孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

こんな役所のこんな奴ら

2018年07月07日 | 政治ネタ
自分がまだ学校に通っているときは当然だが、大学生だった頃も、まったく教育行政などには関心が無かった。

私の数年先輩たちは、学費がどんどん上げられていくことに、猛烈に反対して、学生運動のネタにしていたようだったが、私が入学した頃はその騒ぎも沈静化していた。

社会人になってから暫らくして、「ゆとり教育」という言葉を耳にして、これで今の子供たちは受験勉強から解放されるのかしらん、という程度の関心しかなかったが、現実はその反対で、今では高校生たちも堂々と塾に通う時代になってしまったようだ。

そして、その「ゆとり教育」の恩恵を受けた子供たちが社会に出る頃は、教育行政の失敗である事が次第に浮き彫りになっていて、様々な国際的な学力比較でも数字にはっきり表れたのだった。

 国力の源泉を削いでくれた

そして、私には初孫ができて今年の春は小学校2年生になると、俄然私は今の公教育に関心を抱くようになった。

仕事がら、英語に関しては特にその大きな変化が起きている。

英語をもっと使いこなせるようにするために、小学校から教科として加えて、中高大と英語の授業は英語で行うように変えていこうとする教育改革が始っている。

実際にいわゆるグローバル企業で、海外とのやり取りに関わる翻訳や通訳の仕事に携わっていると、言葉としての英語の重要性は当然ながら、そういう企業が求める人材も、英語に抵抗やコンプレックスを感じないのを最低条件にしているのも十分理解できる。

しかし、以前からあれだけ英語教育の重要性を叫ばれてて来ているにも拘らず、現実は理想とは程遠いのである。

「英語は日常会話レベルで充分」などという、いい加減な求人広告をよく目にするが、『日常会話レベル』の英語を使いこなせれば、相当な実力者である。今の若者は、日本語でも日常会話が続かないし、そういう常識は持ち合わせていないのである。

受験技術を磨いて、テストでいい点数をとればいい学校に進学でき、いい会社に就職でき、出世も約束されるとなれば、当然捻くれて歪んだ人間が出来上がることは、分りきったことであるのだが、こういうのが教育行政の出世頭にもなり得るから困るのだ。

  教育行政のトップが買春!


私が大学の受験勉強に励んでいたのは今から45年前のことだが、その頃私は家の経済事情も鑑みての事だったが、私立のいわゆるマンモス大学は絶対に受験しないと決めていた。

理由は、そういう大学には大抵、系列の付属高校があって、同じ系列大学への進学を望めば、入学試験は免除されていたからだ。

また、当時から「裏口入学」という言葉がよく耳に入っていて、出来の悪い息子や娘を持った金持ちは、ブローカーに大金を払って、「裏口」から大学に入れてもらっていたのだった。

予備校の中にも「医学部専門予備校」なるものがたくさんあって、私の記憶では当時から医学部の『裏口入学』は社会問題化していた。

大学に入学しても、医師になるには「国家試験」という関門があるんだから、と主張する人がいるが、そこに人間が介在する限り、不正は常に存在する者ではないだろうか。

  弁護の余地は無い!

そうやって、晴れて医者の仲間入りをしたのが、この世には結構いるんじゃないかと思うと、当時から私は、医者のいうことは100%信用できないのである。





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