はらじゅく86のブログ

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ログアウトをお忘れなく タガワ

2010-05-30 14:42:19 | 日記
セージさんが喜びそうな可愛い猫ですね。ログインの件はおっしゃるとおり、クッキー関連のようです。一定期間ログインを選択されたら、セキュリティ上ログアウトをお忘れなく。
青葉が綺麗な時期です。庭のウチワカエデをスキャンしました。花が珍しいと思って。

寒いくらいです!(su-)

2010-05-30 13:48:29 | 日記
今日は日曜日ということを忘れていました。ほとんどの土日祭日はアルバイトの出番で、仕事の方が多いのです。昨日の高尾山は中止になってしまいました。八王子は朝から雨で、登山用具を持っていない人が多いのとケーブルカーで登るのはつまらないということで、中止になりました。久しぶりにザックや小間物を押入れからだしてみたのですが、山にいってみたくなりました。近ツリでもいいかなと?その昔、’86のみんなでよく山に行きました。この部屋にもふたつ写真が飾ってあります。丹沢の「蛭が岳」のときは下りがきつかったですね。「安達太良山」はくろがね荘のお風呂からの眺めもよかった。「鳥海山」は一発勝負?が当たって、影鳥海がくっきりと日本海に映りました(その時自分が立っている頂上から、日本海に映った山の全容が見えるんです。)。「雨飾山」は雪で撤退したけど、そのあとの「膝折温泉」はよかったです。セージさんに朝食の時に叱られたのを想いだします。セージさんは憶えてないと思いますけど?それから、僕はいつもおかしなことを云ってしまうのでヨシダさんにも叱られて、いつも助けてくれたのはタマガワさんでした。お金をいくら貰えたら山のナメクジをなめるかなんて、おかしな話をしたのをなぜか憶えているのも不思議です。サトーさんは名前が変わる前にサトーさんといつも最後尾でしたよね?……
このネコちゃんは、gooのこのブログサイトで公開されている写真です。
タガワさんいつもすみません。「一定時間ログインを保持」をマークするのは、クッキーに関係したことなんでしょうか?思いかえすと僕は、ログアウトをしないことが多いのと、投稿・編集画面を開けたままサイトを開いたりメールを見たり、開けているのを忘れてしまって食事をしたりとかしてしまいました。それから仰るように、Unknownさんは文章があまりに難解すぎるし、86のメンバーではない方ですよね。あの難解さにコメントをしているブロガーさんがいてビックリでした。これからテニスです!

タガワ

2010-05-29 21:36:46 | 日記
su-さんの記事に名無しのコメントを付けた方がいますが、おそらくはらじゅくのメンバー以外の人だと思われます。難解ではありますが、おかしなコメントではないので、そのままにしておきます。
 それから、長時間文章を書く時は多分ですが、ログイン時、パスワードの項目の下に「一定時間ログインを保持」というチェックマークがありますので、それをチェックしたほうがいいのではないでしょうか。長時間のログインはセキュリティ上問題が起きやすいのかもしれません。
高尾山、昔体育の授業で登りましたが、結構きつかったような・・パンプスで歩いている女性がいてびっくりしたことを覚えています。

寅さんの故郷・柴又へ!

2010-05-29 01:03:41 | 日記
この写真は少し前に小学校の同窓生と行った、寅さんの故郷柴又の江戸川です。この画面の右側が「矢切りの渡し」です。当日は雨模様で土手の上から見えるこの画面・千葉県の松戸や市川方面の空が、どんよりと薄墨を流したような墨絵の世界でした。幹事さんが寅さんの熱心なフアンで行ったのですが、映画には欠かせないあの帝釈天は日蓮宗のお寺だそうです。映画の住職役の笠智衆さんは生家が浄土真宗のお寺さんだそうですが、柴又の帝釈天はなんとなく浄土系でもない密教系のイメージがあったのです。
 「御名御璽!」の投稿にコメントをいただいたのですが、難しくてなんのことやら分りません。僕にとってこのコメントは、日本語というよりギリシャ語やロシア語みたいなものです。でも、このコメント(とても素敵なブログにも同じ言葉様のコメントがありました。)について次のように書きこんでいる方がいるのでビックリしました。「それにしても、ものすごく密度の高い文章をありがとうございます。とうてい完全に理解できたとは言えませんが、とても触発されました。すぐに連想したのはライプニッツの「モナド」ですが、むしろプロティノスのいう「一者(ト・ヘン)からの流出」のほうが近いのかもしれませんね。いずれにしても、ワードに移して、じっくりと考えてみます。」分る人には通じるものなのですね
 テレビのニュースでは今日発売のipadを盛んに取り上げています。ぼくは電子辞書は使っていて便利なのですが、最近のものは全部総天然色なんですよね(@_@)!しかし、ipod,ipad,iphonenoの違いが分りますか?僕はまったく分りませんでした。でも、数日前に会社の健康診断があって順番をしている時に、隣りの人がiphoneを使っていたのです。説明好きな人だったのでラッキーだったのですが、ずっと実演をしてくださったのです。とにかく凄い!と思いました。携帯よさようなら!電子手帳もさようなら!カメラもレコーダーも、写真のコピーもペーストも、そして音楽(ipod)もパソコンでインターネットも…本体を縦横自在に使えて…軽快なタッチでできてしまうのでした。最高のおもちゃ!文明開化!でした。来年四月には新機種が発売されるそうですが、ipadはどんな玩具…
 それからタガワさん、コメントいつもありがとうございます。保坂さんの文の入力が頭にあって書けませんでしたが、僕の検索は無料で調べられるものだけだから古い資料になるはずです。それに、横文字可能なタガワさんが調べられたら最新の知見を検索できるはずです<m(__)m>!
もう今日になってしまいましたが、これから少し寝てから何年ぶりかの登山です?高尾山です!下から歩きます!




御名も御璽も忘れました!(^^)!

2010-05-26 23:09:31 | 日記
久しぶりに書いたので匿名になってしまいました。suでした。結局雨は降りませんでした。明日は仕事ですけど、お風呂にも入り寝るだけなので少しだけ、白川先生のことばかりですみません。嫌いな人もいるはずですし、ウィキペデイアで見ても、東大・京大系の先生方には受け入れられなかったそうですから。吉川幸次郎、藤堂明保(学研の大漢和、使わないのに持ってます)といった大著名人にも受け入れられなかったとか。しかし、先生の代表的な三部作といわれる「字統」「字訓」「字通」を図書館で見てみました。とにかく、圧倒的に大部なのでびっくりしました。ほとんど一人だけで、そうしたもの凄い物量の”字典”(これだけではなく)を作り上げる能力や作業力というのは、神業みたいに感じました。僕には一度眺めるだけで十分でした。でも、自分の名前だけは探してコピーしたのですしかし、漢字のご本家である中国の学会での位置づけはどうなんでしょうか?松岡正剛さんの新書でも書いてなかったように思ったのですが?この本も難しくてほとんど理解できなかったのでした。その③「思うに初期の人間にとって言語とか概念というのは物体にちかく、物を動かすのに手間がかかるように考えたりしゃべったりするのにも手間がかかり、…」「…感想をしゃべるとか意見を述べるとか、そういうことをいまでは小学生でもしてもいいどころか奨励される風潮にあり、結果として私たちの社会では感想や意見というものが小学校のときにそれをしたことの延長でしかないが、それは口先だけで「お祈りしてます」というのと同じ空疎なもので、感想や意見はもっと重い代償と引き替えになされたものではなかったか。考える、言う、書くとはそういうことだ。文はただの形となり「私は悲しい。」と「私はうれしい。」の二つを並べると私たちは、文の形において同じものと感じる。「悲しい」と「うれしい」は矢印の向きのちょっとした差ぐらいにしか感じていない。だから内実より文の形に先に目がいってしまう。その流れはメールやブログなどコンピューター上の言語によって完成されつつある。人間の存続はそれとの闘いにかかっている。フーコーが『言葉と物』のラストに書いた、”人間の終焉”の意味するところと同じかどうか知らないが、言語から初期の人間の痕跡が完全に失われたとき、人間の命は紙よりも言葉よりも軽くなる。」 ”言葉”例えば聖書の世界も言葉との挌闘史(血が流れる)みたいなものかもしれません。新約のヨハネ伝の冒頭は、聖書協会訳だと「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。」八木誠一訳だと「はじめに、世にある一切の存在者に先行して、ロゴスがあった。…このロゴスが真理そのものなのである。」人間の歴史、宇宙の歴史、永遠と現在、時間、意味とか価値、時間と空間の狭間で”言葉”はどこから発生したのか。そういったことを少しでも…生きている間に…などと思わないわけではないのですが…

3D映像について

2010-05-26 17:53:05 | 日記
雨が降らない前にと早めにテニスをしたのですが、今日はこのままもちそうです。ところで、家のリフオームをしたので仕方なく数十年ぶりの大掃除をしました。そうしたら、昔の写真や本とか手紙・通信簿とか懐かしい品々が出現して、それらを眺めていたら何ともいえず不思議な気持ちになりました。なんだか人生が一巡りして、そうなんだ「これで、いいのだ~!」(天才バカボン!)と思う気持ちとともに、これで終わってしまったら…といった気持が。写真は浅草のランドマークになったスカイツリーです。仕事中、目の前に突然、現れるタワーなんです。先日小学校の同窓生と下町散策をしたときに撮ったものです。真下で見たのは初めてで、やはり、でっかい!ですね。
タガワさんが3Dについて書かれていました。少し前に秋葉原のヨドバシにいったら放映していました。ずっと見ていたのですが、結局、違和感というか不自然な感じをもちました。機会があったら一度くらい映画は見てもいいかなと思いますが、テレビを買う気にはなりませんね。少し調べてみたのですが、映像の仕組みは、http://www.sharp.co.jp/3d-tech/mechanism/index.html 大筋ではサムスンがHPで警告した、 http://eetimes.jp/news/3879 「三次元映像に関するガイドライン試案」H14年 http://home.jeita.or.jp/ce/report/3D_GL_Shian.pdf 「コンテンツの生体への影響に関する調査研究報告書」H16年 http://warp.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/283520/www.soumu.go.jp/s-news/2004/pdf/040318_1_b1.pdf 「映像の生体安全性に関するISO国際安全性に関するワークショップ報告」’05年http://www.vision.phys.waseda.ac.jp/vision/koumokuPDF/05saron/S2005.17.02.01.pdf などでした。長文のもあって少し目を通したのですが、難しくてよくわからなかったです。要するにこれから本格的な研究とか報告が期待されるといったところなんでしょうか?サムスンが警告しているのは「…3Dテレビの視聴によって発症する恐れがある重症疾患をリストアップしている。中でも最も重症とされるのが、脳卒中やてんかん発作だ。また、特に幼児から10代の子供が注意すべき症状として、視覚異常や立ちくらみ、目まい、眼球の異常な動きや筋肉のけいれんなどの不随意運動、精神錯乱、吐き気、ひきつけ、けいれん、見当識障害、認識力の喪失などを挙げている。」とあって、当事者のメーカーとして正直だなと思いました。{ところで、ブログに字数制限はあるのでしょうか?}
その②「構造主義の言語観は、言語は体系として一挙に与えられ、音や形の差異としてしか意味をあらわさない、という風にしか考えず、そこには時間が考慮されないが、人間は言葉を一つ一つ獲得して自然から離陸していった。その離陸の記憶あるいは痕跡がハイデガーと白川静の哲学にはある。”道”とは異族の首を手に持ち、その呪力で邪霊を祓った、とか、”著”(着の正字)つまり”著(着)ける”とは侵入者を防ぐお札を土の垣の各所に附着させた、とか、自然から離陸した人間たちのやったことはどれも血なまぐさい。私たちは気安く、「あなたの成功をお祈りします」などと口にするが、祈るためには当然代償としてのいけにえが必要だと初期の人間たちは考えた。代償もなしにただ祈っていたら祈るという行為が空疎になる。これは私たちが使っているすべての言葉や概念にあてはまることで、初期の人間たちの思考を共有しないことによって私たちの言語は平面化し、つまり記号となり高い操作性を獲得し、能率とか速度とか、あるいは整理・秩序というょうな次元を思考が持つことになった。」 まだ雨が降らないのですが(@_@)

テレビ視聴のご案内!

2010-05-26 09:59:34 | 日記
ご無沙汰しています(^。^)!さっき一度書いたのが消えてしまいました早速なのですが、本日(といっても明日)午前1時半~2時20分NHK総合で「みんなでニホンGO”人”という字はひとりぼっち?」-白川静の世界-が再放送されます。半分バラエテイ-系なんでしょうか?僕は見逃した番組です。白川静さんをご存知の方も多いと思いますが、僕は名前だけ知っていた人でしたが、気になっていたのです。少し前に「白川静読本」-平凡社-を読みました。そして感動しました。この本は、50人の著作家が書いた、白川先生へのラブレター・追悼文・入門書ですね。先生は立命館の学園闘争の時も学内への出入りは自由で、一晩中研究室の灯りが点いていたそうです。その頃日大の三浦朱門さんが研究室を荒らされたと怒っていたのを新聞記事で読んだことがありましたが、大きな違いだなと思ったことがありました。この本の中で”保坂和志”さんという芥川賞作家の「自然からの離陸の記憶」という一文には特に惹かれました。初めて聞く人だったのですが、HPをみたら賑やかに活性化していて作家のHP?という感じでした。しかし、同じ事柄について二度目の文章を書くというのは変な感じですね(@_@)!最初の文章とはかなり違った言い回しになってしまうのです。
 ところで、保坂さんの文章を著作権(細やかなブログでもあるのでしょうね)ぎりぎりのところで
書きぬきさせていただきます、数回に分けてです。ぎりぎりにするためには解釈を多くしなければいけないのでしょうがそれは無理というものですから、なんとか許容範囲の拡張を!以下からです「2000年の一月だったと思うが、NHKスペシャルで白川静の特集をやって、ご自宅の書庫が映った。そこは大学の資料室のようにただスチール製の本棚が何列も並んでいるだけだったが、背表紙が大写しになったのがちょうどドイツ観念論が並ぶ区画で、『ドイツ観念論のxx』『カントとxx』というような本を見て、わたしは「そうか、そうなんだよな」と思った。なんて書くと私が白川静の内面の生成の何かを理解したように思われかねないー理解するというのはとても浅薄なことで、理解したと思うことはこちら側の活動が終わったことしか意味しないーが、このときの私の「そうか、そうなんだよな」は、私自身が白川静を読むための手がかりが、本棚のこの区画の大写しによって与えられたということで、もしかしたら番組のディレクターも同じことを感じたからこの区画を大写しにしたのかもしれない。そのとき白川静は”歌”という字の成り立ちについて、神への祝詞を入れた器を
大声をあげて叫びながら木の枝で何度も何度も打つ、という、私がいまさらここでくどくどと書く必要もないイメージを語ったのだが、その、人間の狂おしさ、荒々しさ、あるいは凶暴さが、ハイデッガーが「形而上学入門」などいろいろな本で何度も言っている人間の暴力性と同じものと私には感じられ、白川静もハイデッガーも、人間が自然から離陸して人間となるとはどういうことか?人間は自然や他の動物たちを征圧することによって人間となった、ということを言っているのだと思い、私は
激しく感動した。」

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2010-05-06 22:05:27 | 日記
 今日、知り合いの所でパソコンを教わりながら「ノーサイド」のホームぺージを開きました。何と素晴しい写真と文章の連続!思わず「宿もご馳走も環境もステキです」と自慢してきました。もちろんオーナーの自慢もです。只ただ感動するのみです。もっと早くからパソコンをいじりHPを見ていればよかったとつくづく思っています。すごいですね。タガワサン
忙しい中、よくまめに書いています。やっぱりステキな人です。せーじでした。