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新年会とサルトルと!

2012-01-12 01:10:06 | 日記
 
今日は夕方から雨になってしまい、通り雨という予報が当たってしまいました。テニスが終る頃になって降りだしたのですが、風があって寒い一日でした。でも今日はコートが三面なのに参加メンバーは13人位だったので、余り休むこともなく練習や試合ができてラッキーな午後でした。参加メンバーが多くて寒い日などは交代待ちの休憩をしたりしていると身体が冷えてしまうのです。それから最近ラケットを替えたのですが、慣れてきたせいか調子がいいのです。今年の年賀はがきに「若者の俊敏さに少しでも近付きたいという密やかな願いを」といった意味合いのことを書いたように記憶しているのですが、これでどうやら少しは実現かなといった具合です。でもこれはここだけの話で、皆から妄想だと云われないように、大事に胸にしまっておきます

 ところで、韓国料理の「サムゲタン」をご存知でしょうか?(イワサキさんは仕事で韓国に行ったので朝鮮料理には詳しくなったそうですけど、講演なのか講義だったのかお聞きするのも忘れました。それからこのブログに以前書いたミルの「愚行権」についても聞き忘れてしまいました。新年会の前にダテさんと呑んだのが失敗でした)
 きょうテニスの帰りにでき合えの「サムゲタン」をデパートで買ってみたのです。今夜は寒いので鍋料理がいいかなと思っていたので買ってみた訳です。僕はその料理の名前を見るのは初めてでした。でも何だかレトルト袋に大きく写っている「サムゲタン」の写真を見ると、煮込み料理であることは明らかでした。そして買うときには、レトルト袋に書かれていた小さい日本語の説明の部分も読みました。そして「サムゲタン」というのは、鶏肉と野菜とを煮込んであるスパイシー料理だと思っていたのです。ところがレトルト袋を開けてみてビックリ仰天でした。何とそこにお出ましあそばしたのは、僕が知っている鶏肉料理ではなくて、まさに鶏(ニワトリ・ステューチキン?)だったのです。

 実をいうと僕は、子供のころは長いあいだ鳥や豚の肉を食べることができなかったのです。でもハムとかソーセージは大丈夫でしたけど、ドジョウとかウナギもダメでしたね。今はドジョウ以外は何でも食べることができます。でも今でもときたまウナギを食べる時など、一瞬ですけどニョロチャンを連想してしまって、オエッ!という気持ちを克服する時がありますね。こんなことを書くと、suーは何だか俄かには信じられないようなデリケートな面も持ち合わせていたのだねといわれそうですけど、これでも御幼少のみぎりには深窓のお坊っちゃまと云われていた頃もあったのでした。……というのは嘘偽りで、正確に表記すると「お坊っちゃまみたいだね!」という訳でした。でもこの「……みたいだね!」ってどういうことなのかなァ。とにかく余り深くは考えない次第です 

 ⇒⇒⇒ この辺に限らず全て、毎度お決まりの酔っ払いの独り言ですので! ⇒⇒⇒

 ところで、新年会は楽しかったですね。この数年間はユアサさん御用達の西新宿の中華料理店が会場です。巨大ビルの中なので初めて行くときには少し迷いましたけど、今では何だか通い慣れたお店というわけでスッと辿りつけます。そして親切で親しみやすい店長さんの顔も憶えてしまいましたが、いろいろな特別サービスもして頂いて本当に感謝です。それと店内での場所も決っっているのもいいですね。そのような訳で来年の予約もしたのでした。

 じつは僕は、もし今回も呑み過ぎて失敗してしまったら、もう二度と皆さんの前に顔を出すことはできないと密かな覚悟を決めていました。ですから僕は美味しいいろいろなお酒を呑みながら、ひたすら「お冷」も飲み続けたのでした。誰かがどこかで言っていた言葉を実践したわけなのです。つまり、アルコールを呑むときにはその量と同等以上の水を飲むと悪酔いはしない!ということなのでした。愛用のリュックには1ℓのペットボトルを用意していましたが、当然そのミネラルウオーターは全部飲み干しましたです。そしてお店の方にも何度か「お冷」のオーダーをしましたです。ですからトイレには数回行ってしまいました。決してその前立腺肥大という訳ではないのです。でもしかし、自信はないのですが。ドックの結果が……

 そしてサルトルなのですが(@_@)。また長くなってしまいそうで、去年の新聞広告に「サルトルとボーヴォワール・哲学と愛」という題名の映画が掲載されていました。今月の13日まで渋谷のユーロスペースで上映されているということでしたので、新宿での新年会に行くときに観るつもりでいたのです。それから新年会の前日になって突然、明日はダテさんが来るのだろうかという問いが閃いたわけです。ダテさんに電話をしたらどうにもハッキリとしないわけです。そのとき僕は、そうだダテさんは哲学専攻だったはずだ⇒サルトルに賭けるしかない!と瞬間的に思ったのです。僕はすぐに電話口で、ダテさん「サルトル…」観たくない?と聞いたら、それって何? そして映画の説明をしたらすぐ即座に、僕行く、行きます!とダテさん。僕は受話器を握りながらもう片方の手で ダテさんは哲学をしていたとは全く思えない程の単純明快な分りやすいダテさんだったのでした。一昨日でしたかダテさんから、「suーさん13日に……の映画観ない?」と。皆さん「ダテ釣り」の最高の餌は映画です。⇒ダテさん!

 そして映画を観たのです。100分を越えた情熱的な映画が終って館内の灯りが点きかけたときに、一緒に観に来ている隣りの席の若い()の手を握りたくなったのです。実は女性であればこの女性でなくても誰でもよかったのかもしれませんこの映画を観終わったら、そうすることが恥ずかしくもなく自然にそういう気持ちになったのでした。そして右側の席の方に手を伸ばそうとして隣りのを見たら、……なんと何と、ダテさんなのでした。そこで僕は「エッなんでダテさんなの?」と云ってしまったのです。その後二人で道玄坂で呑みました。そこでは今観た映画の話をずっとしていました。そしてダテさんも、映画を観ている中で何だか変な気持になってしまったというのでした。実は二人とも同じような少し何だか変な気持ちになっていたみたいなのです。僕は、いまいるここは日本であってフランスではないのだなと、わけのわからない感慨に浸った瞬間でもありました。

 そして映画の感想なのです。しかしこれは……。とにも書くにもサルトルとボーヴォワールという巨大な先生方の私生活に関する映画の訳です。僕ごときが軽々になんだかんだと申し述べることなど恐れ多くてできるわけがありません。恐らくこれからの見通しとしては、今お二人が多分お住まいのあの世とやらに僕も行ってみて、お若い頃はあのような感じだったのでしょうかとお聞きしてからでないと書くことは無理ですね。僕もその程度の弁えは持っているというわけなのです。
 でも、とにかく、圧倒的に情熱的な映画でした。情熱的という意味を今、類語辞典から英和辞典に跳んで見ましたら、英語の sultry! には情熱的と共に官能的という意味もあるみたいです。そして官能的とは国語辞典だと肉感的という意味もあるのだそうです。この映画にはポルノまがいと云っては全くの間違いなのですが、でもそれに少しばかり近いような大雑把な印象を持たされてしまった点も確かにあるのでした。しかし、映画の感想にしても文学やら音楽の感想にしても、作品の感想とかという価値判断をする場合の問題は何よりもその当事者の質とかレベルといった問題が第一にあるわけです。結局自分に相応しい価値判断と全体性でしか感想することができないわけですよね

 それからこの映画のパンフレットを買いました。今回僕は久しぶりの映画館鑑賞だったのですが、観た映画のパンフレットは買うことが多いのです。そしてこの映画のパンフはもの凄くよかったです。こんなに丁寧に様々な解説を書いて下さったパンフは初めてかもしれません。600円も安いと思います。ところでこの映画は13日までなのですが、それ以降は有楽町(銀座?)で上映されるそうです。それからこの施設では映画館は2館併営なのですが、「サルトル……」ではない方では「ブリューゲルの動く絵」が上映されています。この絵は懐かしい絵ですよね。確か歴史の教科書にも載っていたように思いますけど?そしてその絵の読み解き方については、お亡くなりになったヨーロッパ中世史の阿部先生の本で読んだ記憶があります。その内容については例によって全く記憶の外なのですが、どんな感じの映画なのか興味だけはあるのです。ヨーロッパ・フランドル中世の農民の生活や社会・文化の状況を理解するのには格好の素材なのかもしれません。宗教改革なども出てくるのかどうか、今ユーチューブで予告編を観てみましたけど詳細は分りませんでした。グーグルで映画の題名を入れてクリックすると、ユーチューブのこの映画の予告編がヒットしました。そしていま「サルトル……」も観てみましたけど懐かしいですねもう一度観てみたくなりました。この映画のシナリオは、著名雑誌の編集長もしたジャーナリストと法律関係の大学教授・作家の二人の共作なのだそうです。そして細部はともかく基本的には全く事実あった事柄なのだそうです。しかしサルトルとボーヴォワールの相続権者と著作の出版元はこの映画の製作の差し止め訴訟も起こしたみたいです。その理由は二人の過去のイメージが壊れるからということだったそうです。でも最終的には完成した作品を観てもらった結果、公開の了解を得たということだったそうです。これはパンフの中に書かれている、この作品の監督さんのお話です。

 それからこの映画の中で登場する作家には、カミュとポール・ニザンがいました。それからそのシナリオの中では、アンドレ・ジードとかフッサール、ハイデッガー、ピカソ、チャップリンとか、中でもメルロ・ポンティも出てきたのでビックリしました。でもこの人たちについては本当に瞬間的で、前後の脈絡もよく分らない感じの取り上げ方なのでした。
 僕はサルトルが日本に来た頃は東京でうろうろしていた頃でした。6年間も遊んでしまった頃だったのです。そのころ僕はこうした自由さを与えてくれていた両親に対して余り感謝をしていなかったのです。結局今のこうした現在の僕があるのは、そうした恵まれた時間を無為に過ごしてしまった罰でもあるわけです。そして新年会で話題にもなりましたけど、いま子供さんを何人であるにしても育てている(責任が終った方もおられるわけですけど)この……86の皆さんは、ほんとうに偉いなあと思います僕は自分が子供を産み育てるということは余り考えられなかったのです。自分には無理なのではないかと!しかし離婚してしまった女性は昔から子供専攻で、今でも、子供・青年・大人たちと”総合美術”を共に考え合う中で生活をしている訳です。本当に申し訳なかったという気持ちがあります。そして、右を向いても左を向いても、自分のいい加減さでご迷惑をおかけした方々ばかりなのです。

 そしてそれから、映画なのですけど、観ている中で感じたことがあります。ボーヴォワールはシモーヌ・ド・ボーヴォワールが正式な名前なのです。ですから字幕ではしょっちゅう「シモーヌ」がでてくるわけです。そしてその名前が繰り返してでてくる中で僕は、もう一人の「シモーヌ」をときどき連想していたのでした。そのシモーヌとは「シモーヌ・ヴェイユ」なのです。知っている人は知っている訳です。そして知らない方には格別にどうということはないどうでもよいということなのですが。日本には亡くなられた加藤周一さんが最初に紹介したらしいのです。吉本さんも一冊、思いを込めたヴェーユ論を吉本さんでなくては書けない視点から書いておられます。ヴェーユについて吉本さんは最初、ある出版社のPR誌に書かれたと思いました。僕は生意気にも吉本さんはヴェーユにも目を向けているのだと驚いたのでした。吉本さんは「ほんとうとは?」「全体性とは?」「根源的とは?」といった僕好みの言葉で恐縮なのですが、そうした事柄について25時間目を徹底して労働されているのだなあ!と思わされたのでした。そして僕はずいぶんと昔にキリスト教関係者のヴェーユ本から入ったのですが、山谷とか越冬にも参加したことがある釜ケ崎に頭が向けさせられる中で、このシモーヌを読みかじったことがありました。ほんとうに昔のことなのですが、ヴェィユの生きざまを知らされてその激しさに驚きました。サルトルも来日時にヴェイユのことを話されたということらしいのですが、ボーヴォワールも著作のなかでヴェーユとの学生時代の想い出を書いているみたいです。ソルボンヌで二人のシモーヌは学生同士として出会って会話も交わしているらしいのです。この映画の画面では、主人公であるサルトルとボーヴォワールの二人を中心にした官能小説のチラチラみたいな部分が多かったので余計にヴェーユの生きざまの激しさに思いを寄せさせられたわけなのです。ヴェーユは34歳という若さで、結果的には病院で食事を拒否するという自死の道筋を選び取ったようなのです。ボーヴォワールと全く同じ様な優等生でエリートだったにもかかわらず、工場労働者として過酷な情況の中に飛び込んだり、スペイン戦争に従軍したりしたわけです。元々産まれながらに病弱な身体だったヴェーユにとっては、無理に無理をかさねた生き方をした結果の早世は、当然の帰結だったともいえるわけです。勝手な推測ですけど、ヴェーユさんはその生涯で多分ヴェーゼも知らなかったのではないかと…… そしてまた問題は、ボーヴォワール・サルトルとヴェーユのどちらの思想と生き方の方がより正しいのかといった問題では全くなく、結局はその人の(各人の)好みの問題でしかないことは明らかだとも思います。

 それから、突然また新年会のことなのですが、会が始まって以来初めての話題が話されました。それは何だと思いますか?などともったいぶることでもないのですが、それは「金融問題」なのです。日本の財政問題はどうあるべきか、ということも話し合われたのですが?  ことは金融問題なのでした。お金とは何かという本質論はともかく、お金をどのように運用するのがよいのだろうか?……とか……
 でもとにもかくにも、美味しいお酒でした。一人だったら紹興酒などは呑むことはないですね。それなのにあの温かい紹興酒は抜群に美味かったのでした。ひとりで呑む酒はあまり美味しくはないですね。酒だ酒ださけだ!っていう唄もありました。そして今もひとり酒をしていますです ” ひとりで酒を~ ”

 それから書き忘れるところでした。ヨシダさんにお聞きした上野さんの本は買いましたです。大部の本の割にはそんなに高くなかったですね。買ったのは僕の老後を保障するためでもあります?イワサキさんの箇所もすぐ分りました。後で字づらだけは読ませてもらう予定です。それから上野さんの本、手持ちが多少あるので自分でもびっくりしました。昔はいわゆる四文字言葉満載本的なのが多かったという印象をもってしまっているのですが、でも対談本が多い以外では、昔から老いの問題などについても書いておられるのでした。それからこの本の理論的な意味合いでの前著といわれる『資本制と……』はまっさら本ですが、後で読めたらと思うのですが。でもヨシダさんはこのブログを読んで下さってはいなさそうですね

 数年ぶりに神保町の三省堂をうろつきました。その前に「書泉」にも寄ってみたのですが、昔と違ってしまったのでビックリでした。新刊本屋として続けられるのか心配ですね。
 それから、関川夏央さんの『「解説」する文学』も買いました。岩波の新聞広告や朝日紙の書評でも大きなご本人の写真入りで紹介されていて珍しいことなのですぐ目に入りました。関川さんの本を買うのは久しぶりです。筑摩の鶴見さんとの対談本はやめました。鶴見さんは難しすぎてよく分らないのです。昔「思想の科学」でお見かけしただけです。それから以前テレビで観た番組が本にもなっているのですね。前述の関川さんの本で「森まゆみさん」だけはすぐ読みました。そして森さんについて詳しいことは知らなかったのでウイキで見ましたら、テレビ旅行で関川さんと一緒だった明学の先生は森さんと同じゼミの出身で東大の姜さんも同じゼミの出身なのでした。しかし、森さんの箇所は面白く僕自身の生活とも多少絡めながら物悲しく読ませていただきました昔テレビ番組でお見かけした関川さんのシングル生活のイメージがそのままという感じの懐かしさもあります。手元にある『中年シングル生活』はもう15年前の本になってしまいました。都はるみさんについても『東京からきたナグネ』で読みました。中上さんの都論?と比べると下調べのレベルが違うのが際立っていて面白いわけでした。中上さんは都さんとは呑み仲間として近しい関係なので仕方ないのでしょう。それから昔僕が最初に買った関川さんの本は『ソウルの練習問題』だったと思います。友人が在日の問題に取り組んでいて、僕も時々集会に参加した経験がありました。そうした流れの中で後年手にした本だったかもしれません。 皆さん!関川さん……ご存知ですよね

 しかしとにかく僕は、うろうろしている時間的な余裕はない筈なのですけれど、分りもしないくせにうろうろとほっつき歩くのが好きなのです。でもこうしてここに書かせて頂くことで少しでも怠け心が克服できていけそうな感じで感謝です。とにかくこんなに好き勝手なことごとを書くということは初めてです。とにかくとにかくというばかりなのですが、生きている間に少しだけでも前に進むことができたら、そして少しでも決断できたらと……
 
 ほんとうに勝手なことばかりでスミマセン……

ふたりは二輪草♪

2012-01-04 01:24:06 | 日記
 皆さんはこの曲をご存知ですか?
 ♪ あなた~おまえ 呼んで呼ばれて寄り添って やさしくわたしをいたわって 好きで一緒になった仲 喧嘩したって 背中あわせのぬくもりがかようふたりは ふたりは二輪草 ♪ この曲『二輪草』は川中美幸さんが1997年に歌った、作詞:水木かおる・作曲:弦哲也さんのヒット曲です。この曲が今晩、NHKの歌謡番組で放送されていました。北島三郎さんの歌謡生活50周年記念番組ともサブタイトルにありました。写真は二輪草です。
 
 番組を観たのは途中からだったのですが、最初にこの『二輪草』が歌われたのです。仲人連盟の方々が出演されていて、その方々からのリクエスト曲の№1がこの曲でした。確かこの曲は、中高年の方々から結婚の相談を受ける過程で得た情報だと云われていたように思います。聴いていて、本当にいい曲だなあと思いました。歌詞もメロディーも、そして川中さんの唄心も満点で聴き惚れたわけでした。この『二輪草』を作曲された弦さんは確か眼の不自由な方だったと思いますが。

 それから、何といっても抜群によかったのは北島三郎さんでした。僕は日本の歌謡曲の歌い手では、北島さんが一番美味いのではないかと思っています。上手いというよりも美味いという感じなのです。いつでも聞き惚れてしまいます。何がいいのかというと、小節の利かせ方がいいし、何よりも歌声の質が好きなのです。そして僕が知っている幾つかのうろ覚えですけれど、歌詞もいいですね。それからナントいっても北島さんの唄心は秀逸だと思います。北島さんの歌を聞いていると、北島さんの人としての強い心根や根性が強烈に感じられるわけです。生まれ育った過程の全てが、また歌手を志して以降のご苦労の全てが現在の北島さんの唄う上での財産になっているわけなのでしょうか。そしてまたテレビ画面にアップされた北島さんの顔つきは、品性というか風格がにじみ出ていて本当に惚れ惚れするほど素敵でした。酔っていた訳ではないのですが。
 
 今日歌われた曲の中で♪ 淋しくって言うんじゃないが 帰ろか~な帰ろかな 故郷のお袋便りじゃ元気 だけど気になるやっぱり親子 帰ろかな帰るのよそうかな ♪ この『帰ろかな』もありました。この歌には歌という文字よりも何故か唄という字を使いたくなります。北島さんがこの曲を歌っている場面で出演者の有名な歌手の男性(名前は忘れました)が涙を拭いているシーンがありました。その番組にはその歌手の同級生や恩師が十人位出演していて昔話をしていたのも影響していたのかもしれません。今この曲を調べたら何と、作詞が永六輔・作曲中村八大の名コンビなのでした。俄かには信じられないような北島さんとの組み合わせです。作詞作曲のお二人は、北島さんの為に作った歌なのでしょうか?

 そしてこの番組の締めくくりの歌は、北島さんの”まつり”という威勢のいい歌でした。出演した歌手が全員勢ぞろいする中で、バックには京都の龍谷大学の踊りのサークルの学生さんやゲストの人達も参加して、賑やかで景気の良い振付で楽しい祭りの場面が演出されていました。
 番組の最後の場面を観ながら感じたことは、演出力の抜群の素晴らしさでした。番組の全体と細部が実によくかみ合っていたし、放映場面の全てに亘って凝縮力というのかな、一本の芯が貫かれているということを感じて強い感銘を受けました。こうした番組の企画・演出・編集といった作業の責任者はディレクターなのかプロデューサーなのか分かりませんけど、いずれにしてもいろいろな部門の担当者の能力も加わった結果だとは思いますが、とにかく見ごたえがあって凄いなあ!と思いました。

 それから、演歌系の歌手では、歌の節回しとパンチ力が抜群に素晴らしい「都はるみ」さんも大好きです。都さんの歌声を聞くといつでも”人が生きて在る”ということの何かを(淋しさとか嬉しさとか…)、また生きることへの力・凄まじいばかりの迫力を感じさせられます。
 実は昔、都さんとは一夜を共にしたことがあります。一夜といっても、今から約25年くらい前に「いま、吉本隆明25時」というイベントが品川の大きな倉庫で開かれました。そのイベントは当日の昼ごろから翌日の昼過ぎまで、25時間徹夜で開かれ、都さんも参加された訳なのです。参加者には著名な詩人・評論家・作家の方々が、演者であったり傍聴的参加者であったりしていた訳です。都さんは主催者の一人でもある作家の故中上健次さんと親しかったので、吉本さんの読者でもあるご主人!と共に参加された訳でした。そしてそのイベントの中頃でしたか、確か新宿2丁目で流しをしていた「……ちゃん」という方にギターで伴奏をして頂く中で、都さんが歌唱指導をして下さったのです。指導されたのは中上さんと吉本さんという訳でした。その頃都さんは歌手活動を辞めていた頃でした。恐らく都さんにとっては、廃業中に公衆の面前で歌った唯一の歌声ではなかったのではないかと思うのです。今では本当に懐かしい想い出になってしまいました。

 それから例によって全くの蛇足なのですが、僕は中上さんとは不思議な因縁があるのです。中上さんご本人とは殆ど関係ないことなのですが。初めてその活字を目にしたのは『朝日ジャーナル』に連載された、中上さんの故郷紀伊半島の被差別をルポした紀行文だったと思います。その後ある読書グループで読まされた中上さんの本が縁で、少しずつ中上さんに興味を持つようになりました。中上さんは新宮の出身なのですが、いつだったか妻と関西を巡った時に新宮にも立ち寄って、いつも中上さんの小説の舞台になっている路地裏を歩き回ったことがありました。なんだか蛇足が長くなりそうで。ご存知の通り中上さんは被差別的出自の方なのです。ご自身の生涯に亘ってその問題と、ともかく挌闘された方でもあったと思います。今でも新宮の町では毎年、中上さんが始められた「熊野大学」という夏季限定の勉強会が続いていると思います。実は今僕がいるこの部屋には、中上さんに書いて頂いた額があるのです。「京都の闇は深い・中上健次」。京都の闇は深いという言葉は、中上さんの立ち位置を端的に表現している言葉のような気がして、そして僕も好きな言葉なので、紀伊国屋で開かれた講演会場で色紙に書いて頂いた訳です。講演会後の著書へのサイン会だったのです。僕が色紙を提示したら中上さんは喜んで書いて下さいました。慌てたのはその場にいた出版社の方々でした。もうしないでください!と、確か云われたように思います。その節はスミマセンでした、それ以降致してはおりませんです。それから中上さんの忘れ形見であるお譲さんの紀さんは”物書き”として自立されているようにも思うのですが。写真で拝見すると本当にお美しい方なのです。中上さんに似なくて作家でもあった奥様に似たのでしょう、本当によかったです。因みにご夫妻の仲人は柄谷行人さんだったようです。
 
 それから勝手ついでなのでスミマセン、ポピュラーでは何といっても抜群に「井上陽水」さんですね。僕は初期の陽水さんを”生”というかリアルタイムでは殆ど知らないのです。若い頃は、何というのか歌の区分けもよく分らないのですが、フォークソングをよく聴いていたのです。車のカセットには森山良子さんやチェリッシュとか女性歌手が多かったと思います。演歌では五木ひろしさんとかがあったと思います。弟は五輪真弓さんが好きだったですね
 しかし陽水さんの歌もフォークソングという範疇なのでしょうか?陽水さんを聴き始めたのは、いま早大教授をしている竹田青嗣さんの『陽水の快楽』という本を読んでからでした。その本を読んだ後のある時期には、陽水の曲ばかりをウオークマンで聴き続けていた時もありました。とにかく今までで、ある時期に最も多く歌を聴いたのは陽水さんでした。ほとんどは電車の中で聴いたわけなのです。それから竹田さんが陽水の快楽といっている意味は殆ど忘れてしまったのですが、というよりよく理解できなかったというのが本筋なのです。でも、そこで言われていたこと、真剣さとか美(真・善・美)とかエロスといったことですが。竹田さん(哲学専攻)が人生のある場面で陽水に出会ってご自分が変えられたと仰る経験の質は、何となく僕にも伝わってきた訳でした。僕にとっても、それってなんだか大事なことみたいだな、という受けとめ方なのでした。
 そしてそれから陽水さんを聴き始めた訳なのです。そして陽水を聴く中で竹田さんの陽水への意味付けはともかくとして(それは僕にはよく理解できなかった訳ですから)、僕はただ単純に陽水の歌声に魅せられてしまったのでした。
 結局僕が陽水を聴くようにさせられてしまったのは、その契機としては竹田さんなのですが、竹田さんの意味付けが理解不能に近い僕は、ただただその陽水の歌の世界の心地よさに浸り続けさせられたという訳なのでした。
 
 僕の「陽水の快楽」、この意味での僕にとっての陽水の象徴的な曲は、やはり圧倒的に初期の曲ですね。例えば『人生が二度あれば』が典型ですけど、僕の手持ちのCDではこの曲を陽水は泣きながら歌っているのです。♪ 父は今年二月で六十五 顔のシワはふえてゆくばかり 仕事に追われ このごろやっと ゆとりが出来た 父の湯呑み茶碗は欠けている それにお茶を入れて飲んでいる 湯呑みに写る 自分の顔をじっと見ている 人生が二度あれば この人生が二度あれば ♪ ここでこの曲も歌詞だけ読んでもダメですね。ダメというのは、それだけでは歌詞の意味が本当には分らないし伝わらない(非共鳴)と思う訳です。そう思います。この歌詞の意味は、陽水の唄う歌の世界の中にしかない、というか、歌を聴いて初めて歌詞の意味が少しだけ分かりかけてくる。そんな気がします。そして陽水の歌の世界は、淫するとか耽溺させられるといった、聴く人の受けとめ方に応じた「正か負」とか「超越か非超越(彼岸か此岸)」か、といった極端な受けとめ方が可能な世界のような感じがします。
 それから僕が好きな曲としては、『傘がない』『氷の世界』『夢の中へ』とか他にもたくさんあります、どれも1973年頃の曲みたいです。今、CDの歌詞カードを見ていたら懐かしいですね。最近は殆ど聴くこともないですから。生では武道館に一度行ったきりなのですが、武道館は音響効果があまり良くなかったですね。トイレにいったら、中高年者ばかりだったような記憶があります。今の若い人たちにとって陽水という歌手はどうなのでしょうか。それから竹田青嗣というお名前はペンネームで、在日の方なのです。

 ことの続きで少しだけ。昔ある人から、歌謡曲に対して否定的な言葉を聞いたことがありました。ある教師のお譲さんでしたが、モーツアルトとかクラシックがお好きなことは分っていましたが、歌謡曲に対して否定的な言辞を云われたことに対して僕は少し不愉快な感じをもっていたのでした。それでその方に対して余りいい印象はもっていなかったのです。ところが少し前にその方がご自分の職業生活と出会った方々との想い出を総括された本を出されたのです。直接には言葉を交わしたことがない方だったのですが、その本を読んでとにかく懐かしい部分と共に自分の感じ方を改めさせられた訳なのです。その方について多少の職業的な道筋も知ってはいたのですが、でもその本を読んでその歩まれた過程の大変さとご苦労の程が察しさせられてビックリした訳なのです。その方の前述の言葉から感じられた人生とか他者に対する許容範囲の狭さが何となく好きではなかったのですが、その本を読む中で、そうした見方は誤解であったと思わされたわけでした。人を他者を正確に理解するということはとんでもなく難しいことなのだなと改めて思わされた訳です。よく人間関係と云いますけど、こういう関係性というのは結局、幻想関係でしかないのではないかと思わされます。お互いの間の理解の質や度合いというのは、凡そその実態とはかけ離れている可能性が大きいのではないかと思わされます。
 「はらじゅく86」の集まりも、もう25年という歳月が経過しています。竹下通りを往復した懐かしいあの頃に生まれた子供さんがいたとしたら、もう既に成人式を優に越えている訳です。歳月の流れの不可思議さには本当に驚きという以外の言葉がありません。そして、まだご存命中の僕がとにかく今もこうして生き続けて、訳のわからないことばかりを書き連ねながらも、呼吸を続けさせられているという次第なのですが

 ことのついでに北島三郎さんをウイキペディアで見ましたら、ご自宅は20億円・36部屋の豪邸にお住まいらしいのです。36部屋は三郎(36-)なのだそうです。余りパッとしない噂も一つ書かれています。しかししかし、北島さんのその異常異次元のご自宅の佇まいはどんなであっても、何方にでも等しく割り当てられたご自分の甲斐性とやらの問題ですし、また先の噂の件については自己責任の範囲の問題です。しかし驚くべきことは、北島さんは当年75歳なのだそうです。本当にビックリしました。圧倒的にお若いしお元気!なのです。
 それから北島さんの歌で幾つか好きな歌があります。例えば『函館の女』です。この曲を聞くと僕はいつでもあの函館の女性を想いだします。さてこの「函館の女」については今まで秘密だったのですが、今説き明かさせて頂く次第です。実はその女性とは、皆さんご存知のあの”美人”さんなのです。しかし僕達のグループの仲間だったら誰でも”函館の女”と云ったら、あの”美人”さんを想起しますよね。
 そしてこの曲を今久しぶりにユーチューブ聴いてみたのですが、歌詞は何となくなんとなく?でした。でも曲は本当に素敵なメロディーです。北島さんの節回しと軽快なリズムに素直に乗れる感じがいいですね。聴いていて歌詞の意味合いは別にしても、何とはない懐かしくて人恋しい世界に全身を漂わせてもらえるわけです。音響とか音楽のもつ力の一つであることは間違いないのでしょう。それと、ユーチューブは有難いですね。いつもお世話になっているのですが、無料というのが不思議です。それでもグーグルは拡大し続けている訳ですから。

 今日は飲み続けた割には元気です。もちろん少しずつ、少しだけなのですが。そして僕は、元旦(休コート)を除いてずっとテニスお爺さんをしています。
 そして今日、新春の寿ぎを改めて申し述べさせていただく次第です。 su-