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名古屋の白ウサギ・1964年生

自称・宗教家・・宗教家とは職業ではなく「私の生き方」です。
職業・会社員、投資家  趣味・偽善事業

信ずべきもの

2016-01-01 | 宗教

神様はどこにいるのか?
神様といっても、色々な次元の神様がいます。
喜怒哀楽を有する次元の神様もいます。
このような神様は、
呪文を唱えたり、願いを強く訴えれば、
怪力でその願いを叶えてくれることもあります。

ただ・・・厳密に言えば、このような性質の神様は、
根源的な神様ではなく、
限りなく人間の持つ情念に近い性質を有する神様です。

それ故、欲深い個人的、利己的な願いをも
強く願えば叶えてくれることもあります。

それと同時に、その反動があることも確かです。

間違って、ご機嫌を損ねると、
思わぬしっぺ返をされてしまうこともあるのです。

最高神は特定の人をエコヒイキしたり、
呪文を唱える者に便宜を計ったりはしません。

もちろん、機嫌を損ねた場合、怒りだすこともありません。

全ての人間に対しして、あくまで公平なのです。

ならば・・なぜ、不幸・不運・不調和が人間を苦しめるのか?
その原因は何なのか?

その正体は、
自分自身の心のなかにあるのです。

最高神は、遠い天上に存在していのではありません。
ごく身近に生きておられます。

「ごく身近」とは?
自分の内です。
最高神は生きている人間のなかにおられるのです。
即ち、全ての人間は、最高神の「分霊」なのです。

  
もし、天罰なるものが存在するなら、
それは、神が人間に下した審判ではなく、

自分(ホントウの自分)が
自分(偽者の自分)に課した
自己処罰なのです。
悪因悪果のカラクリも、
そのほとんどがこの自己処罰なのです。

人間誰しも、生きているからには、必ず罪を犯します。
人を傷つけたり、生き物を殺したり・・・

罪を犯さずに生きて行くことは不可能です。
それ故、人間は無意識のうちに自己処罰を始めるのです。

因果のメカニズムを突き詰めれば、
このカラクリを発動させているのは、
神でもなく、仏でもなく、
自分自身(内在する神の心)なのです。

だから、心の優しい人、純粋な人、正義感が強い人程、
不幸や苦悩に襲われ易いのです。

心の優しさ、純粋さは尊いことです。

にもかかわらず、その反動があることも確かです。
この理不尽な、
矛盾する二つの要素を克服する方法は一つしかありません。
「自分の内に宿る神を信じる」
これ以外の方法はないのです。

自分の想念や、行為に対する反省は必要です。

ただし、その「反省」の前提が肝心なのです。
前提とは、「自分の内に最高神が宿る」という自覚です。

これに反する、「想い」を植えつける宗教は
結果的に、人を不幸にしてしますのです。

自己に宿る神の自覚こそが、自分以外の全ての人間、
全ての生命に神が宿ることを知る絶対条件なのです。

人間の本質は神であり、自己に宿る最高神を信じる事こそが、
「真の信仰」であり、
自分の外のみに神を追い求める者は、
永遠に神に近づく事はできません。

人間が生きて行くなかで起きる悲しみ、困難、苦悩、
病苦、離苦・・・・
それらあらゆる苦しみは、「自己の内に宿る神」
を自覚させる為に、人間に与えられた課題であり、
そういう意味では、これらも決して無駄な事では
ないのです。

人それぞれに、経路は違っていても、
行き着くところは神の分霊・神の分身としての自覚
であり、この自覚こそが、
因縁を超越し、悪業を消し去り、闇を消し去る。

外界に神を追い求める時代はもう終わりました。

これは、人類に霊的進化が始まり、
次の段階に入った言う意味です。
  

それ故、これからの時代は、「妄信的集団」の時代は終わり、
真の意味での「責任ある個人」の時代で
あると感じます。

自己に宿る神を信じる事が出来ない人に、
自分以外の、他者に宿る神を見ることは不可能です。

この話を更に拡大させるなら・・・
国家間の戦争も「自己処罰」です。

自分の生まれ育った国を愛せない者が、
他の国に対して敬意を持つ事は不可能です。
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