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教育落書き帳

教育とは何か…子どもの視点を尊重し、親、伴走者、市民の立場から語ります。子どもを語ることは未来への信頼と希望を語ること。

子どもと携帯電話(1) 「原則禁止」措置から思うこと

2008年12月21日 | 教育全般

 政府の諮問機関として「教育再生会議」が安部内閣の下で発足したとき、その内実は戦前回帰を夢見たとてもアナクロ的なものであったが、福田内閣になった時に、それを廃止して「教育再生懇談会」として再出発した時、それは同じ内閣の諮問機関とはいえ大きく異なるものであった。一般に、「何もしない内閣」として福田内閣は評判が悪かったが、安部内閣のような時代錯誤・反国際社会感覚的な法制度をどんどんやるくらいなら、何もしないでいる方がよほど生産的というものだった。福田氏の設けた教育再生懇談会は現状に沿った教育の視点をいくつも出してきている。これは福田内閣の最大の功績(?)かもしれないと思っている。

 正直なところ、文部科学省が2008年7月25日、各都道府県教育委員会教育長等に宛てて「児童生徒が利用する携帯電話等をめぐる問題への取組の徹底について(通知)」を発信したとき、教育界からは「えー、今さら!」「もう無理じゃないの?」という声もあり、すでに「遅きに失した」感があった。だから、文部科学省は居丈高に拳を振り上げてはみたものの、落としどころに困惑している様子も伺えた。

 そこに来て、今回の大阪府の橋下知事の積極採用の支持発言である。彼の思考には短絡的で視野狭窄的な側面も見られるが、今回の決定はかなり真っ当である。これで一番ほっとしているのは言いだしっぺの文部科学省かもしれない。

 子どもたちと携帯電話の(特に弊害に関する)問題はいろいろ出ているからここで改めて書かないが、結論から言えば《賛成》である。使い方によっては優れた文明の利器であるには違いないが、(子どもと同列には論じられないが)「猫に小判」「キチガイに刃物」の喩えもある。民主主義の原点(?)という人もいるが、拳銃を子どもの自由にさせるわけにはいかない。まかり間違えばテロや自爆のための道具と化す。携帯電話も性格は同じである。

 私はフリースクール(ぱいでぃあ)を運営しているが、正直、携帯電話については悩まされてきた一人である。で、文部科学省が教育再生懇談会が提言を出すよりだいぶ前から、スクールの中での「携帯電話禁止」を打ち出していた。

 そもそもフリースクールにやってくる子どもたちは学校の中ではクラスに一人いるかいないかの《特異》な子どもたちである。だから、いきおい、その子どもたちと携帯電話との関係も学校での問題に輪をかけた特異なものになる場合もある。ただし、この《特異》ということは、そういうこどもたちが必ずしもマイナス的な価値だけを体現しているのではないのと同じく、必ずしもマイナス的な価値を表しているだけではない、ということは抑えておきたい。

※この問題に関しては、また触れることになるかもしれない。



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