クタビレ爺イの山日記

諸先達の記録などを後追いして高崎近辺の低山中心に歩いています。

安中の古城址探訪(1) H-21-1-25

2009-01-26 06:45:49 | 伝説・史跡探訪
リハビリ散策第二弾、今日は安中の古城址探訪。 安中氏が最初に支配したのは松井田だ。それも地元の豪族かと 思ったら越後からの移住者だったのだ。「安中志」に 「出羽守忠親、後に安中出羽守と改、長亨元年(1487)上野国 碓井郡松井田小屋城を建て、越後新発田より引き移るーー」 「上野誌」の記録は「松井田西城に引き移り居住す」 とある。 小屋城は新堀の松井田城安中曲輪の事だし西城とは同じ新堀の 金剛寺辺 . . . 本文を読む
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安中の古城址探訪(2) H-21-1-25

2009-01-26 06:44:24 | 伝説・史跡探訪
そして瓶尻の戦いから二年後の永禄二年(1559)、信玄は大軍を 率いて二度目の西上州への侵攻。だが、業政に翻弄されて不成功、 遂に「あの爺が生きている限り落城は無理」とぼやくばかり。 そこで中央突破は諦めて業政の手足となる諸将の城を弱そうな 所から順次に攻略し最後に本拠を衝く方針に転換。 そうしている内に永禄四年、業政が亡くなる。遺言として 「-仏事を修するなかれ。子も敵に降るなかれーー」として . . . 本文を読む
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安中の伝説・八重の淵 H-21-1-21

2009-01-22 15:32:11 | 伝説・史跡探訪
天気は良し、気温も高め。恐々ながらリハビリに少し歩き始めた。 ただの散歩では面白くないので史跡探訪の積もりで安中へ。 狙いは安中氏の興亡の筈だったが蛇足の伝説の方が面白くなった。 「八重の淵」がらみである。この八重の淵はかって小幡の 「お菊事件」を追い回していた頃、類似伝承としてここを訪れているが 今回、ここにある碑が医療関係者による建立と聞いて好奇心が 再燃したのだ。 事の成り行き上、三年前の爺 . . . 本文を読む
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鷹留城址のあれこれ H-21-1-20

2009-01-20 17:34:29 | 伝説・史跡探訪
上の写真は山崎一氏の著書にあつた鷹留城址のもの、何で今頃かと言うと 三角点探訪の時、此処に在る筈の「三角点・根古屋」を未だみつけられて 居ないから。それに城址記録に興味が湧く。退院後、未だリハビリも 始められないので色々と思いを巡らせている。 先ず、長野氏菩提寺の長年寺に残る「長年寺記」から抜粋。 「明応年間(1500)、長野業尚浜川ヨリ徒リ下室田ニ居リ碓井・群馬両郡ヲ領ス。 文亀三年(1503 . . . 本文を読む
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正月の災難  H-21-1-17

2009-01-17 10:33:55 | その他
「よし! もう大丈夫だ 明日にでも退院して良いよ」 「そんな急に退院たつて、ほら毎日八本の点滴でこんなにがんじがらめなのに 先生、あんまり無茶言うなよ」 「大丈夫だよ 爺さん 大体直ったから」 「大体? 大体の程度で追出すのかよ 先生?」 「ほら これが退院証明書の原稿 良く読んで!」 「ふーん 一寸見せて (傷病名) 肺気腫 気道感染 エ―ッ 俺の病気は肺気腫だったの?  (転帰) 治癒―  . . . 本文を読む
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