フロイトは、
人の意識に無意識( 潜在意識 )
の領域が存在していていることを発見しました。
フロイトは人間の意識( 心 )は、
3重構造になっていると考えました。
(1) 意識 ・・・・
意識が自覚できる領域
(2) 前意識 ・・・・
思い出そうと意識すれば思い出すことが出来る領域( 記憶 )。
(3) 無意識 ・・・・
意識の奥底に潜んでいる、実体が掴みにくい隠れた領域。
フロイトは、「(3)無意識 」の部分のなかには、
「 (1)意識 」が認めたくない部分が存在していると考えたのです。
フロイトの記した 「 花瓶のお話 」が実話なのか、
それとも、フロイトが創作した例え話なのか・・・
今となっては、それを検証する術がありません。
もし、仮にこの話が、フロイトの創作、若しくは脚色であったとしても、
そんなことは、この際関係が無いように思われます。
フロイトの理論は、何でも「性欲」に結びつけ、
非常に暗く、ドンヨリしたものです。
弟子のユングも最後はフロイトと、対立する事となりました。
フロイト理論は、極論過ぎる部分も多々あるような気がしますが、
フロイトが、人間の無意識の領域の重い扉を開いたことにより、
その後の心理学の骨格が出来上がったことも確かです。
そういう意味で、やはりフロイトの功績は甚大であると感じます。
フロイトの「 花瓶の話 」は、人間の運命のメカニズム
を解明するうえで、重要なお話であると、
前回申し上げました。
私がいままで、多くの人を観察し、
人間洞察をしてきて感じました事は、
世間的にみて、「 いい人 」「 嫌な人 」
の違いと、、
その人の幸運・不運との因果関係は無いということです。
真面目で、正直で、正義感が強い人間が、
生涯を通して、理不尽な運命を背負わされたり、
優しく、思いやりがあり、親切な人が、
とことん不運な目にあったり・・・
そんな事例は数えきれないほどあります。
人として正しく生きる。
人としての優しさをもつ。
他人様に迷惑をかけない。
親切と思いやりを持つ。
こういったことは、ごくごく当然のことであり、
普通の人間なら、意識したり、努力したりするまでも無く、
誰でも自然にやっている事です。
うちから湧き上がる 「 善意 」こそ、
「 ホンモノの自分 」なのです。
なかには、例外的にこういった事が出来ない、
異常な人間がいることも確かですが、
こういう人間は、特殊であるが故に目立つだけであり、
ごく少数派でしかありません。
ここような、「少数派の異常な人間」は、
論外とするしかありません。
現実に、現在、私に近寄ってくる人間はに、
救いようの無い異常な人は一人もいません。
フロイトの最大の欠点・弱点は、
異常な人格、異常な行為、異常な心理
のみに意識を向けたことだと思います。
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善・悪の基準すら、曖昧すぎます。
私は過去に約30年間、会社勤めをした経験があります。
その経験のなかで思ったことは、
善い人 ・ 悪い人 の判断など
たやすくできるものではないということです。。
同じ会社の人間のなかには、
ものすごく優しく、親切で、愛嬌のある人間が、
肝心なところで、多くの害悪を発生させたり。
「 あいつ嫌な奴だ・・・ 」
「 あいつは、悪い奴だ・・・ 」
と、影で囁かれている嫌われ者が、
じつは、重要な部分で、
「 粋な行い 」
をしていたり・・・
人の運命・ひとの本質・を語る上で、
このような人間の持つ多種多様の
複雑怪奇な要素を無視して、
ひとつの原理、のみで、
バッサリ斬ることは、
非常に浅はかであると思えるのです。
この現象世界は、
「 ワルを演じる 」事も、
時には必要な事があるのです。
「 人から嫌われる 」ことも、
ときには必要なのです。
うわべだけの安っぽい人情話は、
聞いているだけで溜息が出てしまします。
何よりも肝心なのは、
「 自分の本質 」 「 人間の本質 」
を理解することなのです。
残念ながら・・・
宗教家 熱心な信仰者 ほど、
「 宝刀 」を振り回す単純な人間が多い。
私も自称・宗教家であるから、
偉そうに、他人のことは批判できませんが・・・