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熊野古道を歩く・・中辺路編 ①~②

2014年10月13日 | 熊野古道を歩く

熊野古道を歩く・・中辺路編

 

中辺路編 2回目・・高原熊野神社~大阪本王子

 

前回の終了時にもらった冊子を持って2回目に参加する

    

今回もバスに乗り替えて揺れる中で弁当を食べる
  

前回の終了ポイント霧の里休憩所までバスで行き、歩き始める
  

今回語り部さんは女性で道の途中の果実を「むべ」と教えてくれた
アケビに似ているが割れない 長寿の実と言われるそうだ

  

先ずは高原神社に参拝する

ここからの登り道沿いに昔は旅籠が並んでいたそうだ 今は普通の民家
   

 「中辺路8」の道標を見てから山道に入る
  

日本ミツバチの巣箱があった でも蜂はいなかった
   

一里塚の傍にあった廃屋は別荘として建てられたのが放置されたそうだが、
炭焼き小屋まであった

人工池に出る ここで休憩 
棚田の水としてこの高さに人手で作った池 今はきれいに緑が映る

大門王子に到着 祠の後ろに昔の石碑が建つ

  

ここから次の王子に行く途中でメンバーの男性の靴の底が外れたが、皆の知恵で修理をする
紐で結んでガムテープで巻く・・経験者の準備は凄いと感心した

十丈王子に到着する ここにはトイレがあった
帳面へのスタンプはまとめてスッタッフが押す(伊勢路のように自分で押したいのに時間節約?)
   

  

語り部さんが示す木は「ヒメシャラ」、木肌がすべすべのサルスベリのような樹 
「リョウブ」との違いも聞く

このあたりが写真によくでる風景だそうだ 木立に囲まれて歩きやすい
  

小判を口にくわえて行き倒れになった巡礼を祀った地蔵

今回最後の王子 大坂本王子に着く 夕方であたりは暗くなる
  

「中辺路23」の道標を見て、降りたらバスが待っていた 列車に間に会うために急がされて乗る
  

歩行距離:10.5km  高低差400m 約4時間
 


 

中辺路編 1回目・・滝尻王子~高原熊野神社

伊勢路編のバスに乗る時間が長いので、列車で行く中辺路線があったので比較したいと参加した
新大阪から特急「くろしお」で往復のツアーである

紀伊田辺近くの海は台風接近で白波が立っていた

紀伊田辺駅前に弁慶の銅像 弁慶はこの田辺出身らしい
       

列車から降りてバスに乗る この車内で昼食弁当

出発地点の滝尻へ 富田川沿いに行くが川は豪雨被害の修復中だった
  

川沿いの「熊野古道館」で語り部さんの説明を聞く
  

滝尻王子から出発する 「王子」とは昔、天皇の熊野詣の時 熊野の神の御子を祀る神社 約2km毎にあるそうだ
中辺路の基準票は1,2,3と数字が増えていく 滝尻が0起点
    

私のグループの語り部は若い女性 大きな石を挟んだ木の横で説明を聞く
「ずーと登りが続きます 頑張りましょう」でスタート
      

本当にいきなり登り道が続く
少し登って「胎内くぐり」へ 生まれ変わる場所、安産祈願の場所だとか 人がやっとくぐれる穴だった 

 

次は乳石 藤原秀衡が懐妊のお礼参りに来て、夫人はここで男児を出産
赤子置いて熊野参りを済ませて来たら、岩からの乳を飲んで育っていたという
  

さらに登るがこの道は土道で石畳では無い

「剣山」371mに着くがここが頂上ではない
   

やっとポイント3を通過 500mごとの標識だそうだ
歩きやすい平坦な道に出てほっとする
   

喜ぶまもなく 再び急坂を登り続けると視界が開けて村が見えた
  

ここから下って道路と交差する 
ペースが早く登り坂が続いたので4人のリタイヤ―出て、車で移動する
早いペースに私もついて行くのが精いっぱいだった

再び登って針地蔵に着く 
針は医者の意味 お礼参りに小さな釘で作った鳥居が供えられている
    

まだまだ登ってやっと頂上 山の上に建てられるNHKの中継所がてっぺん
 

夫婦地蔵を拝んで、ここからは平坦な下り坂
  

高原熊野神社に到着 立派なお宮だった 横に古木の楠木の大木
 

「ナギ」の木は神木でその葉を災難除けのお守りにするそうだ
細い柳のような形の葉である
  

民家の間の道をとおって休憩所「霧の里」へ ここからの展望は素晴らしかった
トイレもあり、汗の服を着替えてほっとする
   

この田辺の山にイーデスハンソンさんが住んでいるそうだ どの家かわからないが・・

この後馬車道を下って、迎えのバスで紀伊田辺駅へ
定刻の特急「くろしお」に乗って帰る

バスの旅と列車の旅の比較
列車の方がゆったりするかと思ったが、乗車時間が決められて居る為か
時間に遅れないように早め早めと急かされた

バスの方がお客に合わせた自由度は高いが、帰宅時間が決まらない
どちらが良いのかと思う

歩行距離:6km  高低差250m 約3時間


山口県を歩く・・山口市 ・岩国 ・美祢

2014年10月06日 | 山口県を歩く

山口市 

 山口市内でボランティアにより開催されている「維新策源地ウォーク」に参加した 

集合場所は香山公園前の観光案内所 参加者は15名だった
語り部の案内で香山公園から出発 

瑠璃光寺の五重の塔は室町時代の大内氏により作られた 檜皮葺の塔で軽快である 

     クリック 

京都が応仁の乱後に治安が乱れていたころ、大内氏は山口で西の京と言われて栄えていた
雪舟もこの山口で過ごしている 

   

瑠璃光寺と大内弘世の銅像 

    

公園内に移築された「枕流亭」 薩長連合の密議がここでされた 

 クリック 

毛利家の墓の前の石畳は「うぐいすばり」で有名
中央で足を踏むとキューと音がする 柏手をたたくとエコーが返ってくる 

    

「洞春寺」 毛利元就の菩提寺 山門は重要文化財 

     

裏の墓地に「井上馨」立派な墓があった 東京から分骨されたと言う 

 

洞春寺を建てる前は 大内家の国清寺があったので 
一切経の八角輪蔵の礎石跡が残る  毛利家の時に京都三井寺、園城寺に寄進されたそうだ
http://www.shiga-miidera.or.jp/treasure/building/08.htm
三井寺で公開チャンスがあれば見たいと思う 

     

明治の県庁舎 今は資料館になっていて、館内を見ることが出来る
   

    

藩庁門 
ペルー来航以降 萩城は海沿いなので外敵に弱いからと毛利藩は山口に藩庁を移した
その時の門が残る 毛利家もここに移ったので、ドラマの「文」は久坂の死後、ここに出仕していたそうだ 

    

一の坂川 
小さな川だが今は蛍が飛ぶ 萩往還の通り道 近くに明倫館跡がある
大村益次郎が兵学を教えていた

    

十朋亭
醤油製造をしていた萬代家の離れで、藩の役人の宿泊所として使われ、志士たちのたまり場になっていた場所 

  

松蔭の実兄 杉民治の私塾も残る 

    

龍福寺(大内氏屋敷跡)
歴代大内の広大な屋敷跡 大内義隆滅亡後、毛利家が菩提を弔うため建てた寺
境内に義隆の墓がある 

  

 

 一の坂川沿いに「錦の御旗製作所跡」がある 
官軍のシンボルは岩倉卿の指示で京都で材料を仕入れここで作られた 

 

TV「花燃ゆ」に関係する場所が見れて面白かった
おわり 


 岩国

錦帯橋

関ヶ原の後に岩国を治めた吉川家,三代目当主の広嘉が1673年にアーチ形の橋を懸けたのが最初
地元民は「橋出米」で維持管理をしたそうだ

1950年のキジア台風の豪雨で流され、1953年に再建 2004年に架け替えたのが現在の橋
保存に防腐剤塗りの工事をしていた
  

橋の入り口で、通行料、城へのロープウェー、入城料込の切符を買って渡る

木の橋の感触は優しかったが、傷みも激しいだろうと思う
  

岩国城

公園を通り抜けて、ロープウェー乗り場に行く
小雨模様だったが眼下に錦帯橋が見える
   

お城までの道は山城らしく、昔の石垣が残る
   

1603年に吉川広家が建てた山城は、徳川の「一国一城令」により7年後に取り壊されたという
現在の城は1962年再建されたもの、内部は武具や錦帯橋の展示場になっていた
 

最上階は展望台で町を見下ろす 霞んで視界は良くなかったが・・
  


白蛇 
 

 国の天然記念物に指定されている「岩国の白蛇観覧所」はロープウィーのすぐ近くにあった

ガラスケースの中に絡まっていた 本当に真っ白で目が赤い
幸運を呼ぶ家の守り神として保護されていているという
  

 吉香公園

吉香神社は重要文化財とか 檜皮葺の美しい形の神社だった
   

「美しき天然」♪そらに―かがやく♪ を作曲した田中穂積は岩国出身だった
宇野千代も岩国出身で生家が残されている
  

 

吉川資料館 

吉川資料館に入る 立派な屋敷跡が保存されていた
  

資料の写真は禁止だったが、黒田長政、徳川家康、秀吉 など戦国最後の時代の手紙類が沢山あった
時代を動かした人々の記録である

 隠居所「昌明館」の長屋の屋根瓦の葺き方が特殊
「二平葺」と言い、両袖瓦と平瓦の二枚と組み合わせた屋根 現在は生産されていないそうだ
  

普通なこちらのように片袖の瓦を重ねる
 

食べ物 

昼時になったので名物の岩国寿司を探して昼食にする 岩国寿司は押し寿司だった
レンコンも岩国の名物 煮物が一緒だった
 

ここはソフトクリームも有名 100種類あると言う
「むさし」と「小次郎」の二軒向かい合って競争している
     

TVの番組にも出たとかで、修学旅行生が立ち寄る場所だ
一番人気が「夏みかんソフト」で、ワーストは「ニンニクソフト」と聞いた

おわり


山口県を歩く・・美祢

 今回も「社会派ツアー」の「美祢コース」に参加した

美祢市役所からスタート
  

市役所の裏は河川公園になっていて、川沿いは桜並木で春はきれいだろうと思う
  

先ずは歴史民俗資料館を見学

   

民俗資料館だが、許可を得て化石の展示もしてるそうで、シダやイチョウなど沢山の化石を見る
昔のイチョウの葉は今の様に扇形でなく、切れ目が入っていたそうだ
  

  

別の部屋ではコウモリの骨の分類展示がきれいに並んでいてびっくりする
拡大されているのは「あごの骨」
  

美祢の「大峰炭田」では良質な無煙炭が出土した
これを明治の海軍が戦艦の為に利用したのでこの地方は発展したそうだ
そんな昔の炭鉱資料が展示されていた
   

資料館の外には生きた化石のイチョウ、メタセコイヤ、ナギ植えてあった
  

バスで移動して炭鉱跡地を見た
明治の海軍が作った炭鉱施設はしっかりしていて、今は宇部サンドと言う研磨剤用の砂工場が使っている
私たちはヘルメット被って見学する
  

  

  


無煙炭の盛んな頃は炭鉱だけで2万人以上の人が住んでいたという
炭鉱は戦後まで続いたがその後閉山
ハモニカ長屋と言われた炭鉱住宅は無人となった

美祢市はこの土地を工業団地用に整地して企業誘致を図ったが上手く行かなかった
そこで官民協働の刑務所誘致を決め、2007年4月に開設されたのが
今話題の「美祢社会復帰促進センター」である

  

刑務所らしくないフェンスで囲まれた明るい施設だったが、私たち見学者は
カメラ、携帯、財布、食物、帽子まで 持ち込みは禁止
すべてをバスの中に置いて施設に入った

セキュリティ検査を通って会議室へ ここで昼食 受刑者と同じ麦飯を食べる
写真はパンフレットからのコピー
私達が食べたのは、ビーフシチュー、和え物、サラダ、麦ごはん、ボリュームもあり充実していると思った

食事しながらビデオでの説明を見た後、施設内を集団で歩く 中は広い!

敷地総面積280,622㎡
収容者は初犯受刑者で刑期が1-2年の人だそうで
 男性:500人、 女性:800人
職員は仕事の分担で、国から:175人、民間職員:820人

個室も覗いたがすべて一人部屋で、こぎれい(写真はパンフレットから)
職業訓練で資格まで取れるという恵まれた施設だ
  

しかしここは刑務所、私たちの前後に警備員がついて張り詰めた雰囲気だった
だけど普通では見れない刑務所に入れたのは、こんな社会見学のツアーだからこそと思う

おわり