はらじゅく86のブログ

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「気に入らぬ 風もあろうに 柳かな」

2017-05-26 13:25:49 | 日記

今の時代を生きるのにはこういう視点も大切ではないでしょうか

版画家の長島充さんという方

http://blog.goo.ne.jp/mitsuru-nagashima-h24-5

の記事から抜粋させて頂きました。

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江戸時代の臨済禅の名僧、仙涯義梵(せんがい ぎぼん 1750 - 1837 ) のこの狂歌。

「気に入らぬ 風もあろうに 柳かな」

仙涯義梵

風に揺れる柳の木が勢いのいい筆致で描かれた禅画に書かれた狂歌である。
絵を挟んで反対側には「堪忍」と二文字が書かれている。
意味は「吹き付ける風の中には耐え難い風もあるだろうが、柳はいずれの風をもさらりと受け流してやり過ごす」ということ。

日本に渡来した禅宗を含む大乗仏教の基本的な修行に「六波羅密 ろくはらみつ」というものがある。悟りを得た僧侶となるための6種の実践徳目で、この中の一つに「忍辱 にんにく」という修行がある。
それは、あらゆる侮辱、迫害、中傷などに耐え忍んで怒りの心を決しておこさないということだ。

この狂歌を詠むと背景にその精神が込められているように思える。

仙涯はその自由奔放な生き方でよく知られていて、数多くの狂歌を詠んだ。また昨年も禅画の展覧会が開催され、その「ユーモラスでカワイイ禅画」は大人気となった。
だが、その生涯を辿ると若い頃は禅の雲水として悩み苦しみ、とても厳しい修行を続けてきた求道の人でもあった。
かの世界的な禅者である鈴木大拙も「自分は仙涯の弟子である」と常に語っていたということだ。

仙涯は八十八歳で遷化するが、辞世の言葉は「死にとうない」だったという逸話が遺されている。

我々も毎日の仕事や生活の中で、苦しいこと、辛いこと、嫌なことがあってもこの狂歌の柳のようにユラリ、ユラリとなにくわぬ顔で、かわしていける心の余裕を持ちたいものである。

 


共謀罪に思う

2017-05-24 08:07:59 | 日記

改めて民主主義の意味を考えてみた。

 当初、このシステムは国民全ての参政を前提としておらず、理性、教養、一定の財産を持つ者だけが「市民」として政治参加を認められていた。その後政治参加は国民に等しく開放され、今日に至っている。

 民主主義は多数決ではない。多数を握った側は議論を主導する権利を得たので あって、少数側の合意を得られるよう最善の努力を尽くす義務を負う。現在の日本のように多数決を採用するなら多額の公費をかけて国会を開催する必要はな い。良い物を創ること同様、真の民主主義は時間と手間がかかる。

共謀罪が成立したらどうなるのか。冤罪を増加させる可能性が大である。一言で冤罪というが、これは命をを奪うことに等しい。共謀罪により救済されるかもしれない命と冤罪により確実に失う命。もし自分がある日突然身に覚えのない罪で自由を奪われたら・・・

民主主義を機能させるには理性、教養を育む「市民」教育が欠かせない。しかし 残念ながら戦争はこうした教育をできる多くの人材を消失させてしまった。その原因のひとつが戦前戦中のいわゆる「共謀罪」であり、その結果が現在の日本の 状況である。このことを真剣に考えなければならない。

 


佐川理財局長さんと東大話法とは?

2017-05-11 01:02:06 | 日記

前回の投稿に間違いがありました。
稲沢先生のブログ(雑筆蔵)のなかの「続 思想としての援助1~10」の中には、
「思想としての援助1~5」の論文は含まれていませんでした。ぼくの勘違いです。
『書斎の窓』2008年~2009年に連載された「思想としての援助1~5」は、
ぼくがコピーで持っています。もし読んでみたい方がいたら、その旨お伝えくだ
さい。(web版のバックナンバーには、古いので不掲載)
また、『援助するということ』の再版や改定版も、予定はないとのことでした。

ここから先は、ぼくの、いつにも増しての「漫語放言貫徹コース」です。
お暇なかたはお付き合いください。そしてご批判、ご異見を是非ともお願いいたします。

いつも、テニスにいく前には家でストレッチをします。
きのうもストレッチをしながらテレビをつけたら、参議院予算委員会の中継でした。
すこし見ただけなのですが、あの安倍首相は相変わらずの答弁のわけです。
そしてまた、テレビ画面で閣僚席と予算委員席の自民党議員の表情がとても気になって
しまったのです。

民進党議員の質問と安倍首相の答弁とのやりとりを見ているときのことです。
佐藤正久議員(元自衛隊員)の恵比須顔、三原じゅんこ議員(元タレント)の能面状表情。
太田房江(元大阪府知事)議員の普通顔。そして、麻生財務大臣の意味不明ないつもど
おりの微苦笑というか冷笑もどき。また、稲田防衛大臣の不思議な屈折状表情などが
気になってしかたがなかったのです。
こう書くと、なんだかこの議員の皆さんの悪口を言っているように思われるかもしれ
ませんが、ぼくの見た目での印象そのものを正直に表現しただけなのです。

しかし、衆参両院の委員会審議でなんと言っても気になったのは佐川理財局長です。
ここから先は佐川さんへの悪口になりそうです。人さまの悪口を言っている暇な時間
などないはずの自分なのです。また、他人を批判する資格なども自分にないことも自己
了解しています。ただ佐川さんは国家権力をその身にまとっている役職のひとのわけです。
ぼくたち国民が、その権力の行使は間違っていると感じた時には、それは間違いでしょう、
と批判する責務はあるはずです。責務といってしまうとぼくのことばではなくなりそうです。
ただ、なによりも、佐川さんへの批判は佐川局長への批判のわけです。

佐川局長の委員会での質疑応答の中で、その存在感の圧巻さに目が点になってしまう
わけです。圧巻という言葉はなにかすぐれているといったプラスのイメージで使われる
ことばなのかもしれませんが、とにかくいろいろな意味で、役人の答弁では圧倒的な存在
感です。

ぼくはこの佐川局長の答弁を聞いていると、与謝野晶子の歌「君死にたもうことなかれ」
を思い出してしまいます。
どうしてかなのですが、森友問題では佐川局長が答弁をすることが一番多いわけです。
そして、そこで繰り返される佐川局長の答弁を聞いていると、ほんとうに空しい気持にな
ってしまうのです。そしていくつかのことごとを想い出すわけです。

この歌を思いだすのは、佐川さんのご家族はどんな気持ちで、この局長答弁の様子を
テレビの前で見ているのだろうかと想像してしまうところからです。テレビの前のご両親や
ご兄妹が、そのような血を分けた身内としてもっとも近しい佐川さんの答弁を見聞きして、
どのような感慨をもたれるのだろうかと。
そうした情景とこの歌の内容とは同致しているわけではないわけです。でも、なぜだか
この歌のイメージは、ぼくにとっては佐川局長とそのご家族との関係へと妄想してしまう
のです。しかし、あの時代に、与謝野晶子さんのこの歌は、もの凄い決心の内容です。
軍国主義の真っ只中に詠ったこの歌は、まさに“反戦歌”のはずです。

君死にたまふことなかれ
(旅順口包圍軍の中に在る弟を歎きて)

あゝをとうとよ、君を泣く、君死にたまふことなかれ
末に生れし君なれば 親のなさけはまさりしも、
親は刃(やいば)をにぎらせて 人を殺せとをしへしや、
人を殺して死ねよとて 二十四までをそだてしや。

堺(さかひ)の街のあきびとの 舊家(きうか)をほこるあるじにて
親の名を繼ぐ君なれば、 君死にたまふことなかれ、
旅順の城はほろぶとも、 ほろびずとても、何事ぞ、
君は知らじな、あきびとの 家のおきてに無かりけり。

君死にたまふことなかれ、 すめらみことは、戰ひに
おほみづからは出でまさね、 かたみに人の血を流し、
獸(けもの)の道に死ねよとは、 死ぬるを人のほまれとは、
大みこゝろの深ければ もとよりいかで思(おぼ)されむ。

あゝをとうとよ、戰ひに 君死にたまふことなかれ、
すぎにし秋を父ぎみに おくれたまへる母ぎみは、
なげきの中に、いたましく わが子を召され、家を守(も)り、
安(やす)しと聞ける大御代も 母のしら髮はまさりぬる。

暖簾(のれん)のかげに伏して泣く あえかにわかき新妻(にひづま)を、
君わするるや、思へるや、 十月(とつき)も添はでわかれたる
少女ごころを思ひみよ、 この世ひとりの君ならで
あゝまた誰をたのむべき、 君死にたまふことなかれ。

与謝野晶子については何も知らないのでネットを少し歩いてみたら、反戦は日露戦争
のときまでで、その後は非反戦的とのことなのです。また晩年にはキリスト教の洗礼を
受けたということなので驚いています。いろいろ知っている方は教えてください。

佐川局長の答弁を見ていて想い出すもう一つのことがあります。
昔仕事のなかで、生活保護の方に市役所の担当者からの伝言を伝えることがあったの
です。そしてそのことをHさんに伝えた時に、とてつもなく冷静に、でも断固とした
表情でHさんからお叱りを受けたことがあったのです。
叱られた理由は、午前中に受けた伝言を午後も遅い時間に伝えることになってしまった
からです。伝言の内容に緊急性がないと、かってに判断してしまったぼくのミスであった
ことは明らかでした。そこで、ぼくはもちろんひたすらお詫びを繰り返したのです。
でも、「これから気をつけなさい」という言葉をさいごまで、頂くことができなかったわけです。

ぼくはそのときのHさんの表情を、忘れることはできないわけです。
佐川局長のああした無意味な、いい加減な答弁を見聞きするなかで、ぼくはこのHさんの
表情とそのときのHさんとのやり取りを思い出してしまうのです。悪いのは、Hさんではなく
ぼくでの方であったことは確かなことです。でも、そこで、意志の疎通がまったく成りたたな
かったわけです。Hさんの眼光鋭いまなざしの中で、ぼくはただなんども繰り返してお詫び
することしかできなかった。
 
そして、それからもう一つのことがらを思い出さざるを得ないのです。
それは、東大教授(経済学)の安富歩さんが著書『原発危機と東大話法』で言われてい
ることです。もし、安富さんについて初めてで興味のある方は、ウイキの記事を読まれると
ともに、ユーチューブに講演などがたくさんアップされています。女装趣味も興味を引かれます。

今、検索したら、安富さんは上記の本の続編として『幻影からの脱出―原発危機と東大話法
を越えて
』ー明石書店 2012/7/19ーや、その他とかも書かれていますね。

佐川局長は東大(経済)の出身です。上級職に合格して大蔵省入省。30歳で高山税務署の
署長をされたエリート(キャリア)のわけです。そして、佐川さんの答弁を見聞きしていて痛切に
感じさせられることは、安富さんがその著書の中で言われていることが、そっくりそのまま佐川
局長にも当てはまってしまうように思えてしまうのです。佐川理財局長ウイキペディア

安富さんの本については、アマゾンの紹介サイトを上欄にリンクしておいたので、お気が向い
たらお読みください。『原発危機ー』のサブタイトルは「傍観者の論理・欺瞞の言語」です。
下記の規則のような思考方法が、東大話法としての特徴であるとも言われています。上記
アマゾンの著書紹介の カスタマーレビュー(玉石混淆)や、興味のある方はネット検索で
安富さんの所論のあらすじが読みとれると思います。

東大話法というのは東大関係者にかぎったことではなく、官僚答弁についてよく言われる「霞が
関言語」といった、誰であっても立場主義100%の幻惑的言語について言われていると思います。
幻惑的というより、眩惑的というほうが妥当するのかもしれません。またいわゆる“偏差値”は高い
ほうがいいわけです。でもそのせっかくの優秀な頭脳の正格さを、「不正」「不善」「不義」のために
使ってしまっては、初心志したはずの「正義」が泣いてしまうとおもうのです。 

たとえば、「東大話法規則一覧」ということで、20ほどの規則を列挙されています。
(佐川局長の答弁を見聞きしていると、まさに下記の規則が当てはまってしまうのではないかと)
規則1 自分の信念ではなく、自分の立場に合わせた思考を採用する。
規則2 自分の立場の都合のよいように相手の話を解釈する。
規則3 都合の悪いことは無視し、都合のよいことだけ返事をする。
    (規則は20まで続きます)

安冨歩さん「マイケル・ジャクソンの思想」トークショー(上)(ユーチューブ)

いま読み返してみて、このまま投稿をしてもいいものなのか少し迷うところです。まあ漫語放言と
断り書きをしているわけですからですね。でも、ひと昔前だったらこのようなもの言いであっても、
もしかしたら非国民だとして非難や訴追の対象になってしまうのかもしれません。
吉本隆明さんの『共同幻想論』の解説本をよむなりして、本質的な問題はどういうことなのかと
いったところから……

         


つつじの花が満開です!

2017-05-05 23:45:52 | 日記

この家の玄関の扉をあけると、目のまえに満開のつつじが咲いています。
昨日、朝のおそい時間に、寝ぼけまなこでドアをあけたとき、ハッとしました。
そのとき、その日の風のつよさが気になったので、玄関窓のうす明かりだけ
でドアをあけてみたのです。そうしたら、目の前がとつぜんパアーと明るくなって……。
もちろん、「きょうはテニスができるかな」と、気になったからでした。 

前の投稿がいつだったのか、完全に忘れてしまいました。
ブログの日付をみて暦をたどってみれば、すこしは思いだすはずです。
あれからお花見があって、それから、なにがあったのかなかったのか。

太宰治だったら、「……ただ、いっさいは過ぎていきます。自分が今まで阿鼻叫喚で
生きてきた、いわゆる人間の世界において、たった一つ、真理らしく思われたのは、
それだけでした」、とでもいうのでしょうか。 

しかし、「憲法記念日」がすぎて、きょうは「子どもの日」でした。
残る連休も、あすとあさってだけになってしまいました。
といっても、ぼくの毎日は、あすもあさってもずっと連休つづきなのですが……。

しかし、「……世の中にある人と栖と、またかくのごとし」、と古人は言っていますけど、
この世の中の動きのあわただしさはどうしたものかと。とにかく嘆息もどきでしかない
わけです。ぼくも毎日のニュースを見聞きし、いくつかのツイッターやブログによって
みたりして、世のなかの動向を気にしているわけです。そこで思うことは、このグループ
のメンバーだったら、おおかたのところ同じような見方をしているのではないかと。

ひさしぶりにこうして書いてみると、なんだか書くのが億劫ですね。でもこの億劫という
言葉もしっくりしないので辞書を引いてみたら、仏教用語「億劫(おっこう)」からきた言葉
で、極めて長い時間を意味することばなのだそうです。
また、これからときどき、勝手なことを書かせていただこうかと思います。 

昨日でしたか、有斐閣から無料の『書斎の窓』2017年5月号の配信がありました。
そのなかで、6月刊行予定ということで、下記の案内がありました。
援助関係論入門 -- 「人と人との」関係性』稲沢公一著
<人は,人を助けなければならないのか?有斐閣アルマ > Basic>

稲沢先生の書かれたもので単行本以外では、博士論文も含めてその殆どが、下記の
ブログに収録されているようにおもうのですが。どうでしょうか。
『雑 筆 蔵』(ZAPPITSUZO)へようこそ。」
ここに収められている、上記有斐閣の広告誌『書斎の窓』に連載された
「思想としての援助」「続・思想としての援助」、計10回の論文は、もう一度ならず
読み返してみたいと思っています。

あと、共著の『援助するということ』の中の、「援助者は『友人』たりうるのか」が
ぼくにとっては格別興味をひかれる論文です。この本をもっているときにコピー
をしておいたのが、どこかに紛れ込んでしまっています。でも図書館にもあるので、
読み返してみます。マルチン・ブーバーとカール・ロジャーズの対談を下敷きにした、
2人の援助論の根元的な差異についてはこんどは前よりも理解できそうな気がし
ています。もちろん、2人についての解釈・批評をする先生の立ち位置について、
その根っこのありかのようなことごとについて、教えを乞いたいというわけです。

いずれにしても、稲沢先生の、思想という全体状況を踏まえた仏教からのアプローチ
には、その根源的なことごとについてその道筋をお聞きしたいわけです。
しかし、上記の『援助するということ』は家内で行方不明なので買ってみようかとアマゾンで
みたら、平均価格が四千円でした。有斐閣に改訂・増刷とかを問い合わせてみましょう。