きのう8月15日は67回目の終戦記念日。あの大戦で海外で亡くなった人は240万人と言われているが国内も含めると320万人にのぼる。その戦争を知る世代が高齢化して語り継がれることも少なくなってしまった。Wakiにとって戦争が始まったのが国民学校2年の時、家族は大阪市内に住んで父は商売をしていたが、やがて大阪も空襲にやられるとのことで北野田(今の堺市)に疎開したが、3月13日の大阪大空襲で住んでいた家は焼けた。それから堺市の大空襲(7月10日)も目の当たりにして8月15日の玉音放送を聞いて戦争は終わった。そのとき国民学校4年生。切符も無しで大阪の祖母の家に行って帰ってくるませた子供であった。それからは苦難の連続であったが父は商売を再建。家族7人なんとか暮らすことができた。でも、堺大空襲のあと被災した親戚をたずねて兄と二人でまだくすぶる焼け跡の中あちこちに焼け焦げた死体見て歩いた経験は忘れることは無い。たどり着いた親戚の家は焼けてなく、かろうじてタンスの引き出しだけが川岸に積み上げて残っていた。Wakiはいまだにこのトラウマから抜け出せずにいる。