漸く雷雨無しの予報が出たので霧積から鼻曲山へでもと思ったが三角点タッチ
遊びの途中なのでぐっと我慢。榛名南麓中腹以上でタッチしてないのは
巌山・滝ノ平・宮沢の三点のみになったので今日はその内の二つを狙う。
設置場所は榛名神社西側を南北に走る岩稜帯の北端と南端。
通勤時間帯の渋滞を避けて榛名神社無料駐車場、第一目標の三角点・巌山の
ある筈の岩稜突端を見上げながら出発。
神社への参道途中から西の稜 . . . 本文を読む
毎日、雷予報で封じ込められているが、耐暑訓練を兼ねて何時でも
退避出来る平場の三角点探し。手始めに榛東付近。
(1)旧箕郷 四等三角点・矢原 334.14m N-36-24-55-3 E-138-56-48-0
国土院資料では「報告なし」になっているので最初から難物覚悟。
28号線で榛名に向い、農林大学校前を通過して「新井・榛名線」へ右折。
この道は広域農道と通称していたが今や県道で昔の標 . . . 本文を読む
町名標識漁りもいよいよ最終段階の西部地区。信号機が少なく探し物は
中々見付らないし、片側一車線の道は駐車に苦労する。
やっと九つだけゲットして終了とした。
(53)浜川町(旧長野村)
「長野」の地名は七世紀の古墳時代まで遡るのは定説だが、戦国時代この地に
あって善政を誇った豪族も当然長野氏を名乗る。だが、余りにも領民のための
政治理念から、他国を侵さずの方針は長野氏を戦国大名たらしめることな . . . 本文を読む
(40)石原町(旧片岡村)
711年の「続(ショク)日本紀」に既に「片岡郡」と名が記されている様に
高崎で一番古い地名と云う事になっている。元は乗附・寺尾・石原の
3町だったのだが、昭和42年の和田橋開通を契機とする急速な
市街地化により50年に八千代・片岡・聖石、56年に城山の各町が誕生。
「石原」とは文字通り大水の度に荒れ果てる「石の原」という地形から。
字清水にある808年に坂上田村麻呂 . . . 本文を読む
定例のゴルフコンペは終わったが天気の具合がぱっとしないので又もやジイ散歩、
第三弾は高崎東部地区を一回り。
(28)江木町(旧塚沢村)
この標識は江木町の南端、東町との境にある。354号線と東三条通りとのこの
交叉点は今年の秋完成を目指して拡張大工事中。
「江木」の地名は既に戦国時代に「縁喜之郷」とか「恵木」の記録が在ると言う。
古来、井野川支流の平坦地で中央を長野堰が流れ、水田灌漑用の水路 . . . 本文を読む
(16)飯塚町(旧塚沢村)
この標識は広い飯塚町の北端、第一病院西側の旧三国街道の通る小さな
信号に掛かっている。江戸期からの上・下飯塚村は明治22年に他の4ヶ村と
共に塚沢村を形成してその大字となるが、「飯塚駅(現北高崎駅)」より南の
字大橋はこの時、高崎町に編入。飯塚の「塚」と「貝沢」の「沢」で塚沢村。
昭和2年塚沢村は高崎に合併して高崎市大字飯塚、次いで昭和26年に
貝沢・江木・岩押・高 . . . 本文を読む
梅雨の真最中、晴間があっても午後の雷雨が危ない。
そこで足慣らしを兼ねての「ジイ散歩」で町名由来を尋ねて市内の探訪。
伝説史跡巡りも双神道祖神も道しるべも一通り終わっているので、テレビ朝日の
「ちい散歩」に対抗して勝手な命名。
種本は「田島武夫著・高崎の町名由来」「田島桂男著・たかさき町知るべ」と
爺イの歴史メモ。
平成の大合併の前の旧市の時代、町の数は158、爺イが高崎に転居した
S-45年時点 . . . 本文を読む
午前中の雑事で時間が半端、こう云う時は矢張り半端なハイキング。
狙いは榛名山中の「大字境界線交点」の確認というつまらない話。
国土院1/25kでは標示されていないが、地元行政の1/10k地形図では
大字境界線が確認できる。勿論、平成の大合併の為、実質的には
高崎市内の「町境界」と化してはいるが。
旧榛名町の小鐘原ヶ岳から直線距離で東南約0.85k、天狗山から東0.65k
の地点に地形図上、四本の境 . . . 本文を読む