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孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

カタカナ語を軽々しく使うな。しゃらくさい!

2015年12月05日 | 英語関連
職場の長が、部員全員に緊急のミーティングを召集した。

何事かと思ったら、大きくなった会社組織の見直しに関する部長による講習だった。

パソコンをプロジェクターにつないで、ホワイトボードに画面を次々と映し、説明をするのだが、部長自身があまり良く理解していない様子で、二言目には、「このあたり、僕もよく理解していないので、後でまたよく見といてください。データの保管場所は後でメールでお知らせします。」と言っていた。

私のような老骨は、黙って見ているだけだったが、明らかに新組織の説明としては不十分で、部員はまったく理解できていないことは、彼らの表情を見れば一目瞭然であった。

部長は、上の役員から、大至急部員全員が新組織を理解するように講習会を大至急開き、それが終了したら講習参加者の署名と共に連絡せよ、と指示されたそうだ。

後で工場長がやってきて、部員が確かに理解しているかチェックするそうだ、とも言っていた。しかし、その割には説明がおろそかで、私は見ていて他の同僚たちが哀れであった。

そもそも新組織を図解した組織図のタイトルが「マトリックス体制」となっていて、ここの部員達の英語アレルギーの実態を知っている私には、「あちゃーっ、タイトルが理解できないだろうなあ・・」と最初から気が重くなった。



こんな風に単純化した図なら良かったのに、いきなりゴチャゴチャした図解が映されたので、全員スタートからチンプンカンプンだったようだ。

いわゆるピラミッド型の組織図には表せないほど、今の組織が複雑化して各部署が絡み合った動きになっているのは事実で、それを何とか単純化して各人が理解した上で仕事をしていかないと、無駄は大きくなる一方であるのは十分理解できる。



要するに、縦と横の行列図にして、その相関を分かりやすく組織したいらしい。

部長が上手く説明できないのは、その組織図に表示されている用語がカタカナ用語ばかりで、英語音痴の部長にはその意味が分からないためであろう。

ストラジーとかソルーションとか、エスカレーションプロセス、コア・ファンクション、キーファンクションなどなど・・・。

言葉を聞いてどういうことかサッとイメージできる人と出来ない人では、理解度に天と地の開きが出来ることは言うまでもない。これに加えて、私も閉口しているアルファベット3文字の略語がはびこっている。

「abbreviation」というサイトで3文字略語を調べることは可能だが、その種類は膨大で、更に困ったことに社内だけで使用される3文字略語が実に豊富だ。更に更に困ることは、そのアルファベットの意味することを社員に聞いても、彼らのほとんどはそれを説明できないのだ。

少し前、経営者は「ガバナンス」とか、「コンプライアンス」という言葉を多用して悦に入っていたものだ。コンプライアンス、コンプライアンスと連発しながら、平気で談合だとかデータ改ざんだとか悪いことをし続けている。

鎖国を解いて外国の学問・技術を輸入し始めたとき、それまでの日本にはなかった概念が怒涛の如く流れ込んできた。「翻訳語」といわれる言葉は、当時の知識人が苦労してそれまでになかった概念を漢字で表した新語である。

このあたりの話が興味深く書かれた本が手元にある。「翻訳語成立事情」という岩波新書で、柳父 章という評論家がもう30年以上前に著した本だ。

「society」「individual」「right」はそれぞれ「社会」「個人」「権利」という意味で、今や誰も知っている言葉だが、これを江戸時代の人に見せても、みんな首をかしげるだけである。なぜなら、そのような概念は当時の日本にはなかったからである。

福沢諭吉などは「right」という言葉を「通義」と訳し広めようとしたが、成果は上がらず、今では「権利」という翻訳語が人口に膾炙している。

このように、新しい概念を漢字で翻訳してそれが定着していけば、みな同一のイメージを持って理解できるのだが、何せ今はその余裕がない。したがって、ほとんどがカタカナにするだけで目から感じてイメージすることができない。

洋画のタイトルなどその典型であるが、これは単にその業界の怠慢かもしれない。

経営者や管理職たちは、社員に理解を求める前に、こういう外来語を多用することをつつしみ、まずその言葉の意味を噛み砕いて説明し理解させることが大切なのではないか。

「何か分からないことがあったら、遠慮せず聞いてください。」と最後に部長は言っていたが、聞けば教えてくれるのかどうか・・・それはそこにいた部員達が一番分かっていたようだ。

英語、恐るるなかれ。

2015年10月25日 | 英語関連
今、職場で文書翻訳を頼まれる度に、やはり外国語の「読み書き」は、基本となる文法の勉強が大切だと痛感する。

私の場合、中学校のときの中間テストか期末テストで、まぐれで満点を採ってしまったことが、転機だった。

それまで、どちらかといえば嫌いではなかったが苦手だった英語という科目が、教師が答案用紙に赤鉛筆で点数の横に大きく書いた「Good!」という字のせいで、もう有頂天になり、それを境に英語の勉強が楽しくなっていった。

クラスの中でも、私の満点が知れ渡り、「ええっ?あいつが??」という驚き半分、嫉妬半分で、以後英語で疑問点があると、「あいつに聞けばわかるよ・・」などと、嫌みったらしく聞えるようにいう奴も出てきた。

そして、高校に進み、特に英語を意識して勉強することもなく、可もなく不可もなくという感じだったが、3年になってクラス替えになったとき私のクラスの担任になったのが、英語教師の田中先生だった。

そのずんぐりした体型と円筒形の顔かたちから「ロボタン」という渾名で、当時は独身で30半ばくらいの、どちらかといえば野暮ったい男性教師だった。

高校3年になると、大学受験が迫ってくるに従ってクラスのムードも戦闘モードに変わってくる。

当然、担任教師としては生徒には志望校に合格して欲しいという思いがあり、ロボタンも多分掟破りだったかもしれないが、朝の出席を取った後の数分を、自分の担当科目の英語の補習に使った。

記憶が定かではないが、確か岩田一男『英作文の基本文型(1001題)』とかいう、3年に進級したとき全員買わされた英語の参考書の中の一冊で、基本的な英文とその簡単な解説が合計1001書かれていた参考書だった。

今でも覚えているのが、最初の基本文が、「ここはどこですか?」という文で、単純に「 Where is here ? 」で良いのかと思ったら、正しくは、「 Where am I ? 」とあり、解説には「迷子になったときに言う言い方」と書かれていたと思う。

ロボタンは、今週は何ページから何ページまでと区切って、そこまでの基本文を暗記せよと指示したのだった。そして、「毎朝出席点呼の後、2~3人を指名して、私が無作為に日本文を読むから、英語で言ってもらう。」ときた。

週当たりの量は基本文にして、20~30くらいだったと思うが、これは結構刺激になった。ほとんど全員が、朝教室に入るとその参考書を開けてブツブツ言いながら暗記しているという情景だった。

どの文も著者の岩田一男が厳選した文なので、いかにも役に立ちそうな感じがするのだった。確かに、あれは英作文にも英文解釈にも有効であったと、今でも思う。

他にも3年進級時に買わされた『現代英文解釈』という参考書があり、著者は荒牧鉄雄
という方だった。みんなその参考書を「アラマキ・テッチャン」などと呼んでいたのを覚えているが、こちらもよく校内の試験に出題されたので、ボロボロになるほど読んだものだった。



こういう強引に詰め込んだ知識は、意外と忘れないもので、今翻訳の以来などあるたびに、この頃仕入れた知識は大きく役立っている気がするのだ。

外国語を覚えるには、基本となるその言語の文法を理解しておくことは大切で、安易に会話、会話と先走らない方がいいと、私は自分の体験から感ずるのである。

いわんや、小学生低学年から外国人アシスタントを付けて、英語に慣れさせる??

どうせまともな日本語など話せない両親に育てられた子供たちである。日本語もろくに話せもしない、読み書きもおぼつかない。物事には順序があるのではないか。

もっとも、英語をこの国の公用語にしようと企んでいる連中にとっては、日本語などどうでもいいことなのか・・。

この国の子をもつ親達は本当にそれでいいのか????

何はともあれ、母国語!

2015年10月22日 | 英語関連
今週は週初めから、職場でこき使われたため、三日間でヘトヘトになった。

英訳してくれと頼むのは結構だが、私は翻訳機ではない。コピーしてペタっと貼り付ければ英語に翻訳できると思ったら大違い。

一つの言葉に一つの意味があるのではなく、通常は言葉は様々な意味を使い分け、文となるのである。例えば、「ナントカという結果から、カントカということが推測できる。」という文を英語にする場合。

前後の内容から、推測の程度を考え、時にはその文を作った人に確認し、あり得ないレベルの推測なのか、かなり実現性の高い推測なのかを知った上で、さてどの英単語が適切なのかを選ぶのである。

そのために私がよく利用するのは、英語の同義語辞典のサイト、「Thesaurus. com」である。シソーラスと発音するのだが、単語を入力すると、それと同じような意味の単語がずらずらっと出てくる。

その中の単語をGoogleなどに入力して検索すると、英文のサイトなど無数にヒットするので、同じような案件のサイトに使われている英文を探して、前後を読み下し、「ウン、こういう内容の文章にこういう使われ方をしているなら、この英訳文に当てはまるな・・・」と判断するわけだ。

本当に迷う場合は、本の短い和文を英訳するのに、時間単位を要するときもある。

そんな苦労を言ったところで、英訳を依頼してきた側は、早いとこやってよ・・と思うだけで、聞く耳を持たないことは分かっている。

こちらもウダウダ言い訳は言いたくないので、「ヨシッ!やってやろうじゃネーか。」という気分になるのである。

やっと終えたと思ったら、午後からドコドコの会議室で、電話会議があるから通訳してくれと言ってきた。「電話会議??受話器を持って会議をするんですか?どこの誰と?」あっけに取られていると、兎に角行けば分かるからと言うだけ。

テレビを見ながら日本と打合せをした経験は、以前海外勤務をしていた際に何度か経験したことはあったが、要はその「テレビ画面がないバージョン」、つまり真ん中に置かれた宇宙船のオモチャのようなマイク兼スピーカーに向って、会話するわけだ。

何がなんだか分からぬうちに始って、スピーカーが話し始めた。フランス語のような言葉が聞えたかと思うと、次にはドイツ語なまりの英語らしき言葉が聞えてきた。どうやらヨーロッパのどこかと日本とで会議をするようだった。

これでも昔TOEICという英語のテストを冗談で受けたとき、ヒアリングは満点だったのだが、今聞えてくるフランス語やドイツ語なまりの英語は、さっぱり理解できなかったので、私に通訳を指示した上司に、正直にその旨を伝えた。「5%も理解できないので、通訳は務まりません。」と。

すると、スピーカーからまた別の声がして、今度はひどいなまりはあるが、よく理解できるレベルの英語が聞えてきた。さらに、日本語も聞えてきて、相手先にも日本人が同席しているらしいと分かった。

わきの下に冷や汗をかきながら、約1時間半の会議は終わった。

「ありがとう、助かったよ。また今度頼むね。」と言われたが、返事はわざと濁しておいた。実際、あの程度の会議内容なら、メールのやり取りで十分だと感じたし、もう少し段取りと話す議題と確認事項を明確にしておけば、十分済むことだと感じた。

どうも、出席している御仁たちは、文明の利器というか、おもちゃを使いたい気持ちが強いだけじゃないのか・・と思った次第であった。

汗を拭き拭き机に戻ると、また別の若者が、英訳を頼みたいと言ってきた。聞けば明日の朝までにA4で4枚のレポートである。サラッと目を通すと、何やら意味不明の技術用語が並んだ暗号のような内容の報告書に見えた。

朝までは無理!! 午後3時までは最低でもかかってしまうと思う、と突き放したら、それでいいですと言われ、仕方なく取り掛かった。

結局終了したのは、次の日、つまり昨日の午後4時半だった。

そして、今朝起きたときは、もうぐったりして精気が体から抜けたような状態になっていた。だから、今日は「体調不良」ということで、休んだわけだ。

午前中は、家でのんびりと読みかけの本を読み、昼食は外食した。帰りに久しぶりに本屋に立ち寄った。何冊かペラペラ立ち読みしていると、以前(7/24)、このブログで、「タイトル、ひと目で分かる良書」という題の小文を載せた記憶のある新書が見えた。



本のタイトルだけで内容はだいたい想像がつくと思ったが、立ち読みしたら、その内容の濃さに驚嘆して、衝動買いしてしまった。

社内公用語を英語にしたことで話題になった通販会社の社長が、経済学者のお父さんとの会話の中で、「日本が英語を第二公用語にしたら、巨大なシンガポールになって、それこそ日本の経済は超強くなると思いますよ」と語っているそうだ。

この部分を目にしたら、その先を読んでみたくなるだろう。まったく、とんでもない妄言である。

日本語には時として主語や目的語がない事がある。そんなときは、機械的には英訳出来なくて大変厄介である。

「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」川端康成の「雪国」の出だしなど、その典型である。

しかし、それが日本語の奥の深いところであり、それが感受性や想像力を養うのである。英語がこれだけ世界中に普及したのは、一つにはそれが極めて単純な味わい深くない、取っ付き易い言語だからでもあるわけだ。

「閑さや岩にしみ入る蝉の声」

なんとも奥の深い言葉ではないか! YOU は理解できないだろう。

母国語を破壊するカタカナ語

2015年07月18日 | 英語関連
夕方のローカル番組で、夏の高校野球の強豪校の特集をやっていた。私は野球というスポーツそのものがあまり好きでなくなったので、番組の内容などはまったく関心がなかったのだが、インタビューを受けていた高校生が饒舌だったので、何を話してるのか聞いていた。

「去年の夏は、準決勝で逆転負けというくやしい負け方だった。今年は高校生として最後の夏なので、絶対に甲子園に行きたい。」というような内容だったと思うが、彼の話す日本語がどうも気になって見続けてしまった。

「それまでリードしていて、そのまま今年は甲子園に行けると思っていたが、自分が投げた甘い球が打たれて逆転負けした。」

「今年は絶対にリベンジしようと思い、それをモチベーションとしてキープし続けてきた。勝ち進んでいくと、また同じカードになるので、絶対に今年はリベンジしたい。」

自分が高校生のとき、どういう日本語を話していたのかは正確に覚えていないが、これほどカタカナ言葉を連発することはなかったと思う。

リベンジ=revenge とは「復讐する」という意味の、あまり耳にして穏やかな言葉ではない。にきびだらけの脂ぎった顔の若者が、この言葉を連発すると、聞いていて何事か?と思ってしまう。

最近は、ほとんど顔を出さなくなったが、口を開けば「アジェンダ、アジェンダ」と連発する政治家がいた。「マニフェスト」という言葉が大流行していた頃のことだった。

その頃、企業の経営者は、「コンプライアンス」がすべった転んだと何かにつけて口にしたものだった。今は、「グローバル・スタンダード」がお好きなようだ。



高齢者といえども、「コンドロイチン」「グルコサミン」「セサミン」などなど、次から次へと得体の知れないカタカナ言葉を覚えなければならない。

私は、へそ曲がりで、言葉に対しては保守的なので、安易にカタカナ言葉は使う気になれないし、大企業が社内公用語を英語にするなどということは、百害あって一利なしだと思っている。



年々若者たちが話す言葉に占めるカタカナ言葉の割合が増えていくに従って、日本人の固有性が削り取られていき、みんながそれに気が付いたときはすでに取り返しが付かなくなっているのでは、と懸念する。



子供の頃から、家庭で、学校でこのことに意識して、子供達と接していかなければ、効果は上がらない。


ホンダよ、お前もか・・

2015年07月10日 | 英語関連
本田技研が2020年を目処に社内の公用語を英語にするそうです。最初このニュースを見たときは、まさかという気持ちで、俄かに信じられませんでしたが、今日昼休みにネットで確認したら、どうもまじめに考えているようで、改めて驚きました。

2020年といえば、あと4年半です。今働き盛りの30代、40代の社員の多くは、想像するにほとんどが英語を使いこなせないのではないのでしょうか。これは、ホンダに限らず、ほとんどの会社でもいえることだと思います。

勤め先でも、恐らく二十カ国以上に工場を持つだろうと思いますが、少なくとも私のいる部署で、英語の読み書きが出来る社員は皆無です。それでも彼らは海外の取引先とメールのやり取りをしたり、英語で書かれた書類を読まなければならなかったりします。

彼らはどうするかというと、ネットの翻訳サイトを利用しているようです。英文のメールを丸ごとコピーして貼りつけると、日本語に訳されたり、その逆に日本語で書いたメールの文をまるごとコピーして、貼り付けて、英訳したりしています。

しかし、そういう翻訳サイトの翻訳精度はまだまだ低レベルですので、和訳にしろ英訳にしろ頓珍漢な文章に訳されていて、時々見ると思わず噴出すことがあります。

「from May production minute.....」とあったので、何を意味するのか聞いてみると、「5月生産分から・・」のことです、という返事。なるほど、「分」を「minute 」と訳したわけだ。

しかし、それを変換した本人は、翻訳ソフトを信頼しきっているようで、特に変だとは思わなかった様子。この程度の知識でよくもまあこれまで、海外とのやり取りをしてきたものだと、感心させられる。

ホンダもついこの間まで、他社で英語を社内公用語にするというのを聞いて、「日本人同士で英語なんて馬鹿らしい・・・」と社長が口にしていたそうだが、社長が変わって「グローバル化」を考えた結果、方針転換したそうな・・。

お好きなようにすればいいが、安全で長持ちする自動車を作り続けて欲しいものだ。私は、ただただホンダの社員に同情するだけである。自動車メーカーはホンダだけではないから、英語に自信ない方は他所へ行けばいい。

それにしても、ハイカラ好きの創業者、本田宗一郎はあの世でどんな気分だろうか、是非とも伺ってみたいものだ。遠州弁で、「おお、面白そうだな。やってみりゃあええ。」と言うかもしれない。



ただ、こういう会社が次々現れてきて、英語教育が若年化していくことは、絶対に避けたいことだ。日本語もまともに読み書きできない子供が、英語の塾で、「ハロー、ハワーユー?」などとやっている光景を想像すると、世も末だと思ってしまう。

限られた勉強時間は、まず第一優先で母国語教育に当てるべきだからである。


お役人の猿知恵にご用心!

2015年06月07日 | 英語関連
文科省が全国の中学3年生を対象にした英語のテストを実施しようとしているらしい。新聞記事によると。「国は中学生の英語力の目標を2年後に、全生徒が卒業時点で『英検3級程度以上』と設定する」そうだ。今はそれが3割程度だという。

高校生にも、「半数は卒業時に英検準2級~2級程度以上を求めている・・」が、現実は3割程度だそうだ。英語以外の科目で全国テストを実施したら、教える方が成績上位校の指導方法を見習ったりして、成績下位校の成績が上がったじゃないか。効果あるだろう・・という論理のようだ。

この記事を読んでまず感じたのが、お役人はなぜこうも曖昧な表現をしたがるのか、ということだった。『英検3級程度以上』とか『英検準2級~2級程度以上』とか・・・。

次に、教える側のノウハウ改善とレベルアップは何か考えているのだろうか、ということ。今の流れでいくと、多くの公立学校の英語教員の力量を補うのは、民間の塾や英語教室であって、親は余分な出費を負担させられ、子供達は限られた時間を英語の勉強のために削られることになる。

あれも大切、これも大事、オリンピックがくるからもっと英語を覚えろ・・・では、言うは易し、横山きよし。

英語なんて、中学3年間勉強するだけで十分。高校からは選択科目にすればいいと、私は考えます。むしろ、私は古文や「漢文の教育にもう少し力点を置くべきだと考えます。

間違っても、お隣韓国の気が狂ったような英語学習熱と同じ轍を踏むようなことのないように願うのみである。英語や西洋文明に対するコンプレックスからくる哀れな社会現象をもう少し冷めた目で見ようではありませんか。

てるてーる、坊主じゃありません。

2015年03月28日 | 英語関連
自動車といっても、その歴史はたかだか100年である。それまで無かったものがどんどん進化してきたわけだから、それに伴って新しく名づけられたりした物や、進化の過程で呼び方が様々に変化したりすることもあったわけだ。だから、運転手が後ろを見る鏡を、バックミラーと呼んだり、リアビューミラーと呼んだり、あるいはドライビングミラーと呼んだりする。

少し前に、ダッシュボードのことを書いたが、フロントガラスも同じこと。風が当たって寒いからそれをさえぎる物ということで、アメリカではウインドシールドと言うし、イギリスではウインドスクリーンと呼ぶそうだ。

先日初めて覚えた言葉に、「テルテール」というものがある。「てるてる坊主」みたいで面白かったので、何のことですかと聞いたら、半ドアとかシートベルト未着とかオイル不足なんかを知らせる警告ランプのことですよ、と「何打そんなことも知らないのか・・・。」と言いたげに教えてくれたので、「英語ですか?」と聞くと、「さあ・・・」と首を傾げていた。

机に戻って、早速「テルテール」をググッてみると、すぐに分かった。「telltale 」という、れっきとした英語であった。意味が面白かった。「tell 」と「tale 」 という単語からできた言葉で、「お話を告げる」と言った意味かと思ったら、言葉のニュアンスは、「言わなくてもいいかもしれないけど、あえて暴露する。」というものだそうで、なるほどね、と膝を叩いた。

「ドアが半ドアですよ」「シートベルトがまだですよ」「オイルが無くなりそうですよ」などと、お節介に教えてくれる警告ランプを、テルテールと名付けるとは、何とも旨い発想だと感心しました。