岩井洞に鎖場の練習に行くことにした。中央橋で小野上村に入り、小野上温泉駅の先の岩井洞ドライブイン斜向いの空き地に駐車。先ず岩井堂を一回りしてから353線の一本北側にある作間神社への道に入り、直ぐに小橋を渡って山手に入ると岩井洞登山口がある。
この山辺りは吾妻太郎の時代に始まり、16世紀の戦国時代には斎藤一族・眞田一族・武田軍団・北條軍団・上杉一統が鎬を削った古戦場である。この岩山は現在の吾妻町にあ . . . 本文を読む
もう、紅葉には一寸遅くなったが、岩井洞の帰りに「吾妻渓谷」に寄って見た。昔子供たちの間で流行った「上毛かるた」にも「耶馬溪しのぐ吾妻渓」と言うのがあった筈である。
今日は土曜日なので混雑は覚悟であるが、こっちには度々来るわけもないので。
果たして渓谷近くなると少しの空き地には車が止まり歩いている人も多くなる。空き場所も見つけられないまま、進んだか「熊の茶屋」で偶然帰り車の後に滑りこみ駐車。
遊歩道 . . . 本文を読む
滑落を見た仕舞った妙義「大の字」
18号線を西進して松井田バイパス辺りから妙義を眺めると白雲山の中腹に白く輝く「大の字」が見える。妙義三回目の今日の目的はこの「大の字」まで行く事だ。
妙義神社付近で駐車場を探すと、鳥居の先に町営無料駐車場があった。この大の字の由来には諸説あるようで、案内書には「昔の旅人の目印」「明魏大権現の大」「山の御神体」等と載っている。
正面の赤い大鳥居をくぐって土産物屋の . . . 本文を読む
「嵩」の字は「タケ」と読ませるものの「タケ」「カ」では漢字変換が出来なく、「カサ」でなくては駄目と言う不思議な文字である。
嵩山は、縄文時代の遺跡があるように昔から信仰の山であつた。古代では祖霊の山、中世では「和利明神」として崇められて来た。しかし、何と言っても決定的なのは「嵩山合戦」の悲劇を伝える場所となり、元禄年間に(1702年)全山に観音像が建設され、さらなる信仰の地となったとのことである。 . . . 本文を読む