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『援助者が臨床に踏みとどまるとき』?

2015-09-30 23:58:14 | 日記

お彼岸も終わって、さらに秋の気配がつよまってきました。
短パン半袖のテニススタイルも、もう少ししたら長ズボンと長袖に変えなけ
ればならなくなりそうです。
このブログも模様替えをしていただいて、すっきりとした秋空のような感じ
になりました。
いま少しアル子チャンですけど、あまり顰蹙を買うことのないようにしたいと…… 。

      
こんばんは! 
一つの情報だけ書かせていただきます。

ほんとうに久しぶりなのですけど、稲沢先生のツイッターにお邪魔したら、
新刊の案内がアップされていました。ご自身のです。

『援助者が臨床に踏みとどまるとき』
ー福祉の場での論理思考ー
 誠信書房(2015年9月5日) 130頁 

この本の「まえがき」も読むことができます。 上記新刊案内の<内容説明>
の最後の、<(本書「はじめに」>でリンクされています。 

アマゾンのカスタマーレビューは、まだ書かれていません。
この際ですから、Yさん、ぜひともお書きくださいませんか。
先生が学習会にきていただけたのも、元をただせば、YさんからIさんへの
お願いという筋道であったように記憶しています、のですが? 

といっても、Yさんはゆくえ知れずなのです。むろんこのブログからですけど。
なにかの間違いであってもいいから、このブログを開けてみていただけた
らいいのですけど 

本の目次を読んでみると、この本を読む場合の参考書としては、有斐閣の
広告誌に連載された、『思想としての援助』 の正・続 15編が良いのではな
いかと勝手に思うのであります。などといっても、ホントニいいかげんな憶測
でしかないのですが。

「まえがき」を読むと、第Ⅱ部の臨床論では、Q&Aといった問答形式での
応用編がてんかいされているみたいです。
なんだかよく分らないことは相変わらずでしかないのですけど、でも、読むの
が楽しみです。ぼくにとって楽しみな理由というのは、なにか一つでもいいので、
嗚呼!といえるようななにかに出会えるかどうかといったことでしかないのです。
この本の副題は「福祉の場での論理思考」とあります。でも、ぼくにとって論理
というのはトコトン苦手でだめなのです。
たとえば、なにかの本を読んでいても、えっなんだっけ?ばかりの連続!
でもいいのです。しかたない。そういった定めの中で生きてきてしまったのです
から。結局、そうした定めはじぶんで作り上げてきたものでしかないわけです。 

ですから、1冊の本を寝ながら眺めたにしても、一つの文章に出会ってしまって、
嗚呼!と感じるところがあれば、それでしあわせであるという単純明快な論理。 

先生のブログ『雑筆蔵』には、上記『思想としての援助』のすべてが掲載され
ています。 

何とかかんとか、あいかわらず書き流してしまっています。
後で読み返したら、また消去したくなりそうです。新刊書がでましたよ、ということ
だけを書くつもりが、ついつい余計なことを書いてしまっています

     踏み絵(グーグル画像から)

その後も、スマホにはまっています。
WIFIの接続についてはコメントに書きましたが、uとvの読み間違いが原因でした。
しかし、スマホも奥が深いので驚いています。といっても、入門編に泊まってしまう
のは明らかなのですが。
それにしても、アプリの説明文の長いのには、ふざけるな!なのであります。 
とてつもなく永すぎて今生では読めたものではな~い 
それで、マカフィーの電話相談に、明日からからしてみることにしました。
きょう、ドコモにいったら、オプションの一つにありますよと、教えてもらえたのです。
使い方ですけど、ほんとうにちょっとしたヒント・動作がとてつもななく大事なことな
のですね。パソコンよりも機能性がよくて簡便なところがたくさんあります。
そのうち、動画をアップしてみたいと思っています。撮影するときの圧縮が簡単に
できそうなんです。
       


お彼岸だそうです!

2015-09-23 04:30:18 | 日記

     曼殊沙華(彼岸花)
この写真、どのようにしても逆さまが直りません
何回やりなおしてみてもダメ!
下記した、WIFIの設定とおなじようなことなのですが。 

大磯での合宿の記事が、中途半端のままになってしまっています。 
このブログは、気ままな書き流しが許されるところなのだと独り決めを
させていただいて、また気がむいたら書かせていただく所存です。

今は、お彼岸になっているのですね。
明日は彼岸の中日だそうです。
といってもこの時間はもうとうに、その当日ということになってしまっ
ています。
一昨日、あるお付き合いのなかで久しぶりにお寺にいってきました。
そのときに撮った写真が上にアップした曼殊沙華(彼岸花)です。
そのお寺の中とその近辺には、曼殊沙華の花が群生しているので
した。
この花には少しばかりの想い出があります。
「曼殊沙華 ・・・の里の ・・の花」と一句歌って笑いあったのは、い
つの頃のことであったのか、この世の時間ということの不思議さが
泣けてきますね。

実家のお墓もこの住いから車で20分くらいの所にあるのです。でも
最近はいってないですね。お墓という場所は嫌いではなく、好きな
場所といっても言い過ぎではないとおもいます。でも、今日のような
お彼岸の最中であっても、わざわざお墓にゆく気にはならないし、
あえてゆく必要もないように思っているのです。こうしたお墓にたい
する気持ちとか考え方というのは、信仰心の篤いひとからみたら
「この、ばちあたり!」と言われそうです。

吉本隆明さんの住いは、駒込の吉祥寺という名刹の脇に建ってい
ます。そのお宅の二階の窓をあけると、眼下には墓地というか墓石
たちの頭を見下ろすことになるのだと思います。 
こうした場所に住いを定めるというのは、とても吉本さんらしい
すてきなことだと思うのです。 

     9月16日の国会前

この国会前の道路の写真は、9月16日の午後4時頃のものです。
とにかく、装甲車両の多さには驚きました。
有楽町駅から、晴海通りを警視庁に向かって歩いていって、国会
議事堂がみえた、とおもうのと同時にこの車両の群れが目に飛び
込んできたのです。

エッ! なんでこうなるの?
おもわず声が、出なかったかもしれませんけど、呆れてしまいました。
Dさんも、エッッ・・!とは言わなかったかもしれません・・・

8月30日の大集会の日は、この写真にある機動隊の装甲車両はなか
ったのです。この装甲車群を排除したあとのその日の空間は、ひとの
群れまた蒸れといった状況でした。とにかく満員の通勤電車内と同じ
ような状態で、身動きができないのでした。
この写真からすべての装甲車両を取り除いた国会前は、さながら歩行
者天国というホコテンならぬカイホークといった状態でもありました。

その日は12万人が参加したわけです。国会の周りというよりも、都内
の各所で、大小の集会が開かれていたと思います。
友人と二人で参加したのですが、できるだけ国会の近くにいこうと思
って、人波のカベを掘り進むような感じで進んでいったのでした。 

なんだか、どうでもいいようなことばかり書いています。
なにを書こうとしたのか、忘れてしまいました
このところ遅い時間のアルコールは控えていたのですけど

きょうコート脇のベンチでXさんから、su-さん国会はどうだった?と聞か
れてびっくりしたのでした。大手の会社を勤め上げた方で、信頼できる
ひとなのです。「中国のやり放題は許せないのでは?」「アメリカと組む
以外に、日本の安全は保たれないのでは」「双務契約が原則では」
「尖閣などの領土問題は、最終的には力関係以外の決着がありうるの
だろうか」といった意味のことがらを、突然に話しかけられて…… 

ぼくはそうした安保法制についての支持を直接聞いたのは初めてなの
で、 なんだか、Xさんの気持ちがわかるような気がした感じでもあった
のです。その人となりを少しでも知っていると、意見の違いなどは小さ
なもんだいにもなりうる可能性があるわけです。 
意見の違いよりも友人関係の方が大事ということなんでしょうか。
古来、「和して同ぜず」 という言葉があるそうです。当然過ぎる考え方
なのだとも思うのです。

「いろいろな考え方があって当然」「よく分らないけど憲法9条・立憲主義」
「国際社会の問題、国の理念」「天皇・皇后両陛下の気持ち」とか、数分間
というほんのわずかの意見交換未満の話だったのですけど、なんだか、
不思議な気持ちになって、その後の試合をしたのでした。 

8月30日国会正門前大集会の模様がユーチューブにアプされています。
とっても長い時間の録画ですけど、坂本龍一さんなど、著名人の挨拶も
すべて入っています。よかったら飛ばし見でもどうぞ。 

それから、ユーチューブを見ていたら、石田純一さんのアピールもアップ
されていました。もちろん国会前で、9月17日です。 
石田さんの挨拶は、聞いていてとてもいいなあと思いました。 

それから、そして、また私ごとですけど
このたびスマホデビューをしてしまいました。
ドコモです。……しかし、ドコモさんには言いたいことが沢山あります。 
しかし、すごいですね。このおもちゃを約2日間ちかく、この手から離れま
せんでした。
売買契約が終ってはじめて電話の呼び出し音が鳴ったとき、どうしたら
いいのかがわからずに、おもわずスマホのまわりを撫でまわしてしまい
ました。

しかし、それにしても、ドコモに限ることなくなのでしょうけど、結局、不親
切ですね。消費者本位というわけではない。契約の煩雑さはまあいいとし
ても、オプションのつけ方の過剰さや契約の内容には?ですね。とにかく
何とかして少しでも商売が有利になるようにあらゆる手立てを考えようと
している、としか思えない点が多いですね。商売なのだから、株式会社
なのだから当りまえといえばそのとおりのわけでしょうね。

でも、商売の内容は通信という極めて公共性の高い内容物のわけで
しょう。消費者にとって親切であって分りやすい商売を、もう少しこころが
けるべきだと思いますね。あまりにもせせこましくてセコイ商法ではないか
と感じてしまいます。 
だったら、やめておけばよかったのでは、といわれそうですけどね。 
それに、こうした意趣晴らしもどきこそセコすぎないのかいと… 

ドコモショップの方々は皆さん一生懸命に、このぼくのような年寄りの理
解力のない人にも、買い替えの契約の話などをを丁寧にして下さったり
して頂けた点もあるわけでした。感謝のこころがないわけでもないのですが。

でも、従業員の皆さんはほとんどが契約社員なのかもしれないですね。
たぶんそうだと思うのです。その、いわゆる非正規労働者なのでしょうか。
20代後半と思えるひとでも、胸の名札を見ると研修生というひとが何人
もみかけたのですね。

しかし、ただいま現在のぼくの最も切実な問題は、WIFIの接続がうま
くいかな~い!ことなのです。バッファローのルーターと格闘していまして、
二通りで何度アクセスしてみても、繋がらないのです。
マニュアル通りにやっているのです。SSIDやPWの大文字小文字など
の基本的な入力方法にも気をつけているのです。できることは限られて
いて、することはまったく単純作業なのに、なんどやってみてもだめな
のですね。

たぶん、スマホ側の設定のなにかが邪魔をしているのだと思います。
セキュリティを外してみるとか、でも無料版なのでこれは少しヤバいし。
PCのセキュリティはノートンですけど、スマホはアンドロイドなので、
ウインドーズ以外ではノートンの共用はできないとのことなのです。
バッファローのHPのQ&Aもダメ。電話は繋がらない。ノートンのよ
うにチャットでやってくれるとすぐ繋がるし、即、救助されるわけです。
バッファローに電話をかけるしかなさそうです!
どなたかお分りになる方がいたら、なにとぞお助けいください 

 


辰巳芳子先生の意見

2015-09-18 08:22:17 | 日記

敬愛する辰巳芳子先生の朝日新聞のインタビュー記事です

 

料理研究家の辰巳芳子さん(90)は、病床へ食の喜び を届ける「いのちのスープ」運動で知られる。料理と執筆中心の静かな日常ながら、日本の将来を考えると不安になる。思い出すのは結婚わずか20日で出征し た夫のこと。心配なのは日本の食卓の先行き。「いのち」の尊さを原点に、思索は戦争と食の間を縦横に行き来した。

 ――安全保障を一変させる法案の審議が大詰めです。

  「恐ろしい気がします。これで日本はやすやすと米軍を手伝う国になってしまう。米国の戦争をちょこっと手伝えば、中国を黙らせておけると考えたのでしょう か。憲法の解釈を内閣ごとに勝手に変えてよいことになってしまった。人間いざという局面に立つと、正しい解釈など困難です。政治家は自衛隊を戦場へ送るだ け。隊員のいのちまでは守ってくれません」

 ――米国と中国、日本の立場をどう見ていますか。

 「米国とはどういう関係でいるのがよいか、日本を指導する人々は考え尽くしていない。どうしたら日本は本心で中国と相互いに生きていけるのか、私自身もいま、ずっと考え続けています」

 ――日本人は考え抜く力が弱いのでしょうか。

 「どうしても稲作型の思考をします。米作りにはぜんぶで135の手間がかかる。田を通じて日本人は代々しんぼう強さを身につけ自然と交流し、仕事力を磨いてきました。すばらしいことです」

 「半面、西欧人のような論理的な交渉を迫られる場面は稲作には少ない。たとえば外交ごとをみるとドイツの人は理屈に強い。英国人は駆け引きにたけている。中国は欲で押す。でも日本の稲作的生き方の強みは発揮できない。日本の外交は成果が出せません」

 ――自民が政権を取り戻した2012年の総選挙の後、主宰する「良い食材を伝える会」の会報に「選挙結果に落胆した」と書かれました。なぜですか。

  「危険な方向に日本が向かうと心配したからです。最近も、武器輸出が本格化したという報道を見た。私は軍需工場で働いたことがあります。夏は火薬を詰める 袋を縫った。冬は冷たい手投げ弾を手で磨いた。武器や弾薬は売れば確実にもうかる。でも日本が武器輸出国に戻って本当に大丈夫ですか。朝日新聞を読んで も、輸出に反対する倫理的な意見が載っていない。私には理解できません」

 ――安倍晋三首相は引っくるめて「積極的平和主義」と呼びます。

  「ノルウェーから来日した平和学者がはっきり誤用だと言いました。本来は、貧困や差別のない状態にまで平和を深めることだと。あの通りですよ。首相をはじ め政治をつかさどる人々はどれほどいのちの重みを考えたことがあるのでしょうか。前の戦争でいのちを守ることがどれだけ大変か日本は学んだばかりなのに」

    ■     ■    

 ――その戦争でご主人は命を落とされました。

 「フィリピン戦線でした。彼と同じ船で送られたのは3800人、うち帰れたのは8人でした。制海権も制空権もなかった。親しかった方が彼の家まで来て、最期を報告してくれました」

 「私の結婚生活は20日で終わりました。結納が届いた直後に赤紙が来て。父が先方を訪ね、『結婚は兵役の済んだ後でいいのでは』と申し出た。彼は『わかりました』と言って大粒の涙をこぼしました。そう聞いて私は決心しました。この人と結婚しようと」

 ――なぜですか。

 「これから戦地で死ぬかもしれない男性を悲しませちゃいけないじゃないですか。でもね、戦死の連絡が来て私は悩みました。父の言う通りにすればよかったのかと。何年も何十年も考えました」

 ――答えは出ましたか。

 「75歳になって初めてフィリピンを訪ねました。セブ島で船に乗ると、夕方の空が一面、真っ赤に染まりました。水に触れてハッとしました。結婚をあの人は喜んでくれたんだ、だからずっと私のことを守ってくれたんだと。50年考えて答えにたどり着きました」

  「その旅で、激戦の島コレヒドールも訪ねました。米軍施設跡には何と秘密のプールがあった。5面のテニスコートが覆う地下に。衝撃でした。こんな余力が米 国にはあったのかと。日本兵は草の露でいのちをつないだのです。水の乏しい地域で相対しながら相手はプール、こちらは草の露。兵隊のいのちをどう守るか日 米でここまで思想が違った。集団的自衛権が戦地で実行されてもこの違いは変わりません。何らかの形でプールと露の差がついて回ります」

 ――靖国へ行かれたことは。

 「ございません。靖国は国が英霊をまつるところ。死にたくないのに国に戦地へ送られ、死んでいった若者は、靖国には顔をそむけた。戦争指導者は靖国にいるかもしれませんが、無念の戦死者たち(の魂)は靖国へは行きません。あの人はここ(自宅)にいます」

 ――戦中はご家族も「名誉の戦死」と受け止めましたか。

 「まさか。出征した昭和19年の6月、あの人ははっきりと私に言いました。『僕は死にたくない』って。他の兵隊さんたちも本心は同じ。死んでもいいと信じていた人なんてだれもいません」

  「戦時統計を調べました。戦場に赴いた日本の若者のうち、戦闘でいのちを落としたのは3割。残り7割はなぜ亡くなったとお思いですか? 餓死なんです。軍 の愚かな作戦で、失わなくてもいいいのちを失った。生き続けたいと思って死んでいった人々のいのちと引き換えに作られたのが憲法9条です。彼を含む230 万人のいのちの対価です。折々のむずかしい問題を考える時、私は憲法を足場にしてきました」

    ■     ■

 ――その9条の意味を現政権は解釈だけで百八十度変えました。

  「私の先祖は加賀・前田藩の祐筆(ゆうひつ)(藩の記録や書記の役)でした。むかし殿様の最大の任務は領民のいのちを守ること、飢えさせないこと。なのに いまの政治家は国民のいのちや食を守ることを真剣に考えていない。しっかりした生命観をお持ちじゃない。だから日本はおかしくなりました。もう底が抜けて しまいました」

 ――底が抜けたとは?

 「10年先には大変なことになります。気象が変動し、干ばつや熱波による米国や 南米、豪州の凶作がじかに日本の食卓に及ぶ時代。日本も南太平洋の気候になってきた。むかしは真夏でもそうそう32度は超えなかった。気候激変に応じた食 の確保策をだれも考えていない。風土にあった食材を料理して食べていないから、日本の男はナヨナヨしてきた。若い男性のえりあしなんてスーッとしていて、 見るからに頼りない」

 「しかも農業者が減りすぎている。いま日本の農業を担う人々は平均65歳。10年先にはもう働けない。そして農業 高校を出ても農業で食べていけない国になりつつある。30%台の食料自給率は異常です。サッチャー英首相は奮闘して(カロリーベースで)70%へ戻した。 日本の政治家はだれも危機感をお持ちじゃない。特に穀物が危機的。無策が続けば、10年後に日本は食で行き詰まります」

 ――食品を含む輸出入のルールを変える環太平洋経済連携協定(TPP)には反対ですか。

 「食の根幹について外国と交渉する以上は、逆手に取るくらいの姿勢で臨んでほしい。逆手に取って日本のおいしい農産品や魚介類をちゃんと守り、輸出を伸ばすところまで持っていけるはずです」

  「私はずっと各地の農産品を守る運動を続けてきた。動物性たんぱくに依拠しすぎた生活はあやうい。牛肉のBSE問題、鶏肉の鳥インフルエンザが深刻になる 前から、大豆100粒運動というキャンペーンを始めました。小学生が1人100粒をまき、育て、収穫する。増産のためじゃない。大豆なら将来の日本を助け てくれるから。運動10年、小学生3万人が大豆に親しんでくれた。国の立て直しには、こういう具体的で無私無欲の農業施策が欠かせません」

 ――穀物が日本を救うと。

  「魚介類も心配です。日本人は農耕民族であり、海洋民族でもある。海の幸なしでは生きていけない。福島のアイナメが(規制で)食べられなくなって悲しい。 福島の事故の何年も前から心配していた。青森県の六ケ所村で核燃料の再処理が行き詰まったと知ってからですね。もし核物質が海や土を汚染したら、見た目は 普通の食品でも住民はどれひとつとして食べられなくなると。実際に大きな事故を起こした日本政府が原発を外国に輸出するなんて。買う方もどうかしていない でしょうか」

     ◇

 1924年生まれ。日本の風土にあった家庭料理を提唱。その日常と思想を描いた映画「天のしずく」が2012年に公開された。

■取材を終えて

  すぐれた食材を全国に紹介し、風土にあった食べ方を提案する――。広く知られた料理家だが、話してその自在な思考に引きこまれた。コメを通じて外交を論 じ、アイナメを惜しんで核問題にいたる。「愛とは何か」「人はなぜ食べるのか」。身に降りかかった難題はとことん考え続けるのが身上。「いまの人は政治家 も学者も記者も考え抜くことをしません」(特別編集委員・山中季広)


なぞなぞ

2015-09-13 22:06:07 | 日記

おじいさんと一緒に行う球技はな~んだ? 野球


「打つと手がふるえる家具はなあに? テーブル

「見なくてもすぐわかる色はなあに?」 みずいろ

「新しい車は新型、古い車は?」 過去型

「騒ぎが起こるといっぱい集まってくる動物は?」 サイ

「人からかっこ悪いと言われてばかりの乗り物は?」 京王線

違っていたら教えてください


大磯の海と「少年A」

2015-09-12 00:03:33 | 日記

    大磯駅

tさんが昨日の記事「記事投稿について」で、投稿記事の一時保存
について教えてくださいました。ぼくも、自分の失敗の経緯について、
コメント欄に書かせていただきました。

合宿地の大磯ですが、よい所でした。
駅前の様子は、小津安二郎監督の映画の世界をおもいだすよう
うな、海と山に面した町といった雰囲気が感じられる所でした。  

   鴫立庵

駅から宿に向かう道筋には「鴫立庵」という観光史跡がありました。
ここは西行法師や虎御前の遺跡で有名なところなのだそうです。
入場料は百円という格安で、これが京都だったら少なくても三百円 
はするに違いないと思いました。
よく整備された邸内には、句碑や歌碑、仏塔などが沢山ありました。
また、西行法師がこの辺りの海岸を吟遊したときに詠んだ歌碑も
ありました。
こころなき身にもあはれは知られけり 鴫立沢の秋の夕暮れ
 ー西行 山家集 470ー
鴫はシギだそうです。恥ずかしながら読めませんでした 
(時間があったら、上記の西行法師の歌のリンクをどうぞ。
 邸内の写真もあります!) 

   

宿は日本式の旅館でした。
明治期の創業で、大磯では一番古い宿かもしれません。 
参加者はいつもより少ない6名でした。
二次会は、男性部屋でしたのですが、このところいつもセキド
さんがグループワーク?を主宰してくださっているのです。
今回は、”うすのろ”というトランプゲームでした。
ぼくにとっては初めてのゲームでしたが、まあ、面白かったですね。
自分のうすのろさを再認識させられたような楽しい遊びでした。

また、いつもどおりの、なぞなぞ言葉遊び?もしました。
たとえば、問題「おじいさんと一緒に行う球技はな~んだ?」
「打つと手がふるえる家具はなあに?「見なくてもすぐわかる
色はなあに?」「新しい車は新型、古い車は?」答えはここに
書きません。というか、一つ以外は忘れてしまって

そしてまた帰路の車中に、大磯駅で別れたKさんからメール
がきたのでした。こうしたゲームでいつも抜群の正答をするK
さんからうすのろsu-への追い撃ちでした。
「騒ぎが起こるといっぱい集まってくる動物は?」
「人からかっこ悪いと言われてばかりの乗り物は?」
「答えがわかったらメールください!」
3分間考えたけど、つかれたので即刻やめました。
どうしたってわかるはずがな~い  

   大磯海岸

翌日は、大磯の海岸を散歩しました。
海辺は長くつづいていました。曇り空だったので、伊豆半島を
眺めることはできませんでした。でもそちらの方につづく海岸線は
釣り人がたくさんいたのですが、万葉の歌人ならぬ西行法師もこ
の海岸を歩いたにちがいないのだろうな~などと、おもいながら、
一生懸命に海岸沿いで石探しをしたのでした。
その波打ちぎわには、ずっとずっと見渡すかぎりどこまでも、敷き
つめられたような小石の道がつづいていたのです。
ふっと後ろの方を振りかえると、Xさんがとおい遠くの海の彼方を、
しゃがみこんだままじっと見つめていたのでした。 

   エリザベス・サンダースホーム入口

大磯の駅前には、エリザベス・サンダースホームがありました。
Iさんがぜひとも寄りたいといわれていて、昼食の後、希望者4人で
見学をしました。「澤田美喜記念館」にも入り、1時間以上館内を見学
し説明をしていただいたりしたのでした。
ここに寄ったのはよかったですね。
なにが良かったのかは、明日また書かせていただきます。

セーさん曰く、長く書いても読むひとがいないよ!ということ……。
こうして書くのは、じぶんのためでもあるのであります。
なによりもボケの防止ですね。それから……かな。

しかし、海岸から駅前のホームに行く前には、「井上蒲鉾店」に寄って
かまぼこやさつま揚げを買ったのでした。
ここの品物は美味かったですね。創業は明治11年だそうで、老舗の
わけです。添加物が入ってなく手作業でつくったというさつま揚げは
素材の味が残っていて、自宅でのむときの酒の肴には最高です。
ときどき食べるかまぼこやさつま揚げとは一味違った食感と優しい
味わいがありました。

しかし、しかし、
昨晩のコメントにも書きましたけど、「少年A」の手紙には驚きました。

昨夜おそい時間に、たまたま朝日紙朝刊の週刊誌の広告が目に入った
のです。『週刊文春』と『週刊新潮』の広告で、A少年からA4用紙20枚
の手紙とHP開設のお知らせが届いた、ということなのでした。
すぐにこの家の隣のTSUTAYAにいって新潮は一通り眺めてから文春を
買ってきて読みました。
買うのだったら文春ですね。新潮は?でした。 
読んでみて、少しショックを受けました。

「少年A」のHP
「A少年のHPを読んで」碓井真史 新潟青陵大学大学院教授(心理学) 

長くなりそうなのでやめます。せーさ~ん、よんでくださいませ
Dさん、15日にまたまたですけど、投稿についてはそのときにして、
コメントでbokeモドキろうじんの刺激合戦をしましょう~ 

 


記事投稿について

2015-09-10 22:42:53 | 日記

合宿の記事を書いてくださってありがとうございます。

ブログの記事は基本的には書いたら投稿のボタンを押さずにおいておくと消えてしましいます。すぐに投稿しない時は、下書きモードにしておいて、後から書き直して公開するようにしておいてください。

合宿の記事はまだ途中かも知れないと思って下書きモードにして保存しておきましたので、記事一覧から合宿の記事をクリックし、完成したらチェックマークを「公開」にして投稿ボタンを押してください。


もうすぐ、お月見です!

2015-09-03 01:56:47 | 日記

「ジャーナリズムとは報じられたくないことを報じること。それ以外のものは広報に過ぎない」
   ーGeorge Owellー 堤未果さんがどこかで引用していた言葉。 
  堤さんのオフィシャルサイトブログ

  30日の国会集会の帰路、帝国ホテル本館の脇で

すこしばかり書いたのですけど、お月見の画像をアップしたら書いた記事が消えてしまいました
なぜか、その前のアップした画像だけが残っているのでした。なぜだ~……なのです

このブログも模様替えで、秋の気配がつよくなってきました。
でも、今日は久しぶりに暑かったです。テニスウエア―は真夏に近いような汗のかきかたでした。
 

   

お月見は懐かしいですね。
こどものころの想い出がいくつもあります。年長のわるガキにつれられて、ぼくたち年下のわる餓鬼
どもはその後をついていくのです。まるで戦国時代の野武士の親方と下っぱのような、そんな感じだ
ったのかしらと、いまは遠い想い出のなかの、幽かで遥かな昔の物語になってしまいました。
今年の十五夜は9月27日(日曜日)だそうです。ちなみに、十三夜は10月25日(日曜日)だそうです。 

七夕飾り:安保法案批判の垂れ幕撤去…「ふさわしくない」 毎日新聞2015年7月25日

ー長野市中心部の商店街「権堂アーケード」で、商店主が、安全保障関連法案などを批判する垂れ
の付いた七夕飾りを設置したところ、「祭りにふさわしくない」との意見が市などに寄せられ、
自主的
に撤去したことが分かった。商店主の男性は「今声を上げなければと思ったが、周囲
に迷惑がかか
るので撤去した」と話しているー

前回の投稿記事で書いた、ゲートボールの方と同じような出来事だとおもいます。
まるで、先の戦争の戦前・戦中の事態とおなじような雰囲気が、さいきん少しずつ多くなっているように感じ
るのです。 「えっ!そんなことはある訳ないでしょう?」
そうなんです、生まれた頃のことは記憶にあるはずがない。でも、そのころのことを物語にした映画や
評論などをみたり読んだりすると、ほんとうに、いまは危なくなってきているように感じてしまいます。

[自由] 自分の心のままに行動できる状態。①思いどおりにふるまえて、束縛や障害がないこと。
     また、そのさま。おもうまま。 (精選版 日本国語大辞典) 

「自由民主党」はこの自由を党是にしているのではないのかな~。自由という言葉は軽々しく使っ
てはいけない言葉なのだと思うのですけど、でも、自民党の国会議員の皆さんは自由さを感じて
いるのでしょうか?党内に「発言や議論の自由」がなくなってしまっているのではないかと心配です。
また、自民党女性議員のホープである野田さんは、今回の総裁選に出馬するのでしょうか?

国会前の集会に参加した翌日、試合前後に座るテニスコートのベンチで話してみたのです。
数人のメンバーがいたのですが。
「きのう国会に行ってきた!」
「えっ!国会?」 「こっかい…告解…?」
「国会議事堂ですよ!」
「えっ!あのニュースでやってたやつ」
「ご苦労様、s-さん!……とにかく、自民党に入れたひとがいちばんわるいよね」
公務員を退職した、温和で自制心に富んだ方の発言。すこしびっくりしました
その場のメンバーのみんなは、なんとなくノンビリとしていて、その反応が面白かったのでした。
「su-さんらしいね!」といってくださった中高年の女性が……。 

30日の集会に行く電車のなかで、これをよんでいました。
戦後の国会で、国会議員が集団的自衛権についてどのような議論を重ねてきたのかが、
くわしく調べられています。そのとき読んだといっても、もうほとんど忘れてしまっています
憲法第 9 条と集団的自衛権 ―国会答弁から集団的自衛権解釈の変遷を見る―
 鈴木尊紘(衆議院法制局専門官)

  創価学会員の署名活動

30日国会前の集会で、かなりの数の学会員が声をはりあげて署名活動をしていました。
もちろん、友人といっしょに署名しました。
ネットでは、さまざまなサイトで署名活動をしています。
ぼくも関係するところでは、できるだけ書名をするようにしています。

そのうち、公安ならぬ特高がきたらどうしようかなどとも、心配しているのです
そういえば憲兵隊などといった組織もあったはずです。
五味川純平さん原作の『人間の条件』をおもいだします。池袋の「人生座で」前日の夜
から翌日の朝にかけて、いま検索したら9時間30分の上映時間なのでした。
ユーチューブで3分間の予告編がありました。
主演は仲代達也さん、その妻役は新珠三千代さん。ほんとうに懐かしいです。 
原作のモデルになったひとは、東大名誉教授で東京女子大の学長もされた、
隅谷三喜男さんのはずです。懐かしいお名前ですけど、wikiをみたら亡く
なられてから12年になるようです。

なさい!