先週の木曜日、3月24日、
義父が突然旅立ってしまった。
知らせを聞いてすぐに帰宅。
一時間後には家を出発。
義母は一段ともの忘れがひどくなり、
私たちも、わからない事だらけで、
右往左往するばかり。
親戚の人たちに教えてもらいながら、
あわただしい6日間を過ごした。
話には聞いていたが、
悲しんでいる暇もなかった。
84歳だった義父
自衛隊の中隊長で、今でも当時の部下に慕われ、
県外からも参列されたり、
書留や手紙が届いた。
家族の中でも、
まさにリーダーで、
誰もが尊敬していた。
私の事も、とてもかわいがってくれた。
義母はしきりに、
「いい人だった」と義父を惜しんでいる。
「私はおとうさんに見染められたの」と言う義母の言葉が、
私の心をふわっとさせる。

四国の実家から帰ってくると、
庭のすいせんが、めずらしく多く咲いていた。
義父が突然旅立ってしまった。
知らせを聞いてすぐに帰宅。
一時間後には家を出発。
義母は一段ともの忘れがひどくなり、
私たちも、わからない事だらけで、
右往左往するばかり。
親戚の人たちに教えてもらいながら、
あわただしい6日間を過ごした。
話には聞いていたが、
悲しんでいる暇もなかった。
84歳だった義父
自衛隊の中隊長で、今でも当時の部下に慕われ、
県外からも参列されたり、
書留や手紙が届いた。
家族の中でも、
まさにリーダーで、
誰もが尊敬していた。
私の事も、とてもかわいがってくれた。
義母はしきりに、
「いい人だった」と義父を惜しんでいる。
「私はおとうさんに見染められたの」と言う義母の言葉が、
私の心をふわっとさせる。

四国の実家から帰ってくると、
庭のすいせんが、めずらしく多く咲いていた。
お疲れ様でしたね、自衛隊員でらしたのね、
ずいぶん世の中の人のために活躍されたことでしょうね。
うちの父(昭和3年生まれ、2006年逝く)より、年齢は上でいらしたのね、丈夫だったんだな~
水仙、うちもやっと5本くらい咲きました、花粉と対抗しながら、草取りしてます。
バラも新芽がそろってきました、あと1か月
お義父さまのご冥福を祈りいたします。
また、落ち着かれたらお会いしましょう。
サックんちも両方のお父様が亡くなられてるんですね。
いつかはこんな日が来てしまうのはわかっていたんだけど、こんなに急だとは思いませんでした。
被災地方たちの事を考えれば、葬儀ができただけでも、故人も私たち家族も幸せなんだと思います。
そらきな家も両方のお父様がもう亡くなられてましたね。
私たちは、今回が初めてで、主人はいきなり喪主になってしまったので、かなりとまどっていました。
これから、まだまだ課題が山積みです。
こんな時遠いのは大変だと、
今頃になって気付いた次第です。