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西九州ドライブ(熊本、天草、雲仙)

2017年07月31日 | 国内ドライブ

西九州ドライブ(熊本、天草、雲仙)  (2017.2)

このドライブ記は今年2月に行ったものです 

行程

1日目・・中国道→九州道→ 熊本へ 観光 熊本泊

2日目・・国道57→天草へ 天草観光→フェリー雲仙へ 雲仙泊

3日目・・雲仙観光→島原→諫早 諫早泊

4日目・・長崎へ 出島館観光→佐賀へ 名護屋城観光→九州道→中国道

 行程地図  全走行1,044km

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1日目

益城町

地震の被害が残る益城町を走る まだ震災の跡が痛ましい

  

道路は整備されたがブルーシートの屋根が見える

  

 

通潤橋

パンフでよく見る水道橋「通潤橋」へ行くがここも地震の被害で修理中
道の駅から眺める

  

資料館で説明を聞く 台地の土地へ水を引く為に作られた橋で今でも現役
放水は中央にたまるゴミを取る必要な作業だそうだ

   

水前寺公園

私は初めての公園で芝生が手入れされている大きな公園だった
アジアの観光客が着物で歩いている

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熊本城 

熊本城の地震の被害は大きかったから、場内は立ち入り禁止
すぐ前の市役所の展望台から見下ろした

天守閣の屋根瓦は落ち、飯田丸櫓の一本足は横から支えてあった

  

熊本のビジネスホテルへ泊まり、夕食は馬刺し店へ 堪能する

    


2日目

天草

雨の中を天草へと向う、天草史郎メモリアルホールへ
展示やビデオを見るが写真は禁止だった

   

松島有料道を通り 天草コレジュ館へ
宣教師を養成する学校が開かれ約6年間ここで西洋文化が開花した
キリシタン大名たちが送った「天正少年使節団」もこの地から出た

  

グーテンベルグの印刷機も伝えられていたとは驚き
ここで作られた印刷本は「天草本」と呼ばれる 日本語のローマ字訳本まであった

   

 天草で有名な「津崎天主堂」左 と 「大江天主堂」右 
どちらも明治になってキリスト教が解禁されてから建てられた 

  


雲仙

島鉄フェリーで島原半島に渡る(熊本県→長崎県)
雲仙温泉に車を置き、雲仙地獄を観光する
湯気と熱湯が噴き出して、地球が生きている感じだった

  

  


3日目

島原

山を越えて島原側に下りて「雲仙岳災害記念館」に行く
雲仙普賢岳の噴火で1991年に報道関係者や火山研究家が火砕流で犠牲になった
その後の復興の様子が展示されている

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島原城

島原城は千鳥破風や唐破風の無い城だが堂々としていた
上から島原の町を眺める

 

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内部は資料展示がされていて、キリシタンのマリア像や
禁教時代の雲仙での拷問の様子の屏風もあった

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雲仙グリーン道路から諫早に向かうが道の両側には野菜畑のビニールハウスが続いていた

  

諫早

グリーンロードからそのまま続いて「諫早湾干拓堤防道路」に入る
両側が土手なので堤防を走る感じがしない
途中の展望所から海を見ることが出来た 海の色は埋め立て側はグレーだった

    

対岸に着いた後、干拓地内を走ってみた 広大な農地が続いていたが稲作ではない
突き当りから堤防が見えるかと思ったが葦原だった

  

ホテルに車を止めて眼鏡橋へ 重要文化財である
諫早水害の被災地は公園になり陶板パネルがあった

 


4日目

長崎出島館へ行く 
昔の絵や資料を基にしてほぼ実物どおりに復元された「出島」は見ごたえがあった
江戸時代 ここは本当に外国との貿易、文化交流の場であったと実感した

 

九州自動車道を多久ICで降りて、国道203で唐津へ
その先の「名護屋城跡」へ行く

ここは秀吉の出兵の時、基地になった所 
当時は陣屋が立ち並び、人口が20万人もあったという
近くに立派な博物館があったが休館だったのが残念

 

昼食はイカの「活け作り」 まだ動く透き通った身を初体験した

   

九州道、中国道で帰宅  全走行距離  1044km