
人間の欲望には際限が無い。
金が欲しい。
地位と名誉が欲しい。
高級車を乗り回したい。
美味しいものを、食べたい時、好きなだけ食べたい。
モテモテになりたい。
栄光を手にしたい。

でも・・・それがほんとうに自分にとって
必要なものなのかは危ういところである。

富を夢見て、その願いが叶い、
大きなお金をてにしたとしても、
もし、大病を患えば、
「 健康を取り戻すことが出来れば、
必用以上の金などなくたっていい」・・と、
思うだろう。
富を得ることは悪いことではない。
裕福な生活が出来たなら素晴らしいことだ。

ただ、「獲得する」にも、2通りがある。
1・貪欲型
「 欲しい!!! 欲しい!!! 」と念じ続けて、結果的に
獲得したもの。
2・ 滅私型
「欲しい、得たい」という願望をも忘れてしまうほどに、
自分を信じ、
自分のできることをガムシャラにやり続け、
ふとフト気付いた時に獲得していたもの。

私が今まで多くの人を観察、分析して来て思ったことは、
1・・「貪欲型」の成功者は、
何かを得た代わりに、
何かを失っている場合が多い。
流れが変わったとき、奈落の底に落ちる事もある。
2・・「滅私型」の成功者は、
「自分にとってほんとうに必要なもの」のみを獲得し、
それを得たからと言って、トータルな意味で、
大きな損失を出さない。
どのような経緯のなかからも何かを得ている。
目立たないが安定的、確実、発展的。

たまに本屋を覗くと、
「 必ず願望が叶う方法 」「成功の為の虎の巻」
とかいった類の本が何種類も置かれている。
どの本を見ても、書いてあることはほとんど同じだ。
私も若い頃、(今から30年前)、
これらの本を片っ端から読み漁った。
100冊位は読んだと思う。

当時はそれらの本を読んで共感し、
得意満面になって人に語った・・・
でも、現在は、その手の本は一切読まない。
今現在、続々と新刊される本をみてみると、
画期的なことを書いてあるよう匂わせる構成だが、
大筋の定型があり、それを脚色しているに過ぎない。
私が見る限り、書いてあることは30年前とほとんど同じ。
「 絶対原則は普遍だから 」と言われるかもしれないが、
その原則とは、確かに普遍的なことだが、
あくまでも、「入り口」の案内板であるとしか思えない。
それをいつまでも繰り返していても、
出版社や、物書きが儲かるだけのことであり、
読むひと、信じる人にとって大きな
意義など無いと思うようになった。

入り口も必用だが、それを「最高の英知」みたいに言うのは、
虚しい気がする。

更に踏み込めば、
「 滅私奉公 」となるはずだ。
これがホントウの意味での「貪欲」であると思う。

貪欲は、有限。
滅私は、無限にして、自由自在。
金が欲しい。
地位と名誉が欲しい。
高級車を乗り回したい。
美味しいものを、食べたい時、好きなだけ食べたい。
モテモテになりたい。
栄光を手にしたい。

でも・・・それがほんとうに自分にとって
必要なものなのかは危ういところである。

富を夢見て、その願いが叶い、
大きなお金をてにしたとしても、
もし、大病を患えば、
「 健康を取り戻すことが出来れば、
必用以上の金などなくたっていい」・・と、
思うだろう。
富を得ることは悪いことではない。
裕福な生活が出来たなら素晴らしいことだ。

ただ、「獲得する」にも、2通りがある。

「 欲しい!!! 欲しい!!! 」と念じ続けて、結果的に
獲得したもの。

「欲しい、得たい」という願望をも忘れてしまうほどに、
自分を信じ、
自分のできることをガムシャラにやり続け、
ふとフト気付いた時に獲得していたもの。

私が今まで多くの人を観察、分析して来て思ったことは、

何かを得た代わりに、
何かを失っている場合が多い。
流れが変わったとき、奈落の底に落ちる事もある。

「自分にとってほんとうに必要なもの」のみを獲得し、
それを得たからと言って、トータルな意味で、
大きな損失を出さない。
どのような経緯のなかからも何かを得ている。
目立たないが安定的、確実、発展的。

たまに本屋を覗くと、
「 必ず願望が叶う方法 」「成功の為の虎の巻」
とかいった類の本が何種類も置かれている。
どの本を見ても、書いてあることはほとんど同じだ。
私も若い頃、(今から30年前)、
これらの本を片っ端から読み漁った。
100冊位は読んだと思う。

当時はそれらの本を読んで共感し、
得意満面になって人に語った・・・

でも、現在は、その手の本は一切読まない。
今現在、続々と新刊される本をみてみると、
画期的なことを書いてあるよう匂わせる構成だが、
大筋の定型があり、それを脚色しているに過ぎない。
私が見る限り、書いてあることは30年前とほとんど同じ。
「 絶対原則は普遍だから 」と言われるかもしれないが、
その原則とは、確かに普遍的なことだが、
あくまでも、「入り口」の案内板であるとしか思えない。
それをいつまでも繰り返していても、
出版社や、物書きが儲かるだけのことであり、
読むひと、信じる人にとって大きな
意義など無いと思うようになった。

入り口も必用だが、それを「最高の英知」みたいに言うのは、
虚しい気がする。


「 滅私奉公 」となるはずだ。

これがホントウの意味での「貪欲」であると思う。

貪欲は、有限。
滅私は、無限にして、自由自在。
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