今年の春先、吹雪に巻き込まれて難渋した音羽山とその南にある鐘撞山を久し振りに尋ねる事にした。この両山とも輝石安山岩の形成なので二重火山と言われる榛名山塊のうちでは多くの外輪山と同じく「古期活動」の所産である。榛名の活動は百万年前に始まると言うのが定説であり、最初に外輪山が形成されたが一時休止、その後の活動で山頂部が陥没してカルデラが誕生、再びの休止後に「新期活動」が始まり先ずカルデラ東部の爆発で相 . . . 本文を読む
平成十八年の一月、高崎市・新町・群馬町・箕郷町・倉淵村が合併し人口約32万人弱の新市が誕生する。地形から言って榛東村も入ると思ったが、自衛隊駐屯地を抱えて財政豊かなのか?今回の合併には入っていない。もう一つの問題地域、榛名町は合併に関しては賛否両論相半ばして未だ決着はついていないので、これまた一月の合併には枠外となってしまった。こうなると倉淵地区は飛び地になってしまう。406号線で言えば現高崎の最 . . . 本文を読む
*資料・群馬郡誌室田の項より
榛名山ハ古ノ「伊可保呂乃蘇比乃波里波良」ノ地ニテ中古春名山・榛那山ト記シ、鎌倉時代ニ至リテ榛名山ト一定セシガ如シ。コノ山早クカラ開ケテ神ヲ祀リ中古天台ノ所轄トナリ座主別當職ヲ置キ社家・社人・神領ヲ統括シ一山永ク守護不入ノ地タリ。延元ノ頃、座主職新田氏ヲ助ケテ王事ニ倒レ、執行足利氏ノ助ケヲ受テソノ職ヲ継ぐ。慶長年間、上野東叡山ニ属し、寛文9年榛名湖沼ノ原並ビニ富士山ノ辺 . . . 本文を読む
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先日の失敗に懲りて判り易いと言われる吾妻口から梓山を目指すことにした。伊香保国際裏から岡崎を通過して35号線を西進し、東村から吾妻町に入って直ぐに「泉沢へ」の看板を左折しセンターラインもある立派な道へ入る。道路標識は見当らないがこの道は「小泉・泉沢線」と言うらしい。道は蛇行しながらも泉沢川西岸を行き、間も無く一車線の狭い道、約5㌔で右急旋回する個所に左に . . . 本文を読む
上野国郡村誌・奥田村の項に梓山の事が「吾妻山、梓山トモ云。――山頂ニ直立ノ大石三箇アリ、コノ中央ノ石ヲ日本武尊石ト云、東方ノ石ヲ妻石、西方ノ石ヲ武彦石ト云」と書かれているので伝説の岩探し二回目で遂に発見。
西の吉備武彦岩
中央の日本武尊岩
東の妻岩
妻岩の上にある石宮
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先日、梓山に行くときに榛名湖北岸で「壱っ岩」を見たが、此れは今から三百年前の榛名湖からの取水を巡る吾妻・岡崎と高崎藩十一ヶ村の水騒動の裁定測量基準点である。この時、高崎藩大河内右京太夫輝貞、通称松平右京が榛名湖の水を白川に落とそうとして工事半ばで挫折したトンネル跡がスルス岩下にあると聞いて、それを探しに行くことにした。
水騒動に付いては研究者・水月亭ご主人の野口正雄氏ご子息の了承を得られたので別項 . . . 本文を読む
水月亭のご了解で「右京のむだ掘」の顛末を紹介するが要約によって原文を損なっては拙いので其の侭を転載する。黒岩からスルスに向う終盤で空沢を渡って少しの樹幹に「左100㍍」とテープ貼りして置きました。尚、この話は倉賀野出身の郷土史家 故・前沢辰雄氏の執筆で「上州の史話と伝説・群馬編」に極めて説話タッチで載せられている。勿論、当然の事として「前沢辰雄遺構集」にも。
「榛名山の昔、むかし」
水月亭別館 . . . 本文を読む
以前から300選氏から話を聞いて気になっていた山がある。東村の「梓山」である。但し、登山記録を探しても全く見つからない山ではあるが。この山に神話に絡んだ巨岩があるというので其れを見たいと思っていた。そしてこの岩のことを記述した記録を遂に見つけた。「上野国郡村誌(11)吾妻郡奥田村」の項に次の記載がある。
「吾妻山、梓山トモ云。高百八丈周囲詳ナラズ。――山頂ニ直立ノ大石三箇アリ、コノ中央ノ石ヲ日本武 . . . 本文を読む
吾妻と日本武尊
上野国郡村誌・奥田村の項に梓山の事が「吾妻山、梓山トモ云。――山頂ニ直立ノ大石三箇アリ、コノ中央ノ石ヲ日本武尊石ト云、東方ノ石ヲ妻石、西方ノ石ヲ武彦石ト云」と書かれている割合には、その他の記録が無く、中之条などに多くある伝説の記録などに比べると誠に寂しい限りでまるで文化圏が違うかのようである。取り敢えず言い伝えられている事を史話から要約する。
関東の山の信仰の多くが日本武尊ガラミ . . . 本文を読む
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吾妻町の芦鞍山(天狗山 895.4m)に行って見た。この山はインターネットで検索しても登山記録は見つからず、唯一300選氏が取り上げているだけの不人気山である。
何時もの通り原町の「槻の木」で145線に入って西進。吾妻線岩島駅を過ぎて、最初の松谷信号を左折して「荒神橋」を渡り道なりに進む。周辺はダム工事関連らしい大規模造成の真最中。この道も工事の為、行き止 . . . 本文を読む
東京行きの所用が明日に延びたので一寸の隙間に、かって「柴犬さん」が味噌玉岩が面白そうと言っていたのを思い出し、300選氏が下山して来た記録の逆を行こうと、味噌玉岩から杏ヶ岳への登り上げを考えた。室田四つ角を右折して211号線を急ぐ。33号線との合流から2キロ地点の「かび屋」先の「明神橋」が目的の「杏ヶ岳林道」の始点である。見た所、路面が悪いので橋の袂に駐車して歩き始める。
目印は尾根が林道に垂れ下 . . . 本文を読む
昨日のゴルフコンペの惨敗の気晴らしに、午後になってから曇り空を心配しながら一寸其処までの気分で再び朝日岳に向う。目的は二つ、先日付けた標識の誤字(跡の字の旁の上の点を二つ書いてしまった)修正と「甘楽町史」で見た城址の図面で北西に尾根があったのでその探索である。
吉井・神戸から甘楽に行く林道は全面通行止めなので今日は甘楽側から登山口へ行くことにした。上州新屋の金井信号を鳥屋方面に左折して信越高速道下 . . . 本文を読む
朝日岳北峰は「天引城址」とされるが、国峰城のような巨大な城ではなく戦歴も明らかでない砦程度であるので「上野国郡村史」に「――天引城墟、村人能ク遺事ヲ説くモノナシーー」と書かれてしまう程度である。かってこの地は武田・上杉・北條の三つ巴戦の台風の目の存在であったのにである。
「甘楽町史」には下の写真とともに城址の説明が記載されている。
上の図で東からの稜線は「やじま」から登ってくる東コース、南に伸 . . . 本文を読む
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午前中に雑事を片付け、吉井三山縦走の前哨戦として一番心配な朝日岳西コースで南峰に乗り上げ、北峰(天引城址)に回って三角点にタッチして吉井の「料亭やじま」に降りるコースの確めに行くことにした。ついでに三角点だけの北峰への標識付けも。
17号線で「和田橋」高松信号周辺の変貌にオタオタしながらも、何時もの通り吉井駅前から71号線に。「神戸」で右折して甘楽へ . . . 本文を読む
どうも「孫岳」のことが気懸かりで、ブログ再構築も終わったし、明日から二三日は天候不順と聞いて榛名に向かった。地形図を見ると雌岳途中の屏風岩手前か、オンマ谷から登って雄岳分岐辺りからが近そうだが、良く判らないので兎に角現地へと急ぐ。
取り敢えず、榛名カントリーを通る林道で森林公園。水沢山登山口近くに駐車して「つつじヶ峰」に向う。この辺の紅葉は既に僅かのものを残して終わりで周囲は冬並の枯れ木状態。その . . . 本文を読む