この怖ろしき絵は
ゴヤが最晩年ナポレオン支配下のスペインで自分の家の壁に描いた「黒い絵」の一つ「我が子を食らうサトゥルヌス」です。
最近友人が「鬼」をテーマで作品作りをしたいという話を聞き、実は真っ先に想ったのがこの作品でした、鬼に関する絵や造形などそれはもう山のように眼にしていますが、私にとってこのローマ神話に登場する農耕の神「サトゥルヌス」が自らの権力の座を我が子に奪われるという預言による疑心暗鬼から、生まれてくるわが子達を食べ続けるという姿を描いたこの作品こそ「鬼」を描いた最高傑作だと思っています。
そもそも「鬼」とはなんぞや?
まず言葉ですが、中国文献に出てくる「鬼」と日本の「オニ」は近い他人関係と考えて良いのではないかと思っています。「鬼籍に入る」などと言うように鬼は中国で元々死者を表しています、日本では目に見えない霊的な事を「隠:オン」とよびその読みに鬼の字をあてたとされてます、また目に見えない怖ろしい怪異の事は「物:モノ」と呼びその中でもケガレが多いものを「モノのケ」と呼んでいます。
つまり鬼とは元々恐怖の対象ではなく目には見えないけど密かに身近にいる「小さき神」のような物だったと考えて良いのかもしれません。しかし国家体制が整って行くにつれて体制に従わない者、見た目が人と違う者、いわゆる盗賊、狂気に走った者など国家にとって都合の悪い者を「彼の者達は鬼・悪鬼である、であるから退治してかまわない」という図式を作っていき現在の鬼の原型が作られていったと考えられます。
また、中には特別な職業を任された者達を「童:ワラワ」と呼んで他と交わらないように特殊な髪型で拘束した例もあります、彼らは四方髪と呼ばれるおかっぱのような髪型をその職業に就いている間させられています、ちょうど足柄山の金太郎のような、金太郎は実際に童子なのでいいのですがそれを老人になるまでさせられている、実はこの者達のスタイルと鬼のザンバラ髪というのは共通イメージではないかと考えられています。専門職集団を他と区別(実はこれが後の差別につながるのですが)することで交わりを禁じられた職能集団の一部が「鬼」として敬遠されていくという事もあったのかもしれません、実際鬼と呼ばれる者の多くが「酒呑童子」「茨木童子」など童子という呼ばれ方をしています。
つまり、私としては元々小さき神を鬼と呼んでいたものが、時代の流れに乗れず陰に隠れていった社会的弱者達を指すようになったと考えています。鬼を形で残す時、その当たりの鬼と呼ばれる者達の悲劇性、悲しみ、しかし体制に反発する気概などを表現してもらえたら鬼を愛する者として本当に嬉しいことです。
鬼に関しては非常に多くの研究書や伝承本がでていますが、そのなかでも40年近く前に出された「馬場あき子:鬼の研究」(ちくま文庫)は鬼に対するふかい想いと現代歌壇の代表者の一人らしい古文の解釈から重要な本だと思っています。鬼に関心のある方は是非一読を!
さ、今回のブログ、肝心の彼は読んでくれるかな?
ゴヤが最晩年ナポレオン支配下のスペインで自分の家の壁に描いた「黒い絵」の一つ「我が子を食らうサトゥルヌス」です。
最近友人が「鬼」をテーマで作品作りをしたいという話を聞き、実は真っ先に想ったのがこの作品でした、鬼に関する絵や造形などそれはもう山のように眼にしていますが、私にとってこのローマ神話に登場する農耕の神「サトゥルヌス」が自らの権力の座を我が子に奪われるという預言による疑心暗鬼から、生まれてくるわが子達を食べ続けるという姿を描いたこの作品こそ「鬼」を描いた最高傑作だと思っています。
そもそも「鬼」とはなんぞや?
まず言葉ですが、中国文献に出てくる「鬼」と日本の「オニ」は近い他人関係と考えて良いのではないかと思っています。「鬼籍に入る」などと言うように鬼は中国で元々死者を表しています、日本では目に見えない霊的な事を「隠:オン」とよびその読みに鬼の字をあてたとされてます、また目に見えない怖ろしい怪異の事は「物:モノ」と呼びその中でもケガレが多いものを「モノのケ」と呼んでいます。
つまり鬼とは元々恐怖の対象ではなく目には見えないけど密かに身近にいる「小さき神」のような物だったと考えて良いのかもしれません。しかし国家体制が整って行くにつれて体制に従わない者、見た目が人と違う者、いわゆる盗賊、狂気に走った者など国家にとって都合の悪い者を「彼の者達は鬼・悪鬼である、であるから退治してかまわない」という図式を作っていき現在の鬼の原型が作られていったと考えられます。
また、中には特別な職業を任された者達を「童:ワラワ」と呼んで他と交わらないように特殊な髪型で拘束した例もあります、彼らは四方髪と呼ばれるおかっぱのような髪型をその職業に就いている間させられています、ちょうど足柄山の金太郎のような、金太郎は実際に童子なのでいいのですがそれを老人になるまでさせられている、実はこの者達のスタイルと鬼のザンバラ髪というのは共通イメージではないかと考えられています。専門職集団を他と区別(実はこれが後の差別につながるのですが)することで交わりを禁じられた職能集団の一部が「鬼」として敬遠されていくという事もあったのかもしれません、実際鬼と呼ばれる者の多くが「酒呑童子」「茨木童子」など童子という呼ばれ方をしています。
つまり、私としては元々小さき神を鬼と呼んでいたものが、時代の流れに乗れず陰に隠れていった社会的弱者達を指すようになったと考えています。鬼を形で残す時、その当たりの鬼と呼ばれる者達の悲劇性、悲しみ、しかし体制に反発する気概などを表現してもらえたら鬼を愛する者として本当に嬉しいことです。
鬼に関しては非常に多くの研究書や伝承本がでていますが、そのなかでも40年近く前に出された「馬場あき子:鬼の研究」(ちくま文庫)は鬼に対するふかい想いと現代歌壇の代表者の一人らしい古文の解釈から重要な本だと思っています。鬼に関心のある方は是非一読を!
さ、今回のブログ、肝心の彼は読んでくれるかな?