タビトリプ

旅行大好き、ブログで旅日記を作りたい

関西を歩く・・高野山&和歌山城

2018年11月23日 | 関西を歩く

高野山、和歌山城、有田みかん (2018.11)

シニアくらぶのバスツーに参加した

阪和自動車道から国道480へ 道の駅「くしがきの里」でトイレ休憩

 

小雨の中を高野山へ登る  金剛峰寺前への駐車場にバスを止めて
昼食会場へ

精進料理のお店はビルだった メインは「茄子の甘味噌かけ」

     

ボランティアの案内で金剛峰寺を見学する

   

室内は写真禁止なので廊下からの写真
弘法大師の唐へ留学の様子の細密画は4室に物語になっていた 素晴らしかったのでゆっくり見たかったが案内が早い
   

石庭の中庭を通り 新別殿の大広間に行く

広い大広間でお茶とお菓子を頂く
正面に弘法大師増と左右に両界曼荼羅、布貼絵で作られたものが奉納されていた

 

廊下に出てお庭を見る 空に背の高い樹がそびえる
 砂と石で描かれる「蟠龍庭」はわが国最大の石庭で、雌雄の龍が奥殿を守る姿だという

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(クリックで拡大の後は左上の→で元の画面に戻ります)

 大勢の料理を作る庫裏は大きな部屋だった
   

一石炊釜

ここからバス移動して 赤い大塔へ行く

 

鐘つき堂で音がするので見に行くと
打つのではなく 逆から綱を引いて鳴らしていた

三鈷の松葉 法具の三鈷杵と通じてお守りになる

 

この後 金堂と大塔の中の説明を聞くが、ボランティアガイドが私の靴を履いてしまう事件で
写真どころではなかった

はき違えが解決して金堂正面の門を見る 四天王4体が背中合わせで守っていた

広目天の胸に「セミ」  増長天の胸に「トンボ」 が見える

   

奥ノ院に行く 
企業の入口には企業の墓が左右にならんでいた

 

もっと奥に行くと、杉木立の中に武士時代の墓が苔むす
  

豊臣家の墓          織田信長の墓 
    

宿泊予定の「休暇村・紀州加太」に行く 紀伊水道を見下ろす高台に建つ

 

御馳走の夕食 セットの他に隣のバイキング会場の料理も自由だった

 

翌日、朝の散歩で「砲台跡」見に行く 
太平洋戦争時に海軍が紀伊水道を守るために作られた
以前友ヶ島に行った時にも同じように海軍の基地があったのを思う

   

ここから朝焼けの友ヶ島を展望する
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朝食は海を見ながら食べる

和歌山城を見学
 駐車場のある裏から、城主が渡ったという屋根つきの「御橋廊下」を渡る 

  

使われている石が青いのが私には印象的だった

 

お城が見える広場に着く この城の特徴は連立式天守である

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内部は靴のままでOKだった 城にしては珍しい

 

展望台からの眺めは天気も良く素晴らしかった

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有田に向かう バスの両側はミカン畑だ

ミカン狩りをした後 バーベキューで昼食 

   

  

ミカンのお土産を持って帰宅

おわり


山口県を歩く・・萩往還①御船倉跡~佐波山峠

2018年11月21日 | 山口県を歩く

萩往還①御船倉跡~佐波山峠 (2018.11)

萩往還は毛利氏が萩城を築城時に作られた
日本海の萩から瀬戸内の三田尻港を結ぶほぼ直線の道で全長53km
参勤交代の「御成道」であり、山陰と山陽を結ぶ交通路だった

いつかこの道を歩きたいと思っていたが、やっとスタートすることが出来た

三田尻の御船倉跡
御船倉は藩主が乗船する船を係留し修理をしていた船溜まり 
参勤交代はここから船で瀬戸内海を大阪まで行き、淀川を登り、伏見から陸路を使ったようである

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英雲荘は三田尻御茶屋として藩主の滞在や賓客の接待場所として使われた
内部は公開されている

 

ここからは防府天満宮までほぼ直線道を歩く
途中にあるのは「楫取素彦・美和子」の終焉の地

  

妙見神社の前に力石があり若者が祭りで競争をしたという

 

本殿の裏に古墳の石室入口がある 6世紀頃の古墳時代後期のもの

交差点を渡り 天満宮に向かう商店街になる
昭和の映画館の後が残る
 

防府天満宮の鳥居の前は,萩往還道と山陽道交差点である
ここからは山陽を歩く

 

この山陽道沿いに新しく「山頭火のふるさと館」作られた 山頭火は防府出身の放浪の歌人
  

 宮市本陣跡 西国大名や上級役人の宿泊に使われた

山陽道を離れて北へ折れて萩往還を佐波川に向かう 川から分水溝は大がかりだった

  

佐波川土手からの見晴らしは良かった
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舟橋跡
佐波川は度々氾濫して木造の橋は流されたので、船でつなぐ橋が作られた
洪水のときは船と橋を陸に上げて保管したという
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橋の上から両岸の舟橋跡を見る 今は中州が出来て草が生える

   

橋を渡ってしばらくして、山陽高速自動車道と国道2号線をくぐる
岩の多いこの山は「右田ヶ岳」と言い剣神社の御神体でもある

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剣神社 

  

この境内の中に2009年に起きた豪雨による土砂崩れの犠牲者の碑があった
今は復帰しているが、山口と防府を結ぶ道路は遮断された
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明治天皇休憩所 天皇の視察があった時の立派な屋敷である

  

おろく塚
美人で人気の茶屋娘は武士の横恋慕により切り殺されたという
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262号線の道路は峠に向かい上り坂 車道はこの先トンネルになるが
萩往還はこの道路の上を歩く  下に車道が見える

 

明治天皇のこの坂を馬で越えたそうで「御休憩所跡」

峠の頂上に郡境の碑 「南佐波郡」と「北吉敷」の文字が刻まれている

下り坂を歩いて佐波山北側に下りる 

  

今回はここまで
262道を1時間2本走るJRのバスに乗る

約15㎞ 21,000歩


関西を歩く・・三輪 大神神社&レストラン

2018年11月09日 | 関西を歩く

三輪 大神神社&レストラン (2018.11)

若い友人たちと三輪と桜井に行った

近鉄三輪駅がこんなにローカルだとは知らなかった
駅前の街並みも昭和の風景

 

神と言う文字が二つも重なる「大神(おおみや)神社」 奈良は京都よりも古代が残る都市だと思う

祓戸神社 (心と体を祓い清める神社)

  

夫婦岩 (三輪の神と人間の女性の恋)

  

ひとづつ拝んで本殿に行く

 

巳の神杉は三輪の大神の化身の蛇が住む御神木 生卵が供えてある

  

本殿では「卯の日祭」が開催中で自由に参拝できるとのこと
本殿に上がり祝詞を一緒に声明して厳かな体験をした

 

狭井神社 三輪の荒魂を祀る神社 病気平癒の神として信仰される

  

寝殿の裏に御神水がある

コップがあり飲めるようになっている

  

この神社に登拝の手続きをすればご神体の三輪山に登ることが出来るそうだ
宮島の弥山に登った私だから、実現したいと思う

  

これで大神神社は終了、昼食は桜井にて

有名な「ひらまつ」経営のレルトラン「オーベジュール桜井」
2~3月前に予約する人気店を予約してくれていた

 

こんな所にフレンチレストラン?と思ったが、この田舎の雰囲気が良いのだろう

 

出てくる料理は意外性のものばかりだった

 

 

 

食後のコーヒーはテラスに出て風景を眺めながら・・
プチスイートが付いてくる

 

非日常の体験をした一日だった

歩行数 15,000歩

おわり


関西を歩く・・大阪湾を歩く⑩ りんくう南浜~浜工業公園

2018年11月08日 | 関西を歩く

大阪湾を歩く・・りんくう南浜~浜工業公園 (2018.11)

前回は不参加で⑨回目のみさき公園、淡輪、阪南は歩かなかった

10回目を参加した
参加者は少なくなって今回は17名の参加で、バスは一人2シート席だった
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府道R63の路上でバスから降りて降りて、ビーチに出る
浜辺で準備体操をしてスタートする

白い小石の浜が続いていた
マーブルビーチのモニュメントがある

  

白いマーブルの浜がりんくうジャンクションまで続いていた
こんに大量をどこから運んだのかと驚く。案内人に聞いても知らなかった
インターネットで調べても判らなかった  知っている人教えて欲しい

  

ビーチの石はきれいだが、浜辺にある公園は草が多く手入れ不足、時計の時間も合っていなかった

 

泉南マリンブリッジを渡る 田尻ブリッジとスターゲートホテルが見える 

 

スカイブリッジを渡る 

   

1994年完成 もう25年前になる 

     

渡った後もマーブルビーチが続く

 

  

りんくう連絡橋のそばに記念公園が作られていた

木造太鼓橋から見えるモニュメントはここからの夕日が沈む位地だそうだ

  

スターゲイトホテル

JRりんくう駅  エレベーターで52回に上がり 昼食すき焼きだった

  

今回の費用は高めと思ったら、この昼食だった

  

ここからの眺めは素晴らしかった

  

 

午後のウォーキングを開始
ここからの道はウォーキング道 住宅地と工場との緩衝となっている

   

 いろんなモニュメントがある
 

9月に関西を襲った台風であちこちの木が倒れた後が残る
大木を根から倒す突風が吹いたようだ

  

街路樹の葉も塩害で縮れていた

高速道の下の近木川を渡る  左に工場群 右に二色の浜のボートパークが見える

  

二色の浜公園に入る ここは南海電車が整備した 日本の「白砂青松100選」に入っている

 

二色の浜公園の帆船のモニュメント 

 

脇浜潮騒橋

  

浜工業公園で終了 芝生の上で整理体操をして 迎えのバスに乗る

 

歩行数 22,800歩  約5時間


大阪を歩く・・心斎橋周辺

2018年11月03日 | 大阪を歩く

心斎橋周辺を歩く(2018・10)

街歩きで久しぶりに心斎橋辺りを歩いて、外国人が多く周囲の様変わりに驚いた

心斎橋の大丸デパートは改修工事中だった
一階のアールデコの部屋や残されると聞いたがどう変わるのだろうか?

壁には変遷の歴史の写真が貼られていた

  

御堂筋も建て替わり 海外ブランドの店が並ぶ
側道を歩道にするそうだが人の多さを見ると必要と思う

みなみの観音さんと言われる「三津寺」
御本尊は木像の十一面観音菩薩だが秘仏となっている

石像で同じ大きさの観音菩薩が作られこれをお参りする
昼間は自由に門内に入れるが、夜は閉めるので石像を回して外から拝めるようになっていた

  

夜は観音像がこちらを向く

 

道頓堀の橋の上の賑わい 写真を撮リあう人がいっぱい

   

大阪をを象徴する賑わい

   

「浮世小路」の路地へ入る 私はこの道を知らなかった

   

狭い中に昔の写真がある

  

「法善寺横丁」に入る

   

水かけ不動は賑わって苔むしていた

  

千日前どおりを難波に向かう
  

難波駅 高島屋ビル

ここで解散になったので、私はもう一度道頓堀に行き、周辺を歩く
たこ焼きはどこも行列だった

  

展望車が動いていたので乗ってみた

真下に遊覧船も見える ここが発着場になっている

   

次第に高くなり 遠くにアベノハルカスが見える 真下の街並みはゴチャゴチャだ

 

料金は600円 面白い体験だった

おわり


広島を歩く・・神楽、弥山登山

2018年11月01日 | 山陽道を歩く

広島を歩く・・広島城、平和公園、神楽 宮島弥山登山 (2018.10)

神楽見物を誘われて広島に行った

JRで新幹線時間表を貰ったら、いつもと違うピンク色を不思議に思ったが
その列車を途中で見ることが出来た

JR西日本の博多~新大阪を1日一本往復の「こだま」だった

     クリック

広島駅から在来線で白島駅で下車 「アストラム」乗換駅だった

見物は広島城からスタート 

堀の周辺にテントが並び 沢山の人が歩いていた
この土、日はフードフェスティバルとかで天気も良い行楽日和だ

  

広島城内は裏御門から入り、 広島大本営跡、被爆樹木を見て天守閣に行く

   

  

天守閣内部はいろんな展示があり、読んで楽しかったが写真は禁止

天守閣から平和公園側を写した写真が下記
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隣の護国神社は七五三参りの着飾った家族連れがいっぱいだった

   

 

広島に詳しい友人は平和公園以外の原爆の記録地を案内してくれた 

 原爆投下の爆心地 原爆ドームのすぐ近くだった

すぐ近くの袋町小学校も資料館で原爆を伝えていた 
コンクリート作りの建物だったので爆撃後、救護所として使われたそうだ

 

  被爆のドア、壁の杭炭化している
   

救護所の時の伝言板の文字が残る

地下室に下駄箱があったそうで、校庭に出る前に靴を履きかえていた子供3人が
この爆心地で奇跡的に生存したという  

日本銀行のコンクリートの建物も被爆して残る
この地下の金庫の中に被爆後の写真や資料が展示されていた


   

金庫の中にアメリカが被爆後に取った写真が展示されていた

  

 原爆ドームへ行く  外人観光客もしっかり読んでいた

  

平和の鐘を鳴らす小学生たちを見て、私達も打ってみた
余韻が長く残る鐘だった
  

折鶴館の折りヅルはあふれそうに詰まっていた

原爆の子の像の前には小学生が並んで黙とうして折鶴を供えていた

 

 

TVに良く出る平和公園

   

資料館は耐震工事中で展示は東館に新しく作られていた

被爆前の広島の写真、繁栄した街並みをワイドに見せている

次の部屋は、中央に上空から見た広島の町が映り 8月6日朝の様子に変る
投下の様子をビジュアルに見せていた
  

横の壁には被爆で破壊された街の写真が全面に貼られている

ここの展示は何回見ても胸に迫り 原爆の酷さに黙ってしまう

 

  

赤十字病院の展示はもっと酷い写真が多かった
  

資料館を出てほっとしたら、お腹が空いて、生きていることに感謝してお好み焼き店に行く
大阪とは違うソバの入る広島焼、焼いたのを鉄板に運んでくれた 

   

食後 白神社の神楽を見る
舞台下にゴザが敷いてあり、自由に座って見れる

  

「奉幣」は神に挨拶する   「塩払い」は四方を清める

  

「神武」は宮崎を出た神武が大和入る前に刃向う敵を倒す話

  

「恵比寿」の舞になると子供たちが舞台下に集まってきたのは、撒餌(お菓子)を拾う為だった

 

最後は「八岐の大蛇」で大蛇が暴れまわった

 

夜7時から 10時までしっかり見れた


 翌日は宮島へ 広電で行く 

10時に宮島に着く 塩は引き潮だった

 

紅葉谷のロープウェー乗り場から弥山登山開始する
ロープウェーは途中で乗り換える

 

   

獅子岩の展望台は広島湾の島々が見渡せた

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覗き筒が方向を固定してセットしてあり、覗くとその名前の島が見える仕掛けは面白い

 

目指す弥山を正面に見る

弥山本堂の裏は大きな岩がある
  

535mの頂上に着いた ここで持参のアナゴ弁当を食べる

  

屋上に上がって見晴らしを楽しむ

 

帰りは大聖院コースで階段を下る

途中で見た「干満岩」 潮に合わせて穴の中の水が満ち引きするという (本当?)

  

穴の中に水があったが、見下ろした鳥居も潮の中だった

 

石段の多いコースを下る

  

階段を下りてやっと大聖院に着く 前回この寺をパスしたので是非行きたかった所だ
正面石段を登る

  

観音堂の本尊は十一面観音菩薩である

上がって拝み 右側にチベット密教との交流の砂曼荼羅絵がある
TV宗教の時間で曼荼羅シリーズを見ていたのでぜひ本物を見たいと思っていた
「これを砂で描いたの」と思うほどカラフルで細かな絵図だった
チベット僧が儀式のための4人がかりで何日もかかり描くそうだ

  

宮島の弥山に無事登れて感謝する  新幹線で大阪に帰る

翌日から3日間 足は筋肉痛だった 特に階段の下りはひどかった

おわり