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旅行大好き、ブログで旅日記を作りたい

関西を歩く・・洞川ハイキング ・ 赤目八十八滝 ・ いいとこ取り鯖街道 ・ かやぶき美山

2016年09月19日 | 関西を歩く

赤目八十八滝&長坂山トレイル (2016.11)

 関西では有名な赤目八十八滝を終わりまで歩いてみたかった
やっと叶うツアーを見つけて参加した
24名参加 レベルはハイク中級だったがトレイルの上り下りはきつかった

赤目八十八滝は三重県名張市、奈良県とほぼ県境にある

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観光ハウスの付近は忍者の人形がいっぱい 赤目滝は忍者の修行地だったそうだ
伊賀忍者は大阪陣の時、徳川家康を助け無事に尾張に帰したことで有名

  

 現地案内人と準備体操 後半に登る「長坂山」を見上げる

   

サンショウウオセンターから歩きをスタート 入山料は¥500

  

 赤目の渓谷は古代の溶岩が固まった柱状節理が水の浸食で出来たそうだ
岩がごろごろ その岩が苔生して、水は澄み、観光歩道は整備されていた

最初は「行者滝 」ここで禊をして修行に入った 「赤目牛」を撫ぜて通る

  

一番名所の「不動滝」 水は少なかった

 「乙女滝」 落差5mもない可愛い滝 

 

 「八畳岩」 実際は20畳はある巨石だったが写真では大きさが伝わらない 

   

 掌のように開いた「千手滝」

弘法大師が籠ったという「護摩の窟」
以前来た時 1時間のフリータイムではここまでしか来れなかったから、ここから先が楽しみで歩く

 「龍が壺」を覗いて、急階段を登る 濡れた岩にイワタバコ きれいな花が咲くそうだ
http://image.search.yahoo.co.jp/search?p=iwatabako&ei=UTF-8&fr=top_of3_sa

 

「釜ヶ淵」は澄んだ水で泳ぐ魚が見えた

 

 広々とした「百畳岩」につて休憩 

   

「七色岩」を通り奥へ進む

 「雨降滝」は柱状節理そのもの 上からの水がはねて雨のようになるとか
今回は晴れ続きで濡れなかった

     

 「髑髏滝」 滝の中にある岩が髑髏に見えるそうだが・・? 

  

赤目は滝で有名だが、対岸の岩が凄いと思った 真っ直ぐに立った柱状の巨岩の迫力

   

観光写真で見る「荷担滝」、「雛壇滝」は水か少なく残念
水量有れば見事だと思う 

  

「琵琶滝」で終わり、百畳岩まで戻る

 

戻った百畳岩で昼食弁当を開く

 長坂山トレイル開始 2016年にトレッキング用に登山道を作ったそうだ

  

 ロープが新しく作らたばかりと判るが 急な登り 100m余りを一気に登る

  

 610mからの見晴らし 紅葉はまだだった

  

 登る前に見上げた赤目のセンターを見下ろす 山の影が映っている

  

 長坂山の三等三角点 植林でここからの見晴らしは無い
ビューポイントからの紅葉は今年は遅れているそうだ

   

下りもまた急な坂を足元ばかり見て下る も少し見晴らしの良い尾根歩きがあれば楽しいのに・・

 4時間30分 17,500歩  


 

 関西を歩く・・洞川・面不動鍾乳洞ハイキング (2016.9)

洞川(どろかわ)がどこかも知らず、入浴付に惹かれて申し込んだが当日は台風接近で雨模様
35名参加で大型バスだった 大坂から2時間半

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トイレ休憩は道の駅「吉野路大淀」 インフォメーションと野菜市で賑わっていた

 

洞川温泉バス駐車場に到着 小雨の為 バス内で早めの昼食「めはり弁当」

赤い橋を渡り 洞川八幡宮へ無事歩きを祈る

   

八幡宮の横にトロッコ乗り場があるが、私達は整備された階段をのぼり 面不動鍾乳洞へ

   

トロッコもここが終点 ここからの見晴らしが良い 階段を上ると入口

  

あまり大きくはないが、幻想的に照明されている
足元が濡れるほど天井からしずくが垂れて今も進行中の鍾乳洞

  

カワウソの化石が祀られていた

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ここから林の中を通り、展望台へ向かう 途中の吊橋は「かりがね橋」
両側に金網を貼った板の橋 制限人数は20人だそうだ

  

展望台へついて休憩 村を見下ろす

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下りは舗装された道だったが、濡れた苔と砂で滑り易い
下に着くとオートキャンプ場、星観察スポットがあった 照明のないので星がきれいだろうと思う

次の橋は鉄製で下が透ける 川の水は澄んできれいだ

  

渡っていくと川の対岸に蝙蝠の穴が沢山ある 大峰山 蟷螂の岩屋の表示がある

   

最後の橋を渡り川の対岸に出る 車が通る道を歩いて周囲を観光しながら帰る

 

川の反対側に 講祈念が並ぶ 

  

ごろごろ水駐車場横に浄水汲み場あり 美味しい水が出ていた

 

大峰山の陽明門 登って行くと塔の内部も見れるという
壁の棚に仏像が並び、左右の太柱は登り龍と下り龍の対の彫り物だった

 

洞川温泉街は縁側のあるレトロさが人気らしい 若い人が歩き活気がある
こんな山奥だから寂れた所かと思った予想外に驚く

  

洞川温泉で入浴、汗と雨で濡れた服を着替えてさっぱりする
ハイキング後の入浴付は嬉しい

約7km 3時間 15,000歩 楽なハイキングだった
帰りのトイレ休憩はいつもの「柿の葉寿司」店

おわり 


いいとこどり鯖街道 (2016.11)

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鯖街道は2015.9~2016.5に、月一回のシリーズに参加し完歩した
でもこれはいくつもある山越えの鯖街道を歩くものであった

記録は下記

鯖街道①~③
http://blog.goo.ne.jp/goorosy/e/ceea59742b03a9b9159c304dcac2e9d7

鯖街道④~⑥
http://blog.goo.ne.jp/admin/editentry?eid=aa66bbedd0bf71c7f2cacd632ce61571&p=1&disp=50

今回はバスで巡る鯖街道、 国道367、国道303の「朽木宿」、「熊川宿」、「小浜」巡るコース
ツアー会社の特別企画で各地から7台のバス 合計300人が参加した 天気は小雨

国道367は霧の中 山は雲の中で折角の紅葉は見れなかった
道の駅「妹子の郷」でトイレ休憩

高島市 道の駅「くつき新本陣」でバスを降りて朽木宿を歩く

 

丸八百貨店は朽木宿のシンボル 昔は地元で栄えたが今は奥が喫茶室、前側は休憩室
二階は町の歴史を展示している

    

江戸時代に整備された水路にきれいな水が流れる 冬場は雪を融かすのに使われる
歩道整備がされ道路中央には融雪設備が通っていた 貫禄の藁屋根も残る

 

ボーリズ設計と言われる旧郵便局 閉鎖中
手入れして公開すれば観光になるのにと思う

 

北川を渡り 「山神社」へ 赤い紅葉がきれいだった

  

 

バスに乗る  バスは国道303に入り JR上中駅近くの「若狭瓜割名水公園」に駐車
ここの名水は有名らしく、水場でポリタンクに汲んでいる人が沢山いた

  

名水百選の「瓜割の滝」を見る 落差のほとんどない流れ滝だった

   

ここから熊川宿までの7kmを自由ハイキングで各自が自分ペースで歩く
雨が止んで助かる

 柿を干している家   「パレアの湯」は住民憩いの場

  

信主神社には大きな銀杏の木 黄色の絨毯だった

  

自由歩きだから、道にはあと3㎞の応援看板

   

やっと熊川宿の表示 道路はカラー舗装、電柱は撤去の整備がされていた
家の全面が渋い赤色で統一されているのも感じが良い

  

     

歩きの終了地点で住民たちの歓迎を受ける
山車巡行の囃子を子供たちが演奏 御振舞いの「長操鍋」頂く
松ノ木神社に祭られている「松本長操」にちなんだ鍋

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この地を支配した京極高次が築城の為に大豆に重税を課した
苦しんだ農民の「松本長操」が何度も直訴した結果、税は下げられたが、長操は磔の刑にされた
住民は彼に感謝して神社を建て、鍋に名を残したそうだ

紅葉に染まった神社だった

   

次の御振舞いは葛湯とくず羊羹

     

元役場の木造の家 鯖街道を歩いた荷担ぎ人

   

旧逸見勘兵衛家 伊藤忠商事の社長になった伊藤竹野助の生家で町指定文化財
内部が公開されていて古民家改築の見本となっている 宿泊もできて外国人も泊まるそうだ

 

 

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再びバスに乗り、小浜へ 
以前最終の時に来た「いづみ商店街」で鯖街道発祥のプレートを見る

 

 

小浜の古い街並の中に資料館があり ウナギの寝床と言われる京町屋と同じ作りの家が残してあった
入口から中庭、奥の蔵まで一直線の造り

  

小浜湾を見るころから雨が降り出し バスに乗り帰路へ

歩く時と違い歴史に残る街道を見るもの面白かった

7km 19,000歩


 

かやぶきの里美山(2016.11)

友人の運転でかやぶきの里美山で紅葉を楽しんだ

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京都縦貫道、園部ICから美山に向かうが思ったよりも遠かった、大阪から2時間もかかる
到着後、先ずは腹ごしらえ、手打ちそばで昼食

  

マップを片手に美山を散策
苔むした屋根、葺き替えたばかりと沢山のかやぶきの屋根が並ぶ

  

美山民族資料館 ここが良かった!
かやぶき屋根の構造、当時の生活の様子を見ることが出来た

  

蔵や座敷もあったけど私は生活の基礎、風呂やトイレに興味を持った

 

かやぶき屋根の屋根裏構造 素材の展示と藁で縛った様子が見れた
日本家屋は本当に燃え易い素材で建てられていたのだと思う

   

帰りは 京丹波わちICへ向かい 「道の駅和」で休憩 喫茶店を期待したが物品販売だけだった

ICから高速で帰る 渋滞もなくスムースに帰る ドライブしてくれた友人に感謝

おわり

 


関西を歩く・・・香住餘部 ・ 英虞湾 ・ 百間山渓谷 ・ 近江八幡ヴォリズ

2016年07月26日 | 関西を歩く

関西を歩く・・近江八幡ヴォーリズ  (2016.9)

京都集合のツアー 20名のゆったり歩きでヴォーリズ建築を見学した
京都駅八条口周辺は道路整備中で掘り返していた

近江八幡に到着、昼食はホテルのランチだった

近江八幡の町は観光用に整備されている
近江兄弟社前のヴォーリズの像から歩きを開始

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メンターム社に入り展示を見る ヘレンケラーもここを訪ねたそうだ

   

日牟礼八幡宮と白雲堂は外観のみ

   

旧八幡郵便局の内部を見学 職員の説明を聞いた後 
木造の室内を見る 局長室のドアノブは紫水晶、きれいだった

  

 

アンドリュース記念館、 教会牧師館、旧岩瀬医院も外観にもの見学
ヴォーリズの家は現在でも人が住んでいるのが多いそうだ

11月にアンドリュース館は特別公開されるという
歩きやすい季節にもう一度来てみたいと思う

 

   

ヴォーリズ記念館ではビデオを使って、ボーリズの建築や近江八幡との話を聞く
アニメの背景になっているので、若い人がヴォーリズと知らずに集まるそうだ
キリスト信者であるヴォーリズが書いた額 「神の国」と窓枠の十字架

 

ハイド記念館
ヴォーリズ特有の丸い階段と荷物トランク

     

この家は保育園としても使われたそうで、ロッカーや暖炉の前の籐椅子が可愛い
ドアノブも低めになっていた

   

体育館も昔のまま、今でも使われているそうだ

   

庭にはヴォーリズの妻 一柳満喜子の像

近江兄弟社学園高校の構内を通り抜けて駐車場へ、 バスが待っていた

 

京都駅で解散 このツアーも面白かった


 関西を歩く・・百閒山渓谷 (2016.8)

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8月下旬なら暑さもおさまるだろうと思って、南紀の秘境ハイキングを申し込んでいた
しかし当日は35℃の快晴だった 24名の参加

大阪から阪和自動車道を南下 紀勢自動車道の上富田で降りて
国道311から371をとおる 途中三川ダムをみて、3時間かけて百閒山駐車場についた

二人のガイドさんが待っていて、トイレをすませて出発する
この辺りは2年前の豪雨で河川が崩壊 今も改修工事中だった

  

川沿いの渓谷を登るので次々と滝が現れる でも、ここ数日雨がないので滝の水量は少なかった
その分岩の苔が乾いていて歩きやすい

「梅太郎淵」

 

女性ガイドが立っている大岩の階段をのぼると

「かやの滝」 昔はかやの大木があったそうだ

 

再び急な階段をのぼり、橋を渡る

  

「亀の峡」は岩が亀の姿に見えるとか

  

「ふたおい釜」は滝つぼに岩がふたのようにかぶさっている

クサリを掴みながら登る 向こう岸に昔の用水路が残る

    

「甚兵衛淵」は河童伝説が残るそうだ 水が澄んできれい

「難渋の壺」の名通りに歩きにくい道が続く

  

吊り橋には人数制限があり、3人が渡り終えてから次の3人が渡る

 

熊野古道のように踏み石が作られている所もあった 栃の大木もある

   

「雨乞いの滝」 渇水の時はここで神楽を踊り雨を祈った

  

「夫婦滝」 水量が多いと二本の滝が見えるそうだが、岩だけの姿 

 

最終地は「犬落ちの滝」 イノシシを追って犬までが滝つぼに落ちたそうだ
かなりの落差の滝で 滝つぼは深い 水は澄んでTVで見たセノーテはこんなかと思う

  

以前はこの先を通り抜ける別ルートがあったそうだが、大雨の土砂崩れで今は通れない
帰り道は川沿いでなく 中腹の林の中を歩いて下る 普通のハイキングだった

 

急な下りを注意しながら降りて バスが待つ駐車場へ

   

暑さ対策に500mlのボトルを3本持って登ったが、水辺は木陰で風が気持ちよかった
こんな大岩を見ながら登るのも初めてで、予想以上に面白いハイキングだった


  関西を歩く・・・英虞湾  (2016.7)

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 サミット会場の英虞湾を見たくて、そんなツアーに参加した

 鶴橋から団体列車に乗る 「かぎろい」は初めてだ
それほど特別でもなかったが、バスと違いゆったりと時間を過ごす

   

 昼前に賢島に到着 賢島宝生苑に行く
サミット会場のベイスイートではないが立派なホテルだった
ここでは議長国会見を行ったとかで写真が飾ってあった

    

 

私達は泊まりでは無く、入浴付ランチコース、英虞湾を見ながら昼食

   

 海が前面に見える大浴場と露天風呂でゆっくり過ごす

   

リアス式海岸を「パルケエスパーニャ」でクルーズ

   

御木本真珠工場が見え、真珠筏が浮かぶ 甲板の舳先で青い海の潮風を楽しんだ

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 ホテルの露天風呂からこの船が見えたが、船からはどこが露天風呂か判らなかった

    

 志摩マリンランドの前を通り、賢島大橋から入り組んだ湾を見る
サミット会場のホテルが見えるかと思ったが手前のホテルに隠れていた

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 周辺の道路はきれいに整備されていて、サミットのおかげで賢島は高級リゾート地になっていた

 私としては歩きもないゆったりした一日だった


 関西を歩く・・・香住・餘部  2016・7)

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香住の姉妹観光船が秋で終了という見出しのバスツアーに参加した
餘部鉄橋も私は初めてだった

バスは中国道から吉川IC、舞鶴若狭道に入り、春日から近畿豊岡自動車道へ
「但馬まほろば」道の駅でトイレ休憩 コウノトリが象徴

   

香住に着き、姉妹船の洞門島めぐりの船に乗る

 

香住の海岸にある地質は日本列島の成立 地球の動きの証拠が現れているそうだが、
島の変化は少なくて 人気がなくなったのが判るような気がした

  

   

昼食は団体レストランで寿司を食べる

  

 次は 香住駅から餘部(あまるべ)までJR山陰線にのる
普段は一両で走っているが列車が、バスツアーの団体の為に二両に増結したそうだ

駅の前にかにの爪、ホームにもあって皆が記念写真を撮っていた

   

餘部駅は「よくこんな高さに駅をに作った」という高さ40m 鉄橋の長さは300m 現在は無人駅で
事故後2010年に展望台ともに再開された 

  

コンクリート橋に再建されたが旧鉄塔は3本残され展望台部分になっている
下は公園として整備され道の駅が出来 慰霊の観音像が建てられた

 

次は日本の瀧100選の「猿尾滝」 猿の尻尾のように形に名付けられたそうだ
毎夏 この細い道でそうめん流しが行われるとか

 

細長い滝だった 雨後の水量が多ければ迫力あるだろうと思った

帰路は西宮トンネルの渋滞もなくスムースに帰れた


関西を歩く・・・京街道④⑤終了

2016年04月13日 | 関西を歩く

 京街道を歩く (2016.5)

 回目 大日~天神橋 終了

最終日は天気に恵まれたが暑い程だった
大日駅へ現地集合 29名の参加

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地下駅に集合して モノレールや高速道の下を歩く

  

淀川堤防に出て、公園でストレッチ

 

守口宿を目指して歩くがマンションと住宅地の中

   

守口の一里塚に着く  一里は大阪からの距離を言う

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盛泉寺と難宋寺 二つの寺が並んで立つ 
明治天皇と大正天皇が宿泊されたという石碑がある

  

難宋寺の境内にある銀杏の木は樹齢400~500年 大阪府指定天然記念物 雄木だそうで銀杏は実らない

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大塩平八郎ゆかりの書院跡の新しい日がマクドナルドの横にあった

カラー舗装された秀吉名残の「文禄堤」を歩く 
この道路の右がは淀川、左に土手で守られた村が続いたそうだ
提灯屋さんがあった

 

大阪へ向かい、左側に船着き場から村に降りた名残りの石段があった

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この辺りの道路は京街道として整備されている 古い建物はカフェになっていた

  

守口駅にトイレ休憩で降りるが、文禄堤の高さを実感する

   

商店街を横に入って守居神社へ 千年を超える由緒ある神社だそうだ

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太子橋今橋の地下鉄入口を見て京街道を歩く
菱形の舗装が大阪歴史街道の目印 京街道を説明するガイド

  

昼食はかごの屋だった 靴を脱いで椅子席で食事

  

関目まで来て、関根神社へ

   

「関目の七曲り」の道 確かに何回も曲った道だった

野江内代を通り、野江水三神社へ 

この地は何度も水害に会ったことから建てられた神社 
水と火除けの神として今でも水に関係する仕事の参拝者が多いそうだ

    

商店街アーケードに入り 休憩

  

出口の京橋駅に「京街道」の文字 でもこれは道路の案内

京橋駅を過ぎて歩くと左手に大阪城が見えた 昔はかなり遠くから見えていたのだと思う
寝屋川を渡る

  

老舗の「永田屋昆布店」の前に淀川沿いにあった「八軒屋船着き場跡」の碑がある
昔はここが乗り場だった

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昆布屋の横にある船着き場名残りの石段を登る
 
何度か来たことがあり、整備されていない階段と思っていたが歴史の証拠だったとは!
無知とは怖い 当時はここが大阪の入口だったのだ

登った公園で整理体操の後、5日連続の完歩賞の賞状を貰う
これで私は東海道を日本橋から天神橋まで繋いだ

賞状を貰っても終わりではなく、天神橋までビル街を歩いて、やっと京街道の起点に着いた

  

13.5km  27,000歩

無事完歩できたが、一人参加の男性の中に歩きなれていて自分勝手に行動する人が居て
添乗員やガイドが振り回されていたのが嫌だった


 京街道を歩く

 4回目  枚方 ~大日

淀川沿いの堤防歩、地図は全体と部分に分けた

 全体図 クリック

       部分図 クリック

     クリック 

京阪枚方へ現地集合、改札前で受付する 参加者26名
京阪枚方の改札前には京阪バスの乗り場案内があり便利と思った

駅前に枚方宿の説明版
淀川に沿った細長い宿場町だった 淀川は埋められて今では川沿いではない

 駅すぐ近くの道標  「大坂街道 京街道」、 

「宗左の辻」は唄の基になったとか
「送りましょうか♪ 送られましょうか♪ せめて宗左の辻までも・・♪  」

  

岡本公園で準備体操してハイキングスタート
公園に枚方宿、くらわんか舟の説明がある 歩道の色違いのレンガは昔の京街道の中心を表す

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枚方市はこの京街道を歴史街道として道路をカラー舗装をして建物の復元を応援しているそうだ

万年寺山に登る 「御茶屋御殿跡展望台」から淀川を見下ろす視界広がる
昔の古墳の跡地 遺跡が出たそうだ

  

梅林を通り抜ける

  

意賀美神社が祀らている

山を下りて淀川沿いにある国土省管理の「淀川資料館」で説明を聞く

   

屋外にあった「くらわんか舟」は思ったより小さかった
桂川にあった「大山崎 レンガ造樋管遺構」移されていた

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枚方本陣跡は公園になっていた

  

鍵屋資料館 昔の宿場が残されている

    
 

堤防に上がると 「郵便屋渡し跡」 昔淀川には船がなく 明治時代に左岸に鉄道が出来ると右岸の郵便物を船で対岸には運んだ
渡しは540m上流だがここに記念碑を移した由

淀川氾濫時の犠牲者の慰霊碑も近くにある

  

早めの昼食は「お刺身定食」だった

光善寺 蓮如上人開祖の寺 門前のみを見る 
高い樹は龍女がこの樹から昇天したと伝えられる「サイカチの木」大阪府の天然記念物

 

蓮如の腰かけ石 小さな丸い石が飾られていた 桜が散っている

  

枚方の蔵は洪水に備えて石組みが高い

秀吉が築いた文禄堤のそばの旧街道を歩き、堤防に上がる 

   

灌漑用取り入れ口

 

 河川敷は野球やサッカーを楽しむ人でいっぱい

 国道1号線の陸橋を渡る川沿いの桜が満開できれい

  

鞆呂岐神社は桃山文化の本殿、 
奥の「寄進の鳥居」は赤穂義士の遺族が寄進したものと銘が残る

   

茨田(まんだ)の堤の碑
日本書紀に出ている最初の堤 人柱を立てて作られたそうだ

 淀川新橋の高架下をくぐる為に河川敷に降りる

鳥飼仁和寺大橋は有料とか 料金所があり 車が少ない

  

再び国道1号を渡り 佐田天神宮へ行く
菅原道真が恩赦の「沙汰」を期待して自分の荘園のこの地にしばらく居たという

  

来迎時の松は見事だった 桜吹雪の中にいる

外の石垣に「佐田陣屋跡」の立札がある
美濃の国加納藩 永井氏の陣屋があったそうだ 交通の要所だった

 

終点の鳥飼大橋 モノレールが通るのが見える 駅前のビルも近くなった

 

大阪湾まで17.2kmの標識を見て堤防から下りて大日駅へ

  

13km 5時間 23,000歩


関西を歩く・・京街道①②③

2016年01月29日 | 関西を歩く

京街道を歩く (2016.1-3)

 3回目 淀 ~ 枚方

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現地集合で京阪淀駅に集まる 
競馬場が開催中で臨時改札口が開いていて、出口を間違えそうになった
26名参加 天気は雨から曇りの予想

  

淀駅から戻る形で「納所」近くの「古淀城跡」に行く
茶々が秀吉の息子をここで生んだので「淀君」となった所だそうだ

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唐人雁木跡
道のそばに石碑が建つ 昔は淀川がここまで来ていて
ここから海路で来た唐人が上陸して陸路で江戸に向かった 唐人とは「朝鮮通信使」の事

与杼(よど)神社 難しい文字だったが立派な神社
二つのイチョウの木にしめ縄がかかる

   

うしろへ回ると「淀城跡」がある
この淀城は徳川二代将軍の時に京都警護を名目に建てられた城跡 

    

しばらく旧街道を歩いて昔の巨椋池の広い所に出る
京滋バイパス、京都縦貫の高架が見える

     

淀川と木津川の橋を渡る

 

 正面に見える山は石清水八幡宮の山 背割りの桜の前を通るが花はまだだった

   

八幡市駅でトイレ休憩 花がきれい

   

淀川沿いの旧街道は土手の下 
大きなクスノキは江戸時代からのもので昔は御幸橋辺りから繋がっていたとか
時代ごとの土木工事で道が変わっていく

 

 「柳谷の渡し場」 対岸の西国街道から渡し船があった所
昔の歓楽街(遊郭)だった建物が残る

  

何の記念碑もなかったが「砲台跡」 開国の時船で来る外国船を防ぐために作られた

樟葉駅に着き 昼は自由食 (参加費が安かった理由?)
各人それぞれに食べる

 河川敷のゴルフ場を見ながら、土手沿いの道路の歩道を歩く

 

 片埜神社(かたの) 
大阪城の鬼門を守るために建てられた神社
近年改修されたようできれいだった 府の重要文化財

  

 

 京阪を渡る線路の横に道標 大坂から6里を示す

渚院跡

第一皇子に生まれながら天皇になれなかった惟喬親王の別荘があった所

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御殿山に登る

 

天の川とかささぎ橋 今は交差点になっている

   

 枚方宿 見付跡 土手下にあった

   

枚方駅に着く ここで本日は終了 よく歩いた

 

15.5㎞  32,500歩 


  2回目 小野~淀

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現地集合 京都地下鉄「小野駅」に集合 今回は穏やかな天気となる 
参加者は39名 イヤホーンガイドを使う

    

 勧修寺は醍醐天皇の時に創建された寺
広いお庭を拝見する
境内の「ハイビャクシン」樹齢750年 地面を這う巨木 初めて見る

 

  

屋根のソリの美しい観音堂、その横にある池は平安時代に
氷の厚さでその年の豊作を占ったそうだ

  

「亀甲垣」とは亀の甲に編んだ垣の名
京都の各寺にはこんな竹垣の工夫があり面白い

   

名神高速の道路沿いを歩き、途中の観光農園で水分補給 衣服調整
前回は寒かったが、今回は汗ばむ暖かさ

   

京都教育大学の前をとおり、藤森神社へ

藤森神社は平安時代からの古寺 勝運と学問の神様 
毎年5月5日に駆馬神事が行われる

   

 駆馬神事の行われる直線の参道 

 

能舞台の奥に本殿がある

  

この神社の狛犬は「尻上り」だった しかも今までのより大きく立派

       

墨染寺で「墨染め桜」を見るが花はまだ固かった
三代目とかで木も小さい

  

金礼宮 
クロガネモチの巨木があり 京都市の天然記念物に指定されている
雌株で赤い実がいっぱいなるそうだ

    

伏見駅の商店街をぞろぞろ通って昼食会場へ
焼魚定食を食べる

  

 食後は伏見の町を観光

先ずは黄桜酒造へ ここでは試飲も出来たけど歩きの為に自重する人が多かった
河童ギャラリーや「小島功」の懐かしい絵を見る

  

   

 羊羹の駿河屋本店の前に市電発祥の碑
川が交通であった頃、この辺りは交通の要所だった事を思う

    

寺田屋は外観だけかと思ったが中まで入る 以前よりきれいになっていた

  

京橋から船着き場を見下ろし 新しく立てられた竜馬像を見る

   

淀川からの物流の要所として港が栄えたが、ダムが出来水位に差が出来て閘門が作られたという

 

土手に上がり 宇治川沿いにあるく 
この辺りは何度も土木改修され 埋めたり流れを変えたりで古地図とは変わってるそうだ

   

 淀駅に向かう途中に「戊辰戦争追悼の碑」がある

   

京阪淀駅で解散 ホームから淀競馬場が見える

   

14km  26,000歩 


 1回目 大津宿~隋心院

大津から大阪高麗橋までを京街道として歩く5回シリーズの1回目に参加した
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現地集合のウォーキング 平地歩きだから楽だろうと思ったけど
当日はゲリラ寒波で大津駅前は雪だった!それでも27名の参加者 一人参加の男性が多い
案内人は鯖街道歩きと同じ人だった

雪の大津駅から歩く 平地なので傘使用OKだった

  

道は東海道の表示

国道161と県道103の交差点が昔の「札の辻」高札が建っていた所
雪で埋まっていた

    

右へ曲り旧街道を歩く 風呂屋のマークは今は公衆トイレ

関蝉丸神社は京阪電車で分断されていた
    

逢坂越えを国道1号線の歩道を歩く 横を京阪電車が通る

逢坂関所跡と蝉丸神社 ここで京からの出入りを監視していた

  

京阪大谷駅は地下にある

しばらくして京街道と奈良街道の分岐点 京街道は三条大橋に繋がる

近くにある「走り井餅の井筒屋」でトイレ休憩 熱いお茶で温まる
大津絵の販売もあった

  

「車石」の碑
この街道には牛馬車の車輪幅に合わせた車石があったそうで、一車線通行なので午前は大津から京へ
午後は京から大津への荷を運んだそうだ

昼食は1号線沿いのレストランにて御膳だった 暖かい室内でほっとする

    

県道35の旧街道は道幅狭いのに車が多い 側溝は昔のセメントの蓋

大きな切り株の祠 案内人も伝承が判らないという

   

大宅の一里塚 榎の老木が立つ

    

隋心院
小野家(小町の実家)の菩提寺 小町の化粧井戸など由来の物があるそうだ 
梅林で有名だそうだ 手入れされた立派な寺院だった

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京阪電車「小野駅」で解散 山科に出てJRで帰宅

11㎞  20,000歩 

京街道④、⑤に続く


関西を歩く・・鯖街道④⑤⑥終了

2015年12月18日 | 関西を歩く

 鯖街道6回目  (2016.5)

鵜の瀬~小浜 (完歩) 

最終回は快晴の日だった 参加者38名 
大型バスで京都縦貫、綾部JCTから舞鶴若狭自動車道へ 小浜経由で前回終了の鵜の瀬に向かう

去年出来たばかりの道の駅「味夢の里」トイレ休憩

   

舞鶴道に海が見えてきた

  

前回の鵜の瀬公園から歩きをスタートする
振り返ると5回に分けて越えてきた鯖街道の山並が見える

「鵜の瀬」は若狭の水を東大寺に送る「お水送り神事」を行う場所

  

岩の上で神事を行い、水を流すと、注連縄が掛けられた淵から吸い込まれて奈良に向かうそうだ

      

  お水送りの神宮寺は立派だった

お水は横の社で湧き出ていた
この水を汲んで先ほどの鵜の瀬の淵に運び流すそうだ

    

本殿の注連縄から覗く月を拝む風習もあるとか

   

本殿の格子の奥に仏像が祀られている 庭の苔も美しい

   

お昼は弁当ではなくレストランで頂き、会場で22名に完歩賞をもらう
表彰状と副賞に鯖街道のバンダナ

    

森林の水PR館に戻り 中を見る
お水送り神事の人形があった 夜中にこの格好で神事を行うそうだ

  

400年の年輪の大木が置いてあった 細かい年輪だ

   

若狭彦神社 若狭国一の宮上社

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大きな杉の木が空に伸びて、パワースポットと言われる神聖な感じ

  

門をくぐり本殿へ 古い社殿だったが厳か

   

次は若狭姫神社 一の宮下社 ここもパワースポットの大杉がる

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社殿の奥の杉の大木が迫力 カメラに入らない

    

小浜の町に近づくと、うだつの付いた街並みが残る

小浜駅を過ぎて商店街へ 

 

「いずみ商店街」は魚の小売店がならんでいたが今はシャッター街
その中心に「鯖街道起点」のプレートがある
このプレートを踏んで歩きの終了となる

   

鯖街道は去年「日本遺産」に認定されてそうだ 
昔は中国、韓国との貿易の玄関口だったから 沢山の文化が残る 今後は観光地になるだろう

 
8km  18,000歩


鯖街道5回目 

根来坂峠~鵜の瀬 

5回目は雨だった キャンセルがあり、参加者は18名 
今で順調に来たから今回も予報外に降られずに済むかと期待したが残念

途中の道の駅「妹子の郷」も傘で降りる

雨に濡れる新緑を見ながら、前回行った針畑ルネサスセンターで早めの手作り弁当
室内の食事で助かった

 

再びバスで「おにゅう峠」へ でもここは出発点ではなく バスはここまでしか入らないからだそうだ

 

ここから今日の出発点「根来坂峠」まで登る 霧に霞んだ新緑がきれい
霧の中から若狭の海が見えたつもり・・

 

京の行程は根来峠からの下り坂、下り方を実演 「かかとをしっかり踏むこと」だそうだ

シャクナゲ、 イワカガミの花が咲いていた

   

 前回の峠からスタート ブナの新緑の中を歩く

  

U字谷 人が歩いて作った道と言う ブナの落ち葉が気持ち良い

  

良弁上人が掘ったと伝わる井戸 今も水が湧く

   

雨に濡れながら、写真で見ると霧で幻想的なブナの新緑を歩く
ガイドはこの美しさを強調していたが、私は雨が嫌だった

  

小浜側の鯖街道登り口へ降りる ここからは舗装道路で傘使用がOkでほっとする

  

廃墟になった畜産場 大きな施設なのに放置のまま

  

人の住んでない家が続く 元小学校も廃校

  

立派な道路があるのに車は一台も通らない

やっと一日一往復のバス停へ 人が住む家を見て何だかほっとする

    

根来八幡宮
雨で歩き続けた私たち、やっと腰を掛けて一休み ガイドからこの神社の説明を聞く
奈良の東大寺への若狭の水を送る神社だそうだ

   

  

川沿いの道 「京は遠ても十八里」、鯖街道の絵があった

  

 鵜の瀬公園に着いて、濡れた雨具を脱いで バスに乗り本日の歩きは終了

  


雨が降らねば新緑のブナ林で最高だったのに・・

18.5㎞  23,000歩


 鯖街道4回目

針畑~おにゅう峠

暖かかった12月もとうとう寒波襲来、そんな日に歩くことになった 
京都の北部だから、雪かみぞれを覚悟したがほぼ終了まで降られず歩けた

鯖街道は針畑地区を通るが、この18kmは民家が多くトイレがないので車窓通過となる
(バスツアー会社としてはトイレが問題のようだ)

山沿いの民家、獣防止網の田畑がを見る

  

針畑のルネッサンスセンターにバスを止めて午前中の歩きをする

  

ススキが茂る道にバス停がところどころに・・

   

立派な建物は「高島市民病院診療所」 2Fは宿泊施設もある でも人は駐在していなかった

道の周囲の杉は真っ直ぐに立ち、手入れが良い テープはシカの食害、熊の爪痕防止

朽木西小学校は村の中心 伝達事項の放送がされるそうだ 運動会も盛大だとか

 

日吉神社に参拝 能舞台の前にきれいな苔があった

  

バスが来て、先ほどのルネッサンスセンターに戻り昼食 
冬場は土日しか営業しないこの村営センターを買い物をするからと開けてもらったとか(トイレの為に)

このセンターで売っているのは「へしこ」と「手作リコンニャク」だ 
へしこは味が良いが塩辛いので私は苦手、だから手作りコンニャクを買う
これが美味しかった! 出来立てのコンニャクの味を初めて実感した

弁当を気温5度の外で食べるが寒かった

昼食後は本格的な歩きとなる
おにゅうだにバス停 「小入」をおにゅうと読むとは知らなかった

   

藁葺の民家が残る 
歩く道のススキの見て、昔はこれが一番手頃な材料だったのだと思う

 

流れ橋を初めて見る 対岸に渡る為の板が鎖で止めてあり増水の時浮くようになっていた

この後 こんな川を飛び石を踏んで渡ったが、渡るに必死で写真は撮れなかった

昔の鯖街道沿いには車が通る道路が出来ている
ハイキングは道路に出ては、また昔道を歩くコースだった


 

百里ガ岳の登山道前でガイドからの注意を受ける
全員を事故無く歩かせるのも大変だろう

  

急な登りで写真どころではなかったが、途中ではるか伊吹山が見えると止まる
写真では見えないが雪を被った山が見えた 冬で葉が落ちているからこそである

根来坂峠 地蔵

もう一山登って 見晴らし良い頂上へ でも日本海側は煙っていた

山を下って振り返ると今上り下りした二つの山が見える 雪が降ってきた

おにゅう峠の道路沿いにバスが迎えに来て今日のハイキングは終了

10㎞  18,000歩

 


関西を歩く・・鯖街道①②③

2015年09月27日 | 関西を歩く

鯖街道3回目

花背峠~久多

 雨の予報でキャンセルが出たとかで参加者は17名
今回は鯖街道の中で一番の難所 距離は18.5kmと長い上に日暮れが早い
早足になるが頑張ってほしいと脅かされる

花背峠から雨に降られる用意をして出発する イヤホーンガイドを使用

 

落ち葉の重なる林道を歩く 和佐谷峠の標識を通り過ぎる

  

小休憩5分で衣服調整 水分を取って一枚脱ぐ

再び林道を歩いて「大身集落」 お地蔵さんの近くで弁当 これも15分休憩だけ

  

ガイドは限界集落と言う 人の住んでない家と動物から守る柵の家がまばらにある

  

以前は合宿所だった跡も

  

大雨で荒れた川を通り 「二の谷管理舎」 ここでトイレ休憩 
やっと9km 半分歩いた

  

標識も読めないほど、この鯖街道は手入れされていない
ここから林道を離れて、山道となる

  

フノ坂峠を過ぎると八丁平の高原湿原となる

 

   

ブナ枯れで痛い痛しい林が続く 鹿の害も多いそうだ

   

オグロ峠で上り坂が終わる 小さなお地蔵さんにほっとした気持ちになる

  

しばらく気持ち良い落ち葉の上を歩く
熊の爪痕 テリトリーで自分より高い爪跡があると入らないそうだ

    

倒れた樹が道を塞ぎ、くぐったり跨いだりが続く 山も荒れている

   

ここから下り坂 落ち葉の下に小石があって気を付けながら歩く
かなりな急な坂もあり 怖いほどだった

  

山を下って沢に出るが ここも大雨で荒れていた

    

久多の駐在所でゴール  整理体操の時に山の夕焼けが見えた

  

殆ど休憩なく、しかもかなり速い歩きだったが、皆について歩けた事に感謝
18.5km 6時間  32,000歩 自分が歩いた一番長い距離になった


鯖街道2回目

鞍馬~花背峠

今回はバスで鞍馬まで行きここからスタート 参加者は23名
ガイドレシーバーを使用

舗装された車道でなく、昔道の階段を登り 魔王の瀧神社へ

   

鞍馬の火祭りで有名な「由岐神社」を参拝
火祭りは鞍馬寺ではなく、この神社とは知らなかった! 

   

沢山の石段を登って、鞍馬寺本殿に到着 本日一番の登りだそうだ

   

ここで休憩の後、奥ノ院に向かう

義経の水飲み場、与謝野晶子の歌碑を見る

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有名な木の根道へ 昔行った覚えがあるが、印象は違った

  

義経が天狗と剣術をしたという場所 

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ここから下って 鞍馬寺西門から貴船の町に出る

   

料亭が並ぶ

貴船神社へ 朱色の灯篭の階段を登る 紅葉はまだ早かった

 

桂の木と白黒の馬の銅像 

  

中の宮 は「結びの神社」で良縁と夫婦仲を願うおみくじがいっぱいだった

 

和泉式部の「思ひ川」付近で昼食 一休みすると風が寒い

  

奥ノ院へ 船形石は船乗りたちの信仰を集めたそうだ

  

奥ノ院からしばらく舗装された林道を歩くが、外れて昔の川沿いの山道を歩く

沢を登り、小川を7回渡る 足元ばかり見なければならない

  

ようやく「旧花背峠」へ到着 祠があるが、今は林道が出来て車が入れる様になっていた

  

バスが通る「旧道別れ」からは舗装された道 車が次々通る
寒いと思ったら温度表示は9℃だった 

  

花背峠でバスが待っていて終了 暖かいバス内にほっとする
次回はもっと防寒対策をせねばならない

9km  19,600歩 


鯖街道1回目

出町柳~鞍馬

京都トレイルが終了したので、秋からは鯖街道シリーズに参加する
このシリーズは人気らしく 12月分までキャンセル待ちが出ていた

1回目は 現地集合で京阪出町柳駅に集合 32名だった
普通この人数では、案内人は2名だが、今回はガイドレシーバーでの案内である
雨の日が残念

出町柳駅で元気な女性案内の注意を聞く

鯖街道口の石碑を確認して、ガイドレシーバーを受け取る

   

 糺の森のを通り、先ずは下鴨神社に参拝

  

高野川沿いに歩く 彼岸花が咲いていた

   

国道367沿いを歩き、「山ばな平八茶屋」の前を通る
ユネスコ無形文化財登録の伝統和食の料亭(創業は天正年間、主人は21代目)

  

山端橋を渡り、宝が池公園で弁当昼食

 

山住神社を参拝 自然岩を祭る「磐座神社」である

    

岩倉具視旧宅前を通る 岩倉地区は岩倉家の領地だった
(岩倉家の内部は以前に行ったので記入済み)
http://blog.goo.ne.jp/goorosy/e/7251385a07de96d4da8fe97055c6919f

  

実相院を観光(目的はトイレ休憩)
実相院は「磨かれた床に映る紅葉」で有名だが、室内での写真は禁止で庭のみを撮る

   

岩倉村から静原への山越え道を歩く

  

静原から薬王峠越えは京都トレイル5日目と同じ道だった

二尊板碑 (南北朝後期に建てられた石碑)

   

峠を下って鞍馬の山門前を通り 鞍馬駅で現地解散

  

鞍馬電鉄、京阪、JR乗り継いで帰宅

13km  26,000歩


関西を歩く・・近江観音の里 ・ 舞鶴 ・ 京奈和自動車道ウォーク ・ 三井寺 ・ 北摂

2015年07月07日 | 関西を歩く

関西を歩く  北摂(行基伝承と東奈良遺跡) (2016.2)

JR千里丘駅に集合して周辺を歩く 
行基は平安時代の僧侶 仏教への民衆教化と社会事業を行った人だそうだ

金剛院へ行く 軒瓦は菊の紋が入っていた 
皇室系なので信長の石山本願寺打ちには合わずに残った由

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82歳と自称する女性が説明 
行基により「味舌寺・ましたじ」と名付けられているので美味しいものを食べて行って下さいと
菓子とお茶の接待を受ける

奥に蜂塚がある 郡蜂が現れて官軍が勝利したそうだ
この為、寺名が「蜂熊山金剛院と」改められたという

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境内には信長の弟「織田有楽斎」の野点の井戸がある

次は「条里石」 平安時代の都市計画の単位の礎石
今は子供遊園になっている所に立っていた

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その横が境川 「勝久寺」は石山本願寺系の寺院で、和睦の後に焼打ちされた
門徒たちの屍は積まれ血の海になったのが「流れの馬場」と呼ぶ

  

井於神社
アプローチのきれいな神社だった 秋祭りには夜神楽があり夜店も出るそうだ
本殿に「和算額」がある 幾何の計算図と回答 初めて見た

  

万福寺 境内にある礎石は飛鳥時代の古いものだが、どこから来たのか判らないという

  

三宅城 この地の国衆が作った城跡 今は公園 ここで弁当を食べる

 蓮花寺 行基開創の寺 本尊は薬師如来 
本殿内に上がって拝観する 木造地蔵菩薩、木造十一面観音菩薩像は大阪府指定文化財

 

 

南茨木のマンション街を通って「佐和良義神社」へ行く 
式内社で藤原氏(興福寺)の荘園だったそうだ

 

東奈良遺跡は昭和48年(1953)にマンション建設の時に発掘された銅鐸鋳造型から
この周辺の弥生文化が判ったそうだ  川の橋には銅鐸の図がある

   

河川改修の土の中から中学生が見つけたという銅鐸は公園にプレートを残し
実物は資料館にあった

  

約7㎞  歩数15,000歩


  三井寺(2015/11)

友人に誘われて三井寺ハイキングに参加した(2015/11)

京阪膳所駅から歩く 駅前が大津市役所だった

  

道路に並ぶ大津絵を見て、山手に向かう

    

弘文天皇陵はさすが宮内庁管理で手入れされている

  

新羅善神堂(しんらぜんじんどう) 檜皮葺のきれいなカーブの屋根だった
南北朝時代の建築で国宝 

    

法明院 三井寺の一つだが今は無住のようだった 奥にフェロノサの墓
明治岡倉天心に影響を与え、日本画の大切さを教えたフェロノサの墓がここにあるとは知らなかった
仏教に帰依して、ロンドンで没するが遺言で移されたとある

 

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新羅三郎の墓 後三年の役1083~87に活躍した人物  土饅頭の墓だった

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大津歴史博物館の横を通るが入館はパス

三井寺前のレストランで昼食ご三井寺に入る 

仁王門と釈迦堂

  

光浄院は入れず 外からの見学 屋根はこけら葺きで重要文化財

   

近江八景で有名な三井の釣鐘 突き代を払って仲間が鳴らす 余韻が素晴らしい

  

私が嬉しかったのは「一切経蔵」が開いていて中を拝見出来た事
この経蔵は山口の洞春寺から移築されたもの ぜひ見たいと思っていた
http://blog.goo.ne.jp/admin/editentry?eid=69179902ecb3c8cdc87f5fd16f080fec&p=1&disp=30

予想以上に大きくて、山口で栄えた室町時代の大内文化の繁栄を知った

  

三重の塔と灌頂堂

   

普段は非公開の国宝「勧学院客殿」の特別公開を見る
桃山時代を代表する初期の「書院造」代表的遺構 狩野光信の障壁画

  

客殿にあったのはレプリカ 収蔵庫で本物の光信の絵を見る

紅葉の道を歩き、釈迦堂へ ここは札所なので賑わっていた

  

展望台へ登る 琵琶湖が見渡せた 釈迦堂の全景も

  

帰路  兎年生まれの守り神「三尾神社」 狛犬が兎かと期待したが普通の獅子だった

  

京阪三井寺駅の向かう道は琵琶湖疏水沿いだった

  

京阪 三井寺から帰宅

歩行距離 14,000歩


 

 近江観音の里(2015/08)

高月向源寺の国宝「十一面観音」を一度見たいと思っていたので
年一度だけの御開帳に合わせたバスツアーに参加した

この近江の地は比叡山からは鬼門の方向で平安時代から多くの観音像が作られたそうである
しかし、この地は争いの地 地元民は仏の像を地中に埋めて火災から守ったそうだ

昔は信仰の篤かった寺社も今は無人となり、地元のボランティアで守られている
そんな人たちの接待を受けながら拝見した

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向源寺

国宝向源寺、本尊は阿弥陀如来 別館の収蔵庫にあり、展示会場のように後ろまで見ることが出来た
写真不可なのでENよりコピー 頭上の観音像と腰をひねった姿が優美

 

西野薬師観音堂

ここも重要文化財の為に写真は禁止
がっしりとした11面観音と薬師如来が祀られていた

 

正妙寺

 猛暑の中を歩いて登って小さな祠に着く
普段は無人で閉じられていると言うが、珍しい千足観音を初めて見ることが出来た

  

 

 赤後寺

階段を登ってさん参拝する お堂も鐘楼も貫禄あった
   

ここの千手観音は手先を失った痛ましい姿 転じてころり観音として信仰されているそうだ

階段下で地元ボランティアさんのご接待、スイカとお茶で喉を潤す

     

  
横山神社

多分普段はほとんど尋ねる人がいないと思われる神社だった
年に一度の御開帳 憤怒の馬頭観音像は思ったより小柄だいいお姿だった

  

  

尾山釈迦堂

林の中のお堂に2体の座像があった 
暑い日だったのでボランティアの御茶の接待が本当に「甘露」だった
ここは重文でないので写真可

  

 高月観音堂

 最後は市の文化財 地元の人が誇りを持って説明 写真もどうぞと言う
戦火を逃れて保存した観音像を洗ってきれいにしたので国から認定されなかったそうだ
木目のきれいな仏様だった

35度の猛暑の日で水分補給しながらの観光だったが、この地の観音信仰を見ることが出来た

おわり


舞鶴 (2015/07)

舞鶴周辺観光のバスツアーに参加した

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伊根の舟屋は見たかった所、観光船でカモメの舞う中をクルーズする


    

伊根湾は亀島、青島に囲まれた湾で、養殖生簀が沢山ある こんなに海が穏やかだからこそ舟屋があると納得した
でも、近年は船が大型化して舟屋に入らないそうだ 民宿に改装した舟屋もあるという

    

昼食は食べ放題の食事 このツアーの目玉?サクランボをいっぱい食べた

 

このシーサイドセンターの庭は美しく、天橋立が目の前だ

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天橋立の智恩寺は文殊菩薩を秘仏とする古いお寺 山門、多宝塔、文殊堂
おみくじの扇子が沢山ぶら下がっていた

   

つぎに行った東舞鶴の自然文化園のあじさいは見事だった
こんなに広く咲き乱れたあじさいを初めて見て感動する

  

   

 おわり 


 京奈和自動車道ウォーク

 京奈和自動車道は京都、奈良、和歌山をつなぐ120km壮大な自動車道計画である
その一部が3月下旬に2か所開通予定、開通前のイベントでこの道路ウォーキングに参加した 

 バス4台の参加者なのに、当日は雨・・傘は禁止で濡れながらの歩きだった 

  

 ここは「郡山下ツ道JCT」で西名阪道につながる
カーブの道路には傾斜がつけてある 

  

 西名阪道への料金所 大坂方面、名古屋方面と別れる 

 料金所の下に地下道があった 3月22日に開通予定

    

 つぎに歩いたのは「御所IC」~「御所南IC」 ここは対面通行の道路だった 



ここの開通は3月21日予定

   

 完歩証明書をもらう 高速道通行券みたいだった

 

 濡れながらのウォーキング終えて、「賀名生梅林」へ この字を「あのう」と読むとは!
雨は止まず、梅もつぼみだった

 

      

この賀名生の地は南北朝時の南朝の皇居が置かれた所で その皇居跡が重要文化財になっていた
今は堀さんと言う人が住んでいる 

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 おわり 


関西を歩く・・淀川鵜殿の葦焼き ・ 近江ヴォーリズ建築 ・ 近江八幡特別公開

2015年02月22日 | 関西を歩く

 

近江八幡ヴォーリズ特別公開 (2016.11)

 

特別公開の日を選んで近江八幡へ個人で行く
駅前の観光案内で道順を聞いて、隣でレンタサイクルを借りる

 

  

 

 駅前の道は電柱埋設で整備されていた

 

 

地図を見ながら、先ずは特別公開のウォーターハウス(個人名)に向かう
古いレンガ造りの中にあった (ここは「池田町洋館街」と言われ外観のみしか見れない)

 

   

 

このレンガ塀の中にヴォーリズの建築が建つ
ヴォーリズは宣教師として近江八幡に来たので、仲間のウォーターハウスに建てた家がこの公開の家
中まで見れたが写真は禁止 

 

ヴォーリズの建築の基本は家は家族が健康に楽しく過ごす為造る
健康の基は食事、台所を中心に考えたそうだ
このウォーターハウスの家も台所は明るく、収納が多く、動線が考えられて、大正時代に建てられたことに驚く

 

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隣にある吉田邸 母親の為に和風の離れがある 
この敷地の中で、幼稚園、料理教室など、地域の人との交流があった様子がパンフの写真にあった

 

  

 

 

 

次はこれも特別公開のアンドリュース記念館
ヴォーリズの宣教の基礎となった初期建築の教会(内部撮影禁止)
近江兄弟社が保存再生をして現在に至った

 

ヴォーリズは「一柳米来留」で近江で宣教に教育に尽くした人 すごい人だと思う

 

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これでヴォーリズは終わり、前回見れなかった日牟禮神社に行く 
門前の休み処「たねや」で名物の「つぶら餅」を食べて一休み

 

 

   

 

日牟禮神社は立派だった 護摩焚の準備がしてあり山伏達がいた

 

  

 

ロープウェーで八幡山に登る 紅葉がきれいだった

 

  

 

ここは豊臣秀次が作った八幡山城の跡 西の丸からの琵琶湖が見渡せた

 

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城跡に「瑞龍寺」がある 秀次は高野山で割腹、母親の日秀尼が我子を弔うための建てた
内部を拝見したが、庭にあった立派な瓦が目を引いた

 

    

 

 

この山城を囲む「八間掘り」は外堀だったと日牟禮神社の堀の横に書いてあった

 

  

 

 

 

瓦ミュージアムに行く 瑞龍寺で見たのと同じ立派な瓦が沢山展示(写真不可)
近江商人が瓦で競った様子が見れて面白かった

 

  

 

 

瓦を使ったアプローチもそれぞれ工夫されていた 

 

   

 

まだまだ見る所があると思うが、近江八幡が判ったような気がする

 

終わり

 

 


 

関西の歩く・・・近江のヴォ―リズ建築 (2016・5)

保存問題で有名になった、ヴォーリズ建築の小学校を見たくて、講師同行のお屋敷ツアーに参加した
川島教授はカルチャーセンターで有名らしく フォロアーが沢山居たのに驚いた

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水口小学校図書館は特別に内部まで見れた

  

入口のアーチ、屋上のランタンが可愛らしかった

  

宿場町だった水口、門の前は旧東海道が続き、校内には学校林の石碑がある
昔は小学校は各村の責任で作られたそうだ その為の学校林

  

そのまま歩いて、水口キリスト教教会 

 

横に畳の部屋があるのが珍しい 正面の祭壇は傾斜をつけて奥行きを出している

   

昼食は近江スエヒロ 建物は大阪曽根崎から移築された

 

火災にあった梁の焦げ目をそのままデザインとして使っている

   

食事会場は松下の政経塾の移築した部屋でステーキを食べる

 

甲良町立図書館(旧東甲良小学校) ここは凄かった
戦前の学校は町村の自己責任だったから、村長ががんばって日本一の学校を作る目標で
村民がお金をだし、労力を出して 村民総出で、総ヒノキ造りの学校を作ったという

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木材の立派な廊下、作法室は本格的な和室

  

格天井の大広間 ここでハプニング
戦時中に大阪からこの学校に学童疎開をしてこの部屋に住んだという男性名乗りを上げてみんなびくっり
写真の右がその人、左が講師

  

驚いたのはこの校舎を「曳家」方法で移動してここに移して保存した事

60年代政府は木造小学校をコンクリートに建て替えを進めていて、この学校も対象になる
保存運動がおこり 広大な学校の前の一棟を二つに切ってレールを曳いて今の場所に移動した
その様子の写真が展示されていた

  

天井に継ぎ目が残る  模型通りの建物が残っていたら見事だったろうにと惜しい

次は

保存で裁判にまで行き話題になった旧豊郷小学校

  

TVでよく見たウサギとカメの手すりをやっと見る

1Fのスタートにウサギとカメが並んで、途中は亀が登っている踊り場の手すりにウサギが眠っている

  

3Fの上には亀が座り下を見ている 物語通り

子供たちは歌を歌いながら上り下りをしていたのかと思い、私も楽しんだ
昔懐かしい手洗い場の横の手すりも同じ嗜好

  

唱歌室にはオルガン、窓の内板は大理石だった

  

講堂の正面に奉安殿が残る
カーテンを開けて講師が扉を開いていった 天皇家を高める仕組みを初めて見た

 

  

最後は補修中のヴォーリズ建築 ここは本当に痛んでいて内部は見れなかった
 保存も大変な事なのだ

  

これで終了 
初めてのお屋敷めぐりだったが、小学校建築の歴史を少し勉強した


 

高槻市・鵜殿の葦焼き (2015・2)

一度見たいと思っていた高槻市の葦原焼きを見に行った
天気予報は80%の雨、開催を確認せずに行くがかなりの人が集まっていた

    拡大クリック

淀川のこの辺りの葦原は良好の葦の取れる場所として大切にされたそうだが、今は保存会が守っている
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B5%9C%E6%AE%BF%E3%81%AE%E3%83%A8%E3%82%B7%E5%8E%9F

高槻市長も参加していた(右の背の高い姿)

   

9:00に遠くに煙が出て始まる 川土手にはカメラマンや俳句同好会のシニアが見守っている
  

燃え始めたがこの程度 私はもっと壮大と期待したのだけど・・

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以前は火柱が凄かったと隣で見ていた人が話してくれたが、枚方側からの煙の苦情で今は殆どが倒した葦を燃やす状態だとか
なんだか焚火のようだった

 

 


関西を歩く・・友ヶ島ハイク・万博公園のハス・福知山廃線ハイク・鈴鹿・スカイライン&白浜

2014年03月26日 | 関西を歩く

友ヶ島ウォーク

友ヶ島ウォークのバスツアーに参加した

友ヶ島は和歌山の加太、淡路島の由良の間 紀伊水道にある島
二つの島からなっているが今回歩いたのは西側の沖ノ島の半分、淡路島に近い部分だった

新大阪と難波で参加者を拾って出発、阿倍野ハルカスが見えた

阪和道を南下してSAでトイレ休憩の後、道の駅「とっとパーク」へ
このあたりの土が関西空港の埋め立てに使われたそうで、そこに釣り公園を作った
  

釣りの成果が展示され、沢山の釣り人がいた
  

加太港から「友ヶ島」行きのボートに乗る
    

虎島の赤印に「五所の額」のあるという 20分で到着
  

観光ボランティアガイドの案内で島を歩く
クリック
(地図は北が下になっているので注意)
現在は住民は無し 夏場の観光シーズンのみ「海の家」が開くそうである

昔は、日本陸軍、海軍が紀伊水道を守る為の軍事要塞として沢山の軍人が住んでいたそうで、
その遺跡と道路が今ではハイキングの観光になっている
そんな説明を聞いてから歩き始めた

  

第2砲台跡 しっかりしたレンガの建物が残っていた
   

友ヶ島灯台に向かって登る 椿の幹の傷はリスの「食み痕」だそうだ
   

灯台に到着 この上に水道を見張る監視所があった ここから通る船を見張ったそうだ
今は木が生えているが真下に海が見える
  
対岸が淡路島の由良

灯台前の広場に日本標準に135度の子午線が通っている 明石の真南に位置する訳だ
   

ここで昼食弁当「柿の葉寿司」
     

説明によると、昔は軍事的に重要な地だったが、今でも重要な地であると言う
灯台は海の安全 気象観測「アメダス」 関空に着陸する飛行機のレーダー基地だそうだ
   

ここから登ってタカノス山(119m)の展望台へ 途中椿が咲いてきれいだった
今回は霞んで見えなかったが、関空、明石大橋、淡路島の観音が見える由
    

第三砲台跡へ
パンフレットに出ている軍の砲台跡 しっかりしたレンガで作られていて驚く
  クリック

  

  

将校宿舎跡は壊れかけていたが、煉瓦の建物はしっかり残っていた

  

私は友ヶ島にこんな施設があるとは知らなかったので、このウォーキングは期待以上だった
ツアーはこの後和歌山へ行き、黒潮温泉で入浴 疲れを取って帰宅した

歩数計は12,500歩   おわり 


 万博公園のハス

EXPO記念の日本庭園に蓮池がある ハスは7月に開花 早朝に咲くという
早朝観蓮会に行ってみた 入園は朝6時に開場
   

ハスの花はきれいだったが人の多さに驚く
立派なカメラに三脚を立て、熱心に写真を撮っていた 私のようなコンパクトカメラではない
   

そんなカメラでもそれなりに撮れた
  

象鼻杯というハスの葉に酒を入れて茎から飲むのをやっていた
ここも行列だった トライして見るには長いので止める
     

おわり


関西を歩く・・福知山線 廃線ウォーキング

面白いウォーキングに参加した 武庫川沿いの旧福知山線を歩くという企画

JR西宮名塩駅で降りて、中国道の高架下を通る
高速道から見ていた住宅街がすぐ近くだった
  

自己責任のハイキングコース JR西日本は「責任は負えない」をしっかり書いている

武庫川沿いの線路後は絶景のハイキングコースだった
昔の鉄路の蒸気機関車はこんな川沿いぎりぎりで走っていたのだ
  

あちこちに鉄道の名残が残る 枕木 見張り台 側壁など 
  

対岸の岩山 紅葉時には見事だろうなと思う
   

この夏の台風の豪雨の時の水位を示すごみが高い位置に残っている
こんなに所までの水は凄かっただろうと思う

   

このハイキングコースは真っ暗なトンネルを5個通るから、ライトは必携
私も首にかけるLEDと手にもう一つ持って歩く
   

みんなで歩くからこそ怖くないが 一人ではとても歩けないと思った

  

トンネルを出ると鉄橋だった 線路ではなく、側道をあるく
  

  

しばらく行くとがけ崩れの跡が残る やはりあの大雨は凄かった
   

周囲の雑木林の紅葉を想像しながら 河原で弁当を食べる

最後のトンネルを通って武田尾駅に向かう
  

 武田尾温泉が川の対岸にあるという

 

武田尾駅は福知山線のトンネルとトンネルの間にある
  

ここからJRの電車に乗って帰る

川沿いのこの廃線は絶好のハイキングコースになのに手入れされていないのが惜しい
JR西日本、宝塚市ともにメンテンスの予算がないし、責任を取りたくない
何か事故が起きたら通行止めになりそうな気がした

おわり 


和歌山ドライブ  

 高野竜神スカイラインをドライブしようと出かける
途中で観光しながら、目的地は白浜 

聖徳太子御廟 

 太子町の叡福寺が太子を祀るお寺 法隆寺に感じが似ている 

    

 宮内庁管轄の聖徳太子の御廟はこの寺の背後にある 

  

 御廟は母(穴穂部間人皇后)と妻(膳部太郎女)との三者が一緒の三骨一廟形式だそうだ
屋根が三層になっているのがユニーク
 

    

一万円札でおなじみの聖徳太子の御廟である  しっかりお参りして常に傍に居て下さいと祈る? 

高野山金剛峰寺 

R371 高野街道を下り 高野山へ向かう
奥ノ院のお墓の並ぶ所は何回か行ったが、金剛峰寺は初めて
 
本堂の書院のふすま絵に弘法大師の中国での様子や帰国後の伝導の様子が
白描線画で描かれてるのに吸い込まれて見る(写真禁止)

      

庭のみの写真となるが見事な枯山水だった

  
 

大人数の僧侶を支える庫裏は広かった

   
 

待望の「高野竜神スカイライン」を走ったが、曇りで霞んでいた残念 

  

着いた白浜も小雨模様だった 

   

南方熊楠記念館 

翌日雨の中を南方熊楠記念館に行く  駐車場は上にあり、信号付の片道通行 

       

登った所に昭和天皇訪問の記念碑があった 生物学者だった天皇が熊楠の偉業を認めたという
ここはまた徳川時代は紀伊藩の見張り番所で常時30余人が駐在して
禁制のポルトガル船を見張っていたそうだ
 

         

熊楠館内は写真禁止  展示を読んで驚いた
幼少の頃から近所の家の本を読んで暗記して それを自宅で筆記したという
そんなノートがずらりと並んでいた 
覚えて纏めたらすべて頭に入る・・ 歩く辞書と言われた知識はこの努力から  凄い!!
 

     


アメリカ村  

 日の岬近くのアメリカ村に行くが、ほとんど代が替ったのか建て替えられていた
資料館も閉鎖、ガラス窓から覗いたら展示写真が見えただけ
 

     

庭にはカナダを想う碑が建っていた
近くに国民宿舎もあり、ここは見晴らしが良い所 本日は雨で視界なしだがいつもは「朝日夕日100選」だそうだ
 

    

道成寺   

 安珍清姫で有名な道成寺に行く 

 

     

このお寺は本堂や三重塔は立派だが「鐘楼」がない
清姫が大蛇になって消えて以来。再建する毎に災害が起こって無くなるという
2か所も元鐘楼跡があった

   

 本堂内部の壁には道成寺の舞踊祈願の写真が華やかに飾れていた
公演成功祈願で芸能人が奉納するそうだ 

    

おわり


 


関西を歩く・・淀川クルーズ・生石高原・伊賀上野・なにわ探検クルーズ・友ヶ島ウォーク

2012年11月13日 | 関西を歩く

  友ヶ島ウォーク

 友ヶ島ウォークのバスツアーに参加した

 友ヶ島は和歌山の加太、淡路島の由良の間 紀伊水道にある島
二つの島からなっているが今回歩いたのは西側の沖ノ島の半分、淡路島に近い部分だった

 新大阪と難波で参加者を拾って出発、阿倍野ハルカスが見えた

阪和道を南下してSAでトイレ休憩の後、道の駅「とっとパーク」へ
このあたりの土が関西空港の埋め立てに使われたそうで、そこに釣り公園を作った
  

 釣りの成果が展示され、沢山の釣り人がいた
  

 加太港から「友ヶ島」行きのボートに乗る
    

 虎島の赤印に「五所の額」のあるという 20分で到着
  

 観光ボランティアガイドの案内で島を歩く
クリック
(地図は北が下になっているので注意)
現在は住民は無し 夏場の観光シーズンのみ「海の家」が開くそうである

昔は、日本陸軍、海軍が紀伊水道を守る為の軍事要塞として沢山の軍人が住んでいたそうで、
その遺跡と道路が今ではハイキングの観光になっている
そんな説明を聞いてから歩き始めた

   

 第2砲台跡 しっかりしたレンガの建物が残っていた
   

 友ヶ島灯台に向かって登る 椿の幹の傷はリスの「食み痕」だそうだ
   

 灯台に到着 この上に水道を見張る監視所があった ここから通る船を見張ったそうだ
今は木が生えているが真下に海が見える
  
対岸が淡路島の由良

 灯台前の広場に日本標準に135度の子午線が通っている 明石の真南に位置する訳だ
   

 ここで昼食弁当「柿の葉寿司」
     

 説明によると、昔は軍事的に重要な地だったが、今でも重要な地であると言う
灯台は海の安全 気象観測「アメダス」 関空に着陸する飛行機のレーダー基地だそうだ
    

ここから登ってタカノス山(119m)の展望台へ 途中椿が咲いてきれいだった
今回は霞んで見えなかったが、関空、明石大橋、淡路島の観音が見える由
     

第三砲台跡へ
パンフレットに出ている軍の砲台跡 しっかりしたレンガで作られていて驚く
  クリック

   

   

 将校宿舎跡は壊れかけていたが、煉瓦の建物はしっかり残っていた

   

 私は友ヶ島にこんな施設があるとは知らなかったので、このウォーキングは期待以上だった
ツアーはこの後和歌山へ行き、黒潮温泉で入浴 疲れを取って帰宅した

歩数計は12,500歩   おわり 


なにわ探検クルーズ

今あちこちにポスターが貼られている「なにわ探検クルーズ」を体験した

 発着場所はJR難波駅近くの「湊町リバープレイス」の船着き場

 クルーズのコースは
道頓堀を西へ行き、木津川を北へ上り、堂島川へ入る
中の島を右に見て天神橋まで行き、東横堀川を南へ下り、
道頓堀に戻る周遊コースで、約1時間を落語家の説明と笑いで楽しんだ 

 
湊町船着き場

道頓堀と東横堀川は二つの水門で水位が保たれている
 「道頓堀川水門」と「東横堀川水門」で外の川との水位を合わせている
今回の水位差は30cmだったが1m以上の時もあるそうだ
 
道頓堀水門、ぬれている部分が30cm、木津川のほうが低い 


再び道頓堀に入る時、東横堀川水門で、後部を閉じて水位を上げている 

大阪は地盤沈下で水位が上がり、橋の下をくぐる為にこのクルーズ船は伸びたり縮んだりする
これは客席全体を上げ下げしているそうで、窓の位置が変化する
  
左は窓の上に20cmの空きがあるが、右は窓が天井に付いている
これから低い橋の下を通るのだ 大阪だからこその工夫と思う

 今回の案内人は「桂きん太郎」、太閤弁当を頂きながら話を聞いた
    

運よく右側の席に座れたので大阪の町を川から楽しんだ 

 
左、京セラドーム  右 ロイヤルホテル

  
左 フェステバルホール  右 市役所 
御堂筋の大江橋、次の水晶橋共に沈下がひどく 下を通るのはスレスレだった
水位が高いと舟の天井が当たってくぐれないそうだ

   
中の島のバラ園は人がいっぱいだった お互いに手を振る

  
八軒屋船着き場 以前私はここから淀川クルーズに乗った

 
東横堀川は高速道が上に通る この時は客席は上に上がり窓が開く

  
道頓堀に戻ってきて、船は天井も外して見晴らしを良くした

 
えびす橋の飾りはお好み焼きの「コテ」のデザイン

 
おなじみのグリコの看板をみて今回のクルーズは終了 

 


 (滋賀)石塔寺 

聖徳太子の時代に建てられた古い寺であり、 「いしどうじ」と読む
私が見たいと思ったのは、以前町田市の白洲邸「武相荘」に行き、
正子の「近江路」に出ていた石塔を見たかったから

 名神を八日市ICで降りて、ゴルフ場の中を通り抜けて行く
駐車場には他の車はなかった 鄙びた感じする
  

 お寺よりも石塔を見たくて石段を上る
両側に小さな塔が並ぶ
   

 階段を上り詰めたら、写真で見た三重塔が立っていた
期待が大きかったのか、小さく見えたが確かに百済様式で日本ではない形だった
朝鮮半島からの渡来人が北から琵琶湖を通って移って来たのは本当だと思う

 周辺に沢山の石塔がびっしりと並ぶ
時代は下って日本人の信仰で奉納されたそうだ
  

本殿は階段下にあり、飛鳥様式の屋根だった

 石塔寺終わり


(三重)伊賀上野城 


昨年リニューアルをしたとかで真っ白な美しい姿で立っていた
昔、行ったことがあるが再び観光して見直したことはこの美しさだけではなかった

          
戦国武将、藤堂高虎が作った本丸の石垣は30m高さで立派だったが、徳川時代に天守閣は無かったそうだ
なのにこの城は、桃山様式の木造建築なのだ

 昭和初めに地元実業家がコンクリートでなく木造にこだわって建てた城だ
木造だから、小さいながら彦根城や白鷺城と同じ暖かさを感じた

 天守閣の格天井の1m角の色紙には昭和初期の有名人の名がずらりと並んいたのもすごい
これを見ただけでもここに来た価値があった
  
 クリック

 近くに忍者屋敷や芭蕉 の俳聖殿もあってこじんまりと観光ができる

  

 上野城 終わり


 (和歌山)生石高原 

 

 クリック

曽爾高原のススキ原は有名だが、生石(オイシ)高原のススキも見事だった

阪和自動車道を有田ICで降りて、登っていく・・地図参照
やっと観光バスが通れる広さの道路が出来たから、これから観光地になるだろう

    

ススキの穂は高く、風に揺れて太陽に反射して銀色に光り、小道を気持ちよくハイキングする
東は高野山、大峰山の山並み、南に有田川、北は紀の川市と見晴らし良い風景だった

       
ヒノキ林を下ると巨石をご神体とする生石神社がある
同じ文字なのにこちらは「ショウセキ」と読むから日本語は難しい
  


 淀川クルーズ

こんなパンフを見つけて、八軒屋から枚方まで淀川をアクアライナーで昇る
昔の30石船は定員は28人で、下りは半日、上りはⅠ日かかったそうだが、今回は2時間半だった


  
八軒屋を出てしばらくして、大阪城が見える 桜ノ宮の紅葉も始まっていた

  
船内で「三十石舟歌」を聞く 手前の器具は「ギーギー」と舟音を鳴らす

  
大川と淀川の水位を合わす「閘門」に入る 水位の差は120cm淀川のほうが高かった
アクアライナーがこの閘門を通って淀川に入るのは、春と秋の特別期間のみとか


淀川に入ると水位を調節する水門が並んでいた 
この水門までの水は真水で、下方は海水が混じる 真水を下方に流すのは左右の水門のみと聞いて 
JRや阪急列車から見る淀川の水は、水門の下方の水流が少なく、海水が混じる川だったと知る
 
水量がとても多いのはこの真水が水道、工業用水、農業用水に使われているから、
また、取り込みやすいように流れも緩くしている
 
   
左が西宮などの取り込み口  右が柴島上水を大阪市内に運ぶ水道橋

  
赤川鉄橋、豊里大橋、鳥飼大橋、淀川新橋、枚方大橋をくぐる 
道中は水量豊かで流れは緩く、水はきれいだった

  
枚方の船着き場で下船、昔の枚方舟屋「鍵屋資料館」で淀川水運の歴史や「くらわんか舟」の展示を見る
普段知らなかった淀川の様子を知って面白かった お勧めです

おわり