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安保法案 国会周辺で最大規模の反対集会!

2015-08-31 00:29:44 | 日記

2015年8月30日(日)
「安保法案 国会周辺での反対集会」に参加してきました。
しかし、こうした投稿を2回も続けてしまいますが、いいのかなあ?とも思うのです 
テニス仲間のブログに「つぶやき」というコーナーもあっていろいろな思いを書いて
いいわけですが、テニスに関係したこと以外はほとんど書くことはないのです。

でも、数か月前の朝日紙の声欄に、以下のような「声」があり興味をもちました。。
ゲートボールのチームに所属している方の「声」なのです。うろ覚えの内容なのですが。
その方は、ゲートボールのステックなどを入れるカバンに「安保法制反対」などと書い
たステッカーをつけておいたところ、数人のメンバーからステッカーを取って欲しいと
言われたらしいのです。
その理由としては、メンバーのなかにはいろいろな意見の持主がいるのだら、政治的
な発言は控えて欲しいということなのだそうです。

その方は、結局、そのクラブをやめたらしいのです。
細かいことは忘れてしまったのですが、でも何だか複雑な気持ちになりました。
政治的な発言もどきと言っても、クラブ内のメンバーに言葉や態度で自分の政治的
な主張を押しつけようとしたわけではないわけです。 自分のカバンに政治的な主張
を取りつけただけなのでした。

たったそれだけなのに、クラブの責任者たちはクラブ内での個人の自由を逸脱して
いる政治的な主張であるというように判断して、そのステッカーを外してほしいという
わけです。 
こうした出来事を知ると、なんだか、空恐ろしい気持になるのです。なんだかひと昔
前の記録映画や、戦時中の国内の人びとの精神の在り様を描いた映画の一コマを
想いだしたりするのです。~ 明日のために寝なければいけないので、明日追記します

写真は、2015年8月30日、国会正面での集会です。
NHKがネット速報(ニュースweb)で、集会の状況を報道しています。 
集会は30日午後2時ごろから国会周辺で開かれ、主催者の発表でおよそ12万人、
警視庁の調べで3万人余りが集まり、これまでで最も規模の大きなものとなりました」
記事と一緒に、1分35秒のニュース映像もアップしてくださっています。

14時頃に有楽町駅に着いて、晴海通りを警視庁に向かって進みました。
警視庁をすぎて50m進むと、正面に国家議事堂がみえてきます。

 ~~追記します

 

 


2015年の8月も、残すところ2日です。

2015-08-27 12:53:58 | 日記

合宿の件ですがコメントも書かずに失礼しました。
今年は、皆さんへのご案内が遅れてしまったせいもあって、現在の参加者は6~7名です。
部屋は10畳間が2部屋ですので、まだ余裕はあります。もしも、きゅうに参加が可能にな
った方がいましたら、ぜひお声かけください。2日くらい前になってからでも間に合います。
と言っても、ほとんどの方々は、このブログのことをお忘れになっているわけですね 

明日は、といっても本日になってしまったのですが、国会に行きます。
 『8/30 戦争法案に反対する国会前抗議行動』への参加です。
国会の周辺では、毎日途切れることなく、いろいろな人々が集まって抗議行動をしています。
でも、明日の集会は多分、最近では一番大きな抗議行動になるのだと思います。
また今回も、Dさんと一緒にと思っていたら、奥様と一緒に帰省されている最中でした。

内田樹さんのブログに、SEALDs(シールズ)という学生団体による関西集会での、内田さんの
メッセージがアップされていました。そのスピーチがユーチューブにもにもありました(後記)。
お気が向いたらご視聴ください。

シールズのHPには、「SEALDs(シールズ:Students Emergency Action for Liberal 
Democracy-s)は、自由で民主的な日本を守るための、学生による緊急アクションです。
担い手は10代から20代前半の若い世代です。私たちは思考し、そして行動します」

内田さんのブログに掲載された文章と集会でのスピーチ
このユーチューブの内田さんのスピーチの後には、シールズ主催の国会前での集会の様子
と、そこでの白井聡さんのスピーチがアップされています。

以下、上記内田さんの文章の抜書きです。

8月23日(日)15:30から京都円山公園で開催されたSEALDs KANSAIの集会で
「安全保障関連法案に反対する学者の会」を代表して連帯の挨拶を述べた。

SEALDsのみなさんのスピーチを聴いて、僕が感じたのは、この人たちはどんな局面
でも、どんな人を相手にしても、今ここで言った言葉をそのままきちんと繰り返すことが
できるだろうということです。それは彼らにとっての「自然な言葉」「深く身体の中にしみ
こんだ言葉」「身体の奥底からにじみ出てくる言葉」だからです。
そのような言葉づかいで戦後日本の平和主義と立憲デモクラシーを擁護し、顕彰する
言葉が語られる時代が来たことを、日本人のひとりとしてほんとうにうれしく思います。

僕が知る限り、過去にこれほど大きな規模の、国民的な政府への異議申し立ての運動
が、いかなる既成の政治勢力や政治組織とも無関係に、自発的に、自分たちの手作り
で、無名の学生たちがひとりひとりの個人的な発意に基づいて、文字通り「身銭を切って」
創り出したことはありません。戦後70年をふりかえっても、このような運動のかたちはは
じめてのことではないかと思います。

今日この場に参加したすべてのみなさんが、あと何年かしたあと、「2015年の夏に、
日本は決定的な岐路にたっていた。そのとき、私は歴史の方向を変える運動に身を
以て参加していた」と誇りを持って回想できることを願っています。

今、30日の朝です。この日曜日の朝早くに配信された孫崎享さんの有料メルマガ(108円)
の記事が気になったので、ここにアップします。(この記事の最後尾に記載)
朝日新聞の朝刊をまだ読んでいないのですが、何たることか、と思います。
常々思っていることですけど、朝日紙の「社説」や「声欄」、「耕論」とか「社説余滴」といった
記事は、株式欄などの後ろに隠された様に書かれているのです。他の新聞はどうなっている
のか見てみたいと思いますけど、でも、どうしてそうなのかなと、いつも思うことです。 
たしか、産経や読売紙などは、4面くらいにはあったように思います。 朝日は16面といった
、新聞紙の奥深くに密かに秘かに埋蔵品のように……。

確かなことはわかりませんけど、社説というのは、その新聞社の主張ではなかったのかな~。
いま、『精選版 日本国語大辞典』をみてみると、社説とは「①新聞、雑誌などが、その社の
責任において表明する意見や主張」とあります。 広辞苑も同じですね。
そのうち、忘れなかったら、朝日紙に聞いてみることにします 孫崎享さんのメルマガ記事

 


合宿のお知らせありがとうございます。

2015-08-17 16:50:07 | 日記

合宿の手配、お知らせありがとうございます。

幹事さんは本当に大変ですので、皆様のご理解とご参加をお願い申し上げます。

9月の第一土曜日と決めてしまうのもひとつの方法ですね。

去年はNさんにお世話になり、福島でしたね。早いもので、もう1年です。

福島の現状を見れば、再稼働はあり得ないのではないかと思うのですが、そのあたりの御意見もNさんのお伺いしたいものです。


きょうは旧盆の迎え日だそうです!

2015-08-13 23:21:27 | 日記

  
このところ少し涼しくなっています。
でも、来週から、また暑くなるらしいですね。

ところで、恒例の合宿なのですが、結局、なんと大磯にきめました。
探しはじめたのが遅かったので、皆さまにはご迷惑をおかけしてしまいま
した。探し始めてからは胃が重くなってしまったのですが、とにかく、幹事役
は失格です。ほんとうにお詫びの言葉もありません。 
今回は、泊まりではなく飲み会方式でとも思ったのですが、とりあえずご案
内をさせていただいた次第です。
合宿の詳細については、送信させていただいたメールでご確認ください。 
ご無理をなさらずに、気が向いたらご参加ください。

ぼくにとって大磯は、東海道の通過点といったイメージがあります。
子どものころから時どき目や耳にした旧吉田茂邸は、火災で消失した後、
大磯町が再建案を煮詰めている段階のようです。
お天気次第では、大磯の海岸を散策したり、眺望がよいハイキングコース
がいくつかあるようなので、検討してみたいとも思います。 

  大磯海岸

5日前に投稿した記事を、プリントアウトして読み直してみました。
そうしましたら、なんだか前後の脈略もないような説明がいくつかあった
のでした。とにかく、いつものことですけど、文章を書くということについて
添削とか基礎的な教育を受けていません。それで、行きあたりばったりで
ぶっつけ本番といった、勘を頼りの文章しか書けないのでしかたありません。
ほんとうは、中学生くらいからの国語の現代文や文章作成といった、授業
で身につけなければいけなかった基本があるわけなのでしょう。
いま、多少の時間があるのだから学習をしなさい!という次第なのです

しかし、この事件について、『文藝春秋』5月号の記事、「神戸少年A家裁
審判『決定(判決)』全文公表」などを読んだりしたのです。
記事の全文がアップされていますのでお時間のある方はぜひ。共同通
信編集委員の解説も冒頭にあります。また審判の判決文になかには、
鑑定書の一部も引用されています。)

この記事を読むなかで、この事件について早急な判断はしないほうがよい
のではないかと思えてきました。この事件について、出来る限り客観的に
そして正確に判断するためには(自分の考えをまとめるためには)、事件
に関連する著作物などの全てを読むことをしないといけないのではないか
と、いまは思えてきています。

この事件全体を真剣に考えるためには、というか考えることができるため
には、厖大な資料としての、人類の遺産としての書物を幅広く読みこむこ
とが必要とされるわけです(百科全書的とは違う意味でなんですけどね)。
そして、この世界と人間の全体状況について、力仕事として、自分の頭で
考え抜こうとするエネルギーと知力・体力をもったひとの研鑽に期待するし
かないように、おもえることでもあるのです(ソウル・ハート・マインド・スピリット
そうした過程のなかではじめて、この事件を真に総括するための、ある見
通しが可能になる可能性が開かれてくるのではないかと……。
しかし、こう書くと、どうにも大げさすぎて、いったい君はなにを言おうとして
いるのか意味不明だね、といわれてもしかたないですね。

以前に書いたぼくの投稿記事は、あまりにも即断的で事実経過を踏まえる
のに安易な点がたくさんあったとおもいます。ぼくの思いの基本的な枠組み
は変わらなくても、Aさんの医療的側面とか、関係するすべてのご家族の
かんがえ方とかおもいについて、また医療少年院でのAさんと関係者との
関わり方とか、事件とその後のことごとについて、関係する周辺的な情報
も踏まえて考えないといけないような気がしてきました。

この事件は、ぼくが考えようとするには全く荷が重すぎるということになり
ます。そもそもは、『絶歌』の感想を書こうと思っていたわけですが、感想と
いっても事件の内容があまりにも過酷で考えなければいけないと思えるこ
とが多岐にわたることなので、安易にまとめるのはとっても無理だねとい
うことになってしまいます。いまは、とりあえずこのように感じてはいるけれ
ども、でも、事柄が難しすぎて感想以前の乾燥じょうたいとしか

そのうち、アマゾンのカスタマーレビューをのぞき見してみたいと思います。 
そしてこれから、WIKIの記事神戸連続児童殺傷事件」の全文を読んで
みるつもりです。事件の概要を理解するのにはよいのではないかと思って
います。この記事を印刷したら、A4で28ページになります。もっとも、脚注
の参照はPCでしかできませんが。 

また、このWIKIの記事をプリントアウトするには(ぼくのプリンタ-・キャノンでは) 
PDFにしてからの印刷でないと、印刷文字が極小になって、年寄りでは
読むのがむずかしくなってしまいましたのです。印刷文字の大きさを変える
のはどうしたらいいのでしょうか?キャノンに問い合わせるしかないのかもしれ
ませんけど、印刷の設定でぼくなどができることは、ほんとうに限られてい
るのです。 

 今日は、旧盆の迎えの日です
むかし、子どもの頃は、お祖母ちゃんやきょうだいとご先祖様を迎えにいった
ものです。浴衣を着て提灯を手にして、そしてお線香をもっていったのでした。
若くにして夫を病気で亡くしてしまった祖母は、苦労の多かった人生だったと
おもうのです。 いまごろどうしているのやら……。
たぶん、きっと、どこかの草葉のかげで笑っているような気がするのです。
「Hよ、ホントーにこまったものだね~

 


『絶歌』の感想もどきを!

2015-08-08 10:25:52 | 日記


毎日、ほんとうに暑いですね。
あい変らずテニスをしています。でも、2時間と少しを休みながらなのです。
1L入りの冷蔵ボトルを2本もっていきます。だいたい飲みほしてしまいます。
こうした気温の状態が続いていると参加者が少ないのです。今日は午後の
2時半からはコートを3面取ってある日なのですが、参加者はmax13名。

+女子の参加者が少ないのです。参加する女子は、みなさん烏天狗のような
顔を覆うマスクもどきをしてプレーをしています。すべて手作りなのです。
ぼくなどは、AEDのお世話になってはいけないので、無理をしないという
ことを第一原則にしています。

昨日配信の、孫崎享さんの(108円/月額)メルマガを読んでいたら、とても
気になる記事だったので、自分のツイッターにスクラップしておくだけではなく
、ここに投稿しておきたいとおもいます。

読む時間があって、気になるようでしたらぜひともお読みください。
配信記事では、『週刊朝日』に書かれている、創価学会員の間で安保法制に
たいする反論が拡がっているという記事が紹介されています。
孫崎さんのメルマガですけど、書き方はだいたいきまっているのです。まず
検討課題があり、それに対して、A・事実関係、そして、B・評価となっていま
す。もちろん、なにごとかについての紹介や簡単なコメントだけという場合も
あります。
この「安保法制にたいする創価学会と公明党の動き」のメルマガ記事は二の
次にして、まず、下記の配信記事をお読みいただけたらと思うのですが。 

「今回の安保関連法案の是非について考えるとき、日本の文脈だけで考えて
いては見えてこないものがあるのではないか、と思っていた。外務省の元
国際情報局長で、米、英国、イランなど、世界を様々な視点から見てきた
孫崎氏に、国際的な文脈を踏まえての視点を聞いてみたかった」
以下はその一問一答である。論旨を明確にするため、言葉を整理した部分
がある。
(取材日 7月10日、小林恭子)

[安保関連法案]「反対の声が将来に歯止めをかける」孫崎享氏に聞く」
(ハフィントンポスト)
この記事の元ネタは、小林恭子さんのブログ(英国在住で元「英字読売」
記者)
孫崎さんのこうしたまとめ方について、政治・経済・軍事など関連する学者
や評論家のコメントを聞いてみたいものです。 

それから、今話題になっている『絶歌』ー神戸連続児童殺傷事件ー
元少年A、太田出版、について感想を書こうと思っているのですけど、
難しい問題なのでとても僕の手には負えず、頭がまわらない状態です。
それでも、実は、少しばかり考えようとはしているのです。

そうしたなかで、ドストエフスキーの『カラマゾフノ兄弟』の中の気になる
個所を読んでみたくなったのです。
そしてほんとうに久しぶりに、拾い読みをしてみましたのです。
第5編「肯定と否定」第4反逆。
ドストエフスキーは、神と人間、死と生、愛と救済、罪と罰、国家と社会とい
った人間の究極的な問題を鋭くついきゅうします。
この個所は、無垢な子供にたいする大人の側からの虐待を許せるのか。
そのようなことを見逃す神を許せるのか、といった兄弟による神と信仰に
関する論争が中心になっている場面。この部分であったかどうかは忘れ
たのですが、「神がいなければ、全てが許される」というセリフは有名。       

米川正夫さんの訳でS40年の20版で390円。なんとも懐かしいのです。
読んでみたいと思ったところが、赤と青の2色鉛筆(今でも発売?)の棒線
が、あちこちのページに目一杯ひかれているのでびっくり。
そもそも、鉛筆の芯を削らずにひいているので活字が読みにくいのです。
しかし、そんなことごとはまったく余計なことです。
なぜ、ドストエフスキーでしかも『カラマゾフの兄弟』なのか……

実は、あの『絶歌』を読んだ後に、被害少年の父親、土師守さんが書かれ
た『淳』、新潮社、2002年、と加害少年の両親が書かれた『 「少年A」 こ
の子を生んで……』ー父と母 悔恨の手記ー文藝春秋、2001年、
土師守さんとノンフィクションライターの本田信一郎さんが書いた
『淳それから』新潮社2005年、を読んでみたのです。

上記3人の関係者が書いたそれぞれの本を読んだあとでは、自分の感想
をまとめたいと思っても、それまでの安易な理解のしかたやいいかげんな
気持ちだけではすまされなくなってしまったのです。
また、自分は子どももいないし、だから当然子育ての経験もなく、世間的
な評価からしたら例外者の部類に入るわけです。
ですから、大切に育ててきた愛するわが子をあのような形で殺された親
の気持ちというものを心底から想像することもできないわけです。

Aさんが書いた本を読んだ後まででは、土師守さんは医師をされているの
だし、どんなに凶悪な犯罪ではあっても、また少年法の立法の趣旨から考
えても、Aさんという少年の犯罪にたいして少し厳しすぎる見方をされてい
るのではないかという感想を、ぼくはもっていたとおもうのです。
土師さんは、出版社にたいして出版の差し止めを要求していたということ
も、僕は知っていました。 

土師医師は、もう少し客観的になることはできないものなのか。
また、人間が生きているということ、人間の存在に伴うリスクというのは、
臨戦態勢下の限界状況におかれた人間と同じであるという認識が必要
なのではないかといった感想をもっていたこともたしかでした。

しかし事実としては、A少年の犯罪は、通常の神経の持ち主であったなら
ば起こしえないような、信じがたい猟奇的で悪質な犯罪であることは間違
いないわけです。

そのころ、一番はじめに思ったことは、こうした少年によるこうした犯罪は、
その個別少年の問題だけでは済まされる問題ではないのではないかと
いうことでした。その少年についての個別的なことがらはともかく、問題の
の根底にあるのは、人類、人間の存在の始原と共にある問題、課題なの
ではないか、という僕の思いなのでした。

それは、人間の意識の始まりに関係したことでもあるし、また遺伝子レ
ベルでの変容という人類・人間がその自然過程であらしめられてしまっ
た事態にもかんけいしていることなのではないか。その、ゲノムのある
部分の傾きとか濃淡とかといった(科学的な現象としてはあり得ない
のでしょうけど)、ともかく、イメージとしてはそのような遺伝子の変異
の過程で人のこころの世界のどこかに関係する遺伝子に陰りみたい
なものができてしまったのではないか、などといった感想をもつのです。

つまり、ひとりの個人・個体にだけ責任を負わせることはできないので
はないか、といった側面があるのではないか。だれであっても、同じよ
うな立場になりうる可能性がある、ということなのです。
つまり、誰であっても、そうした事件の加害者にも被害者にもなりうる可
能性があるのは確かなことである、と思うのです。

犯罪学というのは聞いたことがありますが、犯罪史という分野もあるの
だと思います。ひもとけば、人類の歴史とはとほうもない残酷な歴史、
犯罪史の連続であると思うのです。その事件を知ったときに、またA
さんの本をよんだ後に思い浮かんだ本がありました。

V・フランクルの『夜と霧』、ドストエフスキーの『罪と罰』、『カラマゾフの
兄弟』、遠藤周作の『海と毒薬』などでした。ドストエフスキーの小説は
ともかく、フランクルや遠藤さんの本は実話であるわけです。そこでの
出来事は、まさに人類が犯した最近の犯罪の一コマでしかないわけ
です。この暑い夏の季節に、人類・人間がなした広島、長崎の原爆投下
にしても、人類・人間の、問題・課題を象徴する犯罪行為であるというこ
とをおわざるをえないわけです。

今、「人類、犯罪」をネットで検索したら、
「まったく歴史とは、そのほとんどが人類の犯罪、愚行、不運の登記簿
にほかならない」というギボン(1737)という歴史家の言葉がありました。
例えば、戦国時代に出世をするためには、戦場で敵方の大将の首を刎
ねて味方の大将のもとにぶら下げてもっていくのが一番であったという
、そうしたことがその時代では普通のことというか、善であるとは言わな
いまでも、少なくとも「よくやった」と誉められたことがらであったわけでし
ょう。

ここでぼくは、どうにかしてAさんの犯罪は、Aさんだけがわるいわけで
はないのだといった、Aさんをかばうための方途を考えようとしている
のでしょうか。 
きみの想像力や考え方はおかしいよ、という声も聞こえてくるわけです。
加害者によって殺されたときの被害者の叫び声をもっと真剣に、適当と
かいいかげんにではなく、被害者のぬぐえきれない涙の重さをかんがえ
てみなさい。 そのときの被害者の恐怖する心を想像することは不可能
なはずだ。それなのに君は!

でもぼくはここで、吉本隆明さんの親鸞を語る言葉を思い起こすのです。 
「往相」の課題としては喫緊の課題を、「還相」の課題としては永続的な
課題をかんがえることが必須なのだと。そうした枠組みでしか解決への
道筋というか、救済とか倫理という問題を考えるためにはそういう方途を
設定する以外にはないのではないかと。
「往相」というのは往きの言葉であって、この世間を支配している倫理や
価値観などのこと。「還相」というのは還リ道のことばであって、この世界
の価値や倫理を相対化する視線を含んだ道筋のことば。
じゃあ、往くというのはどこへ行くことなのか、還るというのはどこからど
こへという道筋なのか。そして、どういう意味があるのか。 

親鸞のかんがえる往相というのは、衆生の苦悩の救済にかかわること
であって浄土へ往く道筋のことらしいのです。また還相というのはこの
世の衆生の救済にかかわることであっても、浄土を経由して透過視線
というか、世界視線を手中にしたようなというといいかげんな表現かも
しれませんけど、この世界の事象を認識する際に、人間の理解の次元
を超えた別の視線から捉えなおすことが可能となる道筋のことのよう
なのですが。
でも、ここで浄土などという言葉が突然出てくると、ようするに宗教なの
だねということになるのかもしれません。でも親鸞が生きた時代にあっ
ては、哲学も倫理学も社会科学といった学問もなかった時代なのだと
おもうのです。その時代の仏教の位置づけというのは、現代のそれと
はまったく異なっていたことは確かであったはずです。
そしてまた、親鸞が生きた頃の時代背景も問題になるとおもうのです。

「貴族社会から武家による統治へと政権が移り、政治・経済・社会の劇的
な構造変化が起こった。また、戦乱・飢饉・地震により、洛中も荒廃した」

方丈記では、市中に遺体があふれていたことが記されている。
旱魃、大風、洪水が続いて作物が実らず、朝廷は様々な加持祈祷を試
みたが甲斐なく、諸物価は高騰し、さらに翌年には疫病が人々を襲った。
仁和寺の隆暁法印が無数の餓死者が出たことを悲しみ、行き交うごとに
死者の額に「阿」の字を書いて結縁し、その数を数えたところ、養和二年
四月・五月の左京だけで、42300余人に達したという。
」(姜尚中さん)

でも、でも、だからどうしたのだ、ということにもなりそうですね
興味をもたれたら、正確なところは、吉本さんに直接お聞きください。 

つまり、A少年の問題は、喫緊の課題としては解決できない種類の問
題なのではないのか。 それは永続的な問題であり課題でしかありえ
ず、人類と人間の永遠の問題なのだと。
そしてまたぼくは、キリスト教の罪という概念をおもうのです。
ぼくにとっては、キリスト教でいう、例えばカール・バルトなどのいう
”人間の罪”という概念にこころがひかれる点があります。
バルトの本はたくさん翻訳されていますので

また、吉本さんは晩年に「存在倫理」ということばを言っているのです。
オーム真理教による無差別テロ事件。その6年後のアメリカ・ニューヨ
ークでの世界貿易センター自爆テロ事件をかんがえる過程で、吉本
さんが構想し提出した概念のようなのです。

「……社会倫理でもいいし、個人倫理でもいいし、国家的なものの倫
理でも、民族的な倫理でも、何でもいいんですけれども、そういうもの
のほかに、人間が存在すること自体が倫理を喚起するものなんだよ、
という意味合いの倫理、『存在倫理』という言葉を使うとすれば、そう
いうのがまた全然別にあると考えます。……」
(「存在について」『群像』2002年1月号) 

なんだかよくわからないことばかりを、とにかく、書いてしまいました。
いま読み直してみて、書き足りないことがたくさんあります。
被害者である淳くんのご家族というのは、ほんとうに自分にとってまっ
たく想像できないような心温かい4人家族であったんですよね。
本を読んで涙をこぼしてしまうといったことはめったにないことなの
です。でも、この淳くんの父上である土師医師が書いた本をよんで、
感動している自分があったということなのでした。

A少年のご両親についても、ほんとうに言葉がありません。時間があ
ったら是非とも、この本を読んでみてください。淳くんの父上の本には
このAさんのご両親とのかんけいについても書かれている個所があり
ます。土師さんが共著で書かれている本にはAくんとご両親にたいす
る率直な意見を述べられているところもあります。ノンフィクションライ
ターの本田さんを通して、父上の気持ちを書かれている部分も。

『絶歌』の出版は許される範囲のことがらだと思うのです。そして、だれ
でもが読んだ方が良い本であるとおもうのです。 そしてこの本と共に、
ぼくが読んだ3冊の関連する本も読むとよいとおもわずにはいられま
せん。この書物を通して、人間とは?といったことごとを考えさせられ
てしまうのです。

書き足しをしてるのですが、A少年の審判の過程で、精神鑑定を務め
たのは中井久夫先生だったそうなのでびっくりしました。
中井先生はよいお弟子さんをたくさん育てた方だし、ぼくも分らないな
がら、そのお考えについてですけど、でも好きな方なのです。
鑑定書などもぜひ読んでみたいと思っています。審判を務めた裁判官
も興味をひかれる方です。

それから、『文藝春秋』の8月号の巻頭言で書かれている立花隆さん
の「少年Aよりも」という文章には、まったく100%がっかりしました。
ぼくががっかりしてもあまり意味はないわけですけど、でもしかし、
あの立花先生がどうしてこういった文章を書かれてしまうのだろうか?
ということを痛切に思ってしまいました。

立花さんは編集部から書くかと問われた際、
「……私はノーと答えた。あの本にたいする私の評価はゼロである。
……読んでいて不快だった。一読ナンジャコレハとあきれる文章が多
く、この少年は病気が治っていないのでは(?)とすら思った。……
……もともと少年Aは、悪くない頭を持ち一般の少年以上の内省力と
文章力をも持っていたのに、少年院生活を続けたら、それがともに
一般水準以下に以下になってしまったのだ。なんのための少年院
だったのかと言いたい……」 

立花さんのピントとぼくのピントが、たんに合っていないだけなのか
もしれません。だから、ぼくのピントからしたら、立花先生、ピンボケ
ではありませんか?ということになるのだと思います。
ぼくには、あの立花さんがなぜ、という思いが強くあるわけです。 

思いだしたので書き足しなのですけど、立花さんは、どの本でだった
忘れましたけど、フロイトやユングについて興味をもたれることはなく、
どちらかというとお好きではない、ということを言われていたとおも
います。上記、巻頭随筆での立花さんの言われていることは、この
フロイトやユングにほとんど興味をもたれることがない立花さんの
人としての資質からきていることなのかなと思ったりするのです。

書棚をみると、ほとんど読んではいないのですけど、その問題意
識に共鳴して何冊ものご著書を買わせていただきました。臨死問
題については立花さんが一番的に頼りになります。
科学の諸分野の問題についても、素人が知ろうとした場合には頼
りになるのではないかと思うのですが。

でも今、WIKIうを検索したら立花さんにたいしていろいろな意見が
あるようです。上杉隆さんが、立花さんの取材方法のずさんさを批
判しているという記事を読んでびっくりします。ことの真偽は分りませ
んけど、政治家について書く場合には、当事者や周辺にたいする取
材がな必須なことは僕でも分ります。

でももしかしたら、立花さんの情報収集は、出版社経由のスタッフを
使って取材するので、目立たなかっただけなのかもしれませんよね。
しかし、wikiを読んでみて知ったことは、立花さん牧師の子どもさん
かと思っていたのですが、母上がキリスト者であったということでした。

今は、目が覚めて書き足しの朝、になっています。
今日も暑くなりそうです。 

 

 


暑中お見舞い申し上げます。

2015-08-02 21:31:26 | 日記

暑い日が続きます。

暑い日に熱い活動をされている方、熱中症にお気をつけて。

メディアを賑わせている安保法制。あくまで推測ですが、日本の少子高齢化の状況からみて徴兵制は無理でしょう。

では、現政権は一体何を考えているのか・・戦争は太平洋戦争時代とは様変わりしています。

将来の戦争は、ロボットが戦い、その操作はすべて自宅で遠隔操作が可能で、ゲーム感覚に近くなり、「戦地にいかずに国防に貢献でき、生活が成り立つなら」という考え方の人達を納得させることができる。その点ゲーム大国日本は潜在力はすごいです。

文系不要、理系重視は、哲学・倫理なき開発を促進し、広い意味での兵器産業に参画する。

SF小説のようですが、ありえないともいえない、と思っています。

でも、そうなると先の大戦よりもっと悲惨な末路が待っているような気がします。

お金の使い道、間違ってません?争いのおおかたの源は貧困にあることをお忘れなく。



7.31国会前集会にDさんと参加しました。

2015-08-01 22:18:25 | 日記

写真は、集会の本部といえる場所です。左側は夜の国会議事堂です。
車道寄りには、報道陣のカメラがずらっと並んでいます。右側にはマイクを握った学生さんたちが入れ
替わりでシュプレヒコールを叫んでいます。 集会の参加者への案内なども、学生さんが中心になって
やっていました。 

学生・学者 国会前でデモ」朝日新聞、8月1日朝刊
 7月31日(金曜日)、Dさんと二人で国会まえの集会に参加してきました。
国会前の、警視庁から国会正面に通じる道路は、片側5車線、両側で10車線あります。
集会は、その道路に面した両側の歩道でおこなわれました。 
機動隊の規制は厳しく、集会は歩道内に限定です。機動隊の装甲車両は歩道に面した道路
にとめているのです。ズラッと、結構な車列なのです。まあそれはいいわけですけど、しかし
集会の参加者がたくさんで、時間の経過とともに新たな参加者がまえに進むことができない
状況になってしまいました。 

ぼくたちは少し早めに着いたのですが、すこし動こうとしても10メートル動くのも大変な状況
になってしまったわけです。機動隊員に、この状況はどうにも危ないので、装甲車両の脇の
部分を開放すればいいのではといっても、隊員は、そこは車道ですからとの返事。
指揮官レベルの隊員が二人の部下をつれて、規制の枠組みを決めていたようにみえました。
でも、事前に決めていた規制方法を変更することはないと判断したわけなのでしょう。

この集会は大した規模の集会にはならないし、過激な行動をする集まりではないことは周知
のことがらのわけです。だとしたら、装甲車両の脇の道を集会へ向かう人や集会から帰る人
の専用の歩道として開放すればよかったわけです。
しかし、開放せずに狭い歩道に限定したのは、上の方からの指示があったからなのではない
かと思ったりしたのです。つまり、集会の広がりを少しでも限定的にして、実態とはちがった
人数の集会なのだということを周囲に知らしめるといった意図がすこしでもあったのではな
いか?と。
しかし、若い機動隊員は親切なひとが多かったですね。こちらから聞かないのに、隊員から
道案内などをしてくださったり、信じられないことにある方は、道路を横断するときに断られ
そうだったら、通行中のものですというと通れますよ
 
集会には、給水車と民医連の給水と看護のための車がきていました。国会前を横切る道路
は両側6車線なのです。この道路をはさんだ歩道の角が、集会の最前線というかリーダーが
マイクをにぎってシュプレヒコールを叫んでいあるわけです。スピーカーは歩道のそこここにあ
って、参加者はどこにいてもシュプレヒコールに加わることができるのでした。
2度ほどその本部らしきまえを通ったのです。一度めの時には、朝日紙でも紹介されていた、
明治学院大学4年生の奥田愛基さんがマイクを握っていました。
BLOGOSの記事ー奥田さんに聞く。

奥田さんのお父さんは北九州で牧師をしながら路上生活者の支援活動を長年されているひと
してよく知られた方です。NPO法人 抱樸理事長 奥田知志さんがそうです。
この法人の設立25周年記念会は昨年開かれたようですが、ここでの奥田牧師の挨拶には、
奥田さんのこころざしいうか人間と社会に対する思い
があふれているように思うのです。

 上野公園不忍池で、自分で撮りました

「安保法案」の白紙撤回を求めます!

(創価学会員有志の公明党に対する請願書です。どこで見かけたのか
は忘れましたがとても気になる内容だったので、ここにも引用させてい
ただきました。)

「安全保障法制関連法案」の白紙撤回を求める請願書
公明党代表 山口那津男様 

2015年7月16日、衆院本会議において「安全保障法制関連法案」が、
自民公明ほか賛成多数で可決されました。公明党は、党綱領に謳われ
ている通り「人間主義」であり、「生命の尊厳性」を柱にしています。

そして「大衆とともに語り、大衆とともに戦い、大衆の中に死んでいく」と
の誓いのもと、常に民衆の側に立つことを信条としてきました。

それは、党創立者である池田大作創価学会名誉会長の指針であります。
しかし今回の法案は、多くの憲法学者が「違憲の疑い」を指摘しており、
戦後70年「誰も殺さず、誰も殺されない」日本の不戦の歴史を大きく
転換し、「人間との対話と文化交流」で築き上げてきたこれまでの平和
外交を踏みにじるものです。「抑止力」による外交は、国家間の緊張を
高め、人間の生命を脅かす、まさに「戦争法案」です。この法案を成立
させることは、公明党の立党性精神に反するものです。

いまこそ、民衆の声に謙虚に耳を傾け、「平和の党=公明党」の原点に
立ち返り、「安全保障法制関連法案」を白紙撤回して頂きますよう請願
いたします。

『若者デモ』に怯える安倍官邸スマホ世代の『怒り」に困惑する政権』」 

上記の記事は、直接購読の情報誌『選択』今月号の記事の一部です。
記事の内容は、「『SEALDs』という団体は、警視庁の公安部がマーク
する団体で、革マルから豊富に資金提供を受けている」というものです。
この発言者は、自民党幹事会での、筆頭副幹事長の萩生田光一氏
だそうです。

この情報がいいかげんな情報であることは、おそらく誰でも分ることだ
思います。誰でもというのは言いすぎでしょうけど、少しでもネットで検
索すればその情報が嘘であることは分るはずです。
ということは、自民党の副幹事長レベルには、公安関係の情報が一切
入っていないということなのでしょうか?

それとも、自民党の幹事長・副幹事長会では、こうしたガセネタが通用
するレベルの、いいかげんな情報が共有されているというわけなのでし
ょうか?もしそうだとしたら、事柄の真偽性がいっさい検証されないまま
に、その発言が共有されていると認識していいのでしょうか? 
しかし、事態の真相は、言いたい人が言いたいことを自由にいいあうこ
ことが、相互検証などというものは抜きにして保証されている、まさに
自由にして民主的な自由民主党というわけなのでしょうか。

ということは、あの大戦に突入してしまった戦前の大日本帝国の情報の
レベルと同じような次元にとどまっているということなのでしょうか。
いいかげんで、まともな検証作業には耐えられないような情報レベルで
の開戦(暴挙・蛮行・妄動・愚挙)とおなじようなことを、自民党は繰り返
そうとしているわけなのでしょうか?