嘘の吐き方(うそのつきかた)

人はみんな嘘をついていると思います。僕もそうです。このページが嘘を吐き突き続ける人達のヒントになれば幸いです。

失敗だけが、成長という傷を痣る

2007年06月16日 15時35分37秒 | 駄文(詩とは呼べない)
自殺-新しい鏡の喪失
自殺-これ以上自分を見たくないという証
自殺。-好きで好きでたまらない。自分を嫌いになるくらいなら、死んでしまえ。

思い込みが強くない状態での自殺とはどんなだろう。
あまりにもたくさんの人たちの暴力に囲まれた時?
たいくつすぎる日常を、非日常にしたいというまるで当たり前のような衝動?

基本的には、思い込むだけで心臓発作や脳梗塞を呼び起こすのは難しい。
薬物に頼るにせよ、物理的落下にせよ、
あんのんと過ごしている日常から、少なからず外へアクションを起こさなければならない。
完全な消極性においては、自殺よりも餓死の方が簡単だろう。
餓死しそうな環境下で、餓死をせずに自殺を消極的に行うというのは、
やっぱりそれはそれで難しい。

そもそも殺意が人を死に至らしめるには、
あまりにも長い時間と誤解の圧力が必要なんじゃないのか?

自分と関わった人を全て殺すという完全タイプの自殺を、
自閉症的に見る見方もあるけれど、
他人には他者の要素が少なからず含まれているから、
外へ全く触れずに自殺するというのは、なかなか困難を伴うと思う。

行方不明者になって蒸発する方が、
自殺よりも簡単な消極性かもしれない。

けれど僕は多分、印として、自殺をこの地に刻む方を選ぶんじゃないかと思う。
たとえ精神の居場所が無くなってしまったとしても、
人は生きている限り空間に拘束されているのが現状なのだから。

熱は空間を広げる。
空間の広がりは、時間を創り出す。
迷いという名の振動が、出会いと呼吸に結びつく。

36℃で燃える太陽は、僕を焦がして、死の中に生の迷いをつくり出す。
死生観。たった一瞬の、奇跡の中の時間で。
僕は僕だけの宇宙を生きている。

怖いとか痛いとかいう感情や感覚は、なにひとつとして僕を救わない。
僕を誘い出しもしないし、僕に歯車の境界を教えるだけ。
知と知の殺し合い。
世界に挟まれて世界がねじれていくだけ。

ただ、痛みを感じているときは、時間から逃げていられる錯覚をもたらす。
現実と呼ばれる陶酔は、決して自分を救わない。
そして、自分と向き合う時間を吸い取る。

現実と出会い続けて、生きている事の痛みから逃れる方法はある。
それは自分が変わっていくということ。
賢さよりも素直さが美徳になるということ。
そしてそれもまた、問題を解く力にはならない。
けれど、問題を乗り越える事はできると思う。

僕はたぶん、自分の課した問題を解きたいのだと思う。
硬く硬くぎゅっと結んだエネルギーの紐を、
自分で解いてトリックを明らかにしたいのだと思う。
例えば奇跡の瞬間が、僕を騙し続ける神こそが奇跡であるように。

神の自殺を証明する哲学とはなんだろう。
意志の喪失を証明する手がかりとはなんだろう。
僕が想像する以上に、僕は誰かにとってのモルモットであると思う。
そのことは、いつも感じている。

本当に不思議だ、僕以外の、誰もが僕を救えない。
それと同じくらい、この宇宙が閉じたまま広がっている。

なんだろう、この矛盾。
僕は君が居ないと証明するために手紙を書いているのか?
それとも、君が僕の存在を否定するために手紙を読んでいるのか?
あるいは僕が、君と同じモノで出来ていると、錯覚させるために
これを書いたのか?

間違いなく、どれもが不正解であると思う。
信じることに根拠は要らない。
証明することには、根拠が必要になる。
だから僕は大人を、誰一人として信用しないのだと思う。

一度忘れた事を思い出すのは難しい。
一度も忘れなかったことを思い出すのは、もっと難しい。
僕はそう想う。
どんな色で塗り固められた嘘も、最初は僕の想像力で始まっていたのだから。
だから知らず知らずのうちに、不存在から存在を教わるという奇跡は、
いつも矛盾から始まっている。

外側に根拠を求めてしまえば、人はどんな場所にも自分で立つことはできない。
どんな環境にいても、どんな空間にいても、どんな境遇にいても、
根拠を外に求める行為は、自分の不在を積み立てる浪費のパズルにしかならない。

組み立てたつもりの構造が、ずっと丸い場所に包まれていたと知らされる時が来るだけ。

僕らは一度たりとも、宇宙の外に生まれていないのでしょう?
まだ産声すら、あげていないというのに!

宇宙を縮めるもっとも簡単な方法は、
生まれてから一度も宇宙と出会わない事です。
何も知らないことが、一番大きな可能性を秘めた奇跡だから。
だから僕らは必死になって、短い周期でリセットしているでしょう?

全てを知り続けてしまえば、そこには完成された終わりしか、
僕らには訪れないと、整った形はいつも僕に問うから。
全くの、四角い整理された永遠に生まれれば良かった。
潔癖な真っ直ぐさで、何も失うことのない永遠が欲しかった。
どうして僕の世界には、一瞬の中で引き延ばされた、丸い刹那しかないのだろう。
どうして僕は、限られた時間の中で、一回性だけを信じる使命を背負わされるのだろう。

誰が望めば、世界はこんな不完全な熱で、
微熱の中でぬるく溜まっていくのですか?
醜く澱んでいくのですか?

美しいものが見たい。
せめて、もっと綺麗な水が飲みたい。
そうでないのなら、僕は生まれる「前に」死んでしまいたい。

にぶい奇跡は要らない。
理解できる他者も要らない。
この世界に無いモノだけが、僕の水を創る。

そう信じて、僕は僕に壊される。