映画の中の名前が「紀子」だったことから、「紀子三部作」として一まとめに呼ばれる原節子主演の小津映画がある。
一本目は、『晩春』(1949)で、小津監督と主演の原節子が初めてタグを組んだ作品である。
初めて結婚を絡めた父娘の関係を題材にした作品だ。妻に先立たれ、娘紀子(原節子)と二人で暮らす父親を演じるのは、小津映画には欠かせない、おなじみの笠智衆。
家のことを何もしない父親を見捨てて嫁げないと言い続ける娘に、再婚すると嘘までついて結婚をさせようとする父。
妻が亡くなってから、後妻を取った叔父を、紀子は「不潔よ。」と言い放った。
最後の父娘旅行では京都を訪れ、龍安寺の石庭や清水寺の様子も映る。
二本目の『麦秋』(1951)でも原節子は紀子という名前の役で、彼女の結婚が物語の大きな鍵を握る。
『晩春』よりも大家族の構成で、父、母(東山千栄子)、兄(笠智衆)一家と子どもたちまで加わって、賑やかな家族の風景が切り取られる。
前作同様28歳で売れ残りと言われ、早く結婚するようにと促されるわ、見合いは持ち込まれるわ、周りは紀子の結婚話に躍起になる。
家族全員が反対した連れ子持ちの、戦死した次男の友人と、勝手に結婚を決めた紀子。その男の母親役の杉村春子の名演技が際立っている。
そして三本目の『東京物語』(1953)。山田洋次監督がリメイクした『東京家族』という世紀の大駄作があったが、原作の出来とはとても比較はできない。
笠智衆が一気に老け役で一家の父役となり、母役には前作でも母を演じた東山千栄子。現実主義のちゃきちゃき姉ちゃんの長女を演じるのは過去2作でも圧巻の存在感を示した杉村春子と過去2作の集大成のような配役だ。
小津のDVDは安価で手に入るので、日本人なら一度は観ておきたい映画ばかりである。ただ、最近の若者たちは、余程の映画好きでない限り、モノクロ映画には抵抗があるようだ。
私が小津のモノクロ映画を観ていたときに、帰宅した愚息がそれを見て放った一言が、「しっ、白黒かよ!!」だった。
原節子が亡くなったこと、というより「まだ生きていたのかっ!」と私は驚いた。
彼女の美貌もさることながら、引き際の見事さには惚れ惚れする。
プライバシーを切り売りする「ゲーノー人」が溢れているが、少しは彼女を見習ってもいいのではないか。
職業運動選手にもそういうのがたくさんいる。
一本目は、『晩春』(1949)で、小津監督と主演の原節子が初めてタグを組んだ作品である。
初めて結婚を絡めた父娘の関係を題材にした作品だ。妻に先立たれ、娘紀子(原節子)と二人で暮らす父親を演じるのは、小津映画には欠かせない、おなじみの笠智衆。
家のことを何もしない父親を見捨てて嫁げないと言い続ける娘に、再婚すると嘘までついて結婚をさせようとする父。
妻が亡くなってから、後妻を取った叔父を、紀子は「不潔よ。」と言い放った。
最後の父娘旅行では京都を訪れ、龍安寺の石庭や清水寺の様子も映る。
二本目の『麦秋』(1951)でも原節子は紀子という名前の役で、彼女の結婚が物語の大きな鍵を握る。
『晩春』よりも大家族の構成で、父、母(東山千栄子)、兄(笠智衆)一家と子どもたちまで加わって、賑やかな家族の風景が切り取られる。
前作同様28歳で売れ残りと言われ、早く結婚するようにと促されるわ、見合いは持ち込まれるわ、周りは紀子の結婚話に躍起になる。
家族全員が反対した連れ子持ちの、戦死した次男の友人と、勝手に結婚を決めた紀子。その男の母親役の杉村春子の名演技が際立っている。
そして三本目の『東京物語』(1953)。山田洋次監督がリメイクした『東京家族』という世紀の大駄作があったが、原作の出来とはとても比較はできない。
笠智衆が一気に老け役で一家の父役となり、母役には前作でも母を演じた東山千栄子。現実主義のちゃきちゃき姉ちゃんの長女を演じるのは過去2作でも圧巻の存在感を示した杉村春子と過去2作の集大成のような配役だ。
小津のDVDは安価で手に入るので、日本人なら一度は観ておきたい映画ばかりである。ただ、最近の若者たちは、余程の映画好きでない限り、モノクロ映画には抵抗があるようだ。
私が小津のモノクロ映画を観ていたときに、帰宅した愚息がそれを見て放った一言が、「しっ、白黒かよ!!」だった。
原節子が亡くなったこと、というより「まだ生きていたのかっ!」と私は驚いた。
彼女の美貌もさることながら、引き際の見事さには惚れ惚れする。
プライバシーを切り売りする「ゲーノー人」が溢れているが、少しは彼女を見習ってもいいのではないか。
職業運動選手にもそういうのがたくさんいる。