GSゲルマニウム原人の退屈な日々

見わたせば、気になることばかりなり・・

ブルースセッションでもどう?

ナットキナーゼ信仰

2005年10月19日 11時04分41秒 | 徒然なるままに
今朝だけど、

フジの目覚ましテレビを朝は見てる、正直出演者のほとんどが嫌いなタイプなのだ、というより好きな出演者は一人もいない。じゃ何故見るのかというと朝起きてから出勤までのタイムテーブルと情報のバランスが自分にはぴったり合っているからで、もし他の番組がバランス良ければすぐにでも移動したいくらいだ。

先日も人気コーナーがやらせの内部告発とやらで取りやめになって、なにやら新しい企画が始まっているのだけど今日は納豆をどう食べるか、つまりオンザライスかどうかってこと、最近のTVでよくやってる白か黒か企画だ。近頃何でも2択で答を出そうと、データを取ろうとする番組が多い、確かにTVサイズで結果を出す為面白くするにはその方法が簡潔なんだろう。
いろいろな社会の出来事もアンケート調査などして「いい・わるい・どちらでもない」などと円グラフにして説明されるが、大方どちらでもないとか解らないと答えた場合TVが演出上か情報操作上か解らないが都合の良い方に導くような説明を付けているような気がする、白か黒かという選択が近頃の日本を壊し始めてる気がして成らないのだ。

17日コイズミ総理は靖国神社に参拝をした、それは彼が公約として言い続けていることだから(本当は終戦記念日に行きたいらしいが)それを実行しただけのことだ。諸外国、特にかつて日本が大東亜共栄圏やら八紘一宇やらでどがちゃかにしてしまったアジアの国が「ちょっと待てよ、おい」って発言しているが言いたい気持ちは分かる、言われたくない気持ちも分かる。

本来は信仰の問題なのだ、コイズミという人にちゃんとした信仰心があるのか、彼は一体何を信仰しているのか?靖国神社に参拝する、これは明らかに宗教行為なわけで彼が「私は靖国神社を信仰している」といえば何の問題もない。さらに毎月月参りを朝一出勤途中にでもしているなら個人の信仰だから問題ないわけだ。反対している多くの人はコイズミは靖国を信仰しているわけではないと気が付いてる、靖国を好む人たちに向けてのパフォーマンスをしているだけだから問題なのではないか?

彼が亡くなったとしたら神道形式で葬儀を行うのだろうか、おそらく日本の多くの人がそうであるように彼も産まれてからの通過儀礼は神道、亡くなったら仏教でって事なのだろう、ここに信仰心は存在していない、人間関係のパフォーマンスだけが存在してるわけだ。信仰とは一切の批判を捨て信じる神に帰依することだ、かなりの決心を必要とすることなのだ。

仮に無神論までは行かなくても無宗教だと言うならば何処にも関わるべきではない、個人の信じる神のことだけを思って生活すればいい、信じても居ない神の場に、自分の地位や名誉欲の為にパフォーマンスとして足を踏み入れる者を靖国の信仰者達は不愉快に思わないのだろうか?

日本人という者達は唯一絶対神を信仰する民族ではない、もともと八百万の神の元生活してきたわけだ、外来の神まで取り込みながら。複数の神を信仰することも日本ではタブーではない、それでも観光の為に行く神社仏閣とはちがい自分にとって大切な神の所へは足繁く通うものだ、コイズミという人はあれほど靖国にこだわりながらたった月に一度の月参りもしないような無礼な者な訳だ。気が付け!靖国の信仰者達、あなた達は選挙の票として利用されているだけだぞ。

で、納豆だけど、どうやったって美味けりゃ良いのだ!
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする