GSゲルマニウム原人の退屈な日々

見わたせば、気になることばかりなり・・

ブルースセッションでもどう?

ブラインド・レモン・ジェファーソン

2006年05月30日 08時27分51秒 | 楽器や音楽
久々のブルーズのCDを購入

「The Very Best of Blind Lemon Jefferson」(試聴はこのアルバムじゃないけど)

ブルーズの世界には戦前のスターの中でもスター・オブ・スターと言える人がいる。言わずと知れたミシシピデルタ発のロバート・ジョンソン、いまだに多くの人が彼の曲をそのままやったり、クリーム時代のクラプトンのように「クロスロード」をこれまたすごい名作にしたり、今のミュージシャンで影響を受けた人は計り知れず。

そしてテキサス発の大巨人がこのレモン・ジェファーソンだね、名前の通りの盲目の歌手、かつて憂歌団が「シカゴバウンド」という曲の中で「めくらのレモンも死んじまったけれど」と唄ってブルーズファンに注目されたあのレモンさんだ。

多くの人がブルーズというと太くて渋い声でマイナーな曲をダークに演奏するというイメージを持っているようだけれど、実際に、特に戦前スタイルのブルーズを聞くと大抵が甲高い声で遠くに呼びかけるように唄っている、フィールドハラーという唄い方なのだけれど野外の綿花畑や森林、農場などで遠くまで声を聞かせるための技法だね。当時のブルーズは仕事が終わってのダンスミュージックだった訳だからマイクも無しで宴会場で唄うようなもの、ハイトーンの方がよく声が通って良いと言うことなんだろう。マイクやアンプが発達してからは低い声で雰囲気を出す歌手が増えたみたいだけれど。

ロバート・ジョンソンと同じようにレモンさんも写真はほとんど無い、このジャケット写真に使われている有名な一枚だけのようだ。
1897年生まれの彼は産まれながらの盲目で10代から歌手として生活をしていたようだ、一説には大きな山のような身体を買われ盲目なのにボクサーとしてリングに上がったことも有るとか、まぁ、ショーとしての興業試合なんだろうけど。やはり耳は異常に良かったらしく相当の酒飲みだったのだが、誰かが勝手に自分のボトルを呑むと振った時の音でどれ位呑まれたかわかったという伝説が残ってる。

このCDは1926年からの音源で、かれは1929年の冬に路上で凍死している、その間に100曲位レコーディングをして当時レースレーベルという人種差別的な黒人のためだけの今で言えばインディーズのようなものなのに「ブラックスネイクモーン」という曲などは10万枚も売れてるのだ!すごいよこれは。

レモンのスタイルはミシシッピデルタスタイルのボトルネック奏法とは違って、はねるようなかろやかな短音とコードカッティングをまぜシンコペーションが実に格好いいスタイリッシュな物、モダンブルーズの父T-ボーン・ウォーカーや大御所BBキングの短音でのギターソロに多大なる影響を与えてる。

このCDの解説文にあったことで妙に納得したのは、この写真から彼はギターを弾く時、サウンドホールが上を向くように抱えていたのではないかと言う推理、つまり床と水平になるということだね。
大勢が踊るダンスパーティで自分の弾いている音をモニターしつつ、自分の声までもサウンドホールに響かせて奥行きを出そうとしていたのではないかと。確か、以前T-ボーン・ウォーカーの演奏をDVDで見た時に彼はギターソロになるとギターを水平に構えて弾いていた!ルーツはレモンなのかも、だってテキサス時代に子供だったT-ボーン・ウォーカーは盲目のレモンの手を引く仕事をしていたのだよ、きっと、間違いがない。

ただ、皆さんにお勧めするには微妙な物があります、多分、大方の今の音楽を聴いてる人には全部同じに聞こえるでしょう。そう、ちょうど私が「B'z」の曲を聴くと全部同じに聞こえるのと一緒で。
ただ、今の洋楽POPSの原点の一つはここにあったということは覚えておいてもらいたいものです。

とりあえず、ロバート・ジョンソンとブラインド・レモン・ジェファーソンの二人の名前だけ記憶のすみに残っていてくれたら嬉しいな。
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