長距離バスに乗ったとき、私は必ずシートベルトを締めます。
まわりの乗客を観察してみると、
絞めていない人のほうが多いことに気付きます。
不思議でなりません、これは強要されなくても、
自分の意思で行う事だと思います。
「自分の身は自分で守る」
自分の身も守れない人間が自分以外の人間を守る事は出来ません。
(肉体的障害など、事情がある場合は別問題)
これが‘この世‘の原則だと思います。
飛行機乗った時、も同様、
要請がある無しに関わらず、座席に座ったと同時にベルトを着用し、
離陸あと、着陸するまでは絶対に外しません。
他の乗客を観察すると、離着陸の警告が終わると、
外しているみたいです。
不思議な光景です。
シートベルトを絞めずに自動車を運転していたとします。
激しい衝突すれば外に投げ出されるか、
フロントガラスで頭部を強打します。
この人が、「交通安全のお守り」を持っていたとしても、
この物理的法則を捻じ曲げることはできません。
もし、仮に「交通安全のお守り」を持っていなくても、
シートベルトをしていれば、外に投げ出されることもなければ、
頭を打ち付ける事も起こりようがありません。
神様、先祖霊は常に自分を守ってくださっています
にも関わらず・・・
危険予知、リスク管理、危機に対する備え、防備、などの
‘この世で生きて行く上で必要な自己責任‘を怠るなら、
それは、「自分の運命選択」てあり、
神や仏は、それに対して、
強引な関与はできない仕組みになってないのです。
もし、仮に過去に失敗があったとしても、
そのなから、反省・学習し、行動や考え方を改めるチャンスが
あるのです。
この繰り返しのなかで、祖先は神代から受け継ぐDNAを
絶やすことなく、守り伝えてきたのです。
その慈悲と知恵の結晶が現在、地球上に生きている人間なのです。
既に起こしてしまった失敗は進化の為に必要な要素
これから未来に発生する失敗は「それを回避する責任」がある
自己防衛意識を持たず、無謀なことを繰り返している人が、
もし、奇跡的に何の支障や事故もなく過ごして来たなら、
逆説的に考えて、
この人は「運が良いひと」とは言えない。
「 最高に不運な人 」と言わざるを得ません。
「修正のチャンス」がない・・・
こういう人が最終的に取り返しの付かない
大きな災害を引き起こしたり、巻き込まれたりするのです。
若くして大成した成金様や特殊能力者の末路は、
ほとんどの場合悲惨です。
仕事・人間関係・交友関係・・・・
全ての事象に当てはまることだと思います。
イチかバチかで切り抜け、「得をした」と思ったら大間違い、
高利貸しで借金をしたようなものなのです。
最終的には高利が上乗せされて、請求されます。
「霊的な意味に於いての進化」
に対しても同じことが言えるように思います。
ウサギヨガの修行の積もりが、
受身の練習になってしまった・・・
これも、転んだとき怪我をしないための訓練と、
自分に言い聞かせた・・