GSゲルマニウム原人の退屈な日々

見わたせば、気になることばかりなり・・

ブルースセッションでもどう?

元々は復員軍人の為の列車

2005年10月04日 10時14分18秒 | 徒然なるままに
修学旅行かぁ・・30年以上前の話だ(-_-)

いやね、うちの末っ子が高校の修学旅行だってさ、今日から。いいねぇ、北海道らしいけど、どの辺行くのかは今一解らないけど良いやねぇ~北海道。
結婚する直前にバイクでツーリングに行ったさぁ~札幌から苫小牧、紋別に出て日高を抜けて富良野へ、そして留萌、小樽、積丹半島ってね。まぁよく北海道ってバイクでツーリング行く人多いけどさ、いかがな物か・・ラフロードにでも入れば良いのかもしれないけど普通に道走ってるとひたすら直線でね、眠くなる、東京近郊でバイク乗ってる奴って大垂水とか碓氷とか峠のバンク・カーブを攻めるのが楽しいんでね、何処までもまっすぐな道ってのは初めは良いけど後半はちょっと飽きちゃった。まぁカタログ燃費が実際にたたき出せることに驚くって楽しみはあったけど♪

話がそれたけど、修学旅行、私の中学は京都・奈良ね東京定番の、実は東京には東京公立中学連合が持っていた「ひので号」って修学旅行専用車両があってね、1959年から1971年まで東京の中学の子達はひので号で、行きは昼間京都方面、帰りは夜行で東京へってのが定番だった。速度は特急に準じてたらしいけど今なら新幹線で3時間、多分当時は7時間から8時間近くかかったんじゃないかなぁ・・・実はおいら達の年が最後のお勤めだったのよ、その前の年に万博があって少しずつ新幹線を使う学校が出てきたらしくっておいら達の年でひので号は引退したのだ、だから良く覚えてるんだね。
この電車(ディゼル機関車かもしれない)たしか海側が6人掛けのボックス山側が4人掛けのボックスでちょうど頭の横の所に頭をもたげることのできる板が出てる、つまり帰りの夜行ではそこに頭をもたげて寝ていくって寸法だ。

奈良・京都なんてさ中学時代なんの興味もなかった、寺なんかつまらん!今ならねウキウキ喜んじゃうけどさ、見方とかの知識が十二分に付いてるからね、当時14~5歳の小僧にゃぁよっぽど変わり者でもないかぎり石庭みたって楽しくはないよね♪ま、たまに私は面白かったって人もいるけど、あれは絶対幻想!そう思いたいっていう優等生意識が生み出してる物だね、だってさ石っころ敷き詰めた狭い庭と沖縄の青い海、北海道のスキー、ジンギスカン、正常な十代なら後者を選ぶのが健全てものだ。

うちの子は土産何買ってくるかな~ジンギスカンキャラメルかロイズのチョコか?おいらの時代は新京極の土産物屋で木刀買う奴が居たりね、そうそう、当時の定番土産は「五色豆」「八つ橋(生じゃない奴)」「宇治茶」「ペナント(三角形の布ね)」ショボ!

やっぱ北海道とか沖縄とかの方が良いね、いや、今は行きたいよ、ま、奈良には毎年くらい行くけど。奈良はね、上級者向きだからね♪京都と違ってブツが少ない、跡ばっかり、でもね上級者は見えるのさ、そこにかつてあった屋形や歩いている宮人達が。以前真夏の石舞台古墳行った時なんかあまりの暑さに蘇我入鹿が自販機でポカリ買ってくれたからね(^^;)
コメント (2)
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