持っていた。
「人間は壊れる」ということを熟知していた。
その壊れやすい人間を基準にして、政治的プロジェクトの適否を思量していた。

テロリズムというのは、思想の力は身体に担保されているので、身体を物理的に破壊してしまえば、思想も同時に力を失うという信憑
なしには成立しない。
「思想は属人的なものだ」という確信、生身の人間の担保ぬきの政治思想など無力であり無価値であるという確信がテロリズムを可能
にしている。

この確信には危険な半真理が含まれていることを私は認めざるを得ない。
思想は身体に基づいて存在する。
それゆえに、テロリズムの論理を反転させるならば、人間の生身としての脆弱性について深い理解をもつ人間しか、人間的な社会システム
を作り出すことができないということである。

アンチ・テロリズムの思想もまた、「思想は属人的なものだ」という公理に基づくことになる。
私にはそれくらいしかまだわからない。
いずれ機会があれば、中島岳志さんや片山杜秀さんの話をもっと聴いてみたい。

日時: 2013年02月27日 12:27 |