*資料・群馬郡誌室田の項より
榛名山ハ古ノ「伊可保呂乃蘇比乃波里波良」ノ地ニテ中古春名山・榛那山ト記シ、鎌倉時代ニ至リテ榛名山ト一定セシガ如シ。コノ山早クカラ開ケテ神ヲ祀リ中古天台ノ所轄トナリ座主別當職ヲ置キ社家・社人・神領ヲ統括シ一山永ク守護不入ノ地タリ。延元ノ頃、座主職新田氏ヲ助ケテ王事ニ倒レ、執行足利氏ノ助ケヲ受テソノ職ヲ継ぐ。慶長年間、上野東叡山ニ属し、寛文9年榛名湖沼ノ原並ビニ富士山ノ辺、榛名神領ト定メラレ、伊香保トノ境界明確ニナル。
「東叡山ニ属シ」の項は「榛名神社」の記述の中に「山中社家・神主ノ統一欠く。英雄ノ割拠ニ任セ法印山伏ノ各所ニ蟄居セルアリ。家康ノ黒印ノ法度ト天海僧正ノ掟制ニ応ジテ
天台宗上野寛永寺ニ属セリ」に合致するのかも。
寛文9年の事は寛文5年の諸宗寺院法度・諸社神主禰宜法度制定の流れかもしれない。
*伝説・前沢辰雄遺構集より
「榛名権現氏子の主張」 山中三里四方は上野毛始神豊城入彦命御子孫代々のご料地なり。上古より榛名山神領と称し権現座主これを祭祀奉りしものなり。
「伊香保明神氏子の主張」 榛名山は上古よりいかほ嶺と呼び伊香保明神の神域なり。大沼と富士の岳こそその山霊の篭もれるものなり。
この決着のため氏子代表が夫々の社前からスタートして榛名富士山頂の富士浅間神社の銅鏡を奪い合うという本邦初のマラソン競技が始まる。賞品は榛名湖と榛名富士という超豪華版。その結果、権現代表源五郎が伊香保代表九里太郎を僅差で破り勝利し、榛名権現が榛名湖周辺を手中にした。破れた九里太郎はやせ衰えて帰りの峠で倒れて死んでしまった。
この峠を誰言うとも無く「ヤセオネ峠」という。寺社奉行の裁定がこの結果とおりになったのはずっと後の事である。
どうも昔からの領域争いがあったようであるが、榛名町の過度の伸張はやはり榛名神社の威光なのかもしれない。
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榛名山ハ古ノ「伊可保呂乃蘇比乃波里波良」ノ地ニテ中古春名山・榛那山ト記シ、鎌倉時代ニ至リテ榛名山ト一定セシガ如シ。コノ山早クカラ開ケテ神ヲ祀リ中古天台ノ所轄トナリ座主別當職ヲ置キ社家・社人・神領ヲ統括シ一山永ク守護不入ノ地タリ。延元ノ頃、座主職新田氏ヲ助ケテ王事ニ倒レ、執行足利氏ノ助ケヲ受テソノ職ヲ継ぐ。慶長年間、上野東叡山ニ属し、寛文9年榛名湖沼ノ原並ビニ富士山ノ辺、榛名神領ト定メラレ、伊香保トノ境界明確ニナル。
「東叡山ニ属シ」の項は「榛名神社」の記述の中に「山中社家・神主ノ統一欠く。英雄ノ割拠ニ任セ法印山伏ノ各所ニ蟄居セルアリ。家康ノ黒印ノ法度ト天海僧正ノ掟制ニ応ジテ
天台宗上野寛永寺ニ属セリ」に合致するのかも。
寛文9年の事は寛文5年の諸宗寺院法度・諸社神主禰宜法度制定の流れかもしれない。
*伝説・前沢辰雄遺構集より
「榛名権現氏子の主張」 山中三里四方は上野毛始神豊城入彦命御子孫代々のご料地なり。上古より榛名山神領と称し権現座主これを祭祀奉りしものなり。
「伊香保明神氏子の主張」 榛名山は上古よりいかほ嶺と呼び伊香保明神の神域なり。大沼と富士の岳こそその山霊の篭もれるものなり。
この決着のため氏子代表が夫々の社前からスタートして榛名富士山頂の富士浅間神社の銅鏡を奪い合うという本邦初のマラソン競技が始まる。賞品は榛名湖と榛名富士という超豪華版。その結果、権現代表源五郎が伊香保代表九里太郎を僅差で破り勝利し、榛名権現が榛名湖周辺を手中にした。破れた九里太郎はやせ衰えて帰りの峠で倒れて死んでしまった。
この峠を誰言うとも無く「ヤセオネ峠」という。寺社奉行の裁定がこの結果とおりになったのはずっと後の事である。
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